第10話 残念御曹司を進化させる方法

 ごはんも食べ終わり、今日は泊まっていくことになった慎吾がシャワーを浴びていると、何度も何度も慎吾のスマホが着信を告げる。


「慎吾、慎吾~? さっきからずっとスマホなってるんだけど、どうする?」


 この鳴り方はメールではないだろうし、急ぎの用かもしれない。お風呂のドア越しに慎吾に声をかける。


「悪いけど、誰からの電話か見てくれる?

カバンに入ってると思う」


 お風呂のドア越しにくぐもった声が聞こえてきたけど、一瞬耳を疑ってしまった。


「え? それはいいんだけど、私が見てもいいの?」


「? うん、よろしく。ごめんね」


 誰からの電話か確認するのは、全然いい。全然いいけど、勝手にカバンあさっちゃってもいいの? いくら彼女でも、無防備過ぎない?


 少し迷ったけど、本人が良いと言っているので、慎吾の仕事用のカバンを拝見させてもらうことにする。


 慎吾の持ってきたカバンは、よくサラリーマンが持っていそうなオーソドックスな形だけど、よく見るとやっぱり高級そうなカバンだった。やっぱりセレブは、どんなものでも庶民とは違うのね。


 その中から慎吾のスマホを探すと、スマホを取り出す前に色々なものが出てくる。


 高級ブランドの長財布に、これは......、仕事用の書類? 企画書......?


 これ慎吾が書いたの? 面白そう……。

 思わずまじまじと見てしまったけど、一時静かになっていたスマホが再び鳴り出したことで、はっとしてそれを操作する。


 ロックも何もかけてない画面を見ると、九条明? ......ああ、例の一番上の兄御曹司ね。


「慎吾? お兄さんからだったみたい」


「......分かった、明日かけ直すよ。ありがとう」

 

 再びお風呂のドア越しに声をかけると、慎吾はあっさりとそう返事をした。後でかけ直すとかじゃなくて、明日でいいんだ。


 まあ慎吾が良いって言っているんだから、いいわよね。どうせ弟の婚約者を寝取るクソ兄だし、ようやく諦めたのか電話もかかってこなくなったし。


 それにしても……。兄御曹司の電話のことはそうそうに意識の外に追いやると、やっぱり慎吾の無防備さが気になった。 


 こんなに簡単に付き合ったばかりの彼女に、持ち物を触らせて大丈夫なの?


 私の元カレなんて、少しでもスマホを触ろうものなら、鬼のような形相でそれを奪い返してきたのに。結局浮気してたから、触らせなくなかったってオチだったんだけど。


 やましいことがないから平気なのかもしれないけど、前の彼女にお金を盗まれたことがあるというのなら、もう少し警戒してもおかしくないはずなのに。


 どうにもそこが引っかかった私は、お風呂上がりの慎吾にそれとなく聞いてみることにした。


「さっきのことだけど、私が勝手に持ち物を触ったりしても慎吾は大丈夫なの?」


「何で? さすがに知らない人には触らせたりしないけど、真由は大丈夫だよ」


「信頼してくれてるのは嬉しいけど、でも.......、こんなこと言いたくないんだけど、前の彼女に現金とパソコン持ち逃げされたんだよね? 慎吾はトラウマになったりしてないの?」


 私が貸したスウェットを着ながらも不思議そうに私を見る慎吾に、言葉を選びながら慎重に話をする。


 身長が全然違うから、丈がピチピチ。慎吾用のものを用意しないと。


「うーん......。 逃げられたことはショックだったけど、お金は何か事情があったのかもしれないし、必要だったのかもしれないから」


 だから、どんな事情よ。兄と浮気した上にお金盗むって、ただの銭ゲバ犯罪者でしょ。


 サイズの全く合わないスウェットも残念なら、発言もこれまた残念。お人好しもここまでくると病気だ。苦笑いでそんなことを言う慎吾に、無性にイライラする。


「そっか......、そうかもしれないね。でも、私は慎吾が心配。世の中には悪い人間がたくさんいるから」


 たとえば、私とか。金のあるところに、人はハイエナのようによってくる。


 慎吾みたいなお人好しで騙されやすい御曹司なんて、即騙されるのがオチだ。


「分かった、心配してくれてありがとう。

気を付けるよ。これからは、真由以外の人には勝手に触らせないようにする」

   

 だから大丈夫だよ、と何の疑いも持っていない目で見られてしまうと、さすがの私も心が痛い。

 強欲なオッサンとかなら、罪悪感なかったかもしれないけど。慎吾といると、自分が極悪非道な人間に思えてくるから困る。


 無防備、無警戒というのは、時に最大の防御なのかもしれない。ガチガチに防御されるよりも、ノーガードの方が案外攻めにくいのよね。


 別にこんな言わなくてもいいことをつい言ってしまうくらいには、ここのところ私のなけなしの良心がチクチク痛むのを自分でも感じているけど、だからといって、こんな狙い目物件を逃がすわけにもいかない。


 拝金主義の腹黒ハイエナ女でごめんね、慎吾。

  

「......うん、本当に気を付けてね。あと、企画書も見ちゃったんだけど、あれは慎吾が書いたの?」


 これ以上さっきの話題を続けていると、良心の呵責に負けそうになるので、もうひとつ気になっていたことを聞いてみることにした。


「ああ、うん、そうなんだ。あれ見たんだね、......恥ずかしいな」 


「どうして? すごく面白そうだったよ。

絶対企画通ると思う」


 私はフロアの受付嬢に過ぎないから、内部の詳しいことまでは知らないけど、慎吾の勤めている食品会社は、主にお菓子を販売していて国内シェア率も高かった。


 有名なお菓子の会社につとめる慎吾の企画書には、恋するお菓子と書かれた企画が書かれていた。そこには詳しい説明に、分かりやすい図が書かれていて、全く企画に携わっていない部外者の私でもすぐに理解することが出来た。


 この企画書によると、甘々な恋の味、少しほろ苦い恋の味とか、色々な恋にたとえて、パッケージもそれぞれ変えるらしい。


「お菓子って、味はたいして変わってなくても、新商品が出たりするとついつい手に取りたくなるよね」


 それが、可愛いパッケージなら、なおさら。しかも色々なバージョンがあるなら、違う味も試してみたくなる。


「真由にそう言ってもらえるのは嬉しいけど、今回もダメかもしれない。本当は他にも色々企画を考えたりしてるんだけど、いつもプレゼンで負けるんだ」


 そりゃもっと良い企画を持ってきたライバルがいたら、負けるんでしょうけど、最初から負けると思ってるってどうなのよ。


 お得意の苦笑いを浮かべる慎吾には、思わずため息をつきそうになってしまった。

 あの家族の中で優秀な兄たちを見て育てば、こうなるのも仕方がないような気もするけど、それにしてもイライラする。


 仕事ができないできない言われてるけど、慎吾の場合、結局自信がないだけなんじゃない?


「大丈夫、絶対勝てるよ。今までの企画は知らないけど、今回のものはすごく面白そうだと思う。

慎吾は色々なことに自信なさすぎだよ、もっと自信もって? 私は、慎吾の良さをもっとたくさんの人に知ってほしい」


 部外者の私に企画が通るかなんて分かるわけがないけど、少しでも慎吾の自信がつけばいい。


 御曹司というだけで有り余るほどに魅力的だけど、慎吾が自信をつけてそれが出世に繋がって将来私と結婚した時に手に入るお金が多くなるのなら、それに越したことはない。


 今までは徹底して慎吾を否定することは言わなかったけど、今回に限り少しはっきり言わせてもらう作戦に出ることにした。


 ベタベタに甘やかすだけが彼女じゃないの。結婚しようと思ってもらえる女になるためには、時には厳しくしないと……よね?


 常に計算して動いてるつもりだけど、結局のところ独身だし、プロポーズされたこともないのだから、いつでも捨て身の出たとこ勝負だ。これが吉と出ればいいんだけど。


「......ありがとう。真由がそう言ってくれるなら、本当に上手くいくような気がしてきたよ。やるだけやってみる」


「慎吾って、人の意見を素直に聞き入れてくれるよね。そういうとこ、すごく好き」

  

 あっさりと私の意見を聞き入れた慎吾に、内心ほくそ笑みながらも、いつもの癒し系笑顔をみせる。


 やっぱり、男は扱いやすい男に限るわね。

 良く言えば素直、悪く言えば単純。

 どうしようもないお人好しで騙されやすいけど、逆に考えると、我の強すぎる男よりも柔軟性があって扱いやすいとも言える。


 ダメだ残念だとみんなから言われているし、私も付き合う前まではそう思っていた。


 だけど、付き合ってみると、そんなに壊滅的に残念だとも思えなくなってきた。自分に自信がなくて今までは色々なことが上手くいっていないだけで、実はしっかりしてるところもある。


 もっと周りに恵まれて、上手い具合に慎吾を導いてくれる人がいたら、成功できるんじゃない? そういうことなら、がんばっちゃうわよ?


 遺産争族ももちろんがんばるけど、お金はあればあるだけ有り難い。


「真由だからだよ。真由がいてくれたら、何でもできる気がする」


 この人の良さそうな笑顔も、バカっぽい発言も、以前は残念だとしか思わなかったけど、最近は一周まわって愛しく思えてきたから不思議だ。


 お人好しも限界を越えると、どうやら違うものに変化するらしい。

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