なお浮かない気持ち

「――という感じで、各自最後の最後までしっかり詰めていってくれ。まだまだ改善の余地はあるからな」

 大輔がリハーサルの反省点を伝えたところで終了となった。時刻は四時を回っていた。

 舞台裏で着替えている途中、圭人が叫んだ。「うわ、どうしよう。ズボンの股の部分がちょっとだけ裂けちゃってるよ」

「ははは。太ってるからだろ」遙が馬鹿にした。

「そ、そんなに太ってないよ。ちょっと丸みがあるだけだよ」

「それを太ってるって言うんだよ」

「違うよ……って、そんなこと言ってる場合じゃなくて。今はこれをどうするかだよ」

 衣装を手に当惑する圭人に対し、弘毅がパーカーを着ながら言った。「アップリケつけておきな。プリケツのお前にはぴったりだ。それを見て、みんながあっと言うだろうよ」

「もう、僕は真剣に考えてるんだよ。冗談はよしてよ」

「俺の冗談は正気だ。これは覚えておけ」

「はあ、仕方ないか……」

 圭人は残念そうに衣装をバックパックに仕舞い込んだ。

 塔弥がジーンズに穿き替え、上半身に手をかけようとした時、フロアへ通じる扉が開いた。すでに更衣を終え紙袋を手に持った祐樹が、そこから出ようとしていた。

「早いな。もう帰るのか?」塔弥は聞いた。

「ダメか?」祐樹は愛想なく言った。

「いや、そんなことは」

 祐樹が扉の向こうに消えた時、塔弥はあることを突然思い出し、急いでバッグの中を漁っていた。

 奥底にそれはあった。手に握り込み、ジーンズに衣装という異質な恰好のまま祐樹を追いかけた。

「祐樹、これ、お前のだろ」

 塔弥は持っていた青色のペンダントを差し出した。表面には縦に亀裂が入っている。中の写真は印象的で、塔弥の記憶から消えることはない。おかっぱ頭の女と写る祐樹の派手な姿が珍しく、忘れたくとも忘れられない。

 ペンダントを目にした祐樹は、顔色を変えた。どうやら彼にとって、これはただの飾りではないようだ。

「これ、どこで?」

「地下で稽古した時に、祐樹が先に帰っただろ。そのあと、俺が見つけたんだ」

 祐樹は奪うようにペンダントを取り、眼鏡越しにそれを観察し始めた。

「この傷、最初から?」彼は低い声で言った。

「いや、多分俺がつけたのかもしれない。机の脚で踏んでしまったというか……」

 途端、祐樹の鋭い目に睨まれた。塔弥は萎縮した。

「……ごめん」

 反射的に謝ったが、祐樹は何も言わない。彼はペンダントを開き瞬きもせずに写真を凝視した。徐々に彼のこめかみに力が入っていった。

 塔弥はじりじりと身を後退させた。まずいことをした、という気持ちが頭を支配していった。

 次の瞬間、祐樹の体が反転した。塔弥は驚いて体を仰け反らせたが、祐樹が逆方向に走っていき、思わず唖然とした。彼は止まることなく体育館を出ていってしまった。

 塔弥は緊張を残したまま舞台裏へ戻った。寡黙な人間が怒ると恐いということを、身を以て体感した気がした。えも言われぬ威圧感を感じた。

「みんなで夕食でも行こうかと思うんだが、塔弥はこのあと大丈夫か?」

 大輔が提案をしてきた。塔弥以外は皆、着替えを終えていた。

「いいよ」塔弥は言った。

 着替えを終え、全員でフロアへ出ようとした時だった。塔弥が扉をくぐろうとすると、誰かに腕を引っ張られて中へ引き戻された。そして扉が閉められ、電気が消えた。

「お、おい。何だよ、一体」

 暗くてほとんど何も見えなかった。何かをされるのではないかという恐れが塔弥を襲った。

「あの手紙の答えは見つかったのか?」やんちゃな印象の声がした。

「弘毅か?」

「誰でもいいだろ。で、どうなんだ?」

 弘毅で間違いなかった。塔弥は警戒を解いた。

「結局何も分からないよ。本当にメンバーの誰かの企みなのかも、今となっては半信半疑だ。誰もそんな素振りを見せないしさ。でも本番をぶち壊しにするような真似をされなければ、もう何だっていいと思えてきたんだよ。だから、もう何かを炙り出そうとか、そういうことはやめた」

 余計なことばかり考えている自分が馬鹿らしく感じ始めた塔弥は、すでに演劇に集中することを決めていた。

「ふうん、そうか」弘毅はどこかつまらなさそうな声で言った。

「弘毅は何か分かったのか?」

「まあな。俺の中の勘が囁いたのが、サプライズというワードだった。イブという記念日にサプライズをしたくなるのは、お前もよく分かるだろ」

「でも、罪とか殺すとかいう言葉があったんだぞ」

「それは恐怖心を利用したサプライズだ。事前に怖い思いをした方が驚きも大きくなるという心理をついてる」

「それ、本当か? じゃあ一体誰が?」

「そんなもん、言っちゃあサプライズにならんだろ」

 弘毅が言ったその時、暗闇に光が差し込んだ。

 大輔が扉から顔を出した。「お前ら、何やってるんだ? 早く行くぞ」

「いやあ、すまん。油を売ってただけだ。塔弥のやつがなかなか買わないから無駄話に興じてたら、お前が水を差した」弘毅は言った。

「何でもいいけど、みんな待ってるから早くしろ」

「へいよ」

 弘毅は握り拳を塔弥の腕にぽんと当て、外へ出ていった。

 中に一人残された塔弥は「サプライズか……」と呟いた。しかしその言葉に、あまり釈然とはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る