第24話 アルフレッド ブレンデル

 アルフレッド ブレンデルは長い間、なんとなくけていたピアニストである。非常に秀でたピアニストだと聞きつつも、どことなく油断のならない感じ・・・そんな印象はピアニストというより性格俳優のような風貌に由来していたのだと思う。

 もう一つの理由はレーベルがフィリップスだったことで、ベイヌムのアムステルダムコンセルトヘボーは好きなのだが、どうもハイティンクになってから「そりが合わない」オーケストラになってしまった。いつ聞いても大味でつかみ所が無いように聞こえてしまう。

 或いはこれも偏見なのかもしれない。となれば、ブレンデル自身とハイティンク率いるアムステルダムコンセルトヘボーとに二重の偏見を持っていたということになる。結局、僕は未だにこの二人が共演した演奏は持っていない。

 だが、なんだかんだとCDを集めている内にいつの間にかブレンデルはブロックをすり抜けるように僕のコレクションの中に入り込んできた。例えば、シューベルトの「鱒」。ラサールやアルバンベルク、東京などと並んで一推しの弦楽四重奏団であるクリーブランドSQによる五重奏曲のピアノ演奏がブレンデルであることは買った後に気づいた。

 もう一つの推しのアルバンベルクとはモーツアルトで共演している。どちらもレーベルを超えた組み合わせで、非常に優れた音楽家同士の共演となったのは喜ばしい。ポリーニやラサールSQがどういうわけかレーベルを超えた組み合わせの共演者にうまく巡り会えず(そもそもどちらもグラモフォンなのだからレーベルを超えずに共演したら面白かっただろうに)期待ほどのパフォーマンスが出なかったのに比べれば、ずっと良い結果になったなぁ、などと思っている内にシューベルトやリストやベートーベンもいつの間にかするりとコレクションに加わっていたのである。


 先ずはシューベルトの独奏曲から聴き直してみる。遺作の一つD.960と「さすらい人」。名盤のひしめく曲である。リヒテル、ゼルキン、ポリーニ、そのどれもが特徴的でありながら高度に完成された演奏であった。

 ブレンデル・・・その演奏は極めて抑制的である。打鍵は決してエキセントリックな響きを予感させることさえ無く、上品で落ち着いたリズムを刻む。アラウのような微妙な揺れも無く、リヒテルのようなピアノとの戦いもない、ポリーニのような神のような指捌きも・・・。

 何というか、「名手はファインプレーと感じさせないプレーをする選手である」というような感想を抱かせる。変な譬えで言えば、西武の源田壮亮選手のプレーのような・・・玄人がうん、と頷くようなプレーであって、往年の長嶋茂雄とは全く違うアプローチ。ああ、そうですよね。クラッシック音楽ファンにはちょっと源田壮亮は縁が無いかも知れない。

 凄いんですよ、彼。


 次にリストのピアノソナタを聴く。つい最近アラウの演奏を聴いたばかりだが、比べると段違いにスムーズに耳に入ってくる。これはめ言葉であって、褒め言葉じゃないし、アラウの演奏をけなしているわけでもない。プレゼンテーションが上手いほど、内容が頭に入ってこないという事だって世の中、いくらでもあるのだ。しかし、ブレンデルの演奏は決して空疎くうそなものではない。逆に言えばある意味「少し上手すぎる」とさえ言えるかもしれない。

 いや、決してテクニックをひけらかすでも無く、みせびらかせるような癖もない。それでいて説得力は十分にあるわけで、このピアニストを忌避きひする必然性などはどこにもない。恐らくどの演奏を聴いてもかなりレベルが高い演奏に違いない。そんなに出来不出来のあるタイプには思えないのだ。

 こうしたピアニストがひょっこりと、「ほぼ独自の練習」で出てきてしまうのがやはりヨーロッパの凄いところで、彼はエドウィン フィッシャーのマスタークラスに参加したくらいでこの境地に達したのであり、コンクールだって殆どでていない。(ブゾーニで4位になったらしい)それなのにコンクールプライズウィナーなどより遙かにレベルの高い演奏をする。(因みにブレンデルはチャイコフスキーとショパンをほぼ弾かないので二大コンクールとは縁が無いのだろうけど、もしかしたらこのコンクールを内心拒否しているから、弾かない・・・、のかもしれない。このコンクールのウィナーには確かに素晴らしいピアニストもいるのだけど、そうでないケースも多いし、僕個人は余りこうしたコンクールの審査員の耳を信じてはいない)

 そして・・・その凄さを世評で知りつつも、こういうピアニストを聞かずに放置してしまうところが素人の怖いところだと思い知らされるのだ。これは「自省」です。

 とはいえ、アラウの所でも書いたように僕はこの曲に関してはラーンキの最初の録音に偏愛を持っているので、一番には推さないのは許して頂きたい。しかし色々な曲に既に自分の1番を持っている僕ではあるが、ブレンデルの演奏は十分にそれらに置き換わる可能性を持っている。

 レバインの指揮による、ベートーベンの協奏曲を聴いてもその感想は変わらなかった。ライブであるためか、いつもより抑制の程度は抑えられている。それに比べ、レバインの指揮するシカゴ交響楽団は少しうるさいが、全否定するほどではない。

 僕として4番の演奏の方が好ましく感じるのは、やはり5番はオーケストラが前に出やすい曲想だからで、4番の方の1楽章のカデンツァなどは安心して聴ける。それでもだんだんとオーケストラは「元気いっぱい」になって3楽章あたりはピアノも対抗していってしまうのは、残念ではあるけれど・・・。子供じゃ無いんだから「元気いっぱい」は正義ではない。

 あと・・・どうやらこの演奏はライブでありながら、切り貼りをして完成させたという噂もある。余りに破綻が無いと、そういう噂も出てくるだろうし、そもそもスタジオ録音などは切り貼りだらけ(オットークレンペラーに言わせれば「インチキ」)の訳で、そういった事を否定するわけではないが、ライブと表記する場合は「生一発取り」が聴き手の前提なので、切り貼りした場合はちゃんと「切り貼りしました」とかねばならぬ。盛大な拍手を入れてしまう以上、その拍手は何に対しての物?という点で誠実さに欠けてしまうことは配信ディストリビューション側も考慮すべきだろう。


 シューベルトの「鱒」は困った曲である。この曲が余りに完成度が高すぎるために演奏家を「選ばなすぎ」であるのだ。それが故に評価は却って難しい。僕はこの曲の演奏を4種類(スコダ/ウィーン・コンツェルトハウス、スコダ/バリリ、ギレリス/アマデウスと当該演奏)持っているが、この演奏家のレベルになると「もうどれでも素晴らしい」という事になってしまって、評価自体を放棄して聞き惚れてしまう。

 もっと言えば、スコダがウィーン・コンツェルトハウスと演奏した時点で「終了!」でも構わなかったくらいで、あのレベルから上に行く事が難しい曲なのだ。そもそも難しい批評をするような曲ではなく、聞いているだけで楽しい曲という珍しい曲で、他に考えつくとしたらモーツアルトの「アイネクライネナハトムジーク」くらいのものだろう。もちろん、ブレンデルとクリーブランドSQが外すはずも無く、とても素晴らしいのだけど、その素晴らしさや楽しさの源泉が演奏から来るのか曲そのものに由来するのか判然としないのである。

 あえて言えば、ギレリスとアマデウスはちょっと、落ち着きすぎているからブレンデルの方が楽しく聴ける、その程度の違いであるかな。


 それに比べるとモーツアルトのピアノ協奏曲12番(の管弦楽部分弦楽四重奏編曲版)とピアノ四重奏は(あまり聴く曲ではないが)ピアニストと四重奏団の、いわばマリアージュの素晴らしさが引立って聞こえてくる。アルバンベルクのモーツアルトは定評がある(TELDECのものもEMIのものも素晴らしい)が、ブレンデルもやはりモーツアルトを得意としているのが良く分る演奏となっている。モーツアルトというのは音の均質性が非常に重要で、それはその時代の楽器の性能に由来しているのだろうけど、ブレンデルはそうした知的な感覚を遺憾なく持っていて、例えばベートーベンに比べても「音の造り」を変えて演奏をしているのが理解できるだろう。モーツアルトとベートーベンの時代の「ピアノ演奏の変化」の結節点というのが見える演奏なのだ。

 面白いのはこの1枚が協奏曲の編曲盤と、オリジナルの弦楽四重奏の2曲を比較しているところであった。こういう演奏を聴くと、バイオリン・ソナタと協奏曲の間に、ずいぶんとソナタ寄りに「ピアノ弦楽四重奏曲」というものが存在しながら、かつ、協奏曲のパートを弦だけで演奏できる(というのはモーツアルトの時代の要請だったのだろう)仕組みという、今ではあまり考える必要の無い需要が存在していたのだろう。

 このピアニストは他のピアニストよりもどこか「知性」を強く感じさせるところがあって、好悪もそこで分かれると言っても良いかもしれない。まあ、えり好みして聴かないという選択肢を否定するわけではないが、それはずいぶんの損です、と僕は思っている。


  

*フランツ シューベルト

 ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960

幻想曲 ハ長調 D.760(作品15) <さすらい人>

12のドイツ舞曲集 D.790(作品171)

フィリップス UCCP-7057

*FRANZ LISZT

Sonata in B minor

Apres une lecture du Dante(Fantasia quasi Sonata)

Invozacion

<<La lugbre gondola>> No.1

<<La lugbre gondola>> No.2

PHILIPS 426 753-2

*Ludwig van Beethoven

Piano Concerto No.4 in G, Op.58

Piano Concerto No.5 in E flat, Op.73

Chicago Symphony Orchestra James Levine

PHILIPS 446 193-2

*Franz Schubert

Klavierquintett A-dur op.114 D.667 >>Forellen-Quintett<<

Mitglieder des Cleaveland Quartet

Donald Weilerstein Violine, Martha Strongin Katz Viola, Paul Katz, Violoncello

James van Demark, Kontrabass

PHILIPS 420 907-2

*WOLFGANG AMADEUS MOZART

CHAMBER MUSIC (ALL STRING QUARTETS BY ALBANBERG QUARTET)

with

Piano Concerto No.12 in A major, K.414 (arr. for piano & string quartet)

Piano Quartet No.2 in E-flat major. K.493

WARNER CLASSICS 0190295869168

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