第4話 マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini)(1)A l'ombre de Chopin
僕が学生の頃、すなわち1970年代では、レコードはかなりの贅沢品だった。LPの新譜価格は今のCDと同じで一枚2800円くらい、だから貧乏学生は新譜を買えるのは年にせいぜい二回か三回。物価水準を考えれば少なくとも今の倍以上くらいはしたわけだから仕方あるまい。身を斬るような思いでクラッシックの新譜を買った人も僕の世代には結構いると思う。クラッシック音楽は「卵」なんかよりもはるかに物価の優等生である。果たしてこの「文化の価値の相対的下落」という事態を喜んでいいのだろうか?
そのことは今はおいておくとして、そんなつらい思いをしてさえ新譜が出たと聞くと、無理してでも買う演奏家というのが存在した。僕にとってマウリツィオ ポリーニがそんな演奏家であった。最初に手に取ったのはショパンの「練習曲集」、そのあまりに完璧な演奏と瑞々しい音の粒の流れに感嘆して、ポリーニは一挙に僕のピアニストランキングを駆け登った。そして、その後シューベルトの「さすらい人幻想曲」とピアノソナタ・シューマンのピアノソナタや幻想曲・ショパンの前奏曲集・ポロネーズ、新盤が出るたびに僕の財布は危機に瀕したのである。
そんな中で心にもっとも残ったのは1975年に録音が開始されたベートーベンの後期ソナタであった。(僕が17歳の時だ)彼の演奏するベートーベンのピアノソナタ30番と31番の二曲(と共にその後に発売された29番と32番の合計四曲)はまだ若かりし頃の僕が見つけた音楽の宝石であり、その宝石は今なお僕の心の中で輝き続けている。ジャケットの向こう側で頬がまだバラ色に輝いているように見えた青年ピアニストの忍びやかな演奏は30番から32番のベートーベンのソナタがロマン派で花開くピアノ名曲群の
とはいっても・・・この文章を書き始めた時点では、僕はポリーニをベートーベン弾きとは思っていない。「ベートーベン弾きというピアニストのカテゴリー」はそのピアニストが全曲を演奏したり(ポリーニはついに全曲を録音した)演奏しきろうとしたり(グールドは結局全曲は録音できなかった)しても、ポリーニやグールドではないのである。
敢えて言えばベートーベン弾きというのはヴィルヘルム バックハウスとかエミール ギレリスとかルドルフ ゼルキンみたいなピアニスト群であろう。とりわけギレリスは最も優秀なベートーベン弾きと僕は思っている。ソナタであろうと協奏曲であろうと、彼のその巧みで誠実な演奏と深い解釈に敬意を表さざるを得ない。バックハウスは中期の作品集に深い解釈を観る。それに対してポリーニやグールドはベートーベンに従来と違う角度から新たな光を差す、という才能を持ったピアニストたちであるように見受ける。
とは言え、その認識は時代のなせる業に過ぎず、僕より若いクラッシック音楽ファンにとってはポリーニやグールドがスタンダードなベートーベン弾きになっているのかもしれない。(残念ながら僕の知り合いの若者でクラッシック音楽好きがいないので確かめようもない)
さて・・・彼のソナタ全曲を聴いたら僕の意見も変わるのだろうか?
正直な話バックハウスのごつごつした指さばきの演奏やギレリスの巧みではあるが有名なソナタ群の延長として演奏された後期ソナタを聞いても、僕はそれらの曲がロマン派への足掛かりとなるピアノ曲群だという感想は抱かなかったと思う。もしかしたら曲自体もそれほど好きにならなかったかもしれない。その意味で、ポリーニのベートーベン後期ソナタの演奏は画期的であり、僕にとってロマン派とベートーベンの新たな関係性に目を向けるきっかけとなった演奏であった。
そのポリーニとは軌を異にするがグールドによる「熱情」や「悲愴」に対する
グールドの後期のソナタの演奏を聴くと、ポリーニの演奏と真逆・・・例えば30番や31番の2楽章を聞く耳にはバッハの
話を戻そう。ショパン国際コンクールで優勝したポリーニはEMIにショパンのピアノ協奏曲一番をパウル クレツキ指揮、フィルハーモニア管弦楽団の伴奏で録音した。そしてそのしばらく
彼が名声を博するきっかけとなったショパン国際コンクールはポリーニやアルゲリッチが選ばれた1960年(第六回)、1965年(第七回)が大当たり年でそれ以外の受賞者を私は個人的にあまり評価していない。というか、ショパン国際コンクールはポリーニとアルゲリッチという偉大なピアニストを受賞者に選んだことで価値を上げ、それ以外の授賞において、ほとんど価値を上げていない。
1960年の審査委員長はアルトゥール・ルービンシュタインという(個人的には好みではないが)別格の大ピアニストであり、65年にはブラド ペルルミュテールが審査員となっている。結局コンクールとか賞で一番大事なのは審査員であり、その独立性であることは明白だ。
正直言って去年の審査員を見てもなんだかなぁ、という人しかいない。これがアルゲリッチ(ネルソン フレーレとともに招待されたが断ったみたいだ。やはり背景にはイヴォ ポゴレリッチを過小評価した時の他の審査員への反発とショパン国際コンクールそのものへの疑念があるのだろうか)とかポリーニとかが審査していればともかく残念ながらあの選考委員では賞の価値は半分がた下がる。
イヴォ ポゴレリッチを予選で落とすという事件もあり、その経緯は兎も角、明確な判断基準を示せない(というかピアニストの優劣をつけられない)ショパン国際コンクールはもはやその役目を終えるべき時なのかもしれない。(一番びっくりしたのはアダム ハラシェビッチがまだ審査員として生きていたことだ。彼はコンクールのウィナーでありポーランド生まれのショパン弾きだが私は全く評価していない。彼の受賞時はアルトゥール ベネディティ ミケランジェリが抗議して審査員を降りている。アシュケナージの方が上手いだろうという事でもっともな話だ。アシュケナージも私は取り立てて評価しはしないが少なくともハラシェビッチよりは上だろう。アダムがポーランド出身という事で贔屓にしたい審査員の気持ちは分けるけど、そうした行為は賞の価値を落とす行動に他ならない。とにもかくもショパン国際コンクールは大ピアニストを怒らせるのが得意な組織である)
少なくとも僕の目にはこれは騒ぐようなイベントではなくなっている。コンクールと受賞者の価値を上げるのはコンクールの受賞者の「その後の実績のみ」であり、「その後」の才能を予見できないようなコンクールは無意味なのである。
これは例えば芥川賞とかでも言える話だ。そもそも菊池寛が文芸春秋社の社主だったころ、勝手に、死んでしまった友人の芥川龍之介の名前(と前年に亡くなった直木三十五)を使って賞を創設したこと自体、疑問符がつくが(たぶん芥川は生きていたら絶対に許さなかっただろう)この菊池寛という人物は小説を書くよりもビジネスに長けた男らしく見事に文藝春秋を大企業にした。
芥川賞は創設時には川端康成や佐藤春夫、山本有三といった
なんだかんだでマスコミに注目されたのは石原慎太郎の「太陽の季節」の受賞である。日本のジャーナリズムの悪い癖で、「雰囲気」で事実を盛り上げてしまいそれが慣習化する。いまだに芥川賞・直木賞は秋冬の文化欄の暇ネタの一つだ。しかし個人的に言えば「歴代芥川賞受賞者を全部束にして
日本の文芸界は毎年、芥川賞・直木賞、そしてノーベル文学賞に村上春樹さんが受賞するか否か、という話題で盛り上がるというお寒い状況である。本当に村上春樹さんには気の毒な話で、本人の意思とは無関係に勝手に何度も敗者にされている感があり、もうあの
僕はノーベル文学賞作家の小説を何個か読了した(「赤い高梁」、「緑の家」や「雪」など)が、その傾向(みんな色がタイトルに存在するか、タイトルから想像される、がそういうことではない)から言って残念ながら村上春樹さんの受賞可能性はかなり低いと思っている。その上、Kazuo Ishiguroが受賞したことで更に可能性は低くなった。だがそれは彼の小説の価値を
そしてそうしたレベルで文学が議論されている限度においてその議論はカルチュアとして機能しているようには見えない。
あ、話がずいぶんと
うん、ポリーニの話である。僕にとっての今、大きな関心事は「1970年代のポリーニと2020年代のポリーニの差がどこにあるか」ということである。というのも先般、NHKの日曜日の夜のクラッシック音楽番組でポリーニがベートーベンの後期ソナタを演奏している姿を見た。水仙のように若かった彼は、今は仙人のように歳を取り、頬の紅はどこへと消えたやら見る影もなかったが、その小柄な体型から想像も出来ぬ大きな手と指から紡ぐ出る音は紛うかたもなく記憶にある音の泉から湧き出る譜を想起させた。
ただ・・・ポリーニの愛好家ならご存じのようにポリーニはこの後期ソナタを最近、再録音した。その意味を探ることはあの奇跡のような演奏に対して、彼がどうして再録という形をとったのか、彼はあの演奏を否定したのだろうか、という事から考えていかねばならない。
一方でもし、それが等価の演奏ならばポリーニは50年かけて、成長しなかったという事にもなりうる。最近、ポリーニに対するあまり好意的でない評価が散見されるのも気になる。
ピアニストには変貌するタイプとそうでもないタイプは確かに存在する。変貌しないタイプは基本的に若くして老成、練熟するタイプでギレリスやリヒテル、ゼルキンなどはそのタイプだろう。アルゲリッチのように若い頃から好き勝手をやっているピアニストもこちらの組であろう。
変貌したピアニストの典型はホロビッツで、若いころのやんちゃぶりはソニーに移籍し歴史的カムバックた頃から鳴りを潜め、ちょっと怖い感じはするけれど(耳のあたりに若い頃に戦った傷があったりして)日向ぼっこする猫のような丸みと凄みをおびたピアニストへと変貌した。
ポリーニはどうなのか?
そして演奏家にとっての「再録」の意味を考えて見なければならない。なぜ音楽家は再録音をするのだろうか?カラヤンなどベートーベンの交響曲を何度、録音しているのか分からないほどで、それらを聞き比べてみても正直言って進化しているのか分からない。(7番なんか最初のウィーンフィルとのデッカ盤が1番良かったような気がする)
ポリーニもベートーベンのソナタのみならず、ショパンの前奏曲とか、ブラームスのコンチェルト(これは三度の録音がある。ただし、二度目と三度目はライブなのでスタジオ録音での再録とはちょっと意味合いが違うかもしれない)それでいてショパンのコンチェルトは若い頃以降、一切再録はしていない。彼が再録したのはどういう意味であろうか?なんだか単なるビジネスの観点では無いような気がして、そこが気になるところである。
さて、どのような順序でポリーニを聴いていこうか?いろいろ考えてみた。演奏年代順に聴いていく、作曲家の生存年代順に聴いていく(バッハから始まってノーノで終わる)などであるが、とりあえず考え方としてはポリーニが集中的にレコーディングをした作曲家の順、大まかに言えばショパン、シューベルト、シューマンなどのロマン派を最初にして、次いでモーツアルト、ベートーベン、ブラームス、その後にバッハ、ドビュッシー、リスト、最後に現代音楽という枠で聴いてみることにした。その中で再録音のある曲については比較を試みてみよう。ただしベートーベンの後期ソナタに関しては最後に記すしたい。
ポリーニの録音に関しては市場に存在している録音に関してはほぼ集め終わっている(レコードのものはCDを買い直してある)が、残念ながらいくつかのもの(例えばバッハの平均律クラービアなど)が廃盤になっている。しかしぐだぐだ書いているうちに再版されるかも知れない、との希望を持っている。(3度目のブラームスの一番の演奏はつい最近再発売されたし)というわけで、ポリーニに関しては数回に分けて記述することとしたい。(長くなりそうだ)
お付き合いしてくれる方がいればありがたい。まずショパンから・・・。
ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin 1810/3/1? -1849/10/17)
*協奏曲
最初はショパンの協奏曲である。ショパンコンクールの決勝では1番か2番のコンチェルトを弾くことが義務づけられている。そして1番はポリーニが世界に認められることになった出世曲ともいえよう。故にそれを最初に語る曲としたい。
と言っても、ポリーニはショパンの協奏曲は1番しか録音しておらず、その1番も今から50年前、ショパンコンクール直後にパリでポール クレツキ指揮のフィルハーモニア管弦楽団と共に演奏されたものが「一応」正式の録音である。
その時期、別録音(別のオーケストラ)のものがいくつか発売されている(非正規のライブ録音)が、ショパンの協奏曲のスタジオ録音は少なくともその後なされていない。コンサートでは全く演奏しないというわけではないようだが、ベートーベン、ブラームスのように複数回録音されているものもあるにかかわらず、1番については再録もされていないし、2番については一度の録音も無いということは何を意味しているのだろう?
最初に聴いたのは定番であるクレツキ指揮フィルハーモニア管弦楽団のものである。ロンドンにあるアビーロードのスタジオNo.1で録音されたと記されている。
第1楽章、やや大仰なオーケストラによる導入部分が終わると、ピアノのパートが始まる。軽々としたタッチでありながら、必要な音はすべて指先から弾き出されていく。この音の軽さ、というか軽い流れが初期のポリーニの特筆すべき特徴で、たとえばがさつなタッチのバックハウスや、時折指のコントロールを失ったかのように強い音を出すケンプ、あるいは全体的にタッチの強いリヒテルの演奏スタイルとは違う流れにあり、かといってグルダやブレンデルとも違い、暖かさとか優しさより透明性の勝ったタッチである。
この音が実にショパンに似合う。
故郷のポーランドを逃れパリの社交界に身を投じつつ、どこか愁いを帯びた心情がショパンのマズルカとかスケルッツオには溢れている。この1番の協奏曲にもその心情が詰まっていて、そんなショパンの等身大がポリーニの演奏には感じられる。第2楽章、第3楽章と破綻も無く、端正な音は続く。
オーケストレーションが弱いと言われるショパンであるが、なんと言ってもピアノが彼の肝であり、オーケストラは母親のような視線でピアノを包み込むように設計された曲だからポリーニはごくごく自然にその音に甘え、寄り添っていくことで曲を作っていくのである。この曲はそう言う設計なのであってオーケストラが弱いとかいう評価はあんまり関係ない。逆に言うと若いピアニストがあまり主張の強くないオーケストラと一緒に完成するべき曲で、そもそもフルトベングラーとかトスカニーニが伴奏するような曲ではない。そう言った意味でこの録音は聴き映えするし、彼の将来を期待させるレベルの演奏である。
CDにおまけのように収められたバラードやポロネーズは8年後、ポリーニが唯一EMIのために録音(その後、ポリーニは原則ドイツグラモフォンにしか録音をしていない)したもので、英雄ポロネーズをはじめとして質の高い演奏であるけれどその後に全集として演奏された一連のショパンの演奏ほど完成度は高くない。ただこの時期にポリーニがショパンの曲をばらして演奏し録音していたというのは後に彼がしばらくの間「曲集」という形で録音したのと対比すると興味深い。
さて、もう一つの演奏はイエジィ カトレビッツ指揮ワルシャワ国立管弦楽団との共演によるもので、この演奏の音源は定かでは無い。なんと言ってもイタリアのミラノに籍を置くプライベートレーベルのSuiteという会社の版で、イタリア語で書かれている詳細を調べてもregistrazione dal vivo,Varsavia 1960とだけしか記されていない。Varsaviaはワルシャワ、そこでのライブ演奏の収録という以上の情報が無いのだ。
仕方なしにネットで調べるとThe arts of Maurizio Polliniというグラモフォンから出ている全集の最後に同じ組み合わせのもの(1960年3月収録)があり、これと同じ音源のような気がする。この演奏はクレツキとのものとはだいぶ趣が違って、1楽章から音がやや緊張気味に進んでいく。2楽章になると少し緊張がほどけて歌うような音の流れになっているが、やはり雰囲気はクレツキとのものとは違う。オーケストラとの相性はクレツキのものと比較して悪いのか、ポリーニはやや弾きにくそうである。
録音はレンジが狭くプアだけど聞き苦しいというほどでは無い。記載は無いが一応ステレオ録音のようだ。ライブとなっているが、演奏会場のノイズが殆ど入っておらず3楽章の開始あたりでようやく人のざわめきが聞こえ、これがライブ録音だと言うことがわかる(ちなみに演奏終了後には盛大な拍手が沸き起こる)。ショパンコンクールは2月から3月に開かれたわけで、グラモフォンの情報にあるようにワルシャワで3月の演奏ということならば、コンペの評価対象となった演奏、ないしはコンペ終了後の記念演奏という可能性はある。
一緒に入っているピアノソナタ2番は、これまた音源不明であるがクロアチアのドゥブロブニクでのライブ録音で1960年収録とされているから、コンクール後の演奏会のものであろうか。このソナタの演奏はかなり完成度が高い。ポリーニは後の演奏では、比較的楽譜に忠実にかっちりとした演奏をする傾向があるが、このショパンでは間の置き方が少し緩くテンポが揺れていて、歌う要素が所々にちりばめられている。
約60年の間、あれほどショパンの録音を行い、他の作曲家の協奏曲も録音してきたにも関わらずポリーニはショパンの録音を行っていない。確かにショパンの協奏曲はこれから成長していくピアニストがその最初のキャリアの時期に演奏していくコンチェルトだという感じがなくもない。功なり名を遂げたピアニストにとって再録をするほどのことはないというスタンスなのかも知れない。
しかし、後述するようにポリーニは1番は時折コンサートで弾いているようだ。もし再録するとすれば指揮はアバドだろうと思っていたがアバドは残念ながら鬼籍に既に入っている。しかし最近のポリーニはパートナーとしてティレーマンを発見した。アバド亡き後永らくパートナー指揮者を失っていた彼も漸く互いに理解し合える音楽家に巡り会えたのだろう。その意味ではもしかしたら再録がある・・・かもしれない。
*Piano Concerto No.1 in E minor Op.11(1960)
Ballade No.1 Op.23 / Nocturne No.4 Op.15 No.1/ Nocturne No.5 Op.15 No.2/Polonaise No.6 Op.53
Philharmonia Orchestra conducted by Paul Kletzki EMI CDM 7 69004 2
*Concerto N.1 in mi minore per pianoforte e orchestra Op.11(1960)
Sonata N.2 per pianoforte in si bemolle op.35"Marcia Funebre"(1960)
Orchestra Sinfonica della Filarmonica Nationale di Varsavia conducted by Jesey Katlewicz Suite CDS1-6002
独奏曲
独奏曲は演奏録音の年代順に紹介することとしたい。
<練習曲集>
最初に書いたとおり、僕が初めてポリーニを耳にしたのは「練習曲集」で今もその時に購入したレコードは残っている。CDは新たに買ったもので、久しぶりにレコードに針を下ろす代わりにCDの再生ボタンを押してみた。その途端にハ長調練習曲の音の洪水がキラキラとスピーカーから溢れ出てきた。もう五十年近く前に最初に耳にしたときの驚きが今でも鮮やかに蘇る。
あの当時、これほどの
圧倒的だったピアニズムは今なお輝きを保っている。
そのまま音の高みは僕らを小舟に乗せてop.10の12曲の細く美しい渓流を下っていく。最後にハ短調Allegro con fuoco( 炎のように生き生きと早く)、「革命」と呼ばれる曲が1番のハ長調と違う、翳りのある水飛沫を上げ、耳に飛び込んでくる。あっという間に最初の12曲が終わる。レコードならここで心を落ち着かせ、少し深呼吸をしてから裏返して聴き始めるところだがCDだとそうはいかない。
15番へ長調、気まぐれな小さな女の子。そばかすがあって美しい彼女は少しすねた様子。16番イ短調、意地悪な秋の風、足下に渦を作って僕を困らせる。ああ、漸くやんだと思っていたら、横を歩いていた友達が悩みを打ち明けてくるホ短調・・・。人それぞれのイメージを作り上げていくような曲想と演奏が続いていく。23番イ短調、囁くような出だしに耳を澄ますと・・・突然吹き荒れる木枯らしに心は空の彼方へと吹き飛ばされ、もう戻ることは難しい。
確かに・・・僕はこのレコードでポリーニに惚れたのだった。
<前奏曲集:1>
1974年にミュンヘン ヘラクレスザールで録音された前奏曲集である。前奏曲集だけは正面切って2011年に再録音をしている。だから、とりあえずその差分はポリーニのevolvementについて最初に検討する対象となる。
練習曲集は録音の仕方もあるのだろうが、各曲のつながりを一挙に(12曲づつではあるけれど)流れとして聴いたのだけど、前奏曲集は<各一曲ごと>独立したものとして聞こえる(曲間の間合いもあるのだろうか?)
練習曲が川の流れのようだと例えるならば、前奏曲集はヨーロッパ、例えばミュンヘンの人知れず奥まったところにある宝石店の中で明るい暖炉がともる部屋で宝石を眺めているようなそんな気分になる。
暖炉の光が揺らめき、10番の繊細な青紫色をした嬰ハ短調の宝石を光らせ、同じ暖炉が13番の嬰ヘ長調を橙色に点す。14番で暖炉で燃やした木が爆ぜる。これは、変ホ短調という名のブラックオパール?
そして「雨だれ」は、確かにクリスタルの輝き、いくつもの水晶を連ねたネックレスをなぞるようにしてあなたの白く細い頸にそっと指を絡めたくなる。ああ、この1番長い変ニ長調が終わらなければ、あなたと・・・。突然、あなたは顔を背け5分に満たない僕の恋は終わりを告げ、暖炉は突然火が消える。転じた変ロ短調に翻弄され僕は暖かかった部屋を追い出される。
ああ、あれは夢だったのだ。変イ長調は洗ったばかりのシーツととても暖かい羽毛布団のように僕をくるんでいる。でもそんなベッドから僕はたたき起こされる。18番とても短い間の乱暴。
そう・・・彼の演奏は演奏は聴き手をそのまま詩人、あるいはストーリーテラーにしてくれるのだ。
<ポロネーズ集>
彼の演奏するポロネーズの3番イ長調(「軍隊」と呼ばれている)をありのまま聴いたとして、その演奏にどうやってケチをつけることができるのだろう?
ダイナミックなのに、音は決して崩れない。それどころかショパンの設定した困難なリズムは彼の柔らかい手首と強靱な指捌きの前に屈する。ポーランド生れのシニカルな作曲家は、ふうん、と不満そうに横を向くが、その唇に満足げな笑みがたたえられている。
この曲集は珍しくウィーンのムジークフラインザールで録音されている。(他のほぼすべてはミュンヘンで録音されている)二人は音楽の都ウィーンで対峙しているのだ。
まあ、作曲家と演奏家は共同しつつ戦っているようなものだけど、その戦いを前にした僕ら聴き手には大変良い試合を見せてもらいました、というような感想しか浮かばない。
いやそもそもポリーニは戦いに勝ったと言う表情ではない。彼は戦っていないのだ。同じ演奏でもアルゲリッチは戦っている。そこが二人の違うところだ。どちらも凄いんだけど、アルゲリッチは戦士でポリーニは哲学者なのだ。うん、わからない・・・?でしょうね。
さて、ポロネーズで僕の好みは第5番嬰ヘ短調・・・感情を揺さぶる低音から湧き上がってくる音の集合体がポリーニの演奏によって淀みなく突き刺さってくる。そして端正な変イ長調(「英雄」)、弱音が天使の羽のように繊細なもう一つの変イ長調(「幻想ポロネーズ」)息をつく
とは言え、恐らくポリーニの音に合うのはポロネーズとかマズルカなどよりは前奏曲や練習曲であるのは間違いない。これはやはり音に纏わる血とか民族性とかそういうものの浄化度の高さが前奏曲や練習曲にはあるからのように思う。でも僕はこのポロネーズ集は彼の演奏の中で一押しの一つです。素敵な彼女と聴きたい。そう思わせる華やかさがある。練習曲と前奏曲は一人で聴きたいんだ。
<ソナタ>
葬送行進曲付のソナタには様々な演奏があるがポリーニの演奏するそれほど、1音1音の粒立ちが明白なものはない。録音にも助けられているけれど、1楽章と第2楽章では、演奏者は個々の独立した音を意図的に聴き手の耳に届けようとしており、音の響きは前奏曲集などと共通するものがある。
だからこそ第3楽章の葬送曲に入ったとき、その弾き方が粒だった音の連続ではなく、音の塊として突き刺さってくる驚きがある。メインテーマが終了し、死者を包む安らかな音の連続に移ってもそこでは音の粒立ちは存在しない。あくまで葬送の悲しみを繋ぐメロディである。
そしてそこから展開する第4楽章の短いプレスト・・・葬送の場から魂が立ち上って光のベールに包まれて登っていくような厳かな雰囲気・・・。ショパンはこの短い楽章をどうして付け加えたかの回答がここにある。
先の協奏曲のところに書いたのだけど、既にショパンコークールの直後にポリーニはこの曲の演奏を完成させている。そのときはもっと歌のように揺れている感じが強かったのだけど、新しい演奏はもう少し構造的に強くなっていて、それでいて表面はそう感じさせない。
3番のソナタは一転して再び音の美しい粒立ちが際立つ演奏である。右手と左手の指は交錯しながら完璧な正確さとタイミングで鍵盤を優しく叩いていく。そこから発する音から「高貴な香り」が立ちのぼる。ポリーニの演奏は一切雑味やえぐみががないのである。それはポリーニが意図して避けているのではなく、本質的に人間としてのポリーニにそうした
葬送行進曲にはポリーニと双璧を成すアルゲリッチの演奏があるが、だいぶアプローチが異なるので聞き比べると面白い。ポリーニの演奏を「アルプスの雪解け水でできた小川がイタリアの田園を走り流れる時の太陽の煌めきを受けて光る水のよう」と例えるならば、アルゲリッチの演奏は「アンデスから駆け下り、大きな魚やいるかを走らせ清濁併せのみながら迸るRioの力強い奔流」のように思える。
<スケルッツオ、ベルスーズ、バルカローレ>
ポリーニの演奏で特筆すべきはパサージュの処理の見事さで、とりわけスケルッツオのような曲ではその素晴らしさが明確に出る。どれほど早くとも、どれほど長くても一切破綻することのない指捌きが曲を編んでいく。どこにもストレスのない響きが耳を打つ。
そして見事なまでの美しさのバルカローレ。その立体的な構成と響きは驚嘆に値する。もし、どれかポリーニのショパンの中で一曲を選べと言われれば、僕はもしかしたらこの曲を選ぶかも知れない。
<バラード>
西洋音楽においてのバラードという形式はショパンが作ったものである。何らかの寓意を伴った曲という解釈が取られているようで、その意味では詩やストーリーを、作曲家が意図的に明示してくれると解釈すれば良いのだろうか。
曲そのものが一つの寓意を構成するために、前奏曲や練習曲より一曲あたりの時間は長いのが特徴である。シューマンがこの曲の形式、とりわけ1番のト短調を評価したと言うから、作曲家としてのシューマンも同じような構成・意図のある曲を好んでいたのだろう。ショパンに限らずロマン派の音楽家は様々な様式のピアノ曲を作り出した。それはソナタという従来の形式からの逃避のようにさえ見える。
ソナタはモーツアルト・ベートーベンという二人の天才的音楽家を頂点にして激減している。
いや・・・ソナタだけではない。交響曲・弦楽四重奏曲・ソナタなどの古典的形式はすべからくベートーベンという高く分厚い壁の後、音楽家が作曲を躊躇っているように思えてならない。
ハイドンが100曲以上、モーツアルトが40曲作った交響曲はベートーベンの9曲の後、ブラームスでさえ4曲しか作らなかった。(あるいは作れなかった)
弦楽四重奏もピアノソナタもベートーベンの曲数を超える作曲家を見つけるのは難しい。
端的に言うとハードルが上がってしまったのだろう。もちろんブルックナー・マーラーのように9曲の交響曲を作った作曲家もいるし、ショスタコーヴィチのようにそれを超える作曲家もいる。だが、ピアノソナタとなるとモーツアルトの18曲、ベートーベンの32曲を頂点にその後ソナタの数は激減している。
ショパンにしてもピアノソナタは三曲(実質二曲)しか作曲しておらず、より自由で身近な形式とその集積を(曲集という形で)作り上げていった。ただ、バラードという形式は僕の目にはやや中途半端な形式に思える。例えばト短調のバラードは憂鬱げな第一主題に次いで、やや明るい第二主題、再び第一主題というように揺れている感じの後に、最後に悲劇的な曲想で幕を閉じる。そこから受けるイメージは練習曲集や前奏曲集に比較すると自由度が低い。といってソナタほど作曲家の支配力が強くはない。だとしたらスケルッツオのように主題の意味が特に感じられない形式の方が納得できる。
その形式に関する話とは別に、少しポリーニの弾くピアノの音色がスケルツォのあたりから変わってきたような気がする。若い頃のポリーニにはきらきらする音の透明さがあったのだが、技術自体は華やかなまま音色が重厚になっている。
それは18歳のまだ青年と呼ぶにも若いピアニストがいつの間にか身につけた大人っぽい表情にもにて、とりわけショパンのような曲想だとその違いが鮮明に出てくるような気がする。
<夜想曲>
夜想曲は前奏曲と共にポリーニのピアニズムにもっとも相応しい曲の集まりで本来ならもっと早い段階で録音されても良いはずの曲集である。
この録音は2005年、最初の前奏曲集が出てから31年の月日が経っている。その上、バラードの項に書いたようにポリーニのピアノの音色が少し変化したことも気になっていた。
だが・・・31年前の前奏曲集と夜想曲集は確実に「繋がった」演奏であった。連続して聴いても何の違和感もない。その事実は喜ばしい驚きを齎してくれた。
どの曲一つをとっても磨き抜かれた音の滴が溢れている。例えば作品15の嬰ヘ長調、瑞々しい音に浸りながら僕の周りには幸福な時間が流れていく。それは前奏曲の13番の嬰ヘ長調の時と何の変わりもない。63歳のポリーニは32歳のポリーニとイメージを重ね合わせたまま音を紡いでいく。そして作品27の変ニ長調が弱音に包まれて終わる様、その最後の1音まで神経が行き届いた指遣い。
<前奏曲集:2>
そして前奏曲集の再録である。
少し緊張する。いったい前の録音とどう違うのだろう?そしてなぜポリーニはこれを再録音したのだろう。その答えはここにあるのだろうか?前の演奏が完璧に近い物があるだけにかえって怖いのだ。
そして・・・37年の時を経て彼は同じミュンヘンのヘラクレスザールで曲を紡ぎ出す。
これは・・・?不思議なことに夜想曲集で折り返すようにして昔の前奏曲集と繋がっている新たな前奏曲集なのに、確かに何かが違うのだ。曲毎の演奏時間はやや新しい演奏の方が短い。だが極端に違うことはない。一曲ごとの演奏の質もどちらも高い。なのにどこか違って聞こえるのはなぜだろう?
まるでポリーニは前奏曲集を一曲ごとに解体して新たに結びつけようとしているかのようである。そう・・・以前の前奏曲集にあったOp.28という一体としての纏まりは今回の演奏では薄れている。そして最期のニ短調が重たげな和音を残して終わったとき、その暗みの向こうに作品27(Op.27)の嬰ハ短調が響き出す。僅か6年の間を経て再録された作品27はほぼ完璧に再現されて二曲目の変ニ長調の弱音の中に消えていく。そう・・・収録された曲Op.28/Op.27/Op.30(マズルカ)/Op.31(スケルッツオ)はすべて1837年頃、ショパン27歳の頃の曲なのだ。
この曲集の後、ポリーニのショパンのアルバムはよく見れば(Op.59-68)の一纏まり<これはタイトルもChopin Late Worksとなっていてその意図が明白である 479 6127>、そして(Op.55-58)の一纏まり<483 6475>というように年代別に再構成を行っているのだ。聴き始めるまでそれに気付かなかったのは不明の至りである。
そして、それ故に僕は再度新たな課題を突きつけられてしまうのだ。なぜポリーニは、ショパンに対してそんなアプローチを試みはじめたのか?スケルッツオの2番(Op.31)の素敵な演奏を聴きながら僕は戸惑っていた。
前奏曲集の比較という命題を課したにも関わらず、これが単純な前奏曲集の再録ではないのだということに。
*Chopin Late Works(Op.59-68)
バルカローレが以前と違う形で、より豊穣なタッチで弾き始められた時、それに失望するのか、期待するのか、二つの道が聴衆には存在する。1991年の演奏を聴いたとき、僕は「ポリーニのショパンの中で一曲を選べと言われればこれを選ぶかも知れない」と書いた。そしてこの2015/6年の演奏を聴いた後もその意見は変わらない。
しかし・・・だとしても、僕は新たなこの演奏を否定するつもりはないのだ。
ポリーニは聴衆との立ち位置を明らかに変えている。ある程度聴衆の期待に反することはあるかも知れないけれど、彼は「彼の中のショパン」を提示する道を選び、Chronologyに基づく彼なりの「ショパンの詩集」を弾き始めたのだ。それは前奏曲集を含む一つ前のアルバムから始まり、この後期の楽曲集を経て、次のピアノソナタを含む中期の作品集へと引き継がれていく。僕はあの練習曲集や前奏曲集を聴いたときのような自分自身のイマジネーションを生み出すことは断念する。その演奏のあり方と聴衆の聴き方は「夜想曲集」までなのだ。
そして僕はポリーニの語りかける彼の行き着いたショパンのあり方に体と心を委ねる。そこにはバルカローレとかマズルカ、ノクチューンという壁はなく35歳のショパンがいる。幻想ポロネーズはその頂点であるけれど、すべての曲は35歳のショパンの肖像画に溶け込んでいる。そうした提示を否定する聴き手もいるだろうけど、それはそれでいっこうに構わないのだ。生涯80年にわたってショパンを弾き続け、ショパンコンクールのウィナーになってから60年以上、そのタイトルに伴う重責をショパンに捧げる事を行ってきたピアニストの「ショパンのありよう」を虚心坦懐に聴くことができるのは幸せだと僕は思うけど。
*(Op.55-58)
前項との絡みで行けばこのアルバムはショパンが32歳(~34歳)の曲の集まりである。この外盤の裏表紙に"his(Pollini's) revelatory chronological re-exploration of Polish master's late works"(彼<ポリーニ>によるポーランドの巨匠の後期作品集に関する示唆に満ちた時系列的な再発見の旅)と記載されているのを見つけた。最後のアルバム三作の意味を版元と共有できたのは喜ばしい。
さて、子守歌(ベルスーズ)からソナタへと渡った先に沸き起こった個人的な感想を言うならポリーニはこのピアノソナタ三番こそショパンの最大の傑作として捉えているのではないか、ということである。それほどにこのソナタは素敵な演奏である。前回の演奏(1984)が音の粒立ちを強調しているとするなら、今回の演奏はそこに”流れ”の動きをさらに加えて仕上げたものであり、まさに「完成形」である。もしショパンの第三番のベストの演奏を言えという難題を突きつけられたら僕は迷わずにこの演奏をあげるであろう。
だが、だからといってこの演奏を切り取って”ソナタ三番”として聴いて欲しくはない。つまり、製造元は最後の三枚のアルバムについては以前のように、曲を切り取って再編するようなことはやめた方が良いし、聴衆もこの3番を聴くためにはその前のOp.55からすべてを聴いて欲しい。そうせねばポリーニの意図に反するのだろうと僕は思う。(そこのところユニバーサルさん、お願いしますよ。本当のところできたら、基本すべてのアルバムは再版であっても初出の形で出して欲しいと思っているのだから)
さて、ポリーニのショパンはこれで最後なのだろうか?
その可能性は高いと僕は思っている。それほどまでにソナタの三番の演奏が素晴らしい。
だがその予想を裏切って練習曲のop10とピアノコンチェルトの1番(op.11)と「華麗なる大円舞曲」(op.18)の組み合わせなんか弾いて<Chopin: Very Early Works>などと題して発売してくれたら素敵なんだけど、とも思う。コンチェルトは2番(op.21)でも構わないけど、1番は最近ベルリンフィルとも共演したようだから(ティレーマンの指揮で)どうでしょうかね?・・・などと勝手なことを言ってショパンの項は終えることにしたい。
あ、いや、もう一節、付け加えよう。
プルーストのA la Recherche du Temps Perduという小説の一節に 「ピアニストは、ショパンを二曲演奏することになっていて、プレリュードを弾き終えると、すぐにポロネーズにとりかかった」(「失われたときを求めて」第2巻 スワン家のほうへⅡ:吉川義一訳 岩波文庫)という文章がある。
サントーヴェルト侯爵夫人の舘で弾くこのピアニストがもしポリーニだったのならば・・・、
「そんな想いを誘ったショパンの音楽も今は時代おくれで、その美しさは色褪せたように思われた。数年前から玄人筋が評価しなくなり、かつての声望と魅力は失われていたし、鑑賞力のない人でさえそこにこっそり月並みな喜びを見い出すだけだった」と嘆き、ヴァーグナーを崇拝する若い嫁(と、おそらくはプルースト自身)を気にしていたカンブルメール夫人は、彼らを見返すことができたであろうに。
プルーストの生きていた頃、時代遅れと評されかけたショパンはその後、生誕百年祭を迎え、再び力強く音楽界の中心へと舞い戻ってきた。そして様々なピアニストたち、コルトーやルービンシュタイン、サンソン フランソワやホロビッツと共にポリーニという稀代の名ピアニストによってさらに高みに運ばれていった。そう僕は評価している。
*練習曲集 (1972)
12の練習曲 作品10 12の練習曲 作品25
レコード MG2389 CD UCCS-50019
*前奏曲集 (1974)
24の前奏曲 作品28 / 24 Preludes op.28
レコード 2530 550(外盤) CD UCCG-41076
*ポロネーズ集 (1975)
第1番 嬰ハ短調 作品25-1 第2番 変ホ長調 作品25-2
第3番 イ短調 作品40-1<軍隊> 第4番 ハ短調 作品40-2
第5番 嬰ヘ短調 作品44 第6番 変イ長調 作品53<英雄>
第7番 変イ長調 作品61<幻想ポロネーズ>
レコード MG1040 CD UCCG52115
*ピアノソナタ (1984)
第2番変ロ短調 作品35<葬送行進曲付>
第3番ロ短調 作品58
CD UCCG41078
*4 Scherzi Berceuse Barcarolle (1991)
Scherzo No.1 h-moll op.20 No.2 b-moll op.31 No.3 cis-moll op.39
No.4 E-dur op.54
Berceuse Des-dur op.57 Barcarolle Fis-dur op.60
CD 431 623-2
*バラード集 (1999)
バラード第1番ト短調作品23、第2番ヘ長調作品38、第3番変イ長調作品47
第4番ヘ短調作品52 (およびCD431 623-2に含まれている4つのスケ
ルッツオが含まれている)
CD UCCS-50012
*夜想曲集 (2005)
3つの夜想曲作品9、3つの夜想曲作品15、2つの夜想曲作品27、2つの夜
想曲作品32、2つの夜想曲作品37、2つの夜想曲作品48、2つの夜想曲作
品55、夜想曲作品72の1(遺作)
CD UCCS-9180
*(Op27/28/30/31) 前奏曲集他 (2011)
24の前奏曲 作品28 2つの夜想曲 作品27(第7番、第8番)
4つのマズルカ 作品30(第18番-第21番)
スケルッツオ第2番 作品31
CD UCCG52069
*<Chopin Late Works>(Op59/60/61/62/63/64/68 no.4) (2017)
Barcarolle in F sharp major op.60
3 Mazurkas op.59
Polonaise-Fantasie in A flat major op.61
2 Nocturnes op.62
3 Mazurkas op.63
3 Valses op.64
Mazurka in F minor op.68 no.4
CD 00289 479 6127
*(Op55/56/57/58) (2019)
2 Nocturnes op.55
3 Mazurkas op.56
Berceuse in D flat major op.57
Piano Sonata in B minor op.58
CD 00289 483 6475
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