第4話-4 マウリツィオ ポリーニ 4 Le Temps retrouve

多くの著名な、そして幸運にして長生きしたピアニストたちは、不運にも死の間際に加齢に伴う技術力の低下を批判された。ウィルヘルム ケンプしかり、アルチュール ルービンシュタイン然り、ウラディミル ホロビッツ然り。ホロビッツは吉田秀和氏に日本公演のパフォーマンスを詫び、ケンプは疲れたように「もう、弾けません」と呟いて表舞台から退いた。

 指揮者が長寿になっても批判されるどころか、時に熟練・老成したと称揚されるのとは正反対である。

 年を取れば肉体の衰えは隠せない。指揮者ならば楽器である楽団員が肉体の衰えをカバーしてくれる上に知的・精神的なものを汲み取って更に補ってくれるが、楽器そのものと直接携わる音楽家はそうはいかない、というのは容易に想像しうる。

 しかし果たしてそうであろうか?

 ピアニストが老醜ろうしゅうさらさないためには、ウィリアム カペル(享年33歳)やディヌ リパッティ(享年33歳)、あるいはグレングールド(享年50歳、但しリサイタルからは32歳で引退)のように夭逝ようせつ、或いは引退をしなければならないのか?

 指揮者は年齢を重ねると共にボルドーやブルゴーニュのグランクリュのように尊重され、ピアニストが同じブルゴーニュでありながらボージョレヌーボのような扱いをするのはいかがなものか。そのピアニストが亡くなると、途端に持ち上げて、最後に「晩年は技術が衰え・・・」と付け加え、「しかし精神力でその衰えを補った」みたいなつまらない事を書くのである。進歩のひと欠片かけらもない退屈な、ありきたりの批評こそ醜悪で「憎むべき」であろう。

 今、マウリツィオ ポリーニもいくたりかの批評家と、そのとりまきたちに技術の衰えを指摘されている。だがどんな人間でも歳を取れば肉体的に衰えるのは当たり前の話である。そんなのは批評でも何でもない。

 多くの優秀なピアニストたちは「孤高の存在」として批評や世間と闘ってきた。そもそも芸術家というのは「芸術」に秀でている人間であり、「芸術」のみを介して聴衆とコンタクトを望む者であろう。技術が衰え、なおも「何かを伝えよう」という意思があるなら、僕らは傾聴すべきだと思う。

 もう少し踏み込んで言えば、非凡なものほど非難される。凡庸ぼんような物など意識に刺さらないが、非凡さは誰の目にも耳にも突き刺さる。そしてその非凡さを理解できないものからは往々にして非難の対象になる。

 演奏家で言えばグールド、ミケランジェリ、ポリーニなどのピアニスト、指揮者で言えばブレーズなどはその非凡さ故に凡庸から非難される。とりわけポリーニのように尋常でない技術に裏打ちされた非凡な感性を持ったピアニストは技術の衰えと共にバッシングを受けやすいタイプである。漸く明確な弱みを見つけた批評家は「非凡さを叩き潰す」正義を振りかざす。非凡さを非難することで人間は安心できるのだ。

 別の例を挙げればグールドのベートーベンの演奏は屡々しばしばモーツアルトの演奏と共に非難の対象になったが(例えばモスクワでの演奏に対するタチアナ ニコライエワの批評などがその例である)、グールド本人は不思議な形式で批判に対抗した。それは一般的なベートーベンの楽曲に対する演奏家のアプローチに対する批判であり、彼の演奏に対する批判に直接答えたものではなかった。グールドは個別の演奏に対する非難に真正面からいちいち立ち向かっても意味がないことを十分に理解していた。だからこそより根源的な楽曲への陳腐なアプローチに対する批判という形を取ったのであろう。往々にして非凡な魂は孤独の中で更に孤立すれば去ったり、死を幸いと消えたりするのである。

 非凡を凡庸な非難が包むことが許容されるというのは少し残念な世の中なのであるが、今に始まったことではない。実際の所モーツアルトだって失意の中で死に助けられ、生前のゴッホにはせいぜい弟のテオ(散々喧嘩をし対立を繰り返したが)とゴーギャン(もちろんやがて対立して別れる)くらいしか理解者はいなかった。バッハだってもしメンデルスゾーンがいなければ評価はもっと低かったはずである(その一点だけで、ドイツによるユダヤ批判は芸術的には愚かな行為であった、というべきである)

 だから、批評をしてはならないという積もりはないがネガティヴな批評という物は覚悟して行わなければならない。それを自己満足のような形で行うのは止めた方が良い、というのが僕の考えである。平凡は往々にして非凡を殺す。それも意識さえせずに・・・。まさに(くだらない自尊心を満足させる以外には)誰の得にもならない完全なる愚行である。


 さて、ポリーニによるドビュッシーの最初の録音は1992年、ベルクのピアノソナタと共に録音された練習曲である。残念ながらこれは現在廃盤になっており、聞くことが出来なかった。

 次いで録音されたのが前奏曲の第1巻で、これは同じドビュッシーの作曲した「喜びの島」と共に収録されている。このアルバムは聴くことが出来る。ピアニストに取って「ドビュッシーという作曲家」をどう捉えるかという問題は実は大きな溝を作りうる問題であって、有名だけど良く分りにくい作曲家であるドビュッシーの面目躍如たる理由でもある。

 そもそもドビュッシーという音楽家はどういう立ち位置にいたのか、例えば一時的にワグナーに傾倒したドビュッシーがa la memoire de Chopinと綴った「12の練習曲」を作曲するのは(やや)矛盾した行動だし(この時代のワーグナーの台頭とショパンの凋落はプルーストの「失われた時を求めて」に頻繁に出てくる)、アンプレッショニスムであることを否定し、サンボリスムを主張しつつやがてワグナーから離れ、その手から作られる音はサンボリスム的なタイトルでありながらアンプレッショニスムを想起させる、内部矛盾に満ちた作曲家である。かつ人嫌い、説明不足、細かいことが嫌い、ピアノは上手ではないなどの様々な要素を掛け合わせた、「謎の人物」の要素に満ちている。

 一方で現代音楽やジャズなどの様々な音楽に影響をもたらしたという評価もある。たぶん、変人なのであろうが、不思議なことに変人つながりのグールドは殆ど彼の曲を演奏しておらず、もう一人の変人であるミケランジェリの主要レパートリーの一角を形成している。ここら辺は興味の湧く事象である。


 結局ドビュッシーの管弦楽は同郷である指揮者ジャン マルティンの演奏を聴いてもピエール ブレーズの指揮による演奏を聴いても、実は良く分らない。あの天才ミケランジェリでさえ独奏曲に封じ込められている秘密を僕に開示してくれることはなかった。

 ミュンシュによる「牧神の午後への前奏曲」とラサールSQによる弦楽四重奏曲は文句なく素晴らしい音楽と演奏であったが、僕にはそれ以上のきっかけが掴み得ないという印象が強く、ならばマラルメの詩集の方が遙かに分かりやすいと思われた。なぜならステファン マラルメはサンボリスムであり、かつ上から下までサンボリスムなのだから。

 そうした点から言うとポリーニのドビュッシーはこの複雑でわかりにくい作曲家を平明に提示してくれる素晴らしい鍵である。というか、まさにこの「現代音楽の複雑さを解きほぐして平明に提示してくれる」ことがポリーニの真骨頂である。ドビュッシーの音をこれほど安心して最初から最後まで聞きおえる事が出来ること自体奇跡的であった。ギーゼキングもフランソワも実はドビュッシーというものの本質を完全に理解できていなかったのではないか、と思わせる。聞きやすいようで、聴衆を突き放す本質はドビュッシー個人の性格に内在しており、そもそも安易な「理解」を拒絶しているのだから仕方ないのだが。

 しかし、もちろんわかりにくいドビュッシーを好む聴衆(は結構存在する)からすれば怪しからぬ演奏と言うことになろう。だがピアノのポリーニ、弦楽四重奏団のラサールSQ、バイオリニストのクレーメルといった演奏家がいるからこそ、現代音楽が少しずつ咀嚼そしゃくされ聴き手に近づいていくのだと言う事実を忘れてはならない。


 ドビュッシーが近代音楽と現代音楽の境にいるとしたら、それから12年後、1874年生れのシェーンベルク、バルトーク(1881年生まれ)、ストラヴィンスキー(1882年生まれ)、プロコフィエフ(1891年生まれ)は恐らくみな現代音楽のカテゴリーに入るべき人たちであろう。19世紀後半といえばトスカニーニはドビュッシーの僅か5年後の1867年、クレンペラーやフルトヴェングラーはそれぞれ1885年/6年とプロコフィエフよりも若いわけで、そう考えるとクレンペラーなどはずいぶんと身近に感じられる指揮者であるにも拘わらず、音楽史的に言えば「歴史上の人物」となるわけである。

 しかし、現代と言いつつ彼らが既に2世紀も前の生れだとして、いつまでも「コンテンポラリー」というカテゴリーに置くことは言葉的に矛盾が生じる。せめてその言葉の適用範囲はノーノやマンゾーニのように20世紀生れのあたりから、にしたいものだ。ポリーニが現代音楽を演奏するのにはそうした枠の取り外しの意味があり、それはある程度成功していると僕は思っている。

 ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3つの楽章」(この曲を選んだのはアルチュール ルービンシュタインに対するポリーニなりの深いオマージュであろう)、プロコフィエフの第7番のソナタ、ウェーベルンとブレーズという「現代音楽」というくくりではあるが、関連性のさしてない4つの曲(敢て言えば、前2曲と後2曲に分類されるだろうが)を通して聴くと、ポリーニのそうした新たな側面が見えてくる。ショパンとベートーベンというピアニストに取って二つの大きな山・・・アイガーの北壁とマッターホルンのそれを登攀しつつポリーニは極地にあるヴィンソン マシフの高みを目指している。稀にしか人影もない南極大陸の山頂を目指す彼の姿・・・僕らはそこに不思議な音を聴くのだ。

 殆どの場合、現代音楽を聞くときに僕らは演奏家と共に不安と不可解さを共有している。それは互いに共鳴し合って、現代音楽を一層難しくしている。だが、ポリーニの演奏を聴くとき、(ドビュッシーの時よりも更に強く)僕らは全く別の感覚を抱く。このピアニストはストラヴィンスキーをプロコフィエフを、いやウェーベルンやブレーズさえもその構造を明確に理解し、再構成し、聴き手に提示しているのだという確信を持つのだ。ポリーニの指は現代音楽という冷たい氷を溶かしつつ進んでいく。あらゆるピアニストになし得なかったその技巧はやがて現代音楽という壁に穴を空けてくれる礎になるではないか、という期待さえ齎してくれる。その意味ではラサールSQがツェムリンスキーやベルク、ウェーベルンを聴衆に近づけたのと同じ、いやそれ以上の意義がある。

 それはもちろん、ノーノやマンゾーニの演奏にも言えることではあるが、ピアノ独奏のものと比べるとやはり隔靴掻痒かっかそうようの趣があって、それは共演者が誰であろうと困難にぶつからざるを得ない。「力と波のように」はライナーノーツによれば、ポリーニの提案を受けてノーノが初めてピアノのために作曲し、ポリーニとアバドに献呈されたものであるが、作曲中に起きた友人の死により、詩を付して(ソプラノ)完成したという複雑な経緯と共にその形態からポリーニをもってしても融解しきれない音の塊が存在する。

 初期のポリーニによるシェーンベルクのディスク(1974年の録音:この年はショパンの前奏曲集を録音した年でもある)では彼の代表的なピアノ独奏曲を録音しており、無調性がop.11からop.19に至るまでで完結、更にop.23, op.25を経て十二音技法へと進化、ないしは変容していく過程が提示されている。ただ平均的な聴き手(僕自身を含む)にとってこの間の曲の特徴の変化、というのは容易に感知できるものではない。逆に言えば初期の作品である「浄夜」或いは師であるツェムリンスキーの音楽から既にop.11の段階で乖離しているといえ、ポリーニの演奏はシェーンベルクの意図を忠実に再現されているのだろうが、既に難解の域に達している。そのシェーンベルクがアメリカに亡命した後にさっきょきしたピアノコンチェルトはシューマンの協奏曲とカップリングして発売された。敢てロマン派と組み合わせた意図は勝手に推察するしかないのであるが、少なくともポリーニがグリーグのピアノ協奏曲を録音する意思はないことは明確になっただろう(笑)シューマンのピアノ協奏曲と組み合わされたことでシェーンベルクの曲を初めて聞く、そんな事も想定していたのかもしれない。(グールドも同じようにモーツアルトとカップリングしている)シェーンベルクのピアノ協奏曲は、現代音楽の中で比較的難解な曲で、それは完全な調性の崩壊と旋律の停止を目指している事に理由があるだろう。調性と旋律の欠如は、一般的には聴き手にとって音楽の表情の欠如、記憶からのスリップを症状としてもたらす。シューマンとカップリングしたことでその特性は際立つ。

 その意味では同じ無調を標榜していてもバルトークの方が遙かに聞きやすい曲であり、とりわけ本来ピアニストになりたかったバルトークがピアノに託した構成要素は他の現代作曲家より飛び抜けて役割が大きいし、実際の所は「無旋律では(全く)ない」ので遙かに聞きやすいと言えるだろう。

 無調・無旋律というシェーンベルクの教義はピアノという楽器に閉じている限りは成立するがオーケストラと組み合わせると途端にハードルが高くなるという事が実感できる。シェーンベルクがベルリンと、バルトークがシカゴとの組み合わせになったのは、1988年という年を跨いでの現象で、ベルリンフィルとの不仲が深刻になり、またDer Spiegelに批判記事を掲載された「バルトーク」を得意としていたカラヤンがグラモフォンから離脱しつつあった時期であったというのも関係するのであろう。カラヤンはソニーに移ることを決めた1989年にそのソニーの大賀氏の腕の中で息を引き取ったわけだが、良くも悪くもその時代の音楽シーンを牛耳っていた人であった。その意味ではアバドなどは素直で「良い子」であったのは間違えあるまい。

 バルトークのピアノ協奏曲には他にも名演奏があるが、構造的把握と、透明性、堅牢さを秘めた技術力を含めこの一枚は傑出した演奏である。とにかくピアノが繊細で表情が素晴らしく例えば第2番の第2楽章などを聴いて欲しい。そこからフルオーケストラに展開していくときのピアノの正確な力強さはポリーニならでの繊細さと正確さ、強靱さの素晴らしいバランスの表出である。強靱でありながら、何も踏み外す事なく高く張られたロープの上を軽々と歩む軽業をみているような印象・・・ショパンとかベートーベンを演奏しているときとまた違った才能がそこにある。

 最近のポリーニはあまり現代音楽に手を出していないようで、とりわけ現代音楽の録音(そもそも古典を含めて録音自体が極めて少ない)は21世紀になってから一枚もされていない。恐らく今後もない(ドビュッシーはあるかもしれないけど)であろう。ポリーニにしてみれば「バトンは渡した」のであろう。そのバトンを受け取ったのが誰なのか、不明にして僕は知らぬが、ブダペストSQからジュリアード、ラサールへと人知れず渡っていったバトン(最初は楽器と共に)のように誰かがそのバトンを受け取っているのだと僕は信じている。



*クロード ドビュッシー 「前奏曲集 第1巻」「喜びの島」

         ユニバーサル(Deutsche Grammophon) UCCG-41083

*IGOR STRAVINSKY Trois Mouvements de <<Petrouchka>>

SERGE PROKOFIEF Klaviersonate Nr.7 B-dur op.83

ANTON WEBERN Variationen fur Klavier op.27

PIERRE BOULEZ Deuxieme Soante pour Piano

Deutsche Grammophon 447 431-2

*ノーノ 力と波のように/・・・苦悩に満ちながらも晴朗な波・・・

スラヴカ タスコーヴァ(ソプラノ) バイエルン放送交響楽団 

指揮:クラウディオ アバド

マンゾーニ  質量(エドガー・ヴァレーズ賛)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:ジュゼッペ シノーポリ

         ユニバーサル(Deutsche Grammophon) UCCG-41097

*ARNOLD SCHOENBERG The Piano Music

Three Piano Pieces op.11

Six Little Piano Pieces op.19

Five Piano Pieces op.23

Suite for Piano op.25

Piano Piece op.33a/33b

Deutsche Grammophon 423 249-2

*ARNOLD SCHOENBERG

Konzert fur Klavier und Orchester op.42

Berliner Philharmoniker CLAUDIO ABBADO

Deutsche Grammophon 427 771-2

(coupled with piano concert by Robert Scumann)

*ベラ バルトーク

ピアノ協奏曲 第1番

ピアノ協奏曲 第2番

 シカゴ交響楽団 指揮:クラウディオ アバド

         ユニバーサル(Deutsche Grammophon) UCCG-41093

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