第2話 ウィリアム カペル(William Kapell)
ピアニストの最高峰は誰か、と聞かれたらどんなクラッシック音楽ファンでも考え込むに違いない。ホロビッツ、ポリーニ、リヒテルをはじめとする綺羅星のような名前がたちまちのうちに思い浮かぶ。
だが・・・いや、バックハウスやルービンシュタインと言った巨匠を忘れてはならない、と躊躇うかもしれない。グレン グールドのバッハ・デジェ ラーンキのリストは欠かせないと言われれば、そうかもしれないと更に迷いだす。もっと新しい世代ならキーシンとかブーニンの名を挙げる人もいるかもしれない。いや彼らだってもう若くはない。ランランこそ新世代である、という人もあるだろう。
だが、中でカペルと答える人は稀であろう。既に亡くなって70年近く、その間、日本で彼の演奏が正式に販売されたことがあるのかさえ私は知らない。しかし、もし彼の演奏を一度でも耳にすれば誰もがその素晴らしさに圧倒される・・・と私は信じている。
初めて彼の演奏を耳にした曲目はヨハネス ブラームスのピアノ協奏曲第一番ロ短調 ドゥミトリ ミトロプーロスの指揮するニューヨークフィルハーモニーと共演した1953年4月の演奏であった。
私の興味はその時、ピアニストではなく指揮者の方にあったのだと記憶する。ミトロプーロスもまた日本ではあまり知られていない指揮者である。バーンスタインがアメリカ生まれ、アメリカ育ちの指揮者としてニューヨークフィルの常任指揮者に指名されるまで、名門楽団を若きアメリカの天才のために磨きぬいたギリシャ人の偉大な指揮者は、残念ながら今や半ば忘れられた存在のようだ。当時、アメリカには二次大戦を逃れたり、破壊された欧州を棄て新天地での活躍を目指して様々な気鋭のヨーロッパの指揮者が各地でオーケストラの技術を磨いていた。シカゴのフリッツ ライナー(ハンガリー人)、クリーブランドのジョージ セル(ハンガリー人)、ボストンのシャルル ミュンシュ(アルザス人)、ダラス・ミネアポリス・デトロイトを渡り歩いたアンタル ドラティ(ハンガリー人)・・・。ストコフスキー、ブルーノ ヴァルター、クーセビツキーと言った一世代前に新天地で活躍し始めた大指揮者を追って、彼らは戦火を逃れている新大陸へと次々にやってきた。
その中でミトロプーロスは決して忘れてはならない指揮者である。彼はニューヨークの聴衆にあまり人気がない曲目を演奏したようで、その点で受けが悪かったのかもしれない。残っている正規の録音もシェーンベルクの「浄夜」やら、プロコフィエフの作品など、必ずしも万人受けしない曲目であり、唯一ベルリオーズの幻想交響曲がポピュラーなものであるといえよう。しかし、その精緻で揺るぎない指揮は譜面の背後にある作曲家の意図を見抜き、確実に音にしていく、そんな名指揮者であった。とりわけ「浄夜」の圧倒的な演奏は記憶に強く残っていた。
その指揮者がブラームスの一番を伴奏した録音があると知って、私は思わず手に取ったのであろう。
プレーヤーに掛けた途端、緊張感に満ちた、それでいて余計なものが削ぎ落されたオーケストラの主旋律が鳴り響いていく。いかにもミトロプーロスらしい音である。だがそれもつかの間、滑り出るように流れ出した美しく力強いピアノの音に私は思わず引き込まれていた。オーケストラはその音に反応したかのように躍動感を増していく。ピアノの音に取り込まれていく。
しかし、ミトロプーロスはオーケストラの手綱を引く。
「諸君、ブラームスはどうしても遅いテンポで演奏したくなるものだ、だがそれはブラームスの罠なのだ。ブラームスの曲、特にオーケストラは、決して遅く演奏してはならない」
そんな声が聞こえるようである。
その声に導かれるようにピアノもオーケストラも正確なテンポとリズムで進んでいく。そして、驚くことに一楽章が終わった時、僕らは聴衆の拍手(その頃は一楽章と二楽章の間で拍手をすることはごく普通であった)を聞き、この演奏がライブ演奏であることを知るのである。決して音質が良いわけでもないが(そもそも二種類の音源の同じCDを持っているがどちらも有名レーベルのものではない)、まさかこの完成度の高い演奏がライブだとは思っていなかった。
二楽章のピアノ独奏部に入ると、指揮者は突然変節したかのようにゆっくりとしたピアノのテンポを放置している。いや、目を瞑って弱音のピアノのpassageに聞き入っているのかもしれない。ミトロプーロス自身、才能あふれるピアニストであり、彼の中のピアニストとしての耳はカペルの演奏に聞き入っているかのようである。だが指揮者は続く第三楽章で逆にピアニストのヴィルトゥオーゾ性を引き出すようにテンポを上げる。三楽章に僅かに聞き取れる音の詰まりやタッチミスで漸くこのピアニストも人間であることが分かって却って好ましく思えるほどである。
終楽章が終わった時の聴衆の興奮した拍手に思わず自分も拍手してしまう。もし、時を戻して何かの生演奏を聴くことができるなら、その日を、おそらく私は1953年4月12日にすることを望むであろう。
名曲とは名演奏がたくさんある曲である、と私は考えている。名曲はさまざまな演奏家のいろいろな解釈を受けてそのすべてを許し、なお、素晴らしい曲として存在しうる、そんな曲である。もちろんブラームスの一番はそうした曲の一つであり、思い起こすだけでも、バックハウスやポリーニなどの様々な名演奏が頭に浮かぶ。だが、そのどれもがカペルとミトロプーロスの演奏の前では色褪せて見えてしまう・・・そんな気さえする。
しかし、彼の演奏を求めて様々なレコード・CD店を訪れても彼の演奏を見つけるのは至難の業であった。唯一見つかったのは同じブラームスの演奏とプロコフィエフの三番の協奏曲をカップリングした一枚だけであった。たぶん、見つけたのは銀座の山野楽器の輸入盤のコーナーであったのだろう。それ以降はみつけるどころか、逆にレコード店はどんどん閉鎖し、残ったレコード店でもクラシックのコーナーはどんどん小さくなっていく。漸くみつけたサイトで滅多にしないネット購入をして、僕はやっとこのピアニストを僕の傍らに留めることができた。RCAで録音された9枚組の全集である。
その全集の前に(とはいえ全集にも別のテイクが含まれているのだが)プロコフィエフの三番を聞いてみよう。これはストコフスキーの指揮になる演奏である。
ラベルの二つの協奏曲と共に二十世紀の傑出したピアノ協奏曲である。短いが、万華鏡の中を覗いたようにきらきらとした音が駆け巡るこの曲をカペルは軽々と疾走しているかのように弾ききっていく。ライナーノーツを書いているTim Pageはこの演奏が殊の外お気に入りのようで「カペルの残したピアノ協奏曲でおそらく最も素晴らしい演奏」であり、カペルはまるで「スーパーマン」であると評している。息も感じさせずにこの難曲を弾きあげる男をスーパーマンと呼ぶのは、その時代としては適切な表現であろうが、現代の日本であれば神と呼ばれるのが相応しいだろう。神も現代日本ではだいぶ使い古されてしまっているが、ここには確かに神の手が存在している。
さて、その神の手はショパンをどう演奏するのであろうか?全集の最初はショパンを初めとしたロマン派の曲で構成されている。
ショパンはピアニストによってまるで違う姿を見せる。特にマズルカやポロネーズのようなポーランドの民謡をベースとした曲は、下手をすればローカルな民謡そのものにしか聞こえないし、また逆にポーランドらしさがどこにもない味気ない演奏にもなってしまう。前奏曲集や練習曲集、ソナタではさほど感じられないこの難しさは特にマズルカで顕著になる。カペルはまず一曲一曲の全体の姿を的確に捉える。そのアプローチは感情に流された演奏ではなくユニバーサルなアプローチの志向である。しかし一方ではタッチで、とりわけ装飾音符でポーランドらしさを紡ぐことを忘れていない。そしてどの曲も静かに終える。曲自体が静かに終わる、というのとまた違う静けさを感じるのである。
Op30 No3を聞けば、最初に流れてくるときめくような和音、それを柔らかなタッチで繋ぎ、最後に訪れる静寂、まるで美しい線香花火を眼前で見ているような気がする。協奏曲で見せたあの疾走するようなピアノはそこにはなく、静かに作曲家の内面を演奏者は観じている。ヴィルトゥオーゾと呼ばれている人たちの押さえつけるような解釈はそこにない。もちろん安っぽいリリシズムもない。一曲一曲を弾き終えた時に彼は拍手を望んでいない。静かな間が、ロシアとドイツに挟まれたポーランドという国い通奏低音のように流れる一抹の憂鬱を垣間見せる。
そしてピアノソナタ3番・・・出だしはどこか戸惑ったような感じを受ける。ふわふわとした感じと言えばいいのだろうか。だが、章が進むにつれ、そのふわふわとした感じは急速に凝縮されていく。最終楽章の右手のすさまじい速さにつけられた微妙なアクセント。美しいものが結晶されていく過程を僕らはそこに見ることができる。こうした巧みに考えられた構成はこのピアニストに特有のものである。
Op18のワルツは誠に「華麗なる大円舞曲」と呼ぶに相応しい演奏だ。華麗という言葉はこのような演奏のために捧げられるべきである。だが、この演奏はどこか過去の偉大なピアニストたちの影を引きずっているようにも思える。特に強い和音の弾き方はマズルカでの演奏とニュアンスが異なっている。
ソナタの2番は余りに音が悪すぎて楽しむことは難しい。雑音が多いだけではなく、高音の割れがひどすぎるのである。弱音のニュアンスも殆ど捉えられない。Marche funebreのテンポの遅さはライブ特有のものなのだろうか?しかし、この演奏が彼が飛行機事故で命を落とす1週間前、オーストラリアでのGeelongでの録音だと知ると、その葬送のテンポをもっと遅くしてほしかったとさえ思えてくるのだ。Prestoはまるで山脈に飛行機が墜落する時のように目まぐるしく弾かれ、突然終わりを告げる。
次いで全集にはラフマニノフのオーケストラを伴う二つの曲が収められている。ラフマニノフを演奏するしないは、そのピアニストのヴィルトゥオーゾ的な要素の有無を判定する一つの基準であるように思えるが、当時アメリカに移住していたラフマニノフは英雄のような存在であり、実際にラフマニノフと出会ったカペルにはラフマニノフを演奏する十分な動機も意欲もあったのだろう。「パガニーニの主題によるラプソディ」のピアノは若い野ウサギのように譜面の野を駆け巡る。ひょいと姿を消したかと思うと、陽気に舞台の右手から現れ、聴衆はその動きに魅了されると言った趣である。でもそのウサギにはいささかも怯えはない。アンダンテカンタービレのウサギは特に魅力的である。ちょっと茶目っ気があるけど、性格の良さげなウサギ。
その姿は第2番協奏曲でも変わらない。冒頭の低音を、重たげにおどろおどろしく弾くスタイルとは異なり、カペルは音符のままに颯爽と弾き始める。オーケストラの音も些か薄いが、明るい。ロビンフッドデルオーケストラという些か変わった名のオーケストラは、ストコフスキー・オーマンディーの二代にわたって明るく伸びやかな音色を特色としたフィラデルフィア管弦楽団の別名であり、カペルのアプローチとの相性はいい。言い古された比較では、これはアポロン的な演奏でディオニュソス的な演奏ではない。
ヴィルトゥオーゾが好きそうな曲をヴィルトゥオーゾっぽくなく、そのくせめちゃくちゃにうまく弾くというというのがカペルの真骨頂なのかもしれない。ラフマニノフの曲に対しこうした演奏方法に賛否があるのは避けられないだろうが、メロドラマ的な演奏よりはよほど良い。
全集の4枚目には再び、プロコフィエフの三番のドラティとの録音が入っている。Tim Pageは、この録音はストコフスキーの物に比べるとtame即ち従順な、悪く言えば退屈な演奏だという。確かにストコフスキーとの録音に感じた自由な疾走感はアンタルとの録音にはない。しかし、それを以って結論とするのはいかがなものか。ストコフスキーとの録音では指揮者の描く情景の中でカペルは一人疾走している。だがドラティとの演奏ではオーケストラも一緒に走っている。カペルは従順というより、抑制的にオーケストラと共に走っているように聞こえる。協奏曲というのは指揮者と奏者が互いに話し合って演奏の方向を決めるものであって、だからこそ相性というのを互いに意識するのであろうが、少なくともカペルがオーケストラと共に走るのを嫌がっているように僕には思えない。カペルらしさという意味ではストコフスキーとの物に軍配があがるかもしれないが、演奏の完成度はドラティ盤も負けていない。
さて、問題はハチャトリアンの協奏曲である。カペルとこの協奏曲はアメリカでは付き物のように言われた時期があり、そもそも弾きこなすのが難しいこの曲はカペルクラスでないと演奏が難しかったのは事実であろう。しかし、それがカペルにとって良かったのかどうかは若干の疑問が残る。
というのも、ガイーヌの作曲家でソ連(グルジア:現ジョージア)生まれのアルメニア人であるハチャトリアンはピアノ曲をそこそこ作曲しているものの、プロコフィエフと違って自身がピアニストではない。それがわかってしまう曲なのである。その上、アメリカでこの作曲家が持て囃されたのは音楽的背景というより、ソ連が第二次世界大戦において友好国である立場になってほしいという政治的思惑があったからだ。このアルバムに収められているもう一人の作曲家であるショスタコービチらと共にやたらとソ連の音楽家が演奏されているのは時代的背景であり、カペルはその時代に短いピアニスト人生を終えているため特にソ連の曲の音楽比率が高く見えがちである。
ハチャトリアンはその中でもアルメニアの民族音楽をベースにしたオーケストラ曲でその能力を発揮し、指揮者としても有能であるものの、ピアノ協奏曲が魅力的かと聞かれると、うーむと唸らざるを得ない。有名作曲家のピアノコンチェルトでも、メンデルスゾーンとかドボルザークとか、どこか飛び立てない作品がある。ハチャトリアンのピアノコンチェルトもその一つであり、録音されているものも数少ない。
その上もう一つの問題がある。この録音は1946年のものであるが、この頃からそれまでソ連に融和的であったアメリカの世論は共産主義国家の台頭と共に急速に悪化し、やがてレッド・パージは芸術の世界にも影響を及ぼし始める。それまで比較的演奏されていたソ連の音楽がアメリカの音楽界から急速に締め出されたことは想像に難くない。ソ連の曲と結びつけられたカペルにとっては歴史は裏目に動いた気がする。
その意味でベートーベンの第2番の協奏曲やシューベルトの楽曲の演奏が残っているのは貴重である。とりわけ、シューベルトのImpromptu D.935 No.2は名演である。深みのあるピアノの響きを聞けば、このピアニストはシューベルトととても相性が良いと感じられる。いや、本質的にこのピアニストはベートーベンからブラームスあたりまでの全ての作曲家と最も相性がいい筈だ。
できればせめて彼自身が望んだようにブラームスの2番なども録音しておいて欲しかった。その望みをまだ演奏家として若すぎるから、と拒否したa mangerがいたとライナーノートにあるが、それが誰なのかは知らないが恨みたくなる。
リストやシューマンの小品を聴きながら僕らは叶えられない希を癒すしかない。ハンマークラヴィアソナタを暗示するベートーベンの第2番のカデンツァで、一曲も録音されなかったベートーベンのピアノソナタ全集を想像するしかない。リストのメフィストワルツを聴きながらイ短調ソナタを弾いたらどんなものだったかを想像するしかないのである。それは知的で興味深い想像であるが、虚しい想像でもある。
バッハのパルティータから始まる全集の6枚目には興味深い作品が収められている。まずバッハの明るく躍動的で繊細な響きはどうだろう。人によってはこれはバッハかと眉を
ドビュッシーもまた、このピアニストの別の将来性を暗示させる演奏である。ロマン派と近代音楽の結節点にいるこの作曲家の曲を演奏する時、彼は躊躇いなくクラッシックな立場を取る。それにしてもなんと美しい演奏であろうか。
スカルラッティとモーツアルトをこれほどに魅力的に弾きつつ、チエィシンスを茶目っ気たっぷりに、パルマー(これはアンコール演奏であろう)を力強く弾くピアニストはもし永らえたとしたならどんなピアニストに変貌したのであろうか。
カペルはまた室内楽も幾人かの著名な演奏家と共に録音している。室内楽を演奏する彼は協奏曲やソロの時と少しスタンスが違う。曲と同時に共演者にとても多くの注意を払っている。そこに1950年代のアメリカ映画の中に出てくる好青年のようにとてもintimateな雰囲気を感じる。ラフマニノフのあまり知られていないチェロソナタではのびのびとしたクルツのチェロに合わせて、ブラームスではプリムローズのやや鬱屈した響きに調和させ、ハイフェッツの些か前のめりの演奏に余裕をもって伴奏する。共演者にとってはとても気持ちのいいカンパニーであるであろう。だが、それだけにカペルはその技術的な卓越性や独創性を室内楽で感じることはあまりない。カペルにとっては室内楽はアミューズメント的な側面がある。気のおけない仲間と、あるいは尊敬している演奏者と楽しみながら弾いている。そして演奏が終われば、想像でしかないが、にこにこしながら抱擁しあう、そんな演奏である。
第八集は1953年3月にニューヨークのFrick Collectionで行われたコンサートの録音である。Frick Collectionは美術館であるが室内楽やソロリサイタルの演奏が1938年から行われ、コンサートリストの1953年版にはブダペスト四重奏団やピエール フルニエ、フリードリッヒ グルダ、ヨゼフ シゲティの名と共にリストの最後にウィリアム カペルの名前が記されている。
このコンサートの演目を見るとカペルの志向が多少なりとも分かる。一曲目はCoplandのピアノソナタ、そしてChopinの幻想ポロネーズ他の三曲を挟んで、Mussorgskyの「展覧会の絵」をメインという配列である。聴衆の聞きたい演奏と自分の弾きたい曲のバランスの結果であろう。当時の、とりわけアメリカの作曲家の手にかかる現代曲をカペルは演奏会に取り入れようと腐心していた形跡が見える。第六集に入っているアブラム チェーシンスやロバート パルマーなどの演奏や、ここで演奏されているコープランドの曲もその一環で、マネージャーたちはスタンダードなレパートリーの範疇外であるこうした曲をカペルが演奏するのを憂慮していたらしい。
しかし、カペルは"I want it to be an important representation of our music"と発言しているとライナーノートにある。このour musicというのは彼の生きていた時代のアメリカのコンテンポラリーであったのだろう。そうした音楽を体現する演奏家になりたいとカペルは主張したのである。穿った見方をすると、ハチャトリアンに代表されるソ連の作曲家と結びつけられたキャリアをアメリカの現代作曲家をレパートリーに取り入れることで払拭しようと考えていたのかもしれない。残念ながらその成果は彼の死と共に見ることができなくなり、また彼が演奏した曲も必ずしもポピュラーになったとは言えないが。
このコンサートではもちろん、ショパン・シューマンといった定番の曲は見事だがとりわけ「展覧会の絵」が特筆されると思う。展覧会の絵はしばしば、終始強い打鍵で演奏されるがカペルは軽々とした打鍵で演奏していく。一方でBydloではいかにも雄牛が踏みしめる足音のように鍵盤に指を強く押しとどめ、曲の印象をより深くする。
そして最後にスカルラッティのソナタが上質なメランジュのデザートのように供される。見事なフルコースのフランス料理のようなコンサートである。客席からの控えめな拍手はこの会場が決して多くの聴衆を入れる広さがないことを示しているようだ。
最後のCDに断片的に収められたフラグメンタルな幾つかの曲も、夜空の下に咲く月光美人の花のようにカペルの才能を伝えて止まない。ショパンを初め幾つかの曲は別テイクがあり聴き比べるのも面白い。ハイフェッツとの共演も別テイクと比べずいぶんと違って聞こえる。(録音時期は同じだが)
この最後にカペルのインタビューが録音されている。おちついた声で彼は演奏家としてのmaturityに関する考え方や、作曲家の解釈(ショパンについてその純粋性をロマン性やセンチメンタリズムより重視し、その生涯を研究したこと)演劇や同時代の若いピアニストととの共有価値、師であるシュナーベルとのこと、スタジオ録音と演奏会での違いなどを語っている。このピアニストに興味ある人はぜひ聞いてほしい。とはいえやはり彼を知るにはその演奏を聴くのが一番であろう。
カペルは少なくとも録音が開始された40年代後半から53年に至るまで急速にevolveしたピアニストでありもしもその成果を手っ取り早く理解するためには50年代の録音を聴くのが良いだろうと思う。ブラームスとプロコフィエフのコンチェルト、ショパンのマズルカと三番のソナタ、ムソルグスキーの展覧会の絵などは永遠の名演奏だと思うが、インタビューでここ数十年の中での傑作と彼が評しているコープランドのソナタも是非聴いてほしいと思う。
彼は1953年10月29日、僅か31年という短い期間を駆け抜け、オーストラリアの演奏旅行からの帰路に飛行機事故でその生涯を閉じた。
British Commonwealth Pacific Airlines flight 304/44 DC-6 1953年11月29日 8:44 AM 僅か15m高く飛行していれば避けられた樹木に引っかかり、その飛行機は墜落したという。
Discography (as expressed in the original jacket)
*Johannes Brahms Pianoconcerto n.1 in Re minore op.15
Mitropoulos New York Philharmonic Orchestra
Pianoforte : William Kapell
(coupling with "Variazioni su un tema di Haydn op.56a" &" Ouverture accademica
op 80)
<HUNT PRODUCTS HUNTCD 736>
*Brahms Piano Concerto No.1 Op.15 in d
Prokofiev Piano Concerto No.3 Op.26,in C
William Kapell in performance with Philharmonic-Symphony Orchestra
cond. Dimitri Mitropoulos (Brahms) and Leopold Stokowski (Prokofiev)
<Music and Arts Programs of America. Inc. CD-990>
*Frederic Chopin Mazurkas
<BMG 09026-68990-2>
*Frederic Chopin Sonata No.3 Op 58
Waltz Op18
Sonata No.2 Op35
Nocturne Op9 No1
Felix Mendelssohn The shepherd's Complaint (from Songs without words)
Robert Schumann Romance Op28 No2
Wolfgang Amadeus Mozart Sonata No 16 K.570
<BMG 09026-68991-2>
*Sergei Rachmaninoff
Rhapsody on a Theme of Paganini Op.43
Robin Hood Dell Orchestra : Fritz Reiner conductor
Concerto NO.2 Op.18
Robin Hood Dell Orchestra : William Steinberg conductor
Prelude Op3. No2
Dimitri Shostakovich
Prelude Op 34 (No24/10/5)
<BMG 09026-68992-2>
*Sergei Prokofiev
Concerto No.3 Op.26
Dallas Symphony Orchestra : Antal Dorati conductor
Aram Khachaturian
Concerto
Boston Symphony Orchestra : Serge Koussevitzky conductor
Dimitri Shostakovich
Prelude Op.34 (No14/10/5)
<BMG 09026-68993-2>
* Ludwig van Beethoven
Concerto No.2 Op.19
NBC Symphony Orchestra : Vladimir Golschmann conductor
Franz Schubert
Moment musical D780 No.3/Waltz D145 No.2 No.6/Waltz D365 No.26 No.32 /
German Dances D783 No.6 No.7/Waltz D365 No.34/Laendler D734 No.1 No.2
Impromptu D935 No.2
Robert Schumann
Romance Op.28 No.2
Johannes Brahms
Intermezzo Op.116 No.6
Franz Liszt
Sonetto No.104 del Petrarca/Hungarian Rhapsody No.11/Mephisto Waltz No.1
<BMG 09026-68994-2>
* Johann Sebastian Bach
Partita No.4 BWV 828/Suite BWV 818
Domenico Scarlatti
Sonata K.380/L.23
Wolfgang Amadeus Mozart
Sonata K.570 Aadgio
Isaac Albenith
Evocation
Abram Chasins
Piano Playtime
Claude Debussy
Children's Corner
Robert Palmer
Toccata ostinato
<BMG 09026-68995-2>
* Sergei Rachmaninoff
Sonata Op.19
Edmund Kurtz, cello
Johannes Brahms
Sonata Op.120 No.1
William Primrose, viola
Sonata No.3 Op.108
Jascha Heifetz, violin
<BMG 09026-68996-2>
*---Frick Collection Recital---
Aaron Copland
Piano Sonata
Frederic Chopin
Nocturne Op.55 No.2
Mazurka Op.33 No.3
Polonaise-Fantaisie Op.61
Modest Mussorgsky
Pictures at Exhibition
Robert Schumann
About Foreign Lands and People
Domenico Scarlatti
Sonata K.380/L.23
<BMG 09026-689957-2>
* Johann Sebastian Bach
Partita No.4 BWV 828 Allemande(beginning)
Wolfgang Amadeus Mozart
Sonata No.10 K.330 Allegro moderato(beginning)
Frederic Chopin
Sonata No.3 Op.58 Allegro Moderato(beginning)/Largo
Mazurka Op.17 No.3
Johannes Brahms
Sonata No.3 Op.108 Adagio
Jascha Heifetz violin
Felix Mendelssohn
Spinning Song
Interview with William Kapell
<BMG 09026-689958-2>
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