33



 俺ら教師陣の寮も学園の敷地内にあり、今日は眠れず散歩したい気分だった。

 アスル寮の近くを通り、警備と「お疲れー」なんて挨拶をしていたら、お嬢が歩いてるのが見えた。


 普通だったら夜中に護衛も付けずに…となるところだが。お嬢だったらむしろ悪漢の身の心配をする事態になりかねん。




「…………………。」




 すぐに声を掛けてもよかったんだが…なんとなく。歩く姿を眺めると同時に…。

 初めて会った時の事を思い出していた。






 俺は貧しい家庭に生まれた。うろ覚えだが、父親はいなかった気がする。

 母親は毎日違う男を家に連れ込み、その度俺と3つ下の弟は追い出される。母のが終わるまで…雪が降る寒い夜も、身を寄せ合って耐えた。


 ある日、母親が死んだ。病気だった。

 俺らは家賃を払えず、家を追い出された。泣きそうな顔で俺を見上げる弟の顔が…何十年経っても頭から離れない。



「大丈夫。おれが守ってやるぞ。」



 まだ8歳の俺はそう決意した。

 だが…こんなガキ2人で生きていけるほど、世間は甘くない。俺は孤児院を目指したが…。


 俺が生まれた国ではここ数年不作が続いていて、貧しさから命を奪われた人間は多くいた。

 孤児も溢れかえっていて…どうにか頑張って、1人なら…とのことだった。


「に…にいちゃん…。」


 迷いはなかった。

 泣き喚く弟を孤児院に押し付け、俺は背を向けた。



「うるっせえな。おれ1人ならヨユーで生きられんだよ。弱っちいお前はここにいろ。」


「兄ちゃんのばかあああ!!」という最後の声が、いつまでも俺の頭に残り続けた。





 俺は孤児院か仕事を求めて、色んな町を歩き回った。だが当然、上手くいかない。

 子供に出来る仕事はないし、どこも孤児が沢山。盗みやゴミ漁りをして、どうにか飢えを凌いだ。

 何度も死にかけて、もう諦めてしまおうかと思いもした。

 それでも…いつか胸を張って弟と再会する日を夢見て、歯を食いしばって生きた。




 ある日、滞在してた町を狼の魔物が襲った。それほど強くない種族だったので、町の兵士達がなんとか倒していた。

 だが1匹町に入り込んでしまった。町民は皆避難していたのだが…俺はその隙に火事場泥棒を働いていた。

 それで天罰でも下ったかな。魔物は俺に狙いを定めて…。



「(あぁ…これで終わりか。あっけねえなあ。)」



 鍛えてもいないガキに敵う相手じゃねえ。

 逃げも抵抗もせず、静かに目を閉じたら…。



「おいクソガキ。諦めんのは早えんじゃねえか?」



 予想していた痛みはなく、ドスンという音に目を開けた。そこには首を落とされた魔物の死体と、中年の男が1人。

 たまたま町を訪れていた、傭兵に助けられた。


 その傭兵は世話焼きで、ボロボロの身なりの俺を気にしてくれた。そして俺のステータスが高いと知り…。


「足掻いてみるなら。生きたいなら…傭兵になるか?」


 その差し伸べられた手を、俺は取った。それ以外に…俺が生きる道はなかった。



「防御は捨てろ。持ち堪えていたら、誰かが助けに来てくれるなんて期待するな。

 攻撃と素早さを重点的に鍛えろ。お前は魔法は不向きだ。物理が効かない相手は速攻で逃げろ、お前なら出来る。」


 男は俺に、傭兵としての全てを教えてくれて行動を共にした。傭兵の仕事は多岐に渡り…人を殺す事もあった。

 だけど最後の人間としての意地で、悪人以外と女子供は決して殺さないと誓った。傭兵ジジイは笑いながら、やってみろと背中を押してくれた。


 ちなみにハゲはジジイから受け継いだ知識だ。なので名誉会長の座はジジイに譲るべきだと思う。

 けどアシュレイに「会長」と呼ばれるのは、密かにお気に入りだったりする。なのでジジイは理事にしておこう。





 俺が13歳になった頃。傭兵が死んだ。

 人間狩りの依頼を断り…依頼主の貴族に殺された。俺は直前で逃がされていた為、無事に国の外まで脱出できた。



「………ジジイ…。」



 落ち着けば、涙が出た。男の涙に価値はねえ、ってのがジジイの言葉だったが。溢れるものは止められなかった。




 俺は強くなった。魔物を倒して、人間を殺して、護衛の仕事もしたりした。

 どこに行っても薄汚いものを見るような目をされるが…感謝される事もあった。


 強さはいくらあっても困らない。生きる為に、どんどん力を付けた。

 すると有名になり、俺を指名しての依頼も増えてきた。金持ちからはどんどん金を取った。



「…………(依頼内容と報酬が釣り合ってねえな…)まあいいや、今暇だし。おい、この依頼寄越せ。」


 どの国にも大体、情報ギルドってのが存在する。傭兵への依頼は、そこの掲示板に貼られているものが多い。


「あいよ。アンタも物好きだねえ…って。お前さん、トレイシーじゃねえか?」


「知ってんのかい。」


「いや知ってるも何も!こんなみみっちい仕事やってる暇ねえだろ!?」


「うるせえ、早く寄越せ。」


 俺は傭兵だ、仕事内容は自分で選ぶ。その為にお偉いさんの依頼を蹴るだけの力を身に付けた。





 16歳の時。仕事で生まれた国を訪れた。偶然にも、弟と別れた町の近く…少しだけ、顔を見に行く事にした。



 孤児院があった場所は、何も残っていなかった。



「ああ…5年くらい前の事だけど。火事で全焼しちゃってねえ…職員と子供が何人か亡くなったわ。

 え、生き残り?数人いたけど…そうだ、石碑に犠牲者の名前が彫ってあるわ。」



 急いで確認したら。弟の名前が…あった。





「……………………。」



 何時間も、石碑の前から動けなかった。通行人の視線が突き刺さるが、どうでもいい。

 俺は…何してんだろうな。これなら最初から、弟を連れていれば…。

 いいや。それじゃあ揃って野垂れ死んでた。でも…。



 ぐるぐると、ああすればよかった。傭兵になった時点で、迎えに来れば…いや最初から俺にもっと力があれば…と思考し続けた。


 どれだけ働いても、未来さきの見えない生活。もう…終わらせてしまおうかと思った。

 だが、俺はまだ生きている。



『ありがとうございます…!本当に、なんてお礼を言ったらいいか…。』

『おじちゃん、ありがと!』

『誰がおじちゃんだ、お兄さんだボケ。…じゃあな。』



 こんな俺でも、誰かの助けになれる事もある。それならまだ、投げ出す訳にはいかない。


 涙を拭い、無理矢理足に力を入れて立ち上がる。



「こんな兄ちゃんでごめんな。安らかに眠れ…フレイ。」



 …さようなら。





 それからも傭兵の仕事を続けた。すると…なんかいつの間にか、仲間が出来てた。

 ジジイが俺を拾ってくれたように、放っておけなかった連中だが。

 どいつもこいつも力はあるがアホばかり…だけど。見捨てよう、とは微塵も思わなかった。


 そいつらの働きもあって俺はどんどん有名になり、引き抜きの話もチラホラと。だが俺だけ…そいつぁお断りだ。




 その日の依頼は、スラムの住人全てを皆殺しにしろというものだった。当然断ろうとしたが…依頼を持って来た男が「手伝ってくれ」と言った。

 人間を殺す気は最初からない。住民を悪いようにはしない…逃がす為のカモフラージュになってくれ、との事。

 俺はそいつ、ガイラードを信じる事にした。そして決して口外しない、とも約束した。なのでお嬢にも真実を混ぜて、ぼかして伝えた。




 その依頼をきっかけに。お嬢…アシュリィと出会った訳だ。


 最初は髪も短いし、言葉も悪いしクッソ強えしで…男かと思ったが。

 聞けばまだ8歳。俺が…家を失った時と同じ。俺にも…このぐらいの力があれば、今頃…!と人知れず拳を握った。


 だが…異変にすぐ気付く。



 ああ…お嬢は多分、ただのガキじゃねえ。というか…と。

 精神年齢が高いとか、そういう類の話じゃない。大人びてる訳じゃないし。なんつーか…世界を知り過ぎている。知識量の問題じゃなく。


 上手く言えないが…世界の不条理さ、儚さを体験しているんだ。

 足掻いて足掻いて、それでも手が届かなくて。苦しんで…誰かに助けられてきた。だからこそ今、他人の為に力を尽くせるんだ。



 それが俺には、とても美しく見えた。

 あと10年外見が歳食ってりゃ、大将に気も使わんで掻っ攫ったのにな~…。








「お嬢。」


「え…。」


 そんな事を思い出しつつ、声を掛ける。


「よう、暇だったら歩かねえか?」


「ん~…いいよ。」


 そう言って俺の隣に並ぶ…小さいな。俺の肩までもねえ。

 特に会話もなく、薄暗い道を歩く。



「……ねえ、パリスに告白されたでしょ?」


 ああ、やっぱり知ってたんかい。いや、背中を押したのはこいつなんだろうな。


「おうよ。」


「…オッケーしたんでしょ?」


「いや、断った。」


「だよね…はああっ!?」


 うおっ。そんな驚くことか?


「いやだって、パリス嬉しそうな顔してたし!」


「…卒業したら、もっかい告白しろっつった。子供に手ぇ出す気は無いし、今は正直女として見れねえって。そしたら…。」



『そっか…でも嬉しい!ぼく、頑張るからね!』


『え、喜ぶとこなのそこ?』


『うん!だって…嘘で「俺も好き。でも付き合うのは成人してから」とか言われたら悲しいもん。

 今はともかく卒業する頃には、ぼくを好きになってくれる可能性もあるんでしょ?』


『まあ…な。』


『うん、それでいいの!でもね…。

 それまで…他の女の人と付き合わないで欲しいな。アシュリィ様だったら、諦めるけど…。』


『………ふはっ!それはねえよ、安心しろ。』



 頭をポンっと叩けば、パリスは嬉しそうに笑った。そこまでお嬢に話す気はないけど。




「まーとにかく、パリスを嫁にする意思はあるぜ。無責任な事はしねえよ。」


「そこは信じてるけど…複雑だなあ…。」


 お嬢は眉間に皺を寄せながら唸る。はは、美人が台無しだぞ。

 しかしパリスは…結構鋭いんだな。



「…お嬢、いい女になったな。」


「ふっ、私は昔からいい女じゃない?」


「違いない。」


 俺らは小さく笑い合った。ああ…でも。



 すげえいい女だからと言って、俺にとっていい嫁さんになるって訳じゃねえんだなあ。

 やっぱり、このぐらいの距離感が心地良い。



「覚えてるか?俺らが初めて会った日。並んでリュウオウに乗って、空を飛んだよな。今日みたいに…月が出てなくて、星の綺麗な夜だった。」


「ああ…そうだったね。よく覚えてるね?」


「モテる男っつーのはな、好きな女との思い出を決して忘れねえんだよ。」


「……っ!」


 お嬢は目を見開き、俺を見上げた。それは戸惑いと…恥じらい。



「……いやー、悪いけど。私、好きな人いるからね!」


「おう、知ってる。俺は大将みたいに、お前の全部を受け入れる覚悟も度胸も性癖も持ってねえし。」


「おいコラ、アシュレイをドMみたいに言うな?」


 そうは言ってないけどな。でも…。



「お嬢。お前大将と…キスくらいしたか?」


「きっ…!……額に、されたくらい。」


 お嬢は頬を染めて唇を尖らせ、モゴモゴとそう言った。

 大将、ヘタレの割に頑張ってんじゃねえか!応援してるぜ。



 でも、悪いな。



「?トレ……っ!?」


 膝を曲げて、お嬢の肩と後頭部に手を回す。

 そして…困惑する彼女と唇を重ねた。



「……っ、何すんのっ!」


 おっと。これ以上は無理か…と大人しく下がる。

 彼女は真っ赤な顔で、呼吸を荒くして怒ってる。



「いいじゃねえか。どうせ俺が入り込む隙は無さそうだし…ファーストキスくらい貰ってもいいだろ?」


「んな…っ!」


「安心しろー、これ以上は望んじゃいねえ。」



 何より本気で、お嬢と結婚したいとか思ってるでもないし。

 ほら、そろそろ帰ろうぜ。と歩き出す。後ろから、ゆっくりついて来る足音がする。


 アスル寮まで送り、早く寝ろよーと言って別れた。


「トレイシー!今日の事…誰にも言っちゃ駄目だからね!」


「あいよー。」


 背中を向けてひらひらと手を振れば、呆れたようにため息をつかれた。




 職員寮に戻る道すがら…星空を見上げる。

 今までの人生、空を眺める余裕なんてなかったが…ああ、こりゃ綺麗だわ。




 なあお嬢。俺はそれなりに人生経験豊富で、何人もの女を抱いた。もちろん無理矢理ではなく、同業者とか娼婦が多いけど。


 実はな…キスだけは、誰ともした事なかったんだ。だからさっきのは、俺にとっても初めてだったんだわ。

 だからどうという事もないけども。多分…俺の初恋だったのかもな。



「いや…少し違うか。一番近い表現が、恋ってだけだな。」



 ただの可愛い妹分でもなく、庇護すべき子供でもなく。

 愛する女でも、憧れの女性でもない。




 この感情を、どう言葉に表せばいいんだろうな。

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