第3話-3 ウラディミール ホロビッツ 補遺

 レコードプレーヤーを購入した事を先に書いた(第3話-2)が、入手したのはTEAC社製のTN-4D-SEというダイレクトドライブ方式の製品である。以前購入したベルトドライブのプレーヤーがまともに機能しなかったため、散々悩んだ挙げ句、買い直した。悩んだわけは聴けないのが「プレーヤーの問題か、50年以上放置したレコード側の問題か」、良く分らなかったからである。結果的にレコードの問題ではなかった。50年も放置されたに関わらず、レコードは(少し雑音が増え、音飛びもするようになったけど)忠実に音楽を保存してくれていたのである。

 それにしてもレコードからテープ(オープンリール・カセット)、CD、MD、クラウドと音楽そのものの質が高まるわけでもないのにプラットフォームがどんどんと変わっていくのを喜ぶべきか、悲しむべきか。ビデオもVHF、ベータ、8インチ、様々な技術が捨てられそれとともにハードもソフトも死んでいく、それを単なる技術の進歩と喜んで良いのか。

 間違いないのはフォローするためには機器やフォーマットを含め「物量」が膨れ上がって「厄介」なことである。ならばクラウドベースのサービスを使えば良いという話だが、クラウドの音源は「人質」みたいなもので、いつまで聴くことが出来るのか分ったものではない。結局趣味の物はきちんと自分で管理した方が安心できるのであり、趣味のものこそストレスを感じるのは勘弁して欲しいというのが本音である。ということで僕の寝室はレコードとCDと、そのためのハードウェアと書物で溢れかえっている。地震が来たら音楽と書物に埋もれて死ぬことになるかも・・・。それはそれで幸福、な人生なのだろうか?


 買ったプレーヤーは10万円をだいぶ切る値段で比較的購入しやすい価格帯であった。とはいうものの購入候補は他にもあって、Technics社のものと比較して実は一月ほど悩んだ。安物買いの銭失いをしたばかりだからである。とはいえTechinics社のものはメーカーが価格を決める仕組みでどの機種も10万円を超える。それも昨年だいぶ値上がりしたものだ(どの機種も2万円ほど上昇していた)。それでも日本製であるならば、こちらを購入することも考えていた。


 カタログには製造国が記載されていない。日本製だと仰々しく宣伝するのが最近の傾向なのでその時点で日本製ではないのかと思ったが、このサイズで5万円を超えるわけだし半導体集積度もさほど高くない製品である。もしかしたら、と量販店で尋ねたところ、「今や日本製のプレーヤーなど殆どない、あるとしたら30万円を超えるだろう」と呆れた風に言いながら調べてくれた。

 結果、TEAC社製のものは台湾、Techinics社のものはマレーシアでアセンブリしたものと判明した。どちらも部品の大半は日本製が使われているとのことで、それならば日本でアセンブリした方が、この円安の時代、良いのではないか?僕のように日本製を望むユーザーも多いだろうに。こちとら、「海外生産で円安のために値上げです」、「あ、はい、分りました。しかたないですよね」と答えるほど素直な性格ではない。

 まあ、レコードプレーヤーは趣味の製品でもありそれほど数が出る商品ではないだろうけど、以前ドラム式洗濯機を購入したときも中国製以外の選択肢がなかった。あれもサイズは大きいが10万円を超える商品である。なのになお日本製に出来ないものなのかと、以前、電子機器を製造していた会社に勤めた身としては情けなくもあり、申し訳なくもある。


 その話は別に取っておくとして、レコードプレーヤーを買ったことで久しぶりにホロビッツのRCA時代のレコードを50年ぶりに聴くことが出来た。その結果を補遺として記すことにしたい。併せてグラモフォンに録音された全7枚の全集を手に入れたので時代は離れるがこの1980年以降の演奏を併せてその感想を記すことにしたい(但しそのうちの幾つかは既に第3話-2で触れているので除くこととする)

 それではモノラル時代の二枚から触れていくことにしよう。

 まず、シューマンの「子供の情景」とショパンのマズルカの入った盤である。モノラルだが音はくっきりとしていて1950年代、録音技術は以前と比べて飛躍的に向上していることが分かる。器楽曲だから、オーケストラなど音の広がりを要求する楽曲よりもだいぶ有利である事も手伝って、至って快適であった。シューマンの「子供の情景」自体、ホロビッツにとって難度が高い曲ではないためか、全ての録音(モノラルを含めて4度)において技術的な巧拙の差、優劣をあまり感じない。この演奏も非常に素晴らしいが、ステレオの演奏のどれかがあれば、それでも十分だと思う。少なくとも後述のようにリストほどの違いはない。(「子供の情景」については僕自身は4つの録音全てをもっているし、非正規盤を含めればもっとあるかもしれない。それほどホロビッツはこの曲を演奏している)

 「子供の情景」とカップリングされているのはショパンのマズルカ5曲である。ホロビッツはあるインタビューで「わたくしにとって、マズルカは最高のショパンである。この形式による、それぞれの曲は、貴重で、ユニックな(原文まま)詩である」と述べており、ショパン作曲の形式ではマズルカを重視しているようだ。ショパンはリストほどではないけれど、モノラル時代の若い演奏と年をとってからの演奏に開きがある。この時代のホロビッツのショパンは技術的には最も素晴らしい。是非聴いて欲しいし、それだけの価値がある。ただ、ショパンの曲にはリストよりも「感情」の部分が「譜面の向こう側」に色濃く存在する(リストの曲にないといっている訳ではなく、あくまで曲全体の構成比率として)ので、その意味では後年の演奏に味わい深さを感じる人もいるだろう。


 ホロビッツによるモノラル時代のリストはぜひ聴いて欲しい演奏である。1960年以降の演奏と基本的な思想は変わらず、巨大な山塊を思わせる音の洪水のようなテクニックは変わらないのだが、モノラル時代のリストにはそれに加えてもの凄い「技巧のキレ」があるのだ。長期間、コンサートを休んだ後のホロビッツは円熟味を加えて、それが良い方向に行く場合もあるのだが、リストに限っては若干マイナスに働いているように思える。一見なんでもないようなリズムの変化が、鍵盤を強打する際の「間」に聞こえてしまう事が多いと言えば理解して頂けるだろうか。だがモノラル時代のリストにはそうした「間」はどこにもない。音は連続しながら重層的に溢れ、聴き手はただ圧倒される。リストを集めたレコードの最初の曲は第3話-1で触れた「葬送曲」であるが、そこで絶賛したその技術が両面最後まで貫かれている。吉田耕一氏がライナーノーツで賢明にも触れているとおり「リストの楽曲に対する音楽的内容の存否など、いかにも無駄な議論」だと感じさせる完璧な演奏がそこにある。

 例えば、ハンガリアンラプソディ、僕らはそこに意味を求める必要など有るのだろうか?「これはハンガリーではない」とハンガリー人が言おうと、なんで有ろうと、そこには素晴らしく豊穣な「音に徹した」音楽が存在するのだ。


 さて・・・残るのはグラモフォン時代の全集のみとなったのだが、実はモーツアルトの協奏曲を買おうとして在庫がなく、結果としてグラモフォンから発売されている全集(外盤)を買う羽目になったのである。故に順番はちがうが4番目のCDにあたるこの曲から聴き始めることにした。

 23番の協奏曲は彼が唯一録音したモーツアルトの協奏曲で、どの作曲家の協奏曲もただ1曲しか録音していないホロビッツがなぜモーツアルトの数ある協奏曲からこの曲を選んだのか、興味があった。同様に滅多にモーツアルトを若い頃演奏しなかったポリーニも最初に選んだ協奏曲のうちの一つがこれである。この曲にはそうさせる何か、ピアニストへ訴えかける要素があるのかも知れないと思ったのだ。

 共演しているジュリーニは「アバド亡き後、ピアノやバイオリンの独奏者に最も人気な指揮者」ではあるまいか?それは逆にいえばジュリーニに指揮者としての強い主張が感じられない事の裏返しであると僕は思っている。とはいえ彼が出世の階段を登るきっかけとなったミラノスカラ座のオーケストラと共演でホロビッツと共演したというのは、やはり一つの歴史を作る意図が感じられる。

 結果として、「晩年はゆっくりと(これは殆どの演奏家がそうなる傾向にあるのだけど)した演奏をするようになった」指揮者は、たぶん、多少意に反して、かなり早いテンポで老ピアニストのアシストをすることになった。僕が所有している23番のコンチェルトはわずかではあるが、その8つの録音の中で最も早い演奏がこの老-老コンビの演奏である。(ちなみに他の7人は、ポリーニ、ハイドシェック、カサドゥシュ、ピレシュ、グルダ、バレンボイムと「あの」キース・ジャレットである)

 珍しいブゾーニのカデンツァを使った第1楽章と、第2楽章は特に他の演奏家たちよりも「さっさと仕事を終え」ている。(因みに第1楽章はホロビッツが10分21秒で最も早く、一番遅いジャレットに比べて2分近く短い。第2楽章の5分34秒はポリーニやピレシュの7分15秒に比べて1分半とこれは相当速く(2割)弾き終えている。ただ2楽章に限っては、実感として「非常に速い」とまでは思わない。どこかをスキップしているのかしらん?楽譜と読み比べて聴いたわけでは無いのでどなたかご存じでしたら教えて欲しい)

 速い演奏とはいえこのホロビッツの演奏は他の協奏曲に比べればずっと穏やかである。それはモーツアルトの協奏曲という事もあり、またモーツアルトの協奏曲の中でも23番はとりわけ屈託ない明るい曲想であることが原因でもあろう。そして何よりモーツアルトの協奏曲はそもそもオーケストラと独奏者が争うように構成された曲ではない。

 しかし、「雀百まで踊り忘れず」、というくらいで、3楽章に入るとやはり序破急の構成が蘇るかのように打鍵は強く終曲への盛り上がりへと進んでいく。この楽章はモーツアルトがallegro assaiと指定している事もあり、どのピアニストも駆け抜けるように演奏するが、ホロビッツも年を感じさせない明るく活き活きとした音色で駆け抜けている。(ちなみに世間的には「雀百まで踊り忘れず」はこの場合、誤用である)

 聴き終えた感想として、敢てこの演奏を同曲の一番素晴らしい演奏であるとは言わないまでも、ピアノ好きならカップリングされたK.333のソナタと共に一度は聴いて、ホロビッツという希有なピアニストが最後に辿り着いたモーツアルトというのはこういうものだ、と知って欲しいと思う。モノラルの時代の項で僕はホロビッツのモーツアルトに対してあまり肯定的に書かなかったが、長い道のりを経てホロビッツが辿り着いたこのモーツアルトには深い敬意を捧げることにしたい。

 一方で、ホロビッツがこの協奏曲を選んだ本心は残念ながら最後まで分らなかった。ホロビッツは晩年、モーツアルトの書簡集を熟読したという話だからそこに何かヒントがあるのかも知れない。今度、手に入れて読んでみようかしらん。そうすれば後で述べるK.540のアダージオを敢て取り上げた理由も分かるかも知れない。


 残りのCDは発売順に聴いた。(必ずしも録音順ではない)

 最初のものは1985年ニューヨークで録音され、その第1曲、記念すべきグラモフォンへの最初の演奏はバッハの「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」をブゾーニが編曲したものだった。ダンテ・ミケランジェロ・ベンヴェヌート・フェッルッチョ・ブゾーニ といういささ仰々ぎょうぎょうしい名前を持つイタリア生まれのユダヤ系作曲家・ピアニスト編曲のバッハをホロビッツは時折(少なくとも正規で2回、それ以外で1回)録音している。ちなみにホロビッツはこの2年後に録音されたモーツアルトの協奏曲でもブゾーニのカデンツァを採用しており、歴史から忘れ去られた感のあるこの作曲家を思いのほか評価しているのかもしれない。

 以前の同曲の録音も聴いていないので、僕に取ってはホロビッツによる初めてのバッハであるが、1曲ではその真価を評価しにくい。曲自体は重々しい曲で、ホロビッツは非常に丹念に音を重ねて行っているのが分かる。といっても技術を非常に必要とするタイプの曲ではない。バッハをホロビッツが余り演奏しなかったのはそもそもピアノでの演奏を前提として書かれた曲ではないから、のような気がするのだけどどうだろう。そもそもオルガン奏者としてキャリアを開始したグレングールドとは全く違ったバッハ観がそこにあるのだと思う。

 そして曲目はモーツアルト、ショパンへと続いていく。

 こうした様々な作曲家を一回の録音に落とし込んでいくホロビッツの演奏スタイルを高級フランス料理店のpre-fixと呼ぶべきか、満漢全席と言うべきか、或いは懐石料理みたい、とため息をつくかは別として、RCA時代からの演奏スタイルを生涯貫いたことは疑いない。この盤のメインは一番長いモーツアルトのソナタと考えて良いだろう。

 この全集についてはその一曲ずつ、或いは作曲家毎に評価するというより、それぞれをコンサートとして見立て全体を俯瞰した上で、記すことで進めていきたい。

 この1枚目のCDはかなり好みが分かれる演奏だと思う。モーツアルトでは第2楽章が非常にゆっくりしていて、他の楽曲でもそうなのだけどこの作曲家についてはアンダンテという指示をかなり遅めに運ぶのを意図的にしているのかもしれない。ショパンのスケルツォやポロネーズなどはある人にとっては鬼気迫る、いかにもホロビッツらしい演奏に思えるだろうし、そうでない人からは演奏の癖が強く、余りにも思い入れが入りすぎていて曲が本来の曲として聞こえてこない、という否定的な意見も聞こえてきそうだ。

 そのどちらも真なのだろう。冷静に聞くと、このCDに限ってはショパンやモーツアルトよりもリスト、ラフマニノフ、スクリャービンの演奏が好ましい、というのが個人的感想である。また余り聞き慣れないであろうモシュフフスキの演奏が取り分け演奏者の上機嫌な横顔を見せてくれることに気づくだろう。ソナタでは力みが目立ったリストは「コンソレーション」では、曲調や曲の難易度も寄与してか極めて穏やかな表情を見せる。余り聴いたことの無いNovelletteも強弱の激しい曲にも拘わらず、淀みない演奏でこのピアニストがシューマンと取り分け相性が良いことを示してくれる。ラフマニノフの前奏曲における右手の繊細さ、特筆すべきである。しかし、このCDにおいてはスクリャービンop.2-1が秀逸でもっとも聴き応えのある演奏だと僕は思っている。僅か2分足らずであるが、穏やかながら哀愁の漂う響きは心を揺さぶる。この演奏一つのためにこのCDを買う価値があると言っても良い。何か素晴らしい映画に使えば良いのに・・・。

 もちろんモーツアルトのソナタやショパンのポロネーズ・スケルツォも素晴らしい演奏ではある。しかし「お手本」からのずれはかなり激しく、リズム・強弱・指遣いのどれをとっても独自で特徴的であり、それを許容するかしないかで随分と好みが分かれるのは致し方あるまい。スケルツォ(いつも通り、ショパンがコーダを上昇で記譜しているにも拘わらず、織り合せ-interlock-で演奏しているとの指摘がされている)に関してホロビッツ自身は「年の割には悪くないだろう」 (Not bad for an old man) とコメントしたとライナーノーツに記載されているが、僕としてはスクリャービンの演奏にこの言葉を捧げたい気持ちがある。例えれば道風の楷書が好みであったとして、草書はいけない、という気には僕はなれない。だが、クラッシック音楽の初心者リスナーにおすすめするかというとそうでもない、そんな感じだ。

 ちなみにこの演奏ははっきりと記していないがスタジオ録音ではないとされているらしい。理由は翌年、CD1のラップアップが終わって5ヶ月後に録音を決意したとCD2の解説に(Vladimir Horowitz decided to make his first studio recordings since the 1970s.:訳文ウラジミール ホロビッツは1970年代以降初めてとなるスタジオ録音を行う決意をした)記してあるからである。

 ではどういう状況で演奏されたのか、というと「1985年4月にニューヨークでウラディミル ホロビッツ-最後となるロマン主義(The last Romantic)-のビデオ作成の際の演奏」と記されており、ビデオ録画を中心として進められた録音なのだろう。ただ観客の前で行った演奏なのか、スタジオ録音とどの辺が異なるのかは少しわかりにくい。恐らくテレビ番組向けに近い演奏形態であったのだろうと推察するしかない。


  CD2のメインはシューマンの「クライスレリアーナ」でこれは第3話-2で触れたとおり、素晴らしい出来映えである。

 率直に言ってCD2はCD1に比べて遙かに「良い」演奏である。どの曲もほぼ最高のパフォーマンスを示しており、最後に弾くご愛敬の「軍隊行進曲」のノリノリの演奏に至るまで破綻は一つもなく作為的に聞こえる曲もない。リストは力むでもなく、シューベルトは滋味深く、スカルラッティは軽やかで、スクリャービンは素晴らしい。ステージピアニストであるホロビッツといえども注意深く録音したスタジオでの演奏はなかなか超えられるものではない。


 モスクワでのコンサートのライブレコーディングであるCD3はCD2の半年後の録音で、スカルラッティの有名なK.380(L23) で開始される。幾度となく手がけているこの曲は、しかしそのたびに新たな聴衆に曲の美しさと音楽の素晴らしさを伝えて来て、ここモスクワの地でも伝えることが出来たに違いない。

 2曲めのモーツアルトは時折、音が跳ねたり、テンポが揺れることがあるけれど、概ね快調に進んでいく。正統なモーツアルトではないかもしれないけれど、ホロビッツが幾星霜を重ねたその上で、彼の書簡集を読み研究を積んだ成果としての演奏である。(CD1で省かれた第1楽章の繰り返しはここでは忠実に演奏されている。そのため演奏時間は1分半ほど長い)

 しかし、圧巻はそれに続くラフマニノフとスクリャービンの演奏で、それぞれ2曲(ラフマニノフはアンコールで更に1曲演奏されている)、いつもより多めにしたのはロシアへの配慮であろうか、曲数だけではなく演奏の質も十分に素晴らしい贈り物である。それぞれの作曲家の曲を弾き終えるたびに「ブラボー」と叫ぶモスクワ市民の心情がよく理解できる。先ほどスタジオ録音はライブを超えると書いたばかりではあるが、それを超える演奏というのはこうして作られるのだ、と実感する。

 聴衆の反応に気を良くしたのか、指は快調に回り出し、続くリスト(ウィーンの夜会、ペトラルカのソネット)は若き日の演奏に迫る冴えと力強さを感じる。それはショパン以降の曲についても言えることで60年ぶりに帰った地(とはいえウクライナ生れのピアニストにとっては正確には故郷ではないし、特に最近の情勢を鑑みるに指摘しにくくはあるが)はホロビッツにとって居心地の良い場所だったに相違ない。最後のラフマニノフのポルカなど、初めて聴いた曲であるが、モスクワでのコンサートを終えるためにわざわざピアニストが選んだに違いあるまい。(アメリカの聴衆に向けて「星条旗よ永遠なれ」を演奏するのと似た感覚なのだろう)


 CD5はモーツアルトのK.281から始まる。軽々とした羽根の生えた第1楽章のモーツアルトは突然、第2楽章に羽ばたきがゆっくりとなる。羽根は軽いままである。しかし、その動きは目に見えて遅くなり、失速したまま墜落するのではないかと思えるほどである。どうして?という問いに答えないまま第3楽章は再び羽根は、速やかな動きを取り戻すのだ。その意図はどこにあるのだろう?僕には未だに分らないままだ。明らかに力が抜け、飛翔している感じがするのが不思議である。この演奏は聴いたばかりの筈なのに・・・あの時とどこが?

 しかしその飛翔はK.540の最初の音と共に消え去る。モーツアルトのピアノ曲に珍しい短調で書かれたアダージョは少なくとも見せかけは陽気な「ならず者」の作曲家の全く違う側面を垣間見せ、聴き手を戸惑わせる。モーツアルトばかりを集めたグラモフォンの盤でも聴いたはずのこの曲がK.281と続けただけでK.330と続けられたのと全く違う景色になるのはなぜだろう。

 そしてなぜこの曲を、この順でホロビッツが選択したのか、とその次に録音されたK.485のロンドを聴きながら考え込まされてしまった。LP版だとソナタとアダージオでA面が埋まり、B面がこのロンドで始まる。軽快さを取り戻したロンドまで、まるで一つの作品がタッチの軽さは保ったまま、重力の違う世界を彷徨うような不思議な構成。

 その謎を抱えたままピアニストはシューベルトの「楽興の時」の左手で正確なリズムを刻みますます不可思議な世界へと迷い込ませ、「白鳥の歌」のセレナーデ(リスト編曲)から最後にリストの小品で締めくくる(不思議なことにこのCDではもっとも普通に聞こえるのがリストである)


 CD6に入っているシューベルトの遺作ソナタとシューマンの「子供の情景」は第3話-2で触れたとおりなので割愛する(モーツアルトと違って曲の並び順は一緒で新たな発見はない。但し演奏自体は見事な物である)が、実はこの全集盤にはモーツアルトのK.511のロンドとリストが作曲しホロビッツが編曲したehemals(昔むかし)がボーナストラックとして挿入されている。モーツアルトの方はその録音に当たっての会話が採録されており、ホロビッツの生の声が聞こえるし。ピアノテストの為に演奏されたというリストも興味深い。どちらも正式な録音と言うよりトライアルのような、力の抜けた演奏である。

 ちなみにこのCD集は各CDの入れ物がオリジナルのレコードジャケットを使っているのだが、オリジナルに忠実すぎて、ボーナストラックの記載がなされていないものだから一瞬、何が入っているのかびっくりした。入っているのは嬉しいのだが、記載は追加して欲しい。


 CD7のハンブルクでの演奏会のライブ録音(1987/6/21)が実質的にホロビッツのステージピアニストとしての最後の録音になる。(モスクワの1年後、東京の2回目の訪問の2年後にあたる)この後のライブレコーディングは1988年の自身の編曲によるEhemals(CD6に収録)のみ。またスタジオ録音としてもCD5の一部が1988年の年末から翌年1月(同年11月にホロビッツは死去)にかけて録音されているだけである。

 84歳とは思えぬ的確な指遣いは十分に現役としての輝きを放っている。ここで演奏されている殆どの曲は、CD1-6に収められたもので僅かにショパンのMazurka in B minor, op.33 no.4のみが重複を逃れている。

 ホロビッツはモーツアルトを軸として、レパートリーを再構成してコンサートに十全な演奏ができるように備えたのであろう。ハンブルクではモスクワで演奏したラフマニノフとスクリャービンは除かれ、シューマンを筆頭としたロマン派の曲を演奏しており、そうした選曲もステージピアニストとして生きてきたホロビッツなりの配慮なのだろうと僕は思っている。

 もっとも演奏曲目は同じでも、演奏時間はかなりばらつく。モーツアルトのソナタは別としても「子供の情景」やリストなどは遅くなっているのだけど、聴く印象はかなりの相似形で長い時間を経たホロビッツの集大成はここにあると思って差し支えないのだろう。

 ただグラモフォンに残された演奏はホロビッツの演奏としては、最初に聴くより、やはりそれまでの少なくとも1950年代からの演奏を幾つか聴いた後に耳にすることをお勧めしたい。例えばここに触れた演奏では1950年代のリストやショパンの凄みを一度体験し、幾つかの協奏曲、ベートーベンのソナタなどを聴いた後に、彼が至ったモーツアルトを聴く。そしてモノラル時代と変わらずに常に彼の指が、紡ぎ出すシューマンの「子供の情景」を聴く、そんな繰り返しの中でこのピアニストが歩んだ歴史のほんの少しが偉大な音楽と共に辿れるという気がするのだ。

 長く生きたピアニストほど評価は難しい。カペルやリパッティのように絶頂期のうちに短い生涯を終えたピアニストは若い内の技巧の素晴らしさ、もし長生きしたらどのような素晴らしい音楽家になったのだろうという「思い」を常にリスナーに想起させる。そうしたポジティブな評価と聴くものの姿勢は、しかし、キャリアを重ねた技巧派のピアニストに対するほど厳しくなる。

 しかしそうした議論は正しいのだろうか?僕は決してそうは思わない。ホロビッツにしろポリーニにしろ、彼らが積み上げてきた過去の礎、そしてその上に築かれた全てに敬意を払いたいと思っている。


レコード

*シューマン

 子供の情景 作品15

 ショパン

 マズルカ集

 嬰ヘ短調 作品59の3/嬰ハ短調 作品41の1/変ニ長調 作品30の3/

 嬰ハ短調 作品30の4/ヘ短調 作品63の2/嬰ハ短調 作品63の3

 嬰ハ短調 作品50の3 

       RVC RVC-1511(M)

*リスト

 葬送曲(「詩的で宗教的な調べ」第7番)

 泉のほとり(巡礼の年報第1年「スイス」第4曲)

 忘れられたワルツ 第1番

 ラコッツィ行進曲(ホロヴィッツ編)(ハンガリア狂詩曲第15番による)

 ハンガリア狂詩曲 第6番

 ペトラルカのソネット(巡礼の年報第2年「イタリア」第5曲)

 ハンガリア狂詩曲 第2番(ホロヴィッツ編)

       RVC RVC-1512(M)


CD


HOROWITZ Complete Recordings on Deutsche Grammophon

<CD 1>

JOHANN SEBASTIAN BACH arr.FERRUCIO BUSONI

Chorale Prelude"Nun komm der Heiden Heiland"

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Piano Sonata in C major, K330

FREDERIC CHOPIN

Mazurka in A minor, op.17 no.4

Scherzo no.1 in B minor, op.20

FRANZ SCHUBERT

Impromptu in A flat major, D899 no.4

FRANZ LISZT

Consolation no.3 in D flat major

ROBERT SCHUMANN

Novelette in F major, op.21 no.1

SERGEI RACHMANINOV

Prelude in G sharp minor, op.32 no.12

ALEXANDER SCRIABIN

Etude in C sharp minor, op.2 no.1

FREDERIC CHOPIN

Polonaise no.6 in A flat major, op.53

MORITZ MOSKOWSKI

Etude in F major, op.72 no.6

<CD2>THE STUDIO RECORDINGS - NEW YORK 1985

ROBERT SCHUMANN

Kreisleriana, op.16

DOMENICO SCARLATTI

Sonata in B minor, K87(L.33)

Sonata in E major, K135(L.224)

FRANZ LISZT

Impromptu("Nocturne") in F Sharp major (S191)

Valse oubliee no.1

ALEXANDER SCRIABIN

Etude in D sharp minor, op.8 no.12

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Piano Sonata in C major, K330

FRANZ SCHUBERT arr. CARL TAUSIG

Military March in D flat major, D.733 no.1

<CD3> HOROWITZ IN MOSCOW

DOMENICO SCARLATTI

Sonata in E major, K380(L.23)

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Piano Sonata in C major, K.330

SERGEI RACHMANINOV

Prelude in G major, op.32 no.5

Prelude in G sharp minor, op.32 no.12

ALEXANDER SCRIABIN

Etude in C sharp minor, op.2 no.1

Etude in D sharp minor, op.8 no.12

FRANZ LISZT after FRANZ SCHUBERT

Soirees de Vienne: Valse-caprice no.6

FRANZ LISZT

Sonetto 104 del Petrarca (from Annees de pelerinage, 2e annee "italie")

FREDERIC CHOPIN

Mazurka in C sharp minor, op.30 no.4

Mazurka in F minor, op.7 no.3

ROBERT SCHUMANN

Traumerei (from Kinderszenen)

MORITZ MOSKOWSKI

Etincelles Morceau caracteristique, op.36 no.6

SERGEI RACHMANINOV

Polka de W.R.

<CD4>

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Piano Concerto for Piano and Orchestra no.23 in A major, K.488

Orchestra del Teatro alla Scala / CARLO MARIA GIULINI

Piano Sonata in B flat major, K333(315c)

<CD5>HOROWITZ AT HOME

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Piano Sonata in B flat major, K.281

Adagio in B minor, K.450

Rondo in D major, K.485

FRANZ SCHUBERT

Moment musical in F minor, D780 no.3

FRANZ LISZT after FRANZ SCHUBERT

Standchen Serenade (from Schwanengesang)

Soirees de Vienne: Valse-caprice no.7/Valse-caprice no.6

<CD6>HOROWITZ THE POET

FRANZ SCHUBERT

Piano Sonata in B flat major, D960(op.posth.)

ROBERT SCHUMANN

Kinderszenen, op.15

(Studio Chatter)

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Rondo in A minor, K.511

LISZT/HOROWITH

Ehemals(no.10 from Weinahchtsbaum)

<CD7>HOROWITZ IN HAMBURG / THE LAST CONCERTO

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Rondo in D major, K.485

Piano Sonata in B flat major, K333(315c)

FRANZ LISZT after FRANZ SCHUBERT

Soirees de Vienne: Valse-caprice no.6

ROBERT SCHUMANN

Kinderszenen, op.15

FREDERIC CHOPIN

Mazurka in B minor, op.33 no.4

Polonaise no.6 in A flat major, op.53

ENCORES

FRANZ SCHUBERT

Moment musical in F minor, D780 no.3

MORITZ MOSKOWSKI

Etincelles Morceau caracteristique, op.36 no.6

Deutsche Grammophon 477 8827

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