偽の仲間意識・亀裂と終演
「何言ってんの? あんた、誰?」史織が威圧的な口調で言った。
「オサダと申します」
女は丁寧に一礼した。態度に妙な落ち着きがある。
大輔が立ち上がった。袖で目を拭った。
「どなたか存じませんが、ここは舞台裏です。関係のない方の立ち入りはご遠慮願いたい」彼は言った。
すると、女は塔弥のいる方を指差した。
「でしたら、あの方も関係者ではないのではないでしょうか?」
女が指差していたのは舞だった。誰も反論できなかった。
「私に代役をやらせてください」
「すみません。これは遊びではないので。やりたいと言ってできるものではないです」
大輔がうっとうしそうに言うと、女は一歩前に出た。彼女は胸に息を溜め込んだ。
「自分が何をしているか分からない。目が頭を狂わせているのかもしれない。運命よ、力を見せたまえ。我々人間は命運を支配できない。運命によって起こると定められたことは必ず起こる。だからこれがそうなりますよう」
女が淡々と言う様子を、塔弥は唖然と見ていた。その場にいたほとんどの者も、彼と同じようにしていただろう。なぜなら女の口から放たれたのは、真由美の台詞だったからだ。彼女が言いたくても言えなかった、倒れる直前の独白である。
「少しは信用していただけましたか?」女が歯を見せて笑った。不気味だった。
何だこいつは、と塔弥は胸の内で叫んでいた。一度手紙の送り主として疑ったオサダアイが祐樹のペンダントの写真に写る女で、そして目の前で真由美の代理を主張している。
やはり手紙の『哀』は名前だったのか。しかしこの女の名前は漢字が違う。遙が「愛」だと教えてくれた。だが女はなぜか真由美の台詞を知っている。まるで彼女が倒れることを知っていて、準備をしていたかのようだ。
塔弥は頭痛と目眩を覚えた。状況の理解が追いつかず、精神的に参ってしまった。誰かに今何が起こっているのかを説明して欲しかった。
気づくとメンバーが女に感化され始めていた。その女を受け入れる姿勢が顕著になっていた。まるで救世主であるかのような扱いである。先刻まで不信感を抱いていた大輔や史織までもが、その考えに同調していた。焦りからか、彼らは完全に判断力を失っていた。
この状況で劇を続行して何になるのか。真由美がいないこの状況で無理矢理続けたところで、誰の利にもならない。さっさと幕を閉じるべきだ。塔弥はそう思ったが、反抗する気力がなかった。頭痛がひどくなるばかりだった。
祐樹の姿が目に入った。相変わらず隅で孤立していた。表情はない。オサダが来たことに何を思うのか、その口が語ることはなく、ただ沈黙を貫いている。真っ赤な服だけが唯一、彼の存在を際立たせていた。
結局、真由美の衣装を脱がしてオサダが着用し、劇は再開した。真由美は看護のため舞に別室へ連れられた。
塔弥はやる気などなく、演技に集中するということは到底できなかった。心配、不安、不信が募り逃げ出したくなった。
それでも一応の仕事はしたが、なぜメンバーたちがまた生き生きと演じられているのかが不思議でならなかった。メンバー一人の欠如を外の人間で穴埋めすることに対する違和感はないのか。劇を完遂することだけが目的になってしまっている現状を受けて、彼らへの仲間意識は一気に薄れた。
早く終われ、と思いながら台詞を唱えていた。
「ご観劇、ありがとうございました」
閉幕を迎えた時、大きな拍手が起こったが、塔弥の心には何も響いてこなかった。
幕が締まり切ると、メンバーがハイタッチを交わした。塔弥は誰とも手を交わさず、一人舞台裏に下がった。壁際に座り込んで顔を膝にうずめた。
「塔弥、どうした? せっかく危機を乗り越えて最後までやり遂げたんだ。もっと喜べよ」
大輔の声が、その他多くの喜びの声と共に近づいてきた。中には感極まる声もあった。
塔弥は耳を塞いだ。周囲との感情に差があり過ぎて気がおかしくなりそうだった。
やがて誰かに肩を叩かれたが、塔弥は頭を上げはしなかった。しかし体を大きく揺さぶられたことで、思わず手が出た。小さな悲鳴があった。
「おい、塔弥、頭を上げろ」
髪を引っ張り上げられた。大輔が顔をしかめていた。莉央が床に後ろ手をついているのが視界の隅に入った。
「何が不満だったんだよ」大輔は言った。
「別に。よく喜べるなと思って」
「何でそんなことを言う」
「だって一人倒れたんだぞ。大事なメンバーが一人いないんだぞ。それを怪しげな部外者で補填して、それで成功を収めましたなんて言えるのか?」
そう言ったその時、もてはやされるオサダの姿が目に入った。あたかもメンバーの一人であるかのように舞台裏にいることに、塔弥は無性に腹が立った。
「おい、そこのお前っ」
塔弥は声を荒げた。一瞬にしてメンバーの歓喜の声が失われた。
「私ですか?」オサダが不思議そうに自分を指差した。
「お前だよ。何でここに来た。何が目的だ」
意味が分からないというように、オサダは首を傾げた。
「何で台詞を全部覚えてる。何で役をこなせた」
塔弥は立ち上がって接近した。
「私、みなさんの劇をずっと追いかけていました。好きで毎回観に行っていたんです。それでいつか舞台に上がってみたいなと思うようにもなっていました。だから今回『十二夜』をやると聞き、みなさんの真似をして台詞を覚え、一人で役者気分を味わっていたんです。そうしたらあのようなことが起こって、ひょっとすると役に立てるんじゃないかと思って出てきました」
「嘘をつけ。知ってたんだろ、真由美が倒れることを。だから前以て準備してたんだろ。これはお前の策略だろ」塔弥は睨みつけた。
気圧されたオサダが後ろへ引いていく。「何を言ってるんですか……?」
「とぼけるな。もっともらしいことを言いやがって。どうやったかは知らないが、お前が真由美を気絶させたんだろ。それで役を奪い取ることがお前の目的だったんだろ」
「一体何のことか……」
「まだとぼけるつもりか」
右腕を掴まれた。史織だった。
「あんた、頭おかしいんじゃないの? 言ってることがめちゃくちゃよ」
「うるさい。離せ。こいつがやった。こいつが全部壊した」
「何を根拠にそんなことが言えるっていうの?」
「俺のところに手紙が届いたんだよ。今日に何かを起こすっていう内容だ。そこにこいつの下の名前があった。漢字は違うが、それは示唆しつつ隠すため」
史織が呆れたような顔で手を離した。お前に分かるはずはない、と塔弥は言った。
「私は何もしていません。手紙なんて知りません。ただみなさんの役に立ちたかっただけです」
弁明を続けるオサダに嫌気が差した塔弥は、祐樹の所へ行って胸ぐらを掴んだ。「あの女を知ってるんだろ」
「……ああ」
「何者だ」
「俺の――」
「知ってる。女の魂胆を聞いてる」
「さっき言ってただろ。そういうことだ」祐樹は表情を変えないで言った。
こいつは何も話さないと塔弥は直感した。
「くそっ」祐樹を強く押した。「もういい。何でもいい。だがお前たちに一つだけ言っておく。今回の劇は成功でも何でもない。あまり浮かれるな」
全員を睨みつけたあと、塔弥は舞台裏を今すぐ立ち去ることを決めた。皆とはもう一緒にいたくなかった。真由美のことも心配だった。
だが階段まで進んで舞台の床を見た時、これまでのメンバーとの思い出が突然蘇ってきて、塔弥の頬には涙が流れていた。階段を上る足は重かった。舞台に足をつけた時には視界が歪むほどに号泣していて、むせぶ声を止ませることができなかった。
「くそ……何で……」
振り返ることはできなかった。怒鳴り散らした手前、戻って感謝を伝えるということはできなかった。そのまま舞台裏を離れていくことだけが、彼に許された行動であった。
幕を抜けると、そこにはもう誰もいなかった。客席に挟まれた長い通路をゆっくりと上がっていった。
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