第23話 老名手たち(ケンプ、アラウ、ギーゼキング、フィシャー
偉大なピアニストと
しかし、業界の流れ、レコード会社の方針、評論家の(ビジネス的、意図的、あるいは無意識の)気まぐれなどで、本来なら世間においてもう少し評価されるべきだった人たちが埋もれることもある。フィルクスニーとか、ゲザ アンダ 或いはタマス バシャーリなどは、こうした存在なのかも知れない。パドゥラ スコダやイエルク デムスについても、残っている多くは弦楽四重奏団との合奏であったり、或いは歌曲の伴奏だったりと、スコダのモーツアルトやデムスのシューマンなど特筆すべきものはあっても、現代において正当な評価を受けているのかと言えば疑念が残る。いや・・・まだ彼らはレコードやCDが残っているだけ、挽回の余地が残されているのかも知れない。
もちろん、それはピアニストに限った話ではない。
僕らはいつも手に入れている演者以外の演奏に時折手を伸し、先ずは自分のアルヒーフを拡大し、機会を見つけてはそうした埋もれた人々を世に出す事をしなければならない。例え、それが
因みに最近では(亡くなったばかりであるが)バイオリニストのパイネマンがそんな埋もれてしまった音楽家の一人であることに気づいた。CDではドボルザークのバイオリン協奏曲を弾いているのだが、初めて聞いた曲ではなかったにも関わらず曲自体もその価値に気づかされた。その意味で、演奏家・曲共々、新たな発見であった。山のように積まれた多様多種の録音からそういう演奏家を見出すのもまた楽しみの一つである。
しかしここで触れようとしているのは、あくまで「僕」との出会いのタイミングが余り良くなかったピアニストたちである。もし、適切なタイミングで適切な演奏と出会えていればもう少し友だちになれたかもしれない。そんな演奏家たち。実際の世界でもそういう人間は存在する。従って、ある程度ネガティブなコメントもあるが、そうしたものが不当だと感じたならば糺して頂きたい。正当な評価というのはそうして作られていく物である。
<<ヴィルヘルム・ケンプ>>
僕がクラッシック音楽のレコードを
この二人は偉大なピアニストと言うだけではなく、もう一つの特徴があって、それはレコード会社を「変えない」という事である。それは演奏家とレコード会社の信頼関係に基づいていたのだろうが、逆に「変えざるを得ない」他の演奏家を生み出すことにもなった。その頃はやはり「レコード化」というのは一大事業であって、ある演奏家が例えばベートーベンの協奏曲をあるレーベルで録音した場合、それと競合する録音を同じレーベルが気軽に発売するという事はなかなかなかったのである。例えばケンプがベートーベンのソナタをグラモフォンで録音し、発売するとその他の演奏家が同じ曲を出すというのは相当な困難を伴うことで、例えばその頃グラモフォンにいる別のXというピアニストはベートーベンのソナタを出すためには別のレーベルに移籍するとか、諦めて別の曲を録音するとかするケースが多かったのだ。もちろん例外もあるし、明示されたものではなかったにしろ、明らかにその傾向はあった。
同時に「レーベルを変えない、或いは変わらない」演奏家のレコードは「廉価盤」にはなりにくいものだった。
具体的な例で言えば、若干事情は異なる(順序が違う)が、ベートーベンのチェロソナタにおけるグラモフォンの扱いにそれに近いものを見る。
グラモフォンからはフルニエによるチェロソナタ全集が二通りでているが、一つは1959年にグルダと演奏したもの、もう一つは1965年にケンプと録音したものである。同じレーベルから同じ演奏者(チェロ)で僅か6年の間しかおかずに、こうした全集物が発売されるのはこの時代では「まあまあ異例」のことである。その上、後の方の録音はレコード・アカデミー賞(日本)を得るなどレコード会社推しの盤となったが、前者の録音はお蔵入りとなって、暫く後に「ハイペリオン」という廉価盤として発売されることになった。
グルダというピアニストはクラッシック音楽とポピュラー音楽(とりわけジャズ)との垣根を軽々と渡るのみならず、レーベルも様々に乗り換えた人だから、会社としてはケンプ推しなのは分かるとしても、ちょっとこれはどうかなぁ、と思うのはグルダ盤が非常な名演奏だからである。
ケンプ盤が悪いと言うより、グルダ盤があるのに「そこまでする必要があったか」、という意味で疑問があるのは確かで、後者でライブ録音という形を取ったのは「あくまでライブですから」という言い訳にも見えるのである。
非難しているのではなく、ただ「逆だったら起きない事象」であることと、こうした方法が本当に良い演奏や音楽の提供に資するのか、という疑問と捉えて欲しい。この録音をしたのはケンプが70歳の時、独奏曲から室内楽へと移行しつつある時代である。僕は余り彼の演奏をたくさんもっていないが、ちょうどこの時期のシューベルトを二枚買って(即興曲、楽興の時、さすらい人)聞いたのだが、もしこれが発売された時代、つまり1960年代に購入したとして感銘したかどうか定かではない、そんな気がした。時折、神経質に響く強い打音が混じるのがどうしても気になるのだ。もしかしたら、ケンプという人は手の大きなピアニストではなかったのではないか、と思わせる癖だ。どういうわけか手の小さい人は打音の変化が手の大きい人に比べて増しぎみである。
そもそも彼はビルトーゾタイプのピアニストではないので、大方の人はケンプを褒めるときに「雰囲気的な言葉」を使う。精神性、深さ、温かみ、まあ、間違ってはいないのだろうけれど。僕はケンプに対して使われるそういう言葉は余り評価しない。余りにも漠然としているからで、そう言う評価をする人にはつい「あなたは精神性などというものを評価する能力を持っているのか」、と問い糾したくなる、だが、ケンプというピアニストが学究肌で誠実であることは間違えない。
ベートーベンの小曲集はドイツに居た頃に手に入れた物で、ピアノ曲の中でも小品がメインで難曲ではないものが中心であり、こうした曲に手を抜かないケンプの誠実さという点で、
その意味では彼がだんだんと室内楽に重点をおいたのは悪い選択肢ではなく、ベートーベンの三重奏曲の録音はもう1970年代に入っており、組んだフルニエにしてもシェリングにしても同じような老齢なのだが、さすがにこの三人が集まると老齢ながら説得力のある音楽が生まれ出てくる。チェロソナタにしても、比較の問題を提示しているだけで絶対値としては高いレベルの演奏である。そうした経験値が相互に作用する演奏はそれなりに味がある。
ケンプはそもそもピアニストになることを望んでいなかった。彼は同時代の多くの演奏家、例えばフルトヴェングラーとかクレンペラーのように作曲家になることを望んでいた。しかしその夢は戦争とともに絶たれ彼はピアニストとして生きていくことを余儀なくされた。ベラ バルトークは逆にピアニストになることを望んだが、バックハウスに賞を攫われ作曲家になった。世の中は難しい。
だが、どちらも夢が叶わなかったにも拘わらず音楽の世界に足跡を残したのだから良しとすべきだろう。
作曲家を目指しただけ合って彼は学究肌であった。全音楽譜出版社から出版されているバッハの「ピアノのための10の作品」という楽曲集はケンプが別の器楽曲やカンタータなどをケンプが編曲したもので、おそらくそうした仕事こそが彼本来の性格に合致した物だったのだろう。
そして恐らく人格者でもあったのだろう。その名声に反して余り批判を受けない人間でもある。(ホロビッツと対照的である)引退に当たって「もう病気のせいで私にはピアノを弾くことが出来ません」とポロリと零して身を引いたというのも日本人受けしそうな話で、これも「
だが、僕に取っては結果的にケンプはその名声に拘わらず最後まで余り馴染みのないピアニストであった。この歳になっていくつかの作品を聞いた上で、更に彼の遺した録音を聞くか、と尋ねられてすぐにイエスとは答えられない。もしかしたら、ベートーベンの三重奏は全曲揃えるかも知れない。バッハに手を伸すこともあり得るかも知れない。だが・・・他は・・・。
出会いがもう少し早ければまた違ったのかもしれないと思うのである。
<<クラウディオ アラウ>>
ケンプに比べれば、僕のアラウとの出会いは随分と時代を
だが個人的には、ケンプよりもアラウの方が遙かに親しみを感じているのは事実で、それはより若い時期に彼の演奏を聴き始めたことに起因しているのだろう。なのに尚、アラウをあまり聴かないのはなぜか、といえば、それぞれの曲においてその時代に「より魅力的に聞こえたピアニストたちが存在した」からに尽きる。
ベートーベンはCD時代に二枚、協奏曲とソナタを買ったが、その時の記憶は全くない。一つはMade in West Germany(協奏曲)もう一つはMade in Germanyとなっているので、ドイツに駐在しているとき、あの東西ドイツの統合を挟んで買ったことは多分確かなのであるが。恐らくミュンヘンのSaturn Hansa あたりで安く買えたのだろう。
どちらも何度か聞いた記憶はあるのだが、残念ながら格別印象に残らなかった。しかし協奏曲などは、聴き直してみると、かなり良い演奏である。ベートーベンの第3番の協奏曲はしっかりとしたperspectiveに支えられており、80歳を超えた人の演奏とは思えない構成力と表現力がある。第4番は最初のうちエンジンが掛りきらず、
第1楽章などは最初から随分と遅いテンポだけれど、ピアニストからの指定に違いあるまい、ピアノは先ほどもいったが余り調子が出ないうちでもオーケストラはどっしりと構えた演奏をしていて、それがだんだんとピアノにも乗り移ってくる。
では絶賛するかというと、やはりベートーベンのピアノ協奏曲というのは名盤が目白押しであり、レコード時代から聞いているリヒテル/ザンデルリンクの3番とか、ポリーニ/ベームの4番とかの印象が強くて僕個人としてはそれらを超える物とまでは言いにくいのだ。くせ者のミケランジェリとかグールドとかもあるし、正統派的なバックハウスやら、変わったところではカサドシュ/ベイヌムとか、とにかくそういう様々な演奏の中では個性的とまではいかない。非常に質が高いけど、なかなかフラグを立てにくいというのが正直な感想なのだ。
ソナタはそれより随分後に買ったのだ(実際はこちらの方は前、1960年代の録音でこの頃が技術的にはアラウの絶頂期だと推察される)が、ポリーニの後期ソナタにすっかり魅せられていた僕に取ってはアラウの演奏はあまり魅力的に聞こえなかった。(実は今聴いても魅力的には思えない)時折、異様に美しいパッセージがあるのだが、全体の構成とのバランスがうまくとれていない、と感じるのだ。なぜここのテンポを遅くするのか、とか、良い部分とそうでない部分が入り交じっているのが却って困惑を深める。しかし・・・もちろん、これは「時折微妙な部分はあるが、それは天国のようなパッセージによって昇華されていく」という捉え方もできるのである。ただ、後期のベートーベンのソナタはバックハウスなどを聴いても余り納得のいくものではなく、往年のピアニストの中でアラウだけが特別という事でもない。これらの曲はミケランジェリやグールド、ポリーニによって、リバイバルされた側面もある。とはいえ・・・それを好むか好まないか、という観点はあってしかるべきで、アラウのどこかクラムシーな弾き方を誠実さの
グリーグとシューマンのピアノ協奏曲の組み合わせは一時代昔に流行したカップリングであるが、さすがに最近は少なくなってきた。そうするとややグリーグの方が劣勢になって、ポリーニやアルゲリッチはシューマンの録音はしているがグリーグの方はしていない。そうなると・・・それも少し寂しい気がするのは不思議である。
この組み合わせの
アラウの演奏も隠れてしまった演奏の一つであるが、意外にも今回聞き直したアラウの演奏でもっとも良かったのは実はこの曲集であった。ベートーベンやリストでどうしても馴染めなかった彼独特の音の流れ方が、この2曲では余り気にならないからである。一つにはこの2曲が極めて情緒的な性格を持ち、演者の思い入れのようなものを受け止める素地があるからであろう。つまりアラウに限らず、リパッティもリヒテルも、誰もかもこの曲に関しては「思い入れ」があるていど先行する演奏をしているので、アラウの音の揺れのような物が他の曲に比して目立たないのだ。
逆に即物的な演奏はこの曲には適さないと思う。例えばワイセンベルクなどは実際には演奏したかも知れないが、録音でこの曲を残していない。賢明な判断といえるだろう。
シューマンの曲についてはあとで、ギーゼキングの項でも触れることになるが、もしこの曲を純粋に楽しみたいならアラウの演奏はギーゼキングのものより遙かにお勧めである。
ドナーニという指揮者は僕は余り馴染みが無いのだが、少なくともこの伴奏に関しては(ときおり平板にはなるものの)気の利いた演出を心がけていてピアニストをうまくひき立てている。
リストに関して言えば、この頃僕はデジェ ラーンキが石橋メモリアルホールで録音したソナタを偏愛しており、同時にホロビッツがRCAに録音したモノラルの小曲を熱心に聞いていた。
ソナタを改めて聞き返してみた。しっかりとした演奏だとは思う。取り分け早いパッセージは流麗で美しい。一方で緩やかな部分というのは特にピアニストの癖が出て、その揺れが好みに合うかどうかが聴き手にとっての「相性」を左右するケースが多いと思うのだが、そこがどうも僕には相性が悪いようである。同じ音符を弾いて、どれも正しいけど微妙に差がある、というのが音楽の世界なのだ。その意味で僕は今のところまだ「アラウの真髄」に触れることは出来ていない。そうした演奏をどこかで見つけることが出来るのかも知らないし、或いは僕が歳を皿に取ることで発見できるのかもしらないと思う。
いずれにしろ、アラウの演奏はかなり最初から練られたものであるのは間違えなく、演奏時(ないしは録音時)にはそれを「音化」する事に特化して、ほぼ即興的な部分はないと思う。(レコードの解説には彼は即興性があると書いてあるが少なくとも1960年以降の録音を聴いている限りそれを感じない)それをどう評価するのかもまた、個々の聴き手に委ねられる。
様々な要素が聴き手とどのような化学反応を起こすのかによって相性というのは決まっていくのであって、「どの演奏が一番素晴らしいのか」などというコンクールは(個人の中で存在したとしても)ポイントがずれているのである。いずれにしろアラウは依然として「気になるピアニスト」であり、機会があればもう少し手を伸すことがあるように思っている。
因みに、アラウはケンプを大変尊敬していた、という話があるのだけど・・・本当なのだろうか?こうやって並べて書いている最中にその話を知って、なんだか因縁めいたものを感じてしまった。
<<ウォルター ギーゼキング>>
ケンプやアラウよりギーゼキングはだいぶ時代を遡るように思えるがそれは、このピアニストが(僕が生れる前年に)61歳で亡くなっているためであり、実際はケンプと同年の生れで、アラウとは八歳差でしかない。
彼はフルトヴェングラーやメンゲルベルク、或いはコルトーなどと共にナチスの協力者としてかなり長い間、音楽界から閉め出されていたという経緯を持っている。彼が、ナチス政権下でもドイツにとどまり、ナチス政権に協力した(ある意味、ナチス政権下でドイツにとどまる芸術家はナチスに協力することを強いられた)という理由であった。そんな事を言えばケンプだってやはりドイツに留まっていたわけであるが、なぜそうした取扱の違いが出たのか。
僕は以前、「秋茜集う丘、勇魚哭く海」という小説を書いた時に、戦犯について書かれた幾つかの資料を読んだのだけど、やはり同じような状況に置かれた人間が違う裁きを受けた事例が幾つか散見される事例を見た。どう考えてもA級戦犯で裁かれるべき大将がそれを逃れたケースもあれば、本来ならそう裁かれるべきでないB級戦犯の人間が潔く刑に服す事例もあった。
戦争というのは、それほどに多くの裁きを(実際の刑であろうと、周囲の「見方」に限られようと)要求する物である。
だが、その彼がフルトヴェングラーと共にシューマンのピアノ協奏曲を演奏したものを聴きくと、多少その理由が分かるような気がした。この録音は1942年3月3日の録音である。
その前年の12月、日本は真珠湾攻撃を仕掛け、第二次世界大戦は太平洋に戦禍を拡大した。ドイツは既にフランス・デンマーク・オランダ・ベルギーなどを屈服させ
ソ連へと戦線を拡大すると共に、1942年1月のWannseekonferenzで「ユダヤ人問題の最終的解決」を決めた。(つまりホロコーストを行うと決めたのだ)その直後に録音されたこのシューマンのピアノ協奏曲はどこか、変な高揚感を伴った異様とも言える演奏である。ナチスの変容というか、悪魔的正体が顕わになったこの時代に演奏されたこの曲を聴くと、フルトヴェングラーやギーゼキングが一定期間閉め出された理由の一端が垣間見えてくるような気がする。
ギーゼキングと同じく、戦後ナチスに協力的だったという理由で戦犯扱いされたアルフレッド コルトーが戦後6年経ってからミュンヘンでフリッチャイと共演した演奏について僕は別のエッセイで記したのだが、同じシューマンの協奏曲でありながらまるで対極にある演奏だ。
冒頭から全く空気が違う。それは悲しみと憂愁のベールがおり、ミュンヘンの聴衆と共に喪に服しているような響きで始まる。ピアニズムの点でも
ドイツで手に入れたこの2枚のCDがコルトーとギーゼキングに対する僕の評価を決めてしまったのは、ギーゼキングにとっては(もし、その話を本人が聞いたなら)不本意なことかもしれない。しかし・・・。
ドイツ人でもないのにナチスに協力したコルトーやメンゲルベルクはドイツ人であったフルトヴェングラーやギーゼキングよりも一層、戦後酷い目にあっている。ギーゼキングやフルトヴェングラーは戦後に、演奏に復帰しレコーディングも数多く出来たが、コルトーやメンゲルベルクはそういう訳にはいかなかった。ドイツ人は「仕方なく」体制に従ったが、例えドイツの占領下にあったとしてもフランス人やオランダ人は許されない、そんな風潮だったのだろう。
でも、この2枚のシューマンを聴いたとき、「本当にそれは芸術的に正しかったのか」と僕は思ってしまったのだ。
ギーゼキングのピアノの技術はもう一つのCDである、ドビュッシーの「前奏曲集」を聴けば理解できる。その後のピアニストたちの手本となったのは彼の直感力と構成力に基づいた打鍵・ペダリングが卓越していたからであろう。その技術を知るためにはモーツアルトやベートーベンに耳を傾けるべきなのだろう。ただ、未だにそうした気持ちになりきれない部分がある。
もちろんギーゼキングを始めとしたこれらのピアニストの中には、ある人にとっては僕にとっては考えられないほど、特別な存在である事もありえるわけで、ぜひその素晴らしさを世間に伝えていただきたい物だと思っている。音楽などというものはゼロサムゲームではないわけで、誰の演奏の方が優秀という明確な序列もさほど意味は成さない。まあ、聞くことのできる時間とお金の分だけ、足し算になっていく可能性が高い。もちろんお気に入りのピアニストもいれば、世間の評価に納得できない演奏も多々あるのだけど、それが偏りすぎていたり、単に貶したりということでなければ構わないし、そもそも気になるピアニストでなければわざわざ書こうとも思わないのである。
この項においては少し「恋をし損なった」ピアニストの側面が強いけど・・・。ごめんなさい。
<<ヴィルヘルム・ケンプ>>
*フランツ シューベルト
4つの即興曲 D899/4つの即興曲 D935
ポリグラム POCG 90114
*フランツ シューベルト
楽興の時 D780/さすらい人幻想曲 ハ長調 D760
ポリグラム POCG 90113
*Ludwig Van Beethoven
6 Bagatellen op.126
Ecossaise Es-dur WoO83 Nr.1
Rondo a capriccio G-dur op.129
Fur Elise WoO 59
Andante favori F-dur WoO 57
Rondo C-dur op.51 Nr.1
Rondo G-dur op.51 Nr.2
6 Variationen uber das Duett ≫Nel cor piu≪ WoO 70
Klaviersonate Nr.19 g-moll op.49 Nr.1
Deutsche Grammophon 429 072-2
*ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 作品5の1
チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 作品5の2
チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 作品69
チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 作品102の1
チェロ・ソナタ 第5番 二長調 作品102の2
≪マカベウスのユダ≫の主題による12の変奏曲 WoO.45
≪魔笛≫の主題による7つの変奏曲 WoO.46
≪魔笛≫の主題による12の変奏曲 作品66
ユニバーサル PROC-1721/2
*Ludwig Van Beethoven
Trio fur Klavier, Violine und Violoncello D-dur op.70 Nr.1 ≫Geister-Trio≪
Trio fur Klavier, Violine und Violoncello B-dur op.97 ≫Erzherzog-Trio≪
Deutsche Grammophon 429 712-2
<<クラウディオ アラウ>>
(レコード)
*リスト
ピアノ・ソナタ ロ短調
孤独のなかの神の祝福「詩的で宗教的な調べ:第3曲」
2つの演奏会用練習曲
PHILIPS FH-29
*リスト
ペトラルカのソネット 第104番
バラード 第2番 ロ短調
ペトラルカのソネット 第123番
オーバーマンの谷
忘れられた円舞曲第1番 嬰ヘ長調
エステ荘の噴水
PHILIPS 13PC-34
(CD)
*LUTWIG VAN BEETHOVEN
Piano Concerto NO.3 in C minor Op.37
Piano Concerto No.4 in G, Op.58
STAATSKAPELLE DRESDEN cuducted by SIR COLIN DAVIS
PHILIPS 426 745-2
*LUTWIG VAN BEETHOVEN
Sonata No.28 in A, op.101
Sonata No.29 in B flat Op.106 <<Hammerklavier-sonate>>
PHILIPS 432 665-2
*EDWARD GRIEG
Piano Concerto in A minor. Op.16
ROBERT SCHUMANN
Piano Concerto in A minor. Op.54
ROYAL CONCERTGEBOUW ORCHESTRA, AMSTERDAM
Coducted by CHRISTOPH VON DOHNANYI
PHILIPS 426 079-2
<<ウオルター ギーゼキング>>
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