第3話 ウラディミール ホロビッツ(Vladimir Horowitz)

 そこのあなた・・・。音楽を聞いて涙を流したことがありますか?

 え?「津軽海峡冬景色」を聴くと思わず目頭が熱くなるんですって?・・・・いや、歌詞のない曲の話です。できたらクラッシック音楽で。

 ああ、確かに石川さゆりさんの歌声には聞き惚れてしまいますね。でも聴いたことのない名のアーティスト(?)のキンキンした声の歌でも、歌詞が日本語でその歌詞が心の琴線に触れれば涙を流してしまったりしてしまうこともあるのでは?

いや・・・むしろ安っぽい歌詞の方が不覚にも涙を零すことがあるのではないかなぁ、と。これはかつて北杜夫さんが書いていたんだけど「名作映画では泣けないのになぜかメロドラマで泣いてしまう」、それと同じ事だと思えます。


 一方でシューベルトの「冬の旅」がいくら名曲であっても、なかなか涙を流すことなどできない。つまり一般的に解釈の容易な言葉や映像は人の心を容易に掴むことができるが、抽象的・理解が容易でないものであるほど涙腺を揺さぶることは難しいのだろう。エンターテインメントは向こうからやってきて心を動かそうとするが、芸術は往々にしてこちらから出向いていかないとならない。芸術に付随する普遍性というのはそういうものであり、だからこそ芸術は長生きするのである。

 もし、あなたの彼女が、ないしは彼がクラッシックを聴いて涙を流したら、それはその人の感受性の強さが証明されると同時に、聞いている曲が感情のどこかに開いている傷を優しく癒しているのだという事に違いない。そんな相手と音楽は大切にしたいものだ。

 さて、そういう意味では感受性に極めて乏しい僕が、聴いて涙を流した曲はただ一つ、ホロビッツの演奏したベートーベンのピアノソナタ「月光」(ソニーレーベルから出た新しい方の録音)であった。

 わざわざ新しい方と書いたのは、この頃はさすがの名ピアニストも技術的に衰えが見えつつあると噂された時期で、「レコード芸術」の評価では推薦ではなく、準(推薦)という評価だったのです。泣いていた私は泣きながら「怒」、でした。

今思えばきっと、期待が高すぎたのでしょうね。評者さんの。

 しかし、僕は今でもこの演奏を聴くと鼻の奥がむずむずする。三連符が続く冒頭のパートで既にそうなってしまう。この曲を弾いていた時のホロビッツは過去の栄光と老い先短い自分の生涯と、若いころの自分の高慢な行為への後悔と、様々な感情を脳裏に浮かべながら鍵盤に刻んだに違いない(と信じたい)。


 さて、僕はある小説で特攻兵がセブというフィリピンの島でピアノを弾く情景を描いたのだが、そのときその特攻兵にこの曲を弾いて貰った。当時は一般的に禁止されていた外国の曲ではあるが、ベートーヴェンはドイツ生れなのでその時代にも演奏が許されている。そのタッチはホロビッツのような老境に差し掛かったピアニストのものではない。遥かに若い青年が奏でる若々しいタッチである。でもその青年の爪弾つまびくく音は、僕の中ではどこかでホロビッツの演奏と重なっている。生と死の境にある人がこの曲を弾くとき、そこには月の淡く白い光が零れている。タイトルが作曲者がつけたものではない、後付けだと知っていてもこの曲の名は月光ソナタで正しいのだ。

 と、まあ勝手なことを書いてきたけれど、僕に取ってこのピアニストはそれほど印象に残る名ピアニストであり、月光の演奏はまだ純粋な(ふふふっ)高校生の心をそれだけ強く揺すぶったのだ。


 ホロビッツというのはいわゆるビルトオーゾの系譜をひく最後のピアニストといって差し支えあるまい。ビルトオーゾは達人と訳されるが、ビルトオーゾタイプのピアニストというのは、曲の方向に行くのではなく、曲を自分の芸に引き寄せるタイプのピアニストだと僕は考えている。ラフマニノフとかルービンシュタインとかもそういうタイプのピアニストであるといえよう(もちろんラフマニノフは自分の曲を弾く時、自分に引き寄せることは勝手ですし、当たり前だけど)。

 リヒテルは微妙、ポリーニは技術の高さはともかく明らかにそのタイプではない。だから時折印象が薄いとか、情熱に欠けると言われるのだがそれはアプローチの違いであって全く見当違いの指摘だと僕は考える。どうもクラッシック音楽の世界で演奏の優劣や順位を安易につけると、音楽そのものをつまらなくしてしまう。同一の曲に対して様々な解釈があってこそのクラッシック音楽であり、よほど手抜き、よほどつまらぬ事を重ねぬ限りあまり演奏家そのものを否定しないほうが良い。(アダム ハラシェビッチには「ごめんなさい」と言っておこう)

 グールドには曲の方を演奏家が強く引き付けても演奏家自身にビルトオーゾという発想自体がないし、圧倒的なテクニックを持ち合わせていてもそれで勝負をしていないし、するつもりもない。彼にとっては発想がファーストで技巧はそれを実現するための道具でしかないのだ。技巧だけで観衆を驚かせるというのは、リストやパガニーニの時代の名残である。

 そう言う意味では時代はもはやビルトオーゾを求めていないのではないかとさえ思えるのだけど、僕にとってはホロビッツは未だに大好きなピアニストの一人である。

 だが、そのピアニストは歳をとった写真を見ても好々爺こうこうやとした感じはない。(「月光」のしみじみとした演奏にかかわらず・・・)写真を見てもどこか胡散臭く、性格の悪さが滲み出ている。ずっと昔の話だがウィリアム カペルが航空機事故で死んだとき、ホロビッツが

 「これで私がナンバーワンのピアニストだ」

うそぶいたという逸話があるが、その真偽はともかくとして、よくできた話である。ホロビッツだったら言いかねない、という感じがするところがミソである。


 ここではそんなホロビッツの若い頃の録音(すなわち非常に「生意気盛り」だったころ)、だいたいRCAに録音していた時代(ほぼモノラル)の演奏を中心に感想を記そうと思っている。RCAへの録音といってもオーマンディと共演した方のラフマニノフの3番のようにステレオ時代になってから再度契約をしての録音もあるわけで、ここではだいたい1950年代を境にそれ以前の録音を中心に記していきたい。(いわゆる「ホロビッツの歴史的復活」の前の演奏である)


 先ずは義父、アルトゥール トスカニーニとの二つの録音があるチャイコフスキーのピアノ協奏曲である。1941年カーネギーホールで録音されたものと、1943年に同じ場所で録音された2種類がRCAからリリースされている。そのうち1941年のものは50年前に既にレコードで聴いていた懐かしい一枚である。

 第1楽章からピアノは体いっぱいを使った激しいタッチで曲とオーケストラに立ち向かっていく。リヒテル+カラヤンの演奏と比較してみると、リヒテルも一見全開のように見えて、実は結構協奏部分でも強弱のニュアンスをつけているのだが、ホロビッツは協奏部分は「ほぼフルスロットル」なのである意味いっそ爽快に振り切れている。

 コンチェルトは協奏曲と競争曲の二つの側面をもっているが、ホロビッツのようなピアニストではどうしても後者のニュアンスが濃厚になる。何と競争しているかと言えばもちろん伴奏とであり、とりわけ指揮者とである。ともかく1楽章から3楽章までピアノと指揮は戦い続けるのだ。

 実はレコードを聴いていたときにはあまりにも指揮者とテンポが合わず、途中で曲が崩れてしまった部分があったと記憶していたのだが、CDではそれが(聴き逃しているのか)見つからない。レコーディングの日付は同じ (1941/5/6と14)なのだけど違うテイクがあったのだろうか?今はプレイヤーが壊れていてレコードの方を聴くことが出来ないので確認できなかったのだが、義父(8年前にピアニストはトスカニーニの娘のワンダと結婚している)とここまでやるか?という位派手に主導権争いをしていた記憶があるから記憶違いと言うことはない。プレイヤーを買い直したら追って確認をしてみたい。

 指揮者と喧嘩をするのはトスカニーニとだけではない。それどころか、恐らく実質的にはあらゆる指揮者と喧嘩(少なくとも言い争い)をしたに違いない。トマス ビーチャムとチャイコフスキーの協奏曲で大事故を起こし(これは練習の時にホロビッツに合わせたテンポで指揮しておきながら本番で自分のテンポで演奏をし始めたビーチャムの方が分が悪い気がする。この事故がおきたのはピアニストと指揮者がともにニューヨーク デビューをした1928年1月12日の出来事だと思われる。CDのライナーノーツにその事件を記した記載があって「今までで最もニューヨークの聴衆を興奮させた <created a furor>と書いてある。furorは熱狂と激怒のどちらの意味も持つことから極めて正しい表現であり、かつおそらくこの大事故を指し示しているのだと思う)、この事故の結果としてRCAとのレコーディングの契約が始まったというくらいだから、背丈の小さなホロビッツはそうした人間にありがちなかなり強気の性格をしていたに違いあるまい。

 フルトベングラーとも曲の選択(ベートーベンとブラームスでは特にフルトベングラーがあからさまにホロビッツの演奏スタイルを認めなかったので、リストで妥協したこともあるらしい。リストはハンガリー人でドイツとロシア(現在のウクライナ:キーウ)の中間にある地の作曲家で妥協したというのも面白いが、結局二人の意見はリストでも噛み合うことはなかったようだ。フルトベングラーも共演者を選ぶタイプだし曲を自分の方に引き寄せて解釈するタイプの指揮者(ピアニストがビルトオーゾならば指揮者はマエストロタイプとでも呼ぼうか)であり、この二人の演奏を聴けば互いの主張はかち合うべくしてかち合って、双方お気に召さなかったのは仕方あるまいと容易に理解できる。

 この時代、ヨーロッパの超名門オーケストラ指揮者であるフルトベングラー(ベルリンフィル)やビーチャム(ロンドンオペラハウス:そのうえ一家は大金持ち)にとってロシアの一地方であるキーウからの「ぽっと出」のピアニストがいかに技巧にけているからといって、生意気言わせてなるものか、という気持ちが底辺にあったのだろう。特にフルトベングラーにしてみればフィッシャーという強力なパートナーがいて、「正統な」ベートーベンやブラームスを共演していた。

 あのバックハウスでさえ、ドイツの誇る作曲家たちの曲をなかなか弾きにくい状況にあったわけで、そんな中でホロビッツ(の小僧:まだ20代の半ばであった)など巨匠たちの目には生意気なガキにしか思えず、共演など望むものではなかったのであろう。そうした指揮者にピアニストが強烈な反感をもったのも自然である(それが証拠に戦後を含めて両者が共演した形跡はないし、シカゴ交響楽団がフルトベングラーを招聘しようとしたときホロビッツはハイフェッツなどと共に反対の急先鋒であったという)。

 その意味でホロビッツがアメリカに渡りトスカニーニやワルターと仕事ができたのは彼にとってたいへん良いことだった。


 2年後に共演した演奏を聴くと、基本的なアプローチは同じだが随所で鍵盤を跳ねるように演奏したり、少し余裕というか遊びが出てきた感はある(ちなみにオーケストラの方は41年盤のほうが冒頭から「締まっている」感じを受ける。トスカニーニらしさという点では41年盤の方が緊張感がある演奏といえよう)

 ちなみに新しい方の録音は第二次世界大戦の最中、連合軍が(イタリアが近いため枢軸国が北アフリカ戦線の拠点とした)チュニジアに進駐を決め、イタリア人であったトスカニーニは義理の息子と1943年4月25日にカーネギーホールで拡大する戦費を賄う目的で発行された「軍事国債」を購入した人だけを聴衆としたコンサートを開いた時のものである。1100万ドル(当時の金額)という巨額の戦費を調達したこのコンサートは枢軸国イタリアを祖国にもつトスカニーニとしてはアメリカに対する忠誠を示す目的があったのかもしれない。

 とはいっても義理の息子は2楽章で忠誠を誓うことなど忘れたかのようにトスカニーニに反抗している(つまり思い切りテンポが外れている。レコードの記憶はこれに近い)のがちょっと面白い。連合国側も一枚岩ではなかったのかもしれないですね。特にアメリカにいる「イタリア」と「ソ連(当時)」では・・・。


 さて・・・一般的にはチャイコフスキーの協奏曲はリヒテルやアルゲリッチの演奏の方が遙かに録音状態が良く、お勧めである。しかし一度でいいのでホロビッツの演奏を耳にして欲しい。そうすれば、この曲にはこういう演奏もあるのかと、刮目かつもくするに違いない。ステレオ録音の時代になってもホロビッツがこの曲を再演しなかったのは残念だが、ちょうどモノラルとステレオの端境期である1957年に死去したトスカニーニ以外の指揮者とこの曲の共演をする気になれなかったのだろうか。(1953年にセル、ニューヨークフィルとの共演があり、そのときも指揮者と激しくやり合った結果、セルのコメントに傷ついたのがその後の長い休養の原因だったと言われ、またチャイコフスキーの協奏曲を演奏しなくなった理由ともされているが真実がどこにあるのかは分らない)

 この二つのCDにカップリングされた曲や他の協奏曲を紹介する前にもう一つ、トスカニーニと共演したブラームスの変ロ長調について触れておきたい。この演奏は1940年の録音であるからチャイコフスキーの二つに比べてやや古い録音となる。そのせいか、チャイコフスキーに比べてホロビッツはずいぶんとリリックで柔軟で更にオーケストラと「さほど喧嘩していない」。トスカニーニの娘であるワンダと結婚して7年、この年アメリカに居を構えることになったホロビッツは精神的に安定していたのかもしれない。

 オーケストラと喧嘩をしていない、という意味ではフリッツ ライナーと共演しているベートーベンの5番、そしてラフマニノフの3番の協奏曲の二つはこの気難しいピアニストがのびのびと演奏しているという意味で特筆に値する。ホロビッツにとってもっとも安心して共演できる指揮者は実にこのハンガリー生れの名指揮者だったのではないか。

 ライナーという指揮者は即物的、明晰なタクトが仇となって深みを欠いているように思われている嫌いがあるが、シカゴ交響楽団を全米でトップのオーケストラに仕上げたもの凄い名指揮者で、リヒャルトシュトラウスやバルトークを始めとしてマーラー、ラベルなど、どの演奏も間然とすることのない、オーケストラの機能を全開にした素晴らしい演奏ばかりである。逆にあまりにも明快過ぎるところが「気に食わない」リスナーもいるのだろう。

 この共演ではRCAビクター交響楽団というレーベル専属のオーケストラとの共演であるが、この楽団は本来コロンビア専属であったニューヨークフィルの楽団員を中心としており、その輝かしい管と統率の取れた(取れすぎた?)弦の組み合わせはまるで、優秀な軍隊のような隙一つない演奏を繰り広げている。当時のニューヨークフィルの首席はミトロプーロスで、その薫陶の下にあった楽団員がライナーの指揮で演奏するとなればこういう凄い演奏になるのも頷ける。

 ベートーベンの皇帝は1952年、カーネギーホールでの録音である。モノラル後期の録音ということもあってチャイコフスキーやブラームスに比べると音質はだいぶ良い。

 ピアノは端正でありながら煌めくような輝きをもっており、他の名演奏(例えばミケランジェリやグールド、或いはバックハウス)と比較すると同じ「皇帝カイザー」であっても別のピアニストの演奏に仄かに見え隠れする(要素的に曲に内在する)陰険さや暗さを持ち合わせていない。オーケストラも「しゃちほこばったり」「おどろおどろしかったり」というような妙な表情をつけることなく、極めて流麗で快適な演奏であり、ともすると低く見られがちであるがこうした演奏は音楽性・技術性からいってももっと評価されるべき演奏であると思う。(この演奏は概してフルトヴェングラーを正統とする「精神性」を語る批評家に評判が悪そうな気がする。フルトヴェングラーは評価されるべき指揮者であると思うが、精神性というような空虚な言葉で評価するべきではない)

 聴けば分ると思うが、この演奏は冒頭から最終楽章の最後の音符まで「協奏」である。「競争」も面白いがやはり音楽の神髄は「協奏」こそにある、と実感させてくれるのがホロビッツだというのが面白い。第3楽章の冒頭部分の「機嫌のよいホロビッツ」はなかなか他では感じとれない。

 それにひきかえ、前年に録音されたラフマニノフの3番はホロビッツの「凄み」を感じさせる演奏である。有名な2番を避けて3番を取り上げ、あまり弾かれてこなかったこの曲を2番と引けを取らない名曲の地位まで押し上げるに相応しい素晴らしい切れ味の演奏。どのパッセージもミス一つなく華麗に弾ききるテクニックは見事としか言えない。音楽院の卒業演奏の課題としてこの曲を選び、その後この曲の演奏をラフマニノフ自身に絶賛されたという伝説もむべなるかな・・・。しかし逆になぜ2番を弾いてくれなかったのか(3番はこれ以外にオーマンディやメータとの演奏が残っているのに)という憾みも残る。ベートーベンにしてもブラームスにしても複数の協奏曲を作曲した作曲家については、どれか一つの曲しか正式な録音がないのを見ると、それがホロビッツのこだわりなのかも知れないが・・・。

 

 さて続いて幾つかの独奏曲について聴いてみよう。

 まずムソルグスキーの「展覧会の絵」である。1947年のライブ録音と1951年のスタジオ録音の二つの内、1951年の演奏がチャイコフスキーの協奏曲とカップリングされている。

 最初に断っておくが、この演奏はムソルグスキーの譜面に基づいているのではなく、ホロビッツの編曲によるものである。その事実から鑑みて、その他のピアニストによる演奏と比較する事、ましてや優劣を云々するのは現実的でない。ホロビッツの演奏はいわば「大向こうを唸らせる」仕掛けが施されており、第1曲目の「プロムナード」は極めて静かに始め、少しずつテンポとテンションを引き上げていき、最後の「キーウの大門」で最高潮に達したテクニックと感情を解き放っていく。この構成は恐らく作曲家の意図したものではない。

 友人の画家の死去に心を痛めたムソルグスキーが展覧会に飾られた10枚の絵を見て歩く光景を(プロムナードで繋ぎをしながら)音楽にしていくという作曲家自身による当初の「仕掛け」が施されたこの曲は本人が完成してから興味を失ってしまったことに起因して、生前に演奏されることはなく(今ではムソルグスキーの代表作なのだが)死後に様々な版が世に出ることになった。遺稿の中からリムスキーコルサコフがこの曲を発見し改訂して世に問うたリムスキーコルサコフ版、クーセビツキーがラヴェルに依頼して編曲した管弦楽版、その使用権を回避するために指揮者自身が編曲したストコフスキー版、ホロビッツ版、そしてリヒテルによる原典版・・・。

 なぜか原典版が一番後に来る不思議な曲である。そしてその原典版においてもポゴレリッチのように極めて個性的な演奏を許していくことになる。


 原点に戻り「展覧会の絵」を作曲家が見て歩くという当初の構成に忠実な演奏が殆ど占めている今になってもホロビッツの演奏は「作曲家と異なる構成」を音符に吹き込み、その構成に基づき不要な部分を削り、スタイルを作ったという意義がある。この曲の管弦楽に編成したラヴェルの「ボレロ」にも似た、終盤へ緊張感を変遷させていく手法はそれぞれの「曲」に分解し、プロムナードで接着していくオリジナルの構成と匹敵する効果を上げているわけで、いずれ誰かがホロビッツの演奏を超えた「ホロビッツ版」を世に問う可能性もあると思う(楽譜はないけど、演奏そのものはあるわけだから)


 ブラームスの協奏曲とカップリングされているロマン派の作曲家の小品はリストの「泉のほとりで」のようにややヒスノイズが気になる録音もあるがホロビッツが技術と経験を兼ね備え始めた40代の演奏で、どれも確信に満ちた素晴らしい演奏である。

 特になかなか良い演奏に出会えないブラームスは、特に後のベートーベンの月光に連なる「静かな内面への沈潜」を予感させる名演だ。ご存じの通りホロビッツは「集」を演奏しない人で、ブラームスの間奏曲にしてもシューベルトの即興曲にしても、或いはリストの「巡礼の年」でも気に入った曲のみをピックアップして録音している。それは作曲家の本意ではないかもしれないが、演奏家にしてみれば、それは却って選ばれた各々の曲を深く解釈し、指先に刻むことを意味しているのだろう。もし天国で作曲家と演奏家が出会うことになれば、少なくともこのピアニストに関しては互いに妥協の余地がありそうである。

 最後のリストのハンガリアン狂詩曲などは作曲家と演奏家による遊びの要素に溢れ、聞いているだけで楽しくなる。謹厳な顔をしたリストがこの演奏を聴いたらどんな顔をするか、だがリストその人がどんな曲も「自己流」に編曲して演奏する人であったから、「なるほど」と曲の終わりに盛大に聞こえる観客の拍手に合せて手を叩いたに違いあるまい。


 ラフマニノフはホロビッツの技術と感性がもっともフィットした作曲家の一人で、協奏曲のみならずソナタ(これは1980年、77歳のライブ演奏)などは年齢を全く感じさせない素晴らしい切れ味である。

 ホロビッツの凄みは早いパッセージを軽々と弾くことよりも、そこに最後まで存在させる「音の伸び」にある。陸上選手が400メートルのゴールを切ったときに「バテバテ」ではなく、もう一本「いけますぜ」という笑みの「余裕」。それをどんどん積み重ねていくことによって聴衆の中に「感動」が生れ、それが共有されやがて溢れていく。「凄い」が消えることなく最後まで積み重なって、最後まで積み重なり、意図されたものだとしてもその芸術性に圧倒されてしまう。

 この人はやはりステージピアニストの最高峰なのだと思わせるそうした演奏である。

 Op.16「楽興の時」の2番を始めとした小品は短く光を放ちながら花火のように美しく可憐に時間の中に消えていく。

 

  更に1940年代に演奏したツェルニー、モーツアルト、メンデルスゾーン及びシューベルトを収めた一枚がある。ホロビッツがスカルラッティの小品を好んで演奏した事は知られているが、ピアノ練習曲で有名なツェルニーを演奏しているのは珍しい。しかし、この作曲家の曲を「将来の巨匠」は慈しむように優しく変奏していく。好ましい演奏である。

 一方でモーツアルトに関しては様々な意見がありそうである。巨匠たちにとって、いや巨匠になるほどこの作曲家は手強い。一定の技量があれば困難な曲ではないが、だからこそ難しい。どうやっても百点が取りにくい、それでいてさほどの技量とも思えないピアニストが「上を行く」可能性のある曲であることは、ソナタのみならずモーツアルトの曲に共通した特徴であるが、ホロビッツの演奏もそうした苦心の跡が見られる。技巧に走らず、それでいて弾むようにこの小品をもちろん「途轍もなく上手に」演奏しているのだけど、ではこれがこの曲のベストの演奏なのかと問われると首を傾げてしまう。これは逆にホロビッツだから「何かを求めてしまう」聴衆側の問題であるのかもしれないが。

 だからむしろメンデルスゾーンの「厳粛な変奏曲」のような難度の高い曲の方がホロビッツの凄さが出るのは仕方ない。

 そしてシューベルトのD.960。様々な名演(ポリーニ、リヒテル、ゼルキン、ブレンデル)が存在し、ホロビッツ自身の晩年の演奏も出ていることもあって1953年ライブ録音のこの演奏は巷から忘れ去られているようだけれど、おそらくは「ホロビッツにしてはテンションが低く、技巧的ではない」のがその理由だと思う。しかしホロビッツは寧ろこの大曲をいかに技巧的に弾かないように工夫したのではないかとも思える。ホロビッツは独奏曲の選択にあたって「圧倒的に技巧」を見せびらかす曲と、「そうでない曲」を分けていたのではないかと思える節があって、「圧倒的に技巧的な」演奏しかない協奏曲とはその点、違っている。むしろ技巧を隠し、峰打ちみたいな演奏をする「月光」とかシューベルトのD.960のような曲をホロビッツは密かに最も愛していたのだと思う。まあ、この演奏でも終曲に向かって「つい」盛り上がってしまうのはいかにも聴衆を前にしたこのピアニストの癖とも言えないでもないけれどそれを含めてこの名曲の「愛すべき名演」の一つだと僕は思っている。


 そしてホロビッツが別の意味で愛したのが、アンコールに欠かせない小品群であろう。(アンコールというタイトルのCDには1940年代から80年代に録音されたアンコールそのものの演奏や、アンコールに使われる曲をスタジオ録音したものが18曲収められている)それらの小品には殆どの場合、ホロビッツ編」と敢て記してなくてもホロビッツなりの技法や解釈が散りばめられている。2曲目にある「死の舞踏」や4曲目の「結婚行進曲」など、サンサーンスやメンデルスゾーンの曲をリストがピアノ用に編曲したものに、更にホロビッツが手を加えている。

 先にも書いたが作曲家でありながら、自身の演奏の際には他の作曲家のものであろうと独自の解釈で演奏したリストの作曲や編曲については、自らも手を加えることをホロビッツは躊躇わないようだ。ある意味でリストその人に、共通する演奏スタイルの先駆者として最も親近感を抱いていたのかも知れない。

 トルコ行進曲からムソルグスキーの練習曲に至るまで、難易度が多岐に渡るこれらの曲はこのピアニストの全てを語るものではないが、このピアニストの「ある核心部分」を見せてくれているのだ。最後の「星条旗よ永遠なれ」など、普通ならホロビッツのような有名なピアニストが演奏するものではないが、生真面目な顔で得意げに演奏するお茶目さもまたこのピアニストの本質なのだろう。義父との確執、娘の反抗と若死、ホロビッツの性向に起因した家族との葛藤とそれに纏わる医学的な問題、様々な不幸を身に纏いつつそれをピアノで打破した無類のピアニストにそうした一面があったことを僕は愛おしく思っている。


*レコード

*Tchaikovsky-CONCERTO No.1

Arturo Toscanini・NBC Symphony Orchestra Recorded May 6 and 14,in Carnegie Hall

RCA VIC-1554




*CD

*Modest Mussorgsky: Pictures at an Exhibition (1951)/By the Water (1947)

Piotr Ilich Tchaikovsky: Concerto No.1 Op.23 in B-Flat Minor (1941)

NBC Symphony Orchestra / Arturo Toscanini

BMG GD60449

* Piotr Ilich Tchaikovsky: Concerto No.1 Op.23 in B-Flat Minor (1943)

NBC Symphony Orchestra Arturo Toscanini

Ludwig van Beethoven: Concerto No.5, Op.73"Emperor"(1952)

RCA Victor Symphony Orchestra / Fritz Reiner

BMG GD87992

*Johannes Brahms: Concerto No.2 Op.83(1940)

NBC Symphony Orchestra / Arturo Toscanini

Intermezzo Op.117 No.2(1951)

Franz Schubert

ImpromptuD.899/3(1953)

Ftanz Liszt

Au bord d'une source(1947)

Sonetto No.104 del Petrarca(1951)

Hungarian Rhapsody No.2(1953)

BMG GD60523

*Sergei Rachmaninoff

Sonata No.2 Op.36(1980)

Moment musicale Op.32 No.5

Prelude Op.32 No.5

Polka V.R. (1977)

Concerto No.3 Op.30 in D Minor (1951)

RCA Victor Symphony Orchestra / Fritz Reiner

BMG GD87754

*Carl Czerny

Variations on a Theme by Rode, "La Ricordanza" Op.33(1944)

Wolfgang Amadeus Mozart

Sonata K.332 in F (1947)

Felix Mendelssohn

Variations serieuses, Op.54(1946)

Franz Schubert

Sonata D960 in B-Flat (1953)


BMG GD60451

*Encores

Bizet-Horowitz: Variations on a Theme from "Carmen"(1947)

Saint-Saens-Liszt-Horowitz:Danse macabre(1942)

Mozart: Rondo alla turca(1946)

Mendelssohn-Liszt-Horowitz:Hochzeitmarsch und Variationen(1946)

Mendelssohn:Lieder ohne Worte Elegie/Fruhlinglied/Schahers Klagelied(1946)

Debussy:Serenade of the doll(1947)

Moszkowski:Etude in A-Flat/Etude in F/Etincelles(1951)

Chopin:Polonaise Op.53(1945)

Schumann:Traumerei(1950)

Mendelssohn:Scherzo a capriccio(1980)

Liszt-Horowitz:Rakoczy March(1950)

Liszt:Valse oubliee No.1(1951)

Rachmaninoff:Prelude in G minor(1981)

Sousa-Horowitz:The Stars and Stropes Forever(1951)


BMG GD87755


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