帰る場所は

星海ちあき

プロローグ

「はやく起きなよ。ずっと、まってるんだから」

 私のそんなつぶやきは窓から吹き込む風にさらわれて消えた。


 ここはとある病室。私、朝倉ももの幼馴染である月影煌牙つきかげこうがが入院している部屋。

 彼は五年前にコールドスリープを受け、今年、その期間が終わった。

 生まれつき病弱でよく入院していたが、まさか病気を治すワクチンが完成するまで体がたないとは思ってもみなかった。

 眠る彼の髪を撫でながら、五年前を思い出す――――






       ◯





「コウくん!」

「あ、今日も来てくれたんだ」

 元気よく挨拶をした私を迎えてくれたのは、ふわっとした笑顔のコウくんこと、月影煌牙だった。

「今日はね幸福屋のクッキーシューだよー。コウくん、ここのシュークリーム好きでしょ?」

 私が持ってきたお菓子を見るとコウくんはたちまち目を輝かせた。

 そんなコウくんを眺めていると、病室に一人の女性が入ってきた。コウくんのお母さんであるひかりさんだ。

「あら、ももちゃんこんにちは。毎日来てくれてありがとうね」

 そう言いながら、おばさんはふわっと笑った。

(あ、おばさんの笑い方、コウくんとそっくり)

 そう思ったのも束の間で、おばさんはすぐに浮かない顔になってしまった。

 何かあったのかと尋ねてみると「実はね、」と、話してくれた。内容はとても悲しい話。コウくんが患っている病気は、今の医療では治療できないらしく、ワクチンが完成するまでコールドスリープをするというものだった。

 突然の話過ぎて頭が追いつかない。

 コールドスリープ?ワクチンが完成するまでってえ、何年?

「ワクチンが出来るのは早くても四年後なんだって。でもそれじゃ煌牙は間に合わない。だからコールドスリープで一時的に眠って、ワクチンが出来たら起こすの。まだ決定じゃないけど、煌牙がスリープに同意するならすぐに準備を始めるそうよ。煌牙、どうする?」

 コウくんは戸惑った様子をしている。

 無理もない。

 いきなりそんなSFっぽいこと言われても混乱するよね。

「ねえおばさん、コウくんの病気を治すためのワクチンは作れないのに、コールドスリープなんて近未来的なSFっぽいことは出来るってなんかおかしくない?」

 私は素直な疑問をぶつけてみると、答えはあっさり返ってきた。

「ああ、コールドスリープって言っても体を凍らすわけじゃないの。いわゆる植物状態にするのよ。先生は専門的なことを言っていてよくわからなかったけれど、簡単に言えば、脳の機能の一部を失った状態ではあるけれど、小脳とかは機能していて自発呼吸も出来るみたい。目を覚まさないこともあるけれど、きちんと治療をすれば快復する可能性もあるそうよ」

 人間はしぶといと聞いたことがあるが、本当にその通りらしい。

「人間は案外しぶといんだね」

 コウくんは私が思ったこととまったく同じことを言った。

 そして真剣な表情をした。

「俺、同意するよ」

 おばさんは一瞬驚いた顔をしていたけれど、すぐに優しい微笑みをうかべて、「そう」と、静かに呟いた。

「じゃあ私は先生に伝えてくるわね。準備にも時間がかかるみたいだから」

 おばさんがそう言い残して少ししてから、コウくんが私を呼んだ。

「もも」

「植物状態にするのにもやっぱり時間かかるんだね」

 私は返事をしないでコウくんに背を向けた。

 今コウくんの顔を見たらなんだか泣いてしまいそうだ。

「もも」

「コールドスリープかー。四年もコウくんと話せないのかー。なんか寂しくなるなー」

「もも」

「っ!」

 背を向けたままでいる私の手をコウくんが取り、振り向かせた。

 コウくんはとても真剣な顔をしていた。

「もも、聞いて」

 聞きたくない。

 そう思うのに、動けないで、声も出ないで、コウくんの目を見つめ返すしかできなかった。

 それだけコウくんの声が凛としていたから。

「ごめんね」

「えっ?」

 何故か謝罪の言葉が聞こえてきた。

「待って待って、なんでコウくんが謝るの?謝るようなことしてないでしょ?」

「ももは、小さいころの約束、覚えてる?」

「約束?」

 記憶を手繰ってみると思い当たることが一つ。

 小学生になったばかりのころ、ずっと一緒にいようと約束をした。

 でも、そんな子供のころの約束をどうして今出すのだろうか。

「うん。小学生になったばっかりの時のでしょ?それがどうしたの?」

「あの約束俺が破ることになったから」

 なるほど。

 あんな子供のころの約束でも破りたくなかったんだね。

 普通なら忘れているような、小さな約束だったのに。

「そんなこと、気にしなくてもいいのに。コウくんは相変わらず律儀だね」

 まあ、そんなコウくんのことが私はずっと好きなんだけどね。

「じゃあさ、また約束しよ!」

 私はコウくんの手を握り返しながら元気に言った。

「四年後、コウくんの目が覚めた時絶対会いに行くから。それもとびきりの笑顔で!だからコウくんもとびっきりの笑顔で会おうね」

 コウくんはとても驚いていた。

 私が当たり前の様に未来の約束をするからだろう。

 おばさんも言っていたように絶対目が覚める保証はどこにもない。

 それでも、このままお別れなんて嫌。

 だからあえて未来の約束する。

 また会えると、話せると信じて。

「次会う時は、辛気臭い顔じゃなくて笑顔でね。じゃあ、私、今日は帰るね。また明日っ」

 これ以上は私の涙腺が保ちそうにない。

 慌てて手を放してカバンをつかんで病室を出る。

「はあ、ちゃんと笑顔キープできてたかな」

 息を漏らすと同時に、私の頬に涙が伝う。

 それをぬぐって私は前を見据えた。

(泣いていたってしょうがない。私は信じることしかできないんだから)






       ◯






(あれから、もう五年か。)

 私は大学三年生になったが、コウくんの時間は止まったまま。

 なんか変な感じだなあ。

「誕生日おめでとう、コウくん」

「あら、ももちゃんいらっしゃい」

「ひかりおばさん、こんにちは」

「毎日ありがとうね。大学はどう?やっぱり忙しい?」

「まあ、そこそこですね。でも楽しいです」

 そう、大学は楽しい。

 レポートとか課題とか、沢山あって大変だけど、やりがいがある。

「それに今はコウくんが目を覚ますのを待ってる時間も楽しみの一つですし、毎日幸せですよ」

 ひかりおばさんは笑っていた。

 そう、毎日幸せ。

 決して嘘ではない。

 大学だって楽しいし、コウくんを待つのだってワクワクしながら待っている。

 けれど、やっぱり不安はある。

 もしも目覚めなかったら、コウくんの笑顔をもう見られないとしたら。

 そう考えるとやっぱり不安だし、怖い。

 でも、きっとひかりおばさんのほうがよっぽど怖いだろうから、私がそんな感情を顔に出すわけにはいかない。

 そんなことを悶々と考えていると、ひかりおばさんが口を開いた。

「ねえ、煌牙。ももちゃん、毎日来てくれているのよ。煌牙の好きなご飯だって、たくさん作るわ。みんな、あなたを待っているのよ」

 ひかりおばさんはコウくんとそっくりの柔らかい笑顔で涙を流し、コウくんの頭を撫でていた。



 スリープ期間が終わってからもうすぐ一年と三か月が経ち、八月二十四日、コウくんの二十一歳の誕生日を迎えた。

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