第1話 狙い目は三男?

「なあ、本気で九条慎吾(くじょうしんご)狙うつもり?」


 私が使っているランニングマシンの隣で走りだしたかと思えば、挨拶もしないでいきなりそんなことを切り出してきた男、澤谷大輔(さわたにだいすけ)。


 三年前に少しの期間同棲していた元カレでもあり、私の本性を知る数少ない男でもある。


「もちろん本気よ」


 セレブ男性らしき人も見当たらないし、大輔相手に愛想振り撒く必要もないわね。

 そう判断した私は、ガラス張りになっている窓の外に視線は向けたまま、マシンの速度を上げる。


 午後六時、東京都内にある高層オフィスビル五階、ガラス張りになっているフィットネスジム。ここはミドルフロアの受付嬢として自らも働いているビルのジムで、大体週二日くらいは通っている。


 同じくこのビルのミドルフロアに入っている食品会社の社員である大輔も、このジムの会員ね。

 会えば挨拶くらいはするけれど、まわりには同棲していたことはいってないし、誤解されても困るから、人前ではほとんど話したりはしない。


「いくら御曹司だからって、九条だろ?

仕事は全くできない、何やらせてもダメ。

コネ入社ってみんな言ってるけど、そうとしか考えられない。しかも、社長の息子っても、あいつ三男だろ?跡継ぎになるわけでもなし。どこらへんがいいわけ?」


 お互い視線を合わせないまま、たんたんとランニングマシンで走りながらも、会話を続ける。


 大輔は嫉妬で言ってるわけでもなく、きっと心の底から、九条慎吾の魅力が分からなくて言ってるんだと思う。


 噂の九条慎吾は、私と大輔より二つ年下の二十五才。大輔の同僚でもある彼は、今の会社の系列会社の社長の息子で有名だ。


 その他が多少残念でも、普通は御曹司というだけで女がよってきそうなものなのに、やつに限ってはそうでもないらしい。


 それどころか、御曹司(笑)社長の息子(笑)と微妙にバカにされてるし、笑いの対象にもなっている。


 仕事を任せれば、何かトラブルを起こす。

 とにかく仕事が遅い。

 合コンに行けば、気に入った女はみんな同僚や友人にもっていかれ、うまくいってよかったとニコニコ。

 過去に結婚間近まで行きかけたと噂の彼女には、結婚直前にパソコンと部屋にあった現金まで持ち逃げされたらしい。


 極度のお人好しで、世間知らずの残念御曹司。


 大輔の言うように、世間一般の感覚で言うと、金銭面以外ではあまり魅力を感じられないと言ってしまっても過言ではないかもしれない。


 だからこそ、私は九条慎吾に狙いを定めたわけよ。


「逆に考えるのよ。コネで入社できるほどのコネがあるんだ、と」


「はあ?」


「三男? 結構よ。長男や次男より、よっぽど狙い目じゃない」


 イケメンで、仕事もできて、リードしてくれて、セレブ。高望みすればいくらでも上がいるけど、私は野心は強くても身の程知らずではないわ。


 できる男はパートナーにもそれ相応のものを望むし、女慣れしている。しかも、競争率も高い。


 受付嬢をしているくらいだから、容姿にはそこそこ自信はあるし、自分磨きは欠かさないけど、モデル級の美女でもないことは自分でも分かっている。


 素敵なイケメン御曹司に見初められて......、なんて夢物語を夢見ているよりも、私は現実的な方法で、手に入れやすい王子さまを手に入れるべく、行動に移すことにしたのよ。


「世間知らずでだましやすそうなお人好し三男御曹司なんて、まさに狙い目じゃない」 


 セレブだけど、残念で、競争率も低い。

 だからこそ、あえて、九条慎吾に狙いを定めたの。


 私と慎吾、それから元カレの大輔が勤めているオフィスビルは都心にありアクセスもしやすい。年収一千万超えがゴロゴロいるといわれていることもあって、一度は働いてみたいと憧れのオフィスビルだ。


 中でも私が受付で働いているミドルフロアよりもさらに上層階のアッパーフロアの人間は、セレブの中のセレブ。

 アッパーフロアの住人ではないけれど、それにも匹敵する御曹司の慎吾はまさに選ばれしセレブだった。


 あわよくば高収入の男を捕まえたいと野心を秘めて受付嬢になった私としては、格好の相手というわけ。


 そんなことをつらつらと語っていたら、今まで他人の振りで視線を合わせなかった大輔も私の顔をマジマジと見る。


「相変わらず計算高いな」


 大輔はため息をつきながらも、私に複雑な感情が混じり合った視線を送ってくる。あきれたような、軽蔑したような、ある種、感心したような。


「それはどうも」


 これでも二十代前半のもっと若い頃は、好きになった人と結婚したい、なんてまともなことも考えていた。


 考えていた、けど、もう懲りたのよ。

 仕事もできて将来有望の大輔は、私の元カレのなかでは割りとまともな方だけど、その他の男はろくな男がいなかった。


 高校生のとき、初めて付き合った彼氏は、超がつくほどのドケチ。一円単位まできっちりワリカンする男だった。

 大学生の時の彼氏は、アル中で酒乱なあげく、飲酒運転で捕まった。

 その次の彼氏は、売れないバンドマンでほとんど無収入なうえに浮気男。


 その他男でした失敗は数知れず。


「私の幼稚園児の頃の夢は、玉の輿にのることよ。初心を貫くことにしたの」


 幼稚園の頃、他の女子たちはみんなケーキ屋さんだとかお花屋さんだとか、可愛らしい夢をもっていた。

 そのなかで一人だけ、玉の輿にのりたいと七夕の短冊に書いた幼稚園児は、何を隠そうこの私よ。


 若気のいたりで、愛なんてものも一瞬信じて貧乏男とも付き合ってみたりもしたけど、断言するわ。


 セレブに非ずは、男に非ず。

 貧乏は、愛さえも奪うのよ。


 腹黒、最低女、拝金主義と罵られようと、これが二十七年間の人生の中で出した結論なの。


 貧乏男と付き合っても、ろくなことがなかった。信じられるのはお金だけよ。


 貧乏イケメンに尽くすよりも、残念セレブに尽くされたい。

 自転車に乗ったイケメンよりも、高級車に乗った残念セレブがいい。


「末恐ろしい幼稚園児だな」


 げんなりとした様子でそう言った大輔に、私はよそゆきの笑顔でふんわりと笑う。


「私の本性誰かにバラしたら、......分かってるでしょうね? それなりに報復はさせてもらうわよ」


 私の言う、それなりに、とは、人生潰すわよと、ほぼ同義だ。

 女二十七才、もう失敗は許されない。


「はいはい、別に言わないよ。言いふらしても、俺に何の得もないし。まあ、がんばれよ」


「頭の良い男は好きよ。お先に失礼します、澤谷さん」


「......おつかれさまです、櫛田さん」


 ほとんど歩くようなペースになっていたランニングマシンを止めて、そこから下りると、大輔はマシンに乗ったまま小さく頭を下げた。

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