第15話 ヴィルヘルム バックハウス(Wilhelm Backhaus)
僕にとってバックハウスは・・・、とりわけ好きなピアニストではない。彼には何となく口うるさい、集まりがある時に敬して遠ざけておきたい親戚のおじさんのような印象がある。同じおじさんならルービンシュタインの方がよほど愛嬌があるし、バックハウスには・・・真面目すぎて怖い印象さえある。だいたい「鍵盤の獅子王」という渾名さえ大仰ではないか?だから「ピアニストに恋をして」というタイトルに
クラッシック音楽を聴き始めた最初の頃、僕がよく聴くピアニストと言えばリヒテル、グルダ、ホロビッツそれから少ししてポリーニ、アルゲリッチという順番であった。その後、例えばルプーとかラーンキ、コチシュ、シフなどというところに食指を伸ばした後もバックハウスに指が伸びることはなかった。それはヴィルヘルム ケンプにも言えることでケンプに至ってはバックハウスよりもさらに遅れ、聴いた曲数も少ない。(つまりは僕はいわゆるバックハウス派でもケンプ派でもない。そしてケンプの演奏については聴いていないし、基本的には評論することも差し控えたい)
理由の一つは金銭的な問題である。僕が学生だった当時、デッカとドイツグラモフォンの販売方針としてこの二人に関しては廉価盤にしないという暗黙の方針があったようで、録音が古い物でもなかなか廉価版市場に出なかった。彼らがレーベルと専属契約を結んでいたことも大きいのだろう。だが、こちらとしては正規の価格で買うなら録音や解釈の新しいポリーニやアルゲリッチの方を買おうと、勢いそうなるわけで、当時の若い潜在的音楽愛好家を考慮したとき、レコード各社のそうした方針が正しかったのか少し疑問である。
こうした方針は他にもオイストラッフ(バイオリン:主に米コロンビア/ソニー)やロストロポーヴィチ(チェロ:主にグラモフォン)にも適用されていたように思える。その点、RCAやコロンビア(日本)、EMI、フォノグラムの方が
と言う事もあって、初めてバックハウスのレコードを買ったのはずいぶんと後になって、クレメンス クラウスがウィーンフィルを振ったベートーベンの4番だったと記憶する。既にベームの指揮でポリーニが弾いた盤が出た後なので印象はどうしても薄かった。(ただ後述するようにその印象の薄さは演奏自体にも由来する)ベートーベンの4番の協奏曲は好きな曲なので、比較する意味で買ったのだと記憶するが、インセルシュテットの指揮によるステレオ盤はとっくに登場していたわけで、色々考え合わせても廉価版として出すには遅すぎるし、中途半端な値段付け(1500円で当時は消費税なし)であった。
と、つらつらと恨み言を書いてはみたものの、その後社会人になってから僕はいくつかのバックハウスの録音を買い求めた。うるさそうな親戚のおじさんという印象が変わったわけではないが、やはりベートーベンとブラームスについては彼の演奏を聴いておくべきだと思ったのである。従って、バックハウスのCDはその二人の作曲家のものしか持っていない。(もっともバックハウスの演奏の主力はこの二人の作曲家であることも事実である。バックハウスとにはシューベルト、シューマン、モーツアルト、バッハ、或いはメンデルスゾーンなどのドイツ・オーストラリアなどの作曲家については少数の録音が残されているし、リストやショパンについては更に少ない録音が残されているが、録音の殆どはベートーベンとブラームスに極めて偏っている)
うるさいおじさんの話を聞くことも、人生においては重要なのだ、ということを社会人になってから気づいたからかも知れない。
まずはベートーベンのソナタである。
ベートーベンのソナタは初期・中期・後期と分けられており、一般には1-15番が初期、16番から26番が中期、後期は27番以降と分類されている。
だが、デッカに残された全集の録音を聞く限りバックハウスの演奏は大まかに言うと1-6番、7番から27番、28番以降で特徴が分かれていると僕は考えている。(一応19番と20番は制作年代の観点から留保しておくけど)彼の演奏でもっとも充実しているのは7番から27番のエリアで、このクラスターでは比類なき能力を発揮している。バックハウスは二度ベートーベンのソナタ全集を録音しているがソナタ全曲を録音することはライプチッヒに生を受けた生粋のドイツ人、バックハウスにとって「ベートーベンの精神性を表す」ために「必然的な作業」であったのだろう。
バックハウスの演奏では6番以前の初期のソナタは「子供」を見ているような視線が感じられる。バックハウスのアプローチは若い作曲家に対する大人の目線であり、それは時代を超えた年齢差に基づくものだと思える。確かに楽聖と
ライブ演奏によりオルフェオレーベルに残された四つのソナタもいずれもその”クラスター”に属するものでこれはバックハウスの逝去する1年前、1968年夏のザルツブルクの音楽祭での録音である。年代の割にモノラル録音であるが、ピアノのソロなのであまり気にならない。全集の演奏に比べると更にあくの抜けた枯れた演奏でテンポもゆっくりとなっている。
このオルフェオ盤のライナーノーツはGottfried Krausによって書かれていて中に面白い記載がある。バックハウスはザルツブルク近郊のメンヒスベルクに別荘があり、そこに招かれた著者はそのリビングをベーゼンドルファーのグランドピアノが占領していると書いてある。バックハウスがベーゼンドルファーを愛用していたというのは有名な話であるがザルツブルクにほど近いこの住居でもベーゼンドルファーを使用していた以上、バックハウスはやはりベーゼンドルファーをザルツブルクでのコンサートでも使用していたのだろう。もしかしたら別荘のピアノを持ち込んでいたのかも知れない。
このCDの「嵐/Der Sturm」や「告別/Les Adiue」の演奏で強音が割れがちになるのはそのせいなのだろうか?それはスタジオ録音による全集のハンマークラビアソナタでも言えることで、時に音の余裕がなくなるのはそのせいであろう。バックハウスの指でピアノが悲鳴を上げる一方で音の粒立ちは極めて良い。どれほど早いパッセージであろうともなんの支障もない。そうしたものはピアノの性格によるものなのだろう。
ピアノのメイクをどれにするのか、というのは演奏者の好みでありブランドへの愛着心であるからバックハウスがオーストラリアのベーゼンドルファーを使用する(あるいはベヒシュタインの方が国としてはあっているのだけど)のは極めて自然である。ベヒシュタインにしてもベーゼンドルファーにしてもリストの時代では”
ただしベートーベンのソナタの全集をトータルで見た場合、ベーゼンドルファーを選択したことは成功だった、と考える。とにかく早いパッセージの音がすべて耳に到達してそれがベートーベンにおいては思いもかけない迫力を生んでいるのである。協奏曲においてはさほど感じないそのメリットは独奏曲では強く感じる。
さて、先ほどのライナーノーツの話に戻ろう。もう一つは"I've recently been reflecting that my life would have been passed completely differently if Beethoven had only written 16 piano sonatas..."(最近つくづく思うのだけど、もしベートーベンがソナタを16番までしか作曲しなかったとしたら、私の人生はずいぶんと違ったものになったのではないかとね)とバックハウスが著者に向かって言ったという話である。その直前にバックハウスは奥さんが部屋に入ってきた時に”妻は私がソナタの最中(ソナタを頭の中で演奏している)にいつも部屋に押し入ってくるんだよ”と呟き、それに足して”まあ、それは僕がいつもソナタの最中であるからなんだよね”と言い訳をしているシーンである。
これは取り分けて、バックハウスが17番(op.31-2)通称「テンペスト/嵐/Der Sturm」以降のソナタ(或いは19/20番を前期の16曲としている場合には15番op28通称「パストラレ/田園」)を重要視しているのを明示しているのと同時に、バックハウスが家で休んでいるときも常にベートーベンのソナタを頭の中で演奏している生活を送っていたことを示唆している。全集のこれらの曲の演奏において「熱情」や「テンペスト」などベートーヴェンのどちらかというと激情家の側面が垣間見える楽曲はもちろん、「田園」や「告別」なども極めて強い確信を持って演奏していることが分かる。更に22番などベートーベンのソナタでは比較的演奏回数の少ないものについても実に説得力のある演奏を展開している。
ただ、先ほど敢えて28番以降をそれまでと分離したのはバックハウスの演奏における28番以降の演奏についての評価について留保しているからだ。28番は1814年、27番「告別/Adieux」から4年の歳月を経て作曲された短いソナタで、ベートーベンに取ってはまさに晩年の作品がここから始まる。恐らくバックハウスもベートーベンのソナタの最終形態として強い意識を持って演奏に臨んだに違いない。まさに・・・いや、だからこそ僕は留保したい気になったのかもしれない。
先ほども書いたとおりバックハウスは中期のソナタについては「確信を持って」演奏しているようにみえる。そして、28番以降のソナタはその延長上にある楽曲群として演奏をしようと試みている。つまりバックハウスのベートーベンのソナタはそのミクロコスモスの中での解釈になり、フーガの多用もロマンティシズムもベートーベン一人の世界において解釈される。もちろんそのアプローチはある意味正しい。だが、様々な演奏を聴けば聴くほど「それにとどまって良いのだろうか?」という疑問が湧いてくる。
バックハウス自身にもそこに「確信」があったのかはよく分からないが、例えば30番の小さなソナタを聴くと、どうもバックハウスにも「確信」がなかったのではないかと思えてきてしまうのだ。もともとバガテルとして作曲されたこのソナタが例えば「悲愴」や「熱情」あるいは「ワルトシュタイン」の延長線上に位置づけられるソナタなのか、と考えるとどうしても
ならば「ハンマークラビア」をその最終形として30番以降のソナタを例外として扱うという考え方もあるのだろうが、バックハウスがそこまで割り切っているとも思えず、その揺らぎが「ハンマークラビア」の演奏にも感じられてしまうのである。3楽章の慎重な指捌きはいつものバックハウスらしくない。そして一転して4楽章に解放された指は、しかし後半になるほど
このコンチェルトにも勝る長大なソナタをどう位置づけるのかはベートーベンを弾くピアニストにとって大きな問題だと思う。その意味でバックハウスが「ベートンベンのソナタという森」を探索しているうちに迷い込んだ迷路の突き当たりにいるような演奏がこの「ハンマークラビア」の音の中にあると思えるが、寧ろその疑問の渦の中にいる事こそ僕はバックハウスが「正統派のベートーベン弾き」であると信じる根拠なのかも知れない。
op.109(30番)の1楽章はVivace, ma non troppoという指定にも関わらず、バックハウスはかなり早めのテンポで弾き始める。楽章の終わりに掛けてのパッセージは息継ぎもできぬほどの勢いで駆け抜け、第2楽章は嫋やかな花を鑿で削るように描いていく。そして第3楽章に移る頃僕はバックハウスがこのソナタを彫像を造形しているように演奏していると思えてくる。それは古い教会に刻まれた美しい女人の彫像かも知れず、その美しさに目を見張る人もいるに違いない。だが別の演奏で僕はそれが彫像の女性ではなく可憐な息をする乙女であることを知ってしまっているのだ。op.110(31番)の第1楽章のmoderate cantabileもどちらかというより早い口笛を吹くような始まり方をする。30/31番の美しい姉妹のようなソナタは彫像か古い物語の主人公のようにバックハウスの魔術で現実の世界から別の世界へと固定される。
バックハウスはなぜベートーベンが最後にこれらの曲を持ってきたのか、悩んだ末に距離をおいた演奏をしたような気がするが、op110の3楽章のFuga, Allegro ma non troppo/L'istesso tempo di Ariosso/ L'istesso tempo della Fugaの指定の部分で感情を昇華させている。ここは本当に美しい。
op.111は最後の3曲の中では最もバックハウスに相応しい曲だろう。Maestroso/ Allegro con brio ed Appasionatoという1楽章の指示自体はバックハウスの指によって厳格に守られている、というかこの指示はとてもバックハウス的な指示である。(ちなみにMaestrosoは荘重にという指示で 、Allegro con brioというのは第五交響曲の1楽章の指示と同じである)ariettaは9番の交響曲の合唱のように雄弁であり宗教的な趣もある。弱音を重ねながら終曲に向かって行くバックハウスの姿はおそらく哲学者のようであったろうと思われる。
だが、やはり28番以降のソナタの演奏については、どこか消化しきれないものが感じられてしまうのは事実であり、それは僕がこれらの曲についてポリーニやグールドの演奏を先に聴いてしまったからこそ抱く感想なのかも知れない。先にバックハウスを聴いた人たちは寧ろグールドやポリーニの演奏に違和感を抱くこともあろう。
協奏曲はまず最初に先ほど述べたクレメンス クラウスとウィーン フィルによる4番と5番の協奏曲について語りたい。バックハウスがまだ67歳(5番は69歳)で、脂ののりきっている頃の演奏のだが、再度聴き直してもやはり印象が薄かった。その責任の大半は指揮者にあるのだろう。流暢と言えば聞こえがいいが、本来のウィーン フィルにしては重厚さに欠け音が薄く、オーケストラもピアニストも今ひとつのりが悪い。特に管楽器は音を抑えて流れるように演奏をしろという指示なのか、かなり辛そうな音色になっている。それでも4番はピアノのソロパートだけ聴けば抑制されてはいても美しい響きではある。5番も指揮者とソロがどこか噛み合っていないまま進んでいく。終楽章はさすがにバックハウスらしい響きが戻ってくるが、5番に関してはクナッパーツブッシュ/ベルリンフィルのベルリンにおけるライブ(1953年)の方に軍配が上がる。
クナーパッツブッシュとの演奏による変ホ長調の協奏曲の出だしはグールドのそれと異なる別の感興を起こしめるものだ。オーケストラ(ベルリンフィル)との相性も含めて一つの基準になる名演奏であり、正直なところバックハウスの残した「皇帝」の中で最もその名にふさわしい演奏だと思っている。このCDには1959年にザルツブルクで演奏した21番のソナタも収められており、これもまたまだ脂ののりきったバックハウスの勢いの感じさせる名演である。ただ終楽章では若干息切れしたのかテンポが乱れるところはご愛敬というものであろうか。
だが、ベートーベンの協奏曲に関しては定番という評価のあるハンスシュミット インセルシュテットとの全集がやはり圧倒的に安定している。曲全体のテンポはクレメンス クラウスの指揮と殆ど変わらない。というか、ト長調と変イ長調について言えばすべての楽章を通じて演奏時間は楽章毎に15秒以内の誤差に収まっている。このテンポはバックハウスのものなのだろう。(ちなみにクナーパッツブッシュとの皇帝での演奏では第1楽章と第3楽章がクラウスとのものよりも30秒ほど長い。ライブであるし、指揮者の演奏スタイルからして
この全曲演奏は1958年から59年、バックハウスが74歳の頃にウィーンのゾフィエンザールで録音されたものだが、それ以前の演奏より遙かに凄みがある。ハ短調のカデンツァなどを聞いてみてごらん。とても70歳を超え演奏家とは思えないピアニズムである。僕の大好きなト長調も極めて快適である。オーケストラも多少食い気味で演奏していて、途中やや
変ホ長調(「皇帝」)もさすがに達者な手になるものだし、弾きなれている感じはもの凄くするのだけど、この曲に関しては様々な名演もあり(グールドやミケランジェリ、ポリーニ、ギレリスなど)クナーパッツブッシュとの演奏も含めて「これでなければ」とまでは言えない。また第3楽章などに見受けられる「見栄」を切るような部分が多少古くさくは感じる。しかし全集として見ると極めてレベルの高い、かつ統一感に溢れたものである。
いずれにしろ協奏曲についてはバックハウスの視座は一貫して確信に満ちており、初期のソナタや後期ソナタのような揺れは感じられず、みごとに弾ききっているかのように見える。
おじさん・・・凄いぞ。
*Wilhelm Backhaus Edition No1.Beethoven Piano Sonatas 1-32 (8 disks)
Decca 433-882-2
*Ludwig Van Beethoven
Sonata As-Dur op.26(12番)/Sonata quasi una Fantasia cis-moll op.27,2
"Mondscheinsonata"(14番)/Sonata d-moll op.31,2 "Der Sturm"(17番)
Sonata Es-Dur op.81a "Les Adieux"(26番)
ORFEO C300 921 B (MONO)
*Ludwig Van Beethoven
Piano Concerto No.4 in G Major, OP.58
Piano Concerto No.5 in E Flat Major, OP.73
Wiener Philharmoniker CLEMENS KRAUSS conductor
Decca 425-962-2
*Ludwig Van Beethoven
Concerto N.5 in mi bemolle maggiore per pianoforte e orchestra, op. 73
"Imperatore"
Sonata N.21 in do maggiore per pianoforte op. 53
Orchestra Filarmonia di Berlino Hans Knappertsbush
Suite CDS 1 - 6008
*ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15
ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品19
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ハンス・シュミット=インセルシュテット
ユニバーサル (デッカ) UCCD9166
*ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ハンス・シュミット=インセルシュテット
ユニバーサル (デッカ) UCCD9165
*ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73《皇帝》
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ハンス・シュミット=インセルシュテット
ユニバーサル (デッカ) UCCD9164
もう一人、ドイツの誇る”B”であるブラームスはどうであろう?こちらは協奏曲から聴いてみたい。
まず、1939年、カールベームが振ったザクセン帝立歌劇場管弦楽団(今のドレスデン国立歌劇場管弦楽団)と共演した2番を聞いてみた。この時バックハウスは55歳、カールベームは45歳、指揮者としてはまだ若いうちである。録音が悪いし、なぜか楽章毎に音質の連続性が欠ける不思議な音であるが、全曲を通して気宇壮大な演奏である。ただいかんせん音が悪すぎて正当な評価がしにくい。
その14年後、やはりベームと今度はウィーンフィルの伴奏によって第1番(モノラル)が録音された。更にそれから14年後1967年に第2番(ステレオ)が同じ組み合わせで再録音された。この14年ごとのインターバルには何か意味があるのだろうか?
1番はかなり強い緊張感に満ちた1楽章から始まる。この楽章は誰が弾いても緊張感の感じられる曲想ではあるが、この演奏では指揮者とピアニスト、オーケストラが演奏しているうちに感応し合うかのように緊張感が増していく。楽章の終わりに向かって解き離れていく緊張感は、一転して弛緩した2楽章のオーケストラの柔らかな音色に包まれた静かなピアノの語りかけに転換する。ただ、この楽章に関しては賛否が分かれるのではないか?
1楽章のような緊張感から解き放たれたままピアノとオーケストラはあてどもなく彷徨っていく。その茫洋とした風景に不満を持つ聴衆もいるのではないだろうか。僕はその一人である。確かに第1楽章の緊迫感と第3楽章のAllegro ma non troppo に挟まれたAdagioという扱いの難しい楽章であるが、だからこそ一本の緊張感が保持され続ける必要のある楽章でもある。第3楽章で盛り返しているだけに第2楽章の扱いは不満が残る。
新たな2番は1939年の同じ曲の録音に比べ勢いはないが、代わりに構えの大きさがある。敢えて言えば1939年の録音は壮年の剣士バックハウスが若武者ベームを迎え撃ち丁々発止の闘いを繰り広げているとすれば、新たな録音は老境に達した剣士同士が静かに構えている趣がある。テンポもかなりゆっくりとして、全体で4分ほど長い。泰然としたこの演奏をこの曲のベストとして推す人が多いのも(個人的にはそうではないが)頷ける。
もっとも、協奏曲と共に収録されているピアノ曲は良い意味で期待を裏切る演奏である。バックハウスはブラームスの間奏曲などの小曲をとりわけて慈しんでいたのではないかと思えるほど丁寧に演奏している。例えば間奏曲op117.no.1などは孫をあやすかのような優しげな指遣いで演奏しているしop.119.no3は成長した若者を褒めそやすような誇りを感じさせる。そうした小品の中でも1番と共に収録されている、ラプソディ(op79.1)は曲の出来もあってとりわけ秀逸な演奏だと思う。つくづくバックハウスはベートーベンとブラームスを好んでいたことが分かる。
フルニエを伴奏するチェロソナタは名盤の誉れ高い物である。僕自身もチェリストとして最も好ましいのはフルニエであり、彼の演奏するブラームスのソナタはバックハウスの演奏とフィルクスニーとのものの双方を持っている。バックハウスとのものは14年後に録音されたフィルクスニーとのそれに比べてずいぶんとテンポが速い。とりわけヘ長調(2番)は演奏時間が3分ほど短いが、全体で25分ほどの曲なのでだいぶに速い。人によってはフィルクスニーとのものの方がブラームスらしい重厚さがあると感じるかもしれない。同じ曲をこれほど違う早さで演奏するというのはいかに14年の年月が流れているとフルニエにその理由を問いただしくなる。
凡そブラームスの曲ゆっくりと演奏したくなりがちというのは事実で、それにも関わらずテンポを遅くすると渋滞する印象を与えがちでフィルクスニーの1番の1楽章の最後の方などはそうした印象を与えるのに比べバックハウスとのものはそうした印象はない。
このチェロソナタを聴くと、二つの疑問が湧き上がる。一つはなぜブラームスのチェロソナタの伴奏をしたのにベートーベンのそれをしなかったのか、もう一つはなぜブラームスの方のピアノソナタを録音しなかったか、の二つである。
なぜ、この演奏家はこの曲を演奏したのか、という疑問よりも、なぜこの演奏家はこの曲を演奏しなかったのか、という方が興味ある提起をしてくれる可能性がある。あれほどベートーベンに拘っているバックハウスがチェロソナタもバイオリンソナタも録音していない。どちらも名曲揃いであるのに。とりわけチェロソナタは失礼ながらブラームスのそれより人口に膾炙しているのは確かだ。
後の方の疑問はある類推が成り立つ。ブラームスは三つしかピアノソナタを作っていないが、そのいずれもがベートーベンの中期以降、とりわけ後期のソナタに影響を受けていると言われている。そしてそのいずれもが必ずしも成功しているとは言いがたい。それらのソナタをバックハウスは己と重ねたのではないか?
ベートーベンのソナタはバックハウスという演奏者のみならずブラームスという作曲家も混迷させたのではないだろうか。ブラームスは結局ピアノソナタを初期の段階(20歳まで)で作っただけでそれ以降作曲を断念している。その未完成な匂いをバックハウスは忌避したのではないだろうか。
もう一つの疑問の方は、バックハウス自身があまりバイオリンやチェロとの協奏を行っていなかったことに起因するのであろう。音楽に関する視座を共有できない場合、敢えてソナタを共演することをこのピアニストは行っていない。それは例えば同時代のゲルマン系のピアニスト達、例えばケンプやグルダ、或いはパドゥラ=スコダらと全く異なる方向性である。彼らは様々なバイオリニスト(シェリング、シュナイダーハン)や弦楽四重奏団などと共演している。とりわけウィーンを活動の中心としていたピアニストはウィーンフィルの周りにいる弦楽演奏者と親密な関係を結んでいることが分かる。それに比べ「獅子王」はそう言う意味では孤独な「王」であったに違いない。
バックハウスに最後に感じる疑問はなぜ、彼がシューベルトをあまり取り上げなかったかと言うことである。彼が若かった頃、確かにシューベルトの評価は決して高くなかった。バックハウスがベートーベンとブラームスを彼のピアニストとしての重要なレパートリーと考えたのはよく分かる。しかしシューベルトの研究が進み、彼が単なる歌曲と「未完成」の作曲家でないと世間が理解したとき、なぜバックハウスはシューベルトに手を伸ばさなかったのだろうか?少なくとも後期の三つのソナタについては彼の解釈を聞いてみたかった気もする。僅かに、「楽興の時」とアンプロンプチュの録音だけを残したのは同時代のケンプに何らかの配慮があったのであろうか?
作曲家の能力として、シューベルトはベートーベンに引けを取らないと思うし、ベートーベン自身もそれを認めていたのではないかと思う。後の世代としては唯一ベートーベンに影響を与えた作曲家こそシューベルトだと僕は思っている。
バックハウスのシューベルト、とりわけ三つのソナタは聴きたい。だからというわけではないが、僕は当面バックハウスの演奏したシューベルトは聴くまい。たぶん、聴けば更にソナタを聴きたいという思いが募るだろうから。でも・・・そうだね、「楽興の時」は「白鳥の歌」の代わりに人生の最期に聴いてみることにでもしようか。
*ブラームス ピアノ協奏曲 第二番 変ロ長調 作品 83
指揮 カール ベーム ザクセン帝立歌劇場管弦楽団
バラード第1番ニ短調 作品 10-1 バラード第2番 作品 10-2
間奏曲変ホ長調 作品 117-1/間奏曲ロ長調 作品 117-2/間奏曲 イ長調
作品 118-2
ジョイサウンド KC-1039
*Wilhelm Backhaus Ovation
Brahms Piano Concerto No.1 in D minor op15
Capriccio in B minor op76.no 2/Intermezzo in E flat minor op.117 no.1
Rhapsody No.1 in B minor op.79 no.1/Intermezzo in E major op.116 no.6
Intermezzo in E minor op.119 no.2/ Intermezzo in C major op.119 no.3
Piano Concerto No.2 in B flat major op.83 +
6Piano Pieces op.118
Wiener Philharmoniker KAHLBOHM (+Emanuek Barbec cello,solo)
Decca 433 895-2
*Brahams Cello Sonatas
Johannes Brahams Cello Sonata No.1 in E Minor op.38
Cello Sonata No.2 in F major op.99
Pierre Fornier (Cello) Wilhelm Backhaus(Piano)
<Johann Sevastian Bach
Sonata in G major for Viola da Gamba and Continuo BWV 1027
Pierre Fornier (Cello) Ernest Lush (Piano)>
Decca 425 973-2
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