歪幸福奇譚

黒川名無し

小話

 失礼ですがすこしよろしいですか?。お天道様がまだこんなに高い真昼間から蕎麦屋で一杯とは旦那も粋ですね。



 よろしければこの暇人の話し相手になってくれませんか。それにただとは言いません。御代はすべて私が持ちますから、悪い話ではないでしょう?……そうですかそうですか、ならよかった。



 お姉さんお銚子二本追加熱でお願い。



 それではお席に失礼させてもらいますよ。私はこの町で商いをしておりますタチバナと言う者ですどうぞよろしく。今度暇な日があれば店によってください安くしときますよ。え?…なんの店だっていやいやそれは来てからのお楽しみですよ。損はさせませんから。



 店の宣伝をしにきたのか?。いえいえ、旦那と楽しく談笑がしたいだけですよへへへ。ところで旦那は今とてもいい顔をしてらっしゃる。まさに幸福という文字が顔に貼りついてるぐらいに。余計なお世話だって?。これは失礼。



 さあさあ、追加の酒も来ましたから飲んで々んでぐいっと。これが旦那の幸福なんですから飲まなきゃ損ですよ。しかし幸福といっても人によってその感じ方は千差万別……まったく厄介なものです。あ……旦那はこんな話を知っていますか?。



 それはとある町に旅商人……いや、ほとんど瘋癲ふうてん香具師やしと言っても差し支えない男が来たことから話が始まるのですがね。その男はその日も何時ものように日銭を稼ぎ一晩の宿を探していたのです。



 その男もすぐ決め手しまえば良いものをぐだぐだと迷い気がつけば宿場街から外れひとっけのない町のはずれまで来てしまいました。すでに日は傾き辺りは暗くなりはじめどうしたものかと男が悩みながら歩いていると。



 遠目から見て身なりの良い年頃の女性が蹲っているではありませんか。健全な男子たるものが困った道端で蹲っていたらどうしますか?。そうですよね。どうしたんだと声をかけますよねそりゃあ。もちろん男も声をかけようと女性に歩み寄りましたが、しかし近づいて見てわかったのですがその女性は身なり良さに似合わないぼろの頭巾で顔全体を隠していたんです。






 まるで誰にも顔を見られたくないのかのように。





 男は当然怪しいと感じました。もしかしたら女装した追剥の類かもしれないと、しかし男にしては細身すぎる。だから男は恐る恐る声をかけてみたのです。



「もし、そこのお嬢さんどうなさいました。」



 とね。



 すると、女は男から頭巾に隠れた顔を背けながら



「いえ、下駄の紐がきれてしまって歩けないのです」



 男は顔を背けられいい顔はしませんでしたが、その女のえもいわれぬ美しい声に一瞬で心を奪われてしまったのです。男はなんとしてもこの女性とお近づきになりたいと思い。ちょうどその日扱っていた商品に下駄があったことを思い出し女が有無を言う前に下駄を無理矢理渡しました。



 女は男にお礼を言うとそそくさと立ち去ろうとしましたが、男はそうはさせませんでした。熱意のこもった声で必死に女性を口説きました。



 ですが口説くといってももう一度会えませんかといった再開の約束のたぐいですがね。女はその男の熱意と助けてもらった恩に対して答えなければならないといった思いから。



 「わ、わかりました。それでしたら明日またこの場所のこの時間でお待ちしています」



 と約束をしてくれました。



 それから男は幸福な日々を過ごすことになりました。



 一度だけの約束のはずが男は会うたびに女との再会を求め。女は最初のほうは戸惑いながらもそれに答えました。そして回数を重ねていくごとに女も満更でもなくなっていくのです。男の熱意と思いが少なからず通じたのでしょう。



 男は他愛のない話を女とし、返答や相槌からもれる女の声に聞き惚れていました。その熱のいれようは凄まじく、少しでも女性と長く時を過ごすために男は街に部屋を借り香具師をやめ定職にまで就きました。まさに恋は盲目とは言ったものですかね。






 それからどうしたかですって…そうですね。






 そうこうしているうちに男は女の素性を知ることになりました。女性はこの町の豪商の一人娘だったのです。しかしそれを聞いて男は今まで声に夢中で気がつかなかった、いや、気づけなかった女のおかしなところが気になり始めました。それまで単純な男は女と話ができるだけで他のことは眼中になかったのです。




 だいたいのはなしの落ちがわかった?。いえいえ話はこれからですよ。




 女が豪商の娘なのだから当然許嫁がいてしかるべきだと言うのに、その事を男が以前問うた時に女はきっぱりと許嫁の存在を否定していました。豪商の娘であり尚且つ天女の歌声のような声を持つ女性がいまだに独り身とはなんともいぶかしいことこのうえないとは思いませんか。また豪商の娘のことを勤め先や町の人に聞いても知らぬ存ぜぬで誤魔化されてしまう。



 そして何より男が不思議がっていたのは日がくれそうな時間の暗がりでしか女は男と会わず、顔を隠している頭巾も一度として男の前で脱いだことがないのです。しかしそれでも男の女性に対する恋心は募るばかりでした。またその想いと同じくらい女の素顔を見たいという好奇心が芽生えてしまっていたのですがね。



 まったく人とは感情に流される哀れで弱い生き物です。



 だからある日男は人生のすべてを賭けて女に言ったのです。



「じ、実は、あ、あな、あなたのことがずって好きでした。」



 大根役者にも劣る演技ですって?。私自身もそう思います。あ、そろそろお酒と何か肴を追加しときましょう。お姉さん、焼きのりと、天ぬきと、ああ……お銚子を今度は冷で、全部二人前でお願いね。



 さて、話の続きをしましょう。



 男の告白に女は。



「わ、わたしも、助けて頂いたあの時からあなたのことをお慕い申し上げておりました」



 と、会心の答えをしました。



 男は当然歓喜で胸が震えました。 意中の相手に受け入れられてそうならない男はいませんからね。



 ですが女は続けてこう言いました。



「ですが、私の顔を見ても私のことを好きでいてくださいますか?」



 男は当然、「もちろん」と答えました。



  しかし女はしつこく「本当に?本当にですか?」と聞き返してくるのです。



 男はその女の問いに何度も「大丈夫」「心変わりなどありえないと」返答を繰り返します。



 旦那、旦那、そんな話のオチを知っている怪談話を聞くような顔をしないでくださいよもう。



 まあ、そんなこんなでおしもんとうにも似たやりとりを二人はある程度続けましたがとうとう女は覚悟を決めたのです。



 まるで最後通知にも似た言葉とともに。



「わかりました。頭巾を取りましょう。ですがもしもこの顔を見て私から逃げようとしたら覚悟してくださいまし」



 その声は男の惚れた女の声でありながらどこか男の背中に冷たいものを感じさせました。



 そして男の前で女は頭巾を外したのです。



 え?。どうせその女の顔がこの世のものとは思えない醜女《しこめ》でその顔を見た男が叫びながら逃げて後日女に殺されるのだろうですって、いえいえ。確かに女が醜女であるまでは当たっていますが後は残念ながらはずれです。



 確かの頭巾の下に隠されていた顔は醜いものだったのでしょう。瞳は濁り、目蓋はまるで腫れているかのようにふくらみ、口は歪んでおり、肌は日照りの田んぼのようにかさつき、白髪雑ざりの髪は痛みきっていました。まるで山姥、いや、鬼婆、いやそれよりなおひどい顔だったのかもしれません。



 ん、なんでそこだけあいまいなんだって?。ああ、なんででしょうかね。私にもわかりません。まあまあお気になさらず。



 それでですね。



 男は女の顔を見ると絶句してしばらくその場で石のように固まり動かなくなってしまいました。



 そんな男の姿を見た女は酷く失望しあなたもそうなのかと言わんばかりに言葉を吐き捨てたのです。



「醜いでしょう、あやかしのようでしょう。アナタニハワタシガナニニミエマスカ?コレデモアイシテクレルノデショウ?」



 女はその顔を理由に町からも家からもその存在を伏せられるようなっていた哀れな女だったのです。そして夜な夜な男が女と会った場所で自分を受け入れてくれる男性を探していたのです。当然町の男は一切その場所には近づくことはなくなりましたが。



 女は男にじりじりと近づきその手には簪が握られていました。



 何です、俺の言ったオチと何もかわらない?いやいやこれがですね。我に帰った男は近づいてくる女を抱きしめ接吻をかましたのです。それも熱烈なやつをですね。そしてこう言い放ちます。



「やはり、私にはあなたしかいない。私の妻になってくれ」



 そして二人は夫婦となりひと時の幸せを手に入れたのです。めでたしめでたし。



 え?、なんで男が醜女を受け入れたのかですって?。それはその男が世にも不思議な美的感覚を持っていたからです。



 男にとっては美女が醜女であり醜女が美女だったのです。



 さらに言えば男は極度の面食いで声も容姿の一部として女を好いていたのですよ。



 男はこのことを女に口が裂けても言いませんでしたがね。いや、言えませんよね。見た目で愛してしまったなどとは。



 どうです。このお話気に入ってもらえましたか。人の幸福とはいったいなんだかわからないものでしょう?。



 そうですか、ためになりましたか。実はこの話には続きがありましてね。



 男は財産目当ての結婚と決め付けていた女の両親から財産分与放棄の証印を血判付で叩きつけ醜女とめでたく結婚しました。



 それからは町では名の知れた夫婦になりました。勿論悪い意味で。しかしそんなことは幸せな夫婦には関係ありませんでした。



 夫になった男は妻の幸せのために足を棒にして働きました。はたから見てもそれは妻が夫にかいがいしくつくし、夫が妻のために全力で甲斐性かいしょうを果たしていました。



 その結果絶縁状態であった妻の両親からも店の跡継ぎとして認められることになりました。



 男にとっての美人の嫁を娶り、豪商の跡取りとして認められ男は幸せの絶頂だったのです。



 どうですか?。今度はオチがわかりますか。ふふ、もちろんわかりませんよね。



 ですがその幸な夫婦に悲劇が襲いました。



 妻が原因不明の病で倒れたのでした。



 どんな名医に見てもらっても妻の病状はよくなりません。むしろ悪くなるばかりです。



 男は藁にもすがる思いで香具師だったころのつてで知り合った霊媒師に御祓いを頼みこんだのです。まあ、他にできる術がなかったせいもありますが。



 霊媒師は小屋に妻を除き誰も入れてはならないと男を含め集まった親族たちに言い。三日三晩かけて御祓いをしました。



 これで男の妻が病を治して終わりかですって?。それじゃなにも面白くないじゃないですか。



 霊媒師は御祓いを終えると「この娘には強力な悪霊がとりついていた。醜女の霊じゃった」と言いましたそうな。



 どうやら男の妻には昔から醜女の霊が憑り付いており、妻が幸せになるとみるや憑り殺そうとしたのだそうです。



 男と親族達は妻にはやくあわせてくれと頼みました。



 すると小屋から男が女と始めて出会った時に着けていた頭巾をかぶった妻が弱った足取りながらも、しっかりと愛する夫である男に向かい歩を進めていました。



 あたりにいた親族達は男も含め女の頭巾を不思議に思いました。しかし男は顔を親族たちに晒したくないためつけているのだと思い込みました。



 何はともあれ妻の病が治ったことに男は神仏に感謝し、いの一番に妻のもとへとかけより最愛のを抱き寄せ言ったのです。



「どうしたのだい頭巾などして、はやくその顔を私に見せてくれ」



 美しい夫婦愛でしょう?。



 女は声を震わせながら。



 「はい」



 と男に答えると頭巾を自身の手で外すのでした。ですが男は…。



「な、そ、その顔は」



 男は初めて妻の顔を見たときのように絶句し、石のように固まりました。なぜか。



 妻の顔は醜女の顔とは程遠い美女の顔になっていたのです。



 瞳は澄み、目蓋はくっきりとした二重に、口は白い歯が並びよく見え、肌は吸い付くような柔肌に、白髪雑ざりの髪は人形のように綺麗な黒髪に。まるで、天女、いやそれよりなお美しい顔になったのかもしれません。



 また、ここだけあいまい?。それはもう気にしないでくださいな。



 霊媒者曰く悪霊と共に女にかけられていた霊による呪の類が祓われたことにより本来の素顔を取れ戻したらしいんですねこれが。



 ですが、何度も言いますけど男の女人の好みは常人とは真逆なのです。この言葉の意味がわかりますよね?。



 男にとっての最愛の美女は、男にとって最低の醜女に変わり果てたのでした。



 そんな醜女びじょになった妻が最初に夫にしたことはいったいなんだかわかりますか?。わからないならけっこう。話を続けますよ。



 現実を受け入れることができずにその場で石のように動かなくなった夫に、妻は初めて自分がされた時の用に熱烈な接吻をかましたのです。その苛烈さは凄まじく妻の舌は夫の舌を大樹に巻きつく蔦つたのように絡めとると貪るように夫の口を自身の口で塞いだのです。



 健全たる男子からしてみれば眉唾物ですが、夫からしてみればたまったものではないのです。嫌悪感しかわかない醜女となった妻からの情熱的な接吻ですからね。しかし親族の前である手前手荒に引き離すわけにもいかずなすがままに夫は妻の行動を受け入れねばなりませんでした。



 きっと女は嬉しかったでしょう。どんなに最愛の人に愛されていても自身が醜女である事実はかわることはありませんから。まあ、夫からしてみればそれこそが夫の愛の源流ではありますがね。



 ですが夫の異常性を妻は真実の愛だと良くも悪くも妄信していました。だからこそそんな自分を愛してくれる夫に対してずっと後ろめたい気持ちがあったのでしょう。



 ですがもう女は絶世の美女であり誰もが羨む美貌を持ち合わせた三国一の……世界一の美女になれたのです。






 やっと夫に相応しい女になれたのだと。






 しかし男にしてみれば生地獄でしかありません。



 それからの男の生活は悲惨なものとなりました。



 妻は醜女になり…あ、この場合世間的には美女ですが、以前より自分を執拗に求めてくるようになったのです。特に夜の床などは毎夜求めてくるほどでした。



 夫はなんとかしてこの妻と離縁しようと奔走しましたが時すでに遅く。彼の社会的な地位に伴う責任が離縁することを許してはくれませんでした。まっとうな理由なく離縁するには関係が深くなりすぎていたのです。



 当然、うだつのあがらない男から絶世の美女を奪いさろうと様々な不届きな色男や伊達男達が女を誘惑しました。その男達の中には女の初恋の相手もいたそうで。男はその男たちを全力で心の中で応援しました。妻の不義ならば離縁の理由としてこれ以上はないですからね。



 しかし、結果として妻はさらに夫に依存し果ては束縛するようになりました。なぜかですって?。きっと外見が変わるだけで手のひらをかえ媚びてくる男に嫌気がさし、またそのような人間達を心から軽蔑し恐れるようになったのです。



 だからこそ醜女の時でも自身を愛してくれた夫に異常な愛を注ぐようになったのでしょう。皮肉なものです。その夫も妻が軽蔑している男たちと同じ穴のむじななのです。その狢が唯一違ったところは皆が嫌う木の実が大好物だっただけなのですから。



 まあ、真実を語らなかった夫の自業自得と言えばそれまでですがね。



 そして今も男はその女と夫婦でいるそうです。唯一妻が変わることのなかった天女のような声だけを心のよりどころとして、だから男は妻である女と壁越しに話すことが何よりの幸福だそうです。もちろんそんなことは女がさせてはくれませんけどね。



 結果として男の歪な幸福はその歪により自身を不幸にしてしまったのでした。



 一見誰が見てもおいしそうに見える果実でも実はきってみると中が腐っているものです。それは人間の幸福にも同じことがいえるのです。ふふ、長話をしすぎてしまいましたね。御代はここに置いておきます。おつりは結構ですから。



 それでは……ヒッ!!。



 アラアラオマエサマ、コンナトコロデアブラヲウッテイタノデスカ。ツマヲサビシガラセルトハオットシッカクデスヨ。



 そ、そうか。それはすまなかった。で、でもほんの一刻二刻のことじゃないか多めにみくれないか。



 ダメデス。ワタシハスコシモオマエサマカラハナレタクハナイノデス。



 そ、そうか、それより苦しいから私の手に腕を絡ませるのはよしてくれ。



 ダメデスキョウハコノママミセマデカエリマスヨ。



 ソコノカタモダンナサマガメイワクヲカケテシマイモウシワケアリマセン。カエッタラキツクイイキカセマスカラ。



 いや、もうこれ以上はわたしの体がもたな…。



 ソレデハキカイガアレバマタオアイシマショウ。








 お客さん、運がよかったね。儲け儲けってね。



 あの人はいつも奥さんと一緒にいてここに一人で飲みにくることはめったにないんだよ。



 え?、あの人は結局何者なんだって。お客さんもしかして旅の方?。



 あの人は真実の愛を貫いた町一番の幸者。橘屋の跡取りさんさ。



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歪幸福奇譚 黒川名無し @koukyuu59

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