第13話 ヴラド ペルルムテル (Vlado Perlemuter)

作曲家と演奏者が結びついて語られることは少なくはない。ハチャトリアンとカペル、ストラビンスキーとモントゥー、ノーノとポリーニ。

しかし、ラヴェルとペルルムテルほど幸福なカップリングは滅多にお目に掛かれないだろう。

元来、ラヴェルにはRicardo Vines(nにはアクサンシルコンフレックスが付く)という意中のピアニストがいて、自身もピアニストであったラヴェルではあるが、彼の大半のピアノ曲の演奏の初演はこのヴィニェスというスペイン出身のピアニストによってなされたらしい。その演奏がどのようなものであったかは知る由もないが、ペルルムテルは恐らくその系譜を忠実に再現しているとみていいだろう。リカルド ヴィニュスに関しては様々な風説がラヴェルとの関係においても語られるが、大方は無視して構わない。彼がラヴェルのピアノ曲の大半を初演し、幾つかの曲の献呈を受けているというのは確実な事である。

さて、 同時代のドビュッシーやエリック サティにも言えることだが、ラヴェルのピアノ曲の奏法はそれまでのドイツ古典派やロマン派のピアノ曲のそれと明らかに異なったものが求められる。

感情を露わにした強い打鍵はそこに必要とされない。水の流れのように透明で、煌めき、そして流れるような長いフレーズ。弱音が絡みつくようにフレーズに異なる主音と異なる煌めきを添える。

ペルルムテルの演奏はラヴェルの曲の上に更に摺りガラスを翳したような音感がある。特にこの録音では、反響が意図的に工夫されているのか、弱音の音の伸びがあり摺りガラスの向こう側に泳いでいる美しい金魚を見ている趣がある。それでは肝心の金魚が見えないではないか、という声もありそうだが、ラヴェルの曲は意図的にくっきりとした姿を見せない工夫をされている。スーラの点描が人の姿を描きながら形としての人ではなく、心としての人を描くように、ルノワールの曖昧なタッチが人を景色に溶け込ませるように、印象は同時代の絵描たちと同様にラヴェルは曲想をくっきりと見せない。

ピアノフォルテは弦楽器や管楽器と決定的に異なる点がある。それは一つの鍵盤に、一つの音が一意対応で割り当てられている事である。ラヴェルはその音と音の間に意味を見出そうとしている。音の連続の中に中間を意識させていく。

それでも演奏家によってはその姿がくっきりと見えるときがあり、アルゲリッチのラヴェルがある意味新鮮なのはそのためなのだろう。


もちろん、ペルルムテルはラヴェルの意思を忠実に指先で描いていく。

Miroirs(鏡:複数の)

Miroirsと敢えて複数形を使う事に日本人である我々は余り思いを致さない。一般的には「鏡」と訳されるこの曲は5つの小曲から構成されている。可算名詞の鏡とは「心の鏡」とかいう時の概念的な鏡ではなく、一枚の鏡というような物質としての鏡である。では、これは五枚の鏡なのであろうか?

そう考えながら曲を聴き始めたあなたは、既に鏡の構成するラビリンスへ迷い込んでいる。蛾、悲し気な鳥、大洋に浮かぶ小舟、道化役者の朝、鐘の谷・・・鏡に映し出される風景はその不思議なタイトルを引き連れてどこか別の世界へとあなたを誘っていく。ペルルムテルはそれを忠実な司祭である。重力のない、明るいようであるのに儚い光がきらきらと舞っている不思議な世界。それはまるで鏡に囲まれた万華鏡の中のような世界である。72度の角度に交差された五枚の鏡に囲まれた万華鏡。

Jeux d'eau(水の戯れ)

鏡の世界から解放されたあなたは突然陽に照らされた水辺に立っている。水の流れを見ていると飽きない、とふとあなたは気づくだろう。それは同じ流れなのに決して一定ではなく、様々な形の流れを作って遅く、早く光を包みながら、時には踊るように跳ねるように、時には沈んで早足にあなたの目の前を過ぎていく。

Pavane pour une Infante defunte(ある往生した王女に捧げるパヴァーヌ)

< ちょっと怪体な訳を当てはめてみたが、所謂「亡き王女のためのパヴァーヌ」です>

水の戯れから眼を上げれば、そこに美しく着飾った可憐な王女が不思議そうにあなたを見つめてくる。王女がパヴァーヌを踊るわけではない。あくまでそれは王女に捧げられたものであり、王女はあなたを見つめてくる。それは踊れと命令しているようでもあり、踊ってちょうだいと懇願しているようでもある。踊りを知らないあなたは途方に暮れる。

Gaspard de la Nuit (夜のガスパール)

ガスパールはいつ、悪魔に魅入られたのであろう?いつの頃か、眠れぬ夜、夜を散策し始めた彼の心は夜の帳に染まるように悪魔に取りつかれたのであろうか?そしてまたラヴェルはなぜこの詩を基に作曲をしようとしたのであろうか?東方の三賢者の一人であるガスパールに彼は自分を重ねたのだろうか?


Sonatine

Modere・・・ここにも新たな水のきらめきがある。 Mouvement de Menuet・・・春の木々から零れ落ちる陽の光。

Anime・・・静止画のような曲想は一変し、ここには悪戯な妖精が魔法の杖を振る。杖の先から放たれた煌めきはあなたの周りで踊りだす。


Valses Nobles et Sentimentales (高貴で感傷的なヴァルス)

突然、青と赤のストライプが施された白い着衣の老道化師があなたの周りでワルツを踊りだす。だがやがて突如踊りを止めた道化師は淋しそうな背中を見せて蹲る。どうしたんだい?あなたは彼を慰める。脚が痛いのかい?いや・・・そうじゃないんだ。顔を上げた道化師はあなたに昔の話を語りだす。

港の街でにぎやかな観客、子供たちを前に役を演じた若い頃、あの頃は良かった・・・。もう私の周りに人はいなくなった。体は衰え、あとは看取る人もないまま死んでいくだけだよ、と道化師は呟く。

そんなことはないさ、とあなたは言う。もう一度、踊ってごらんよ。僕の目には素敵な踊りに見えたよ、華麗なステップ、さ。

そうかい、と道化師は疑いの眼差しで呟く。

そうとも。

じゃあ、一度だけ踊ってみようか?君も一緒にどうだい。ああ、駄目だ。足が覚束ない。

ゆっくりと・・・そう早いステップだけが素敵なわけじゃない。君のステップは君の人生そのものだよ。ゆっくりと、噛みしめるように。


Le Tombeau de Couperin (クープランの墓)

死者は語らない。晩夏の野辺にひっそりと佇むクープランの墓には秋を告げる風景が広がっている。だが、そこには萎れかけた花、命絶える前に恋をして子孫を残そうとしている虫たち、秋を告げる風と盛りを過ぎた陽の光、音を誘う何かが存在している。そして墓石に刻まれたFrançois Couperainと言う文字・・・。

いや、それは実物の墓ではない。実物の墓は砕かれてもう現存していない。すると、ピアニストに憑りついたラヴェルは突然あなたを振り向いて、にっと笑う。

「蜜蜂」「金髪と栗色の髪の修道女たち」「フルーリ あるいは優しいナネット」「灰色の服を着た人々の行進」「危険 サラバンド」

フランソワのクラブサン曲集のタイトルは詩に溢れている。私はそれこそが彼の墓だと思っているのだよ。だから僕も・・・真似てみたのさ。彼の時代に生きたもう一人の音楽家、そうそう”Tombeau de Monsieur de Lully"という曲を作った作曲家・・・彼の名前はJean Fery Rebel。ちょっと僕に似た名前だろ?


Menuet Antique

そして 回帰。


そう、これはやはり詩集なのだ。例えばマラルメはドビュッシーと一緒に語られるが、ラヴェルのピアノ曲集もまた、そうした詩集と近似しているのです。

マラルメの詩集は高踏で難解だと言われるが、難解というのはその意味を無用に探ろうとするからであって、彼の詩は言葉の響きの集成なのです。そしてラヴェルのピアノ曲もまた音の響きの集成としての詩感を伴っている、それを分からせてくれるのがペルルムテルの演奏なのだろうとさえ思えます。


Rien, cette ecume,vierge vers  (無、この泡、語られたことのない詩)

A ne designer que la coupe:   (グラスを象るだけの)

Tell loin se noie un trope    (あの彼方 一群の溺れた)

De serenes mainte a l'envers   (人魚が 逆さに)

versとl'envers coupeとtropeの押韻はまるでラベルの曲のようなのです。それが分かれば・・・ある往生した王女とパヴァーヌも分かる筈。


*Vlado Perlemuter Maurice Ravel Piano Works Volume 1

Ravel

Miroirs

Jeux d'eau

Pavane pour une infante defunte

Gaspard de la nuit

<Nimbus Records NIM5005>

*Vlado Perlemuter Maurice Ravel Piano Works Volume 2

Ravel

Sonatine

Valses Nobles et Sentimentales

Le Tombeau de Couperin

Prelude

A la Maniere de Borodine

A la Maniere de Chablier

Menuet Antique

Menuet sur le nom d'Haydn

<Nimbus Records NIM5011>

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