第20話 ミシェル ベロフ(Michel Beroff)

 高橋悠治ほどではないが、ミシェル ベロフもかなり演奏曲目が偏っているピアニストである。現代音楽と何人かのフランスの作曲家、そして僅かなロマン派の曲、それが彼のレパートリーである。

 様々なピアニストがいて、気難しい人、陽気な人間、質実剛健なタイプ、求道師のような演奏家、変人、教授タイプ、奔放な語り手・・・。彼らや彼女らが個性的な主張を繰り広げる中、このピアニストは僕に寡黙な印象を与える。教育者でもあるこのピアニストの印象はそれに相応しい寡黙さと寡黙さを裏打ちする強靱な精神にある、と見受けた。そしてその強靱な精神性と知性が生み出す拘りが彼のレパートリーを限定している、そんな気がする。

 同世代のフランス生れのピアニストにはパスカル ロジェ(1951年)J.P.コラール (1948年)など、錚々そうそうたる実力者が並ぶが、その中でもっとも才能に恵まれた、天才的ピアニストはベロフだと僕は思っている。そして彼は恐らく秀才でもある。その二つが重なり合ったが故に少し損をしているのがこの人の真実なのかも知れない。


 例えばドビュッシー・・・。ギーゼキングやサンソン フランソワ、或いはミケランジェリなどが脈々と発展させた彼のピアノ曲の演奏と異質の音が彼の指からは繰り出される。硬質で均一な輝きを持つ、まるでバカラのクリスタルのような音色。

 ああ・・・そう。ピアニストをガラス器や磁器に例えるのは適切なのかも知れない。ポリーニならばイタリアのジノリのように高貴な白に節度を秘めた花の絵が描かれている。バックハウスはVilleroy & Bochのように質実剛健、飾っても実用にしても使える良い商品。ホロビッツはもちろん「罅の入った骨董」ではなく、でもちょっと古いタイプ・・・あの気品のある(そして値段もお高い)古マイセンであろうか・・・というように。

 今、世の中には使い捨てのカップやら安いマグカップが溢れているが美味し酒、美味し水はすべからくそれなりの器を求めるのだ。そしてここには美しいクリスタルが存在する。そこに注がれる酒は選ぶが、注がれた酒は深くビロードのようなクラレットであろうと、明るく豪奢なブルゴーニュであろうと、その色を最も美しい色に染める。


 「前奏曲集第1巻」を幾人かのピアニストと比較してみるとその感覚を分って頂けるかも知れない。ギーゼキング(EMI CDH 7610042)、ミケランジェリ(DG 449 438 2)、ポリーニ(ユニバーサル<DG> UCCG-41083)という錚々たるピアニストたちの演奏にベロフの演奏は全く引けを取らない。いやそれどころか、音色の透明さは彼らを凌駕している。右手を故障し、演奏を中断していたとは思えない輝きがそこにある。

 神々が呟くような不思議な音色の続く「デルファイの舞姫たち」に次いで「帆(ないしヴェール)」の響きは時折風をはらんで膨らんだと思えば、萎れるようにはためく。それに詩的なタイトルを冠した2つの楽曲が続く。ヴェルレーヌとボードレール。なるほど・・・。フランスの詩人、フランスの作曲者、フランスのピアニスト、その間に作用するケミストリーがこういう演奏を作るのだろうか。

 おどろおどろしい「西風」の吹き荒れた後に「亜麻色の髪の乙女」(la fille aux cheveux de lin)が慎ましげな姿で現われる。このタイトルに恋した若者たちがどれほどいることであろう。この曲を愛した少女はどれほどいたであろう。そんな胸を切なくする響きをピアニストは紡ぎ出す。だがこの曲集での圧巻は「沈める寺」であろうか。海の底に沈められた寺が鎮まった波の彼方に覗くかのような厳粛な感じをピアニストは巧みに歌っている。うむ、この寺はみせしめのために浮き上がると言うことはなさげで、水底に沈んだままでいるに違いない。そして「パックの踊り」の軽やかさ、「ミンストレル」の珍妙さ。ドビュッシーの曲を聴くときに時折生じる「聴き手の放心」をこのピアニストは感じさせない。

 ポリーニのショパンの前奏曲は作者による風景の指示はないけれど、聴き手の心に風景を想起させた。ベロフのドビュッシーは作曲者の意図通りの情景をクリスタルガラスの向こうに浮かび上がらせる。この対照的な2つの前奏曲集の演奏はなんと素晴らしいものであろうか。「前奏」する「曲」の「集まり」という考えてみれば怪体けたいな形式の音楽は彼らの手に掛かると素晴らしい詩集へと変じるのである。第2巻についてはくだくだと触れないが、最終曲の「花火」などは聞いて居て背筋がぞくっとするほどである

 ちなみに最初のCDには「前奏曲集第1集」及び1909年以前に作曲された小品と共に「子供の領分」が収められている。ドビュッシーの「子供の領分」というのはシューマンの「子供の情景」と屡々しばしば比較されるがこの二つはだいぶに情景が異なる音楽である。ドビュッシーの曲が「大人」が子供(愛娘のエマ)に書いた曲であるのに比してシューマンの曲は「子供が見た風景」を大人向けに書いた物のように聞こえる。いわば作者の視点が全く異なっている。シューマンがある意味「子供」から抜け出せないまま精神生活を送った(とはいえ子だくさんだったらしい、妻のクララが困るほどに)のに対してドビュッシーは遙かに「大人」であった。なので、「子供の領分」は「前奏曲」に比べると「大人」が子供に捧げる優しい音であり、実験的な部分も少ないこともあってピアニストの技巧もそれほど目立たない。とはいえ、手を抜くところはかけらもなく、隅々まで丁寧に弾かれていて心地よい。「レントよりも遅く」なども本当に曲を慈しむような音色が輝いている。

 「月の光」が含まれているベルガマスク組曲や「二つのアラベスク」はドビュッシーのピアノ曲が晦渋度かいじゅうどを増す1900年代以前の曲で、そうした曲を中心にしているCD3は聴き手を少しほっとさせるに違いない。ベロフの指はそうした曲も鮮やかに輝かせている。「ボヘミア風舞曲」のように全く作風の違う、習作のような曲でもベロフはやはり丁寧に「作曲者のその時の思い」を表現しようとしている。

 「版画エスタンペ」や「映像イマージュ」(1er,2er)の入ったCD4も聞き応えがある(1erのmouvementの躍動感!)が、僕のお勧めは「12の練習曲」の入ったCD5である。そもそも僕が最初に買ったのはこの練習曲の入った単独のものが最初で、最初に聴いたとき(ああ、レコードならば針を落としたとき、という多少なりとも詩的な表現が使えるのに)一瞬、これが「ドビュッシー?」と呟いたものだった。(それは演奏と言うより曲そのものの性格である)

 1918年に逝去するドビュッシーの、最晩年に近い1915年に作曲されたこの「練習曲集」がピアニストに課す「練習」とはどういうものなのか?「ツェルニー氏にならって」という副題を持つ第1曲、全体として捧げられた相手であるショパン、という「練習曲」を作った著名な音楽家二人に関わるこの曲集は恐らく、彼以降の作曲者たちがドビュッシーに「続く」楽曲を作るであろうことを想定し、それに備えるための「練習」曲集なのだと考えるのが相応しい、と僕は思う。

 残念ながらこの「練習曲集」の盤はさほど多くなくて、あのポリーニが演奏したものでさえ市場に出回っていない。確かに「月の光」のような音楽を求める人がこの曲を聴いても違和感が残るだけであろうが、彼の先にいる、ベロフの演奏で言えばプロコフィエフやメシアン、ミヨーといった作曲家の先鞭せんべんとすれば誠に聴き応えのある曲集である。最初から「景色を失った抽象の世界」へと誘う宣言があり、その音の世界に引き摺りこまれると僕らは容易に抜け出せない。ベロフの演奏はあくまで透明な、そして冷徹な輝きで、その世界の謎を容易に見せない。ポリーニならば、弾く音を聴き続ければ何かに辿り着けるのではないかという希望が現代音楽の演奏にも仄見ほのみえるのだけど、ベロフの指は一切解き明かすことを考えておらず、音のまま聴衆に投げ出される。それが妙に心地よい。

 だからこそ個人的には本当にポリーニの演奏と比較してみたい気持ちがあるのだけど・・・。ただ、それは演奏の善し悪しと言うより、演奏家の哲学というか音楽に対する考え方に根ざすものである。

 間違えないのは、もし誰かがドビュッシーのピアノ曲を聴きたいと言ったなら僕はまずこの演奏を勧めることになるだろう、という事である。ピアニストに取ってドビュッシーという作曲家は避けて通りがたい作曲家の一人になっているが、その良さをこれだけ引き出せるピアニストはそうはいない。ぜひ聞いてみてください。


 そのドビュッシーの直接の弟子ではないものの、彼の曲(弦楽四重奏曲!「メリザンドメリザンド」)に誘われて音楽の世界に入ったダリュス ミローの「パリ」(四人のピアニストのための)と「エクスの謝肉祭」のうち後者の録音は先にも書いたとおり1983年、ベロフが右手を痛める直前の演奏であり(前者はその12年前の演奏で、どのパートをベロフが演奏しているのか不明なので言及を避ける)フランス音楽を得意とするプレートルと共演したものである。ベロフの演奏は明瞭で卓越した技巧を誇っていかにも意気軒昂いきけんこうというていである。なかなか聞くことの多い曲ではないので(綺麗なおもちゃが入っている箱をひっくり返したような曲で、色彩と乱雑さに戸惑う人も多いだろう)演奏の巧拙を他者と比較することはできない。


 ミヨーと同じく、「ペレアスとメリザンド」に感化されたオリビエ メシアンの「幼子イエスに注がれる20の眼差し」と「前奏曲集」の演奏は、(これも余り比較する演奏はないが、疑いなく)出色の演奏である。というよりベロフの演奏がこの曲のファンを増やしたのではないか?

 僕もまたその一人である。

 まるで大聖堂のステンドグラスから降ってくる光のような演奏、そう、例えればストラスブールの大聖堂のようなといえばしっくりする。この大聖堂を訪れたのはもう30年以上も前であるが、ステンドグラスの見事さは僕の見た中で1番だった。ミュンヘンから車でA8を飛ばすと2時間もすればカールスルーエに到着する。そこからストラスブールへと向かうのだが、この街はどういうわけか謎のような道路の仕組みになっていて(今は全く違ってパーク&ライドが主流になっているようだけど)どこからも大聖堂が見えるのに、どうやっても大聖堂に辿り着かない。ミュンヘンから走ってアウグスブルクまでつくほどの時間(1時間くらい)かけて漸く辿り着いた。

 まるで「メシアンの曲のような迷路」をたどり僕は疲れ切っていた。しかし、その迷路の先には素晴らしい景色が待っていたのだ。中に入れば見たこともないような高い天井と、ステンドグラスから零れ落ちるような光の饗宴。

 

 ベロフはこういうタイプの曲が好きなんだろうし、それ故に実に巧みに演奏する。迷路の先にある輝く光の渦。メシアンというと現代音楽だと言って、敬遠する人も居るだろうけど、この演奏を聞けば考えがかわるのではないだろうか。


 さて、もう一つの大物。プロコフィエフのピアノ協奏曲が残っている。この作曲家の協奏曲を全曲録音をしたピアニストというのは余り多くない。たいていのピアニストは第3番のみを選んでいる。ベロフがどういう理由からこの作曲家の協奏曲の全曲演奏を試みたのだろうか、そこに何らかの親近感というものがあったのだろうか?

 またクルト マズアとライプチヒ ゲバントハウス交響楽団という組み合わせも奇妙ではある。マズアというのはこの時代「壁の向こう側」ではあるが、伝統あるライプチヒのオーケストラのカペルマイスターとしてメンデルスゾーンやニキッシュ、フルトヴェングラー、アーベントロートなどという錚々たるメンバーを継いだ実力派の指揮者である。彼の指揮するライプチヒ ゲバントハウス管弦楽団も市民が創設した初めてのオーケストラでその由緒は「衣料会館ゲバントハウス」という名称にも窺うことが出来る。世界最古の大学の一つを有し、神聖ローマ帝国の商都とし活発な経済活動を行い、バッハが拠点とし、やがて東西ドイツ統合の起点となったライプチヒという都市は、プラハから車で帰る途中に訪問した時は例えばドレスデンに比較しても印象深い都市ではなかったが、その底には僕らには窺い知れぬ力があるに違いない。以前ギレリスの項で書いた通り、この指揮者とオーケストラにはとんでもない実力が秘められていた。

 とはいえ、プロコフィエフという作曲家はサンクトペテルブルク、パリ、サンフランシスコ、ロンドンと言った都市を彷徨い、最後には欺かれたような形でソ連に戻り、不幸な形で死を迎え、その葬式さえ(同じ日にスターリンが死んだため)まともに執り行うことができなかった人間で、ライプチヒとは縁もゆかりもない音楽家である。

 この録音自体は1974年の1月から2月にかけてライプチヒのフェアゾヌングス教会で行われており、この時代の東ドイツはソ連のバックアップを受けたホーネッカーが牛耳って、決して自由な時代でもなかった筈である。フランスのピアニスト、プロコフィエフと縁のなさそうな旧東ドイツの指揮者と管弦楽団、ベルリンの壁がまだ厳然と存在する冷戦状態の中で、西側のEMIによる録音である(シャルプラッテンならばまだ分る)。今の若い人々には想像しにくいかもしれないけどかなり考えにくい組み合わせなのだ。

 謎に満ちた録音であるが、演奏としてのパフォーマンスは高い。プロコフィエフのピアノ協奏曲は第3番を除けば演奏される頻度は低く、僕自身もアルゲリッチの演奏する1番以外の3曲(2/4/5)に関してはベロフ以外の演奏を聴いたことは無いので、比較というわけには行かないが、プロコフィエフ自身が有能なピアニストだたtこともあってか、どれも技術的にはdemandingな曲である。一番、良く演奏されているのは3番だろう。この3番に関していえば、個人的には誰がなんといおうと、最高の名演はウィリアム カペルのものであるのだけど、ベロフとマズアの演奏もそれに次いで曲の魅力を十分に引き出している演奏だと思う。

 そもそもこの曲は凡庸なピアニストが挑戦するような曲ではない。ベロフはプロコフィエフのop.34(ヘブライのテーマの序曲:編成はピアノ、クラリネット、弦楽四重奏)、op22(束の間の幻影:独奏曲)も録音しておりこの作曲家にかなりの思い入れがあるようだ。僕自身は「ロミオとジュリエット」やそれこそピアノ協奏曲の3番、古典交響曲等を除いてまだこの作曲家に対する理解が乏しいのでこれ以上の言及は避けてもう少しプロコフィエフの曲に馴染むことを心がけたいと思っている。


 最後に挙げるのがドビュッシーとほぼ同年代のラベルであるというのは作曲家の生年順としてもピアニストの録音順としても不適かもしれない。だがこの録音はドイツグラモフォンにされた事に着目し、その理由とそれがもたらした結果という点で、嘘か真は別として、このピアニストに取ってエポックメーキングな録音である。

 彼がこの録音をしたのは1987年、右手の故障でピアニストとしてのキャリアを中断せざるを得ず、場合によっては別のキャリアに転身せざるを得ないところまで追い込まれていた時期でもあった。カップリングされたもう一つのラベルの協奏曲はアルゲリッチのピアノで1984年に既に録音されていて、彼女が左手の演奏をベロフに勧めてこのアルバムが完成したという。

 アルゲリッチとベロフは一時、恋愛関係にあったという話もある。この録音も彼女の勧めがあってなされたという話もあるが、この録音を経てベロフはピアニストとしての復活し、それが1990年代のドビュッシーの全曲録音へと繋がったのは事実である。レーベルを超えて(この時期、ベロフは実質的には録音をしていないが、現実的にはEMIからDENONに移行する中間の時期であろうと思われる。僕が所有しているEMIでの最後の録音は1983年、ダリウスミヨーの「エクスの謝肉祭」となる)こうした話が成立するというのは滅多にない事であるし、単にピアニストだけの問題ではなくクラウディオ アバドという名指揮者とロンドン交響楽団まで絡んでいるのだから、実際は相当大きく面倒な話だったのではないかと推察する。正確な経緯は当事者しか分らないのだろうけど、アルゲリッチがベロフという素晴らしいピアニストを再生させた、その実地の記録としてこの演奏を聴くと感慨深いものがある。もしもその噂が真実だったとしたらその恋愛は「素晴らしい」ものだった。このラベルも先に触れたドビュッシーもその恋愛がなければ生れなかったものなのだから・・・。

 さて左手の協奏曲といえば、ベロフはプロコフィエフの4番を既に録音している。こうした「左手シリーズ」はラベル、プロコフィエフ、リヒャルトシュトラウス、コンコルド、ブリテンといった現代音楽の著名な作曲家がハンス ヴィットゲンシュタイン(第一次世界大戦で右手を負傷したピアニスト:弟は哲学者のヴィットゲンシュタイン)の委嘱で作曲したもので、はすに構えて指摘すれば「金持ちぼんぼんの我がまま」とも見えるが、ベロフのようなピアニストの復活に関わったとしたらそれはそれとしてこれも意義のある話である。

 話は逸れるが、左手のための協奏曲はあり、右手の機能を失ったピアニストはいるのに(ベロフ以外にもレオン フライシャーや舘野泉さんなど)「右手のための協奏曲」というのは聞いたことが無いのはちょっとした謎である。左手の機能というのは失われないものなのだろうか、それとも失った人がお金持ちでなかったからなのだろうか、誰か知っていたら教えてください。ちなみにプロコフィエフ自身は交通事故で左手を痛めていた・・・そうだけどなぜ自分のために「右手のための協奏曲」を作らなかったのだろうか。

 逸れた話を元に戻そう。

 

 この演奏はそれまでEMIへ録音していた演奏と少し印象が異なる。それまではプロコフィエフにしてもフランスの音楽家の曲にしても「ある意味、技術に任せて弾き飛ばしていた」感のあるベロフはこのラベルを「もの凄く丁寧に」演奏している。その丁寧さはドビュッシーの全曲演奏にも結びついていった。わずか20分足らずの曲でもの凄くピアノが「活躍」するタイプの曲でもないけれど、ベロフは凄く繊細に演奏しているし、ピアニストがそういう時のアバドの演奏というのはとても丁寧で紳士的である。アルゲリッチの項では「沈むような」と表現したが、それは開放的なアルゲリッチのピアノに対比してそう表現したわけで、この協奏曲の名演の一つ、それも1、2を争う演奏である事は間違えない。


 ベロフというピアニストの素晴らしさを最初に痛感したのは、ドビュッシーの演奏を聴いたときで、僕はそこから遡って所有しているCDを聴き直してみたというのが実情である。(その意味では例えばポリーニやアルゲリッチとは真逆である)メシアンの曲などは随分前に手に入れていたのにそれに余り注目しなかったというのは目の付け所が悪いと反省している。

 確かにベロフというのは偏ったピアニストかもしれない。バッハやモーツアルト、或いはベートーベンを殆ど手にしないピアニストというのは手落ちかも知れない。だが彼の真価はそこにある。さきほど「ケミストリー」という言葉を用いたが、作曲家と演奏者の間には必ず相性とかケミストリーというものが存在する。例えに用いるのは気が引けるのだが、ライブ録音でエルネスト アンセルメがベートーベンの第7番交響曲を演奏したものを聴いたことがある。「あれほどの才能を持った指揮者が、どうしてこんな演奏を」と思うほどの演奏でそれこそがケミストリーというものだと痛切に感じたものだった。

 だがベロフはそれを知っている。バカラのグラスに合わない飲み物もあるのだという事を。その意味で彼は賢明であり、その意味で彼は損をしている部分があるのかも知れない。


*ドビュッシー/ピアノ作品全集

前奏曲集第1巻/スケッチブックから/コンクールの小品/ハイドンをたたえて/可愛い黒人の子供/子供の領分

前奏曲集第2巻/レントより遅く/英雄の子守歌/6つの古代碑銘

ベルガマスク組曲/2つのアラベスク/ボヘミア風舞曲(ジプシーの踊り)/バラード(スラヴ風バラード)/夢/ロマンティックなワルツ/夜想曲/マズルカ/舞曲(スティリー風のタランテラ)/ピアノのために

版画/映像第1集/映像第2集/忘れられた映像/喜びの島/マスク(仮面)

12の練習曲/見つけ出された練習曲/エレジー/アルバムのページ

      DENON COCQ-84347→51


*ドビュッシー

12の練習曲/見つけだされた練習曲/エレジー/アルバムのページ

      DENON COCO-70871(上記に含まれる)


*OLIVIER MESSIAN

VINGT REGARDS SUR L'ENFANTS JESUS/PRELUDES

EMI CMS 7691612

*DARIUS MILHAUD

PARIS+/LE CARNAVAL D'AIX++

+ CHRISTIAN IVALDI / JEAN-PHILIPPE COLLARD/NOEL LEE

++ Orchestre Philharmonique de Monte-Carlo Direction: GEROGE PRETRE

 avec SCARAMOUCHE/LE BAL MARTINIQUAIS/SUITE FRANCAIS/SUITE PROVENCALE

EMI CDM 7698542

*PROKOFIEV

Concerto pour piano et orchstre no.1 en re majeur, Op.10

Concerto pour piano et orchstre no.2 en sol mineur, Op.16

Concerto pour piano et orchstre no.3 en ut majeur, Op.26

Concerto pour piano et orchstre no.4 en si bemol majeur, op.53 "pour la main gauche"

Concerto pour piano et orchstre no.5 en sol mineur, Op.55

Overture sur des themes juifs, Op.34+

Visions fugitives, Op.22

Gewandhaus-Ochester Leipzig direction:KURT MAZUR

+MICHEL PORTAL (clarinette) QUATUOR PARRENIN

EMI CMS 7625422

*MAURICE RAVEL

Concerto for the Left Hand

London Symphony Ochestra CLAUDIO ABBADO

with Concerto for Piano and Ochestra/Fanfare for the ballet/

Menuet antique/Le Tombeau de Couperin

Deutsche Grammophon 423 665-2

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