第14話 兄と弟

 慎吾兄に無言で対峙したまま、どれくらいたったのか。


 気がつくと、目の前には息を切らした慎吾が立っていた。

 

「おつかれ、慎吾。仕事終わったのか?」


 何でここが分かったんだろう、お兄さんから聞いたのかな。

 慎吾が目の前にいたのも驚いたけど、何事もなかったかのように明るく慎吾に声をかける慎吾兄にはもっと驚いてしまった。本気で何を考えてるか分からない。何なのこの人、サイコなの?


「......こんなところで何してるの?」


「何って、真由さんと話してただけ」


「……そう。もういいから帰って」


「おいおい。いくらなんでも、兄さんに対してそれはひどくないか?」


「今までの行いを省みてみなよ。もういい加減限界」


 慎吾が……、ブチ切れてる……。

 慎吾がこのお兄さんにされたことを考えたら、もっと早くキレるどころか絶縁しててもおかしくないけど、慎吾がここまで敵意をむき出しにするなんて信じられない。


 目の前の光景が信じられなくて、慎吾と兄をかわるがわる見るけど、慎吾がここまで言ってるのに、サイコ兄は相変わらずニヤついてて、もうこの人には何を言っても無駄な気がした。


「過去のことは今さら言っても仕方ないから許したけど、忘れたわけじゃないから。

真由に何かしたら、今度こそ本気で許さない」


「だから、何もしてないって。そんなに怒るなよ。慎吾のために、可愛い真由ちゃんのこと調べてやったのにさ。真由ちゃんの過去、知りたいの? この子さ、お前に相当隠し事してるよ」


 ああ、さようなら、私のセレブ婚の夢……。さようなら、慎吾……。


 幼稚園の頃からの夢が破れる時が近づいていることを悟り、心の中でそっと涙してから、座して審判の時を待つ。


 慎吾との別れを覚悟して待っていたけど、テーブルの上にあった例の身辺調査の紙を兄が慎吾に渡しても、慎吾はそれを見もしないでテーブルの上に裏向きに伏せた。


「頼んでもないのに、勝手にこんなことしないで。真由に失礼だよ。

母さんにも言ったけど、真由は僕が選んだ女性だ。聞きたいことがあれば自分で聞くし、こんな形で知りたいと思わない」


 思わぬ形で命が繋がって喜ぶところのはずなのに、慎吾の言葉が胸の奥に突き刺さった。


 もしも、私の過去や目的を知られて慎吾に責められたら、上手いこと言って取り繕うか、逆ギレしてたかもしれない。


 私は、そういう自分勝手で最低な人間だ。

 慎吾とは全然違う。


 あくまで私に対して誠実であろうとする慎吾に、逆に責められているような気がして胸が痛んだ。


 ひどい言葉で責められるよりも、疑われるよりも、信じられる方が辛いのかもしれない。だって、結局は私は慎吾の兄が言うように、信じる価値なんてない女なんだから。


「本気で言ってるのか?

慎吾は女を見る目がないから、兄さんが信じられる女性かどうか代わりに調べてやったのにそんなこと言うんだ?」


「必要ないよ。もうこどもじゃないんだから、何を信じるかは自分で決める。悪いけど、兄さんの方が信頼できないから」


 そうきっぱりと言い放った慎吾に、慎吾の兄は一瞬驚いたような顔をしていたけど、すぐに不適な笑みを浮かべて立ち上がった。


「......へぇ。そこまで言うなら、今日のところは引くよ。今度こそ、上手くいくといいな」


 今度こそ、というか、慎吾が前の彼女とダメになったのは、あなたのせいじゃないの?


 自分でも分かっているだろうに平然とさっきみたいなことを言ってのける根性には、逆に拍手を送りたい気分になる。


 あっけにとられる気持ち半分、後ろから背中を蹴り飛ばしてやりたい気持ち半分。

 なんとも複雑な気持ちで、兄御曹司の背中を見送った。


「ごめんね、嫌な気分にさせて。前にも話したけど、昔からあんな感じなんだ」


 慎吾は困ったようにため息をついて、兄が去って空いた席に座った。


「ううん、大丈夫」


「これから先もさっきみたいなことがあるようなら、あの人たちとは決別してもいいと思ってるんだ」


「だめよ! そんなこと」


 それは困る。遺産が入ってこなくなってしまう。


「家族なのに、そんなさみしいこと言わないで。思うところはあるかもしれないけど、慎吾のことを大切に思ってくださってるのよ」


 さっき良心の呵責に苦しんでたばかりなのに、私の拝金主義は簡単には治らないらしい。


 うっかり本音が出て熱が入り過ぎたのをごまかすように、さももっともらしいことを付け加える。


「......そうかな、そうだね。あのさ、ひとつ聞いてもいい?」


 兄から弟へと同席者が変わったのを察知したウェイターが、何も言わなくても持ってきてくれたお水に慎吾は手を伸ばす。その瞳は、いつになく真剣だ。


「なに......?」

 

 やっぱり私の過去のことを聞かれるのか、それとも……。一瞬で色んなことが頭に巡って、柄にもなく声が震えた。


「正直に、答えてほしい」


「......うん」


 ひどく真剣な表情で、わざわざ再度念を押ししてきた慎吾に、思わず唾を飲み込む。


 こうなったら、もう何を言われても受け入れるしかない。


「兄さんに、揺れた?」


「......へ?」


 一瞬慎吾が何を言っているのか分からなくて、間抜けな声が出てしまった。いったい何を言われるのかと思ったら、突然それ?


 そりゃデキる長男御曹司は魅力的だけど、あの手のタイプは扱いにくいし、ワンナイトでいいと思うほどの魅力は感じなかった。


 予想外のことを言い出した慎吾に、拍子抜けしてしまう。


「何でそうなるの? そんなわけないよ」


「いや、だって。前の彼女が兄さんと浮気してた話もしたのに、何でついてくの?

正直二人きりになってほしくなかった」


「慎吾の仕事が終わるまでって話だったし、お兄さんがどうしてもって言うから……。

ごめんね、私が無神経だった。でもね、密室に二人きりってわけでもないから平気かと思ったの」


 そう説明しても、慎吾は全く納得のいってなさそうな顔をして辺りを見渡した。


 それに習って、私も失礼にならない程度にまわりをみると、カウンター席にはキスをしている男女や、身を寄せあう男女がいたり、スーツ姿の男性ときれいなワンピースやスカートの女性が、あちこちで良い雰囲気になっていた。


 barに入りたてはこんなでもなかったのに、......いつのまにこんな雰囲気になったんだろう。この状況には、さすがに言い訳も思い浮かばず苦笑いするしかなかった。


「......怒ってる?」


「どうせ兄さんが無理矢理連れ出したんだろうし、真由には怒ってはないよ。

でも、……もし真由まで兄さんの方にいったらどうしようかと思った」


 さっきまでは堂々としてたのに、急にまた残念御曹司に舞い戻り、オロオロし出す慎吾を見ると、なぜか妙に安心した。

 これでこそ慎吾よね。


「不安にさせてごめんね。でも、それは絶対ないよ。私には慎吾だけだから」


 テーブルの上の慎吾の手にそっと手を重ねると、強く握り返された。


 自分では平気だと思っていたけど、さっきの慎吾兄との一件でけっこうなストレスを感じていたみたい。慎吾に手を握られて、緊張が解けていくのを感じる。


 慎吾からみたら、私に狙われたのは災難でしかないだろうけど、狙いをつけたのが慎吾で良かった。


 もちろん御曹司じゃなかったら、興味さえ持たなかったと思うけど、思ったよりも私……。


「ね、キスしたい」

 

「……店の中だけど」


 急にキスしたくなってきたので、そのままそれを口にすると、苦笑いを返された。


「じゃあ、二人になれるとこに行きたい」


「行く?」


 小声でそう囁くと、私に手を差し出した慎吾の手を取って立ち上がる。

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