第8話

 カズトヨさんとミツヤくんはとめてもらうことになり、二階の主寝室へと案内された。


「誰かを保護することもあるかと思いまして、ここだけは掃除をしておいたんです。残念ながら、まだそうしたことはないんですが」

「ありがたくつかわせてもらいますよ、オサカベさん」

「あのう……どうして」

「協力する気になったのか、ですか」

「警察は予言をとりあわないとききましたよ」

「ええ、たしかに予言ではうごきません。予言とは結果そのものでしてね、過程をどう組みかえてもくつがえせるものじゃないんです。ただ──あなたの場合はちがう」

「ぼくの夢は、過程を見ているんですね」

「それもおそらく重要な局面の過程です」


 オサカベさんは、ごくりとノドを鳴らした。


「だいじょうぶ。我々も力をつくします。あなたはよく寝て、いい示唆をあたえてください。さきほども言ったように、カラーズのこととは関係なしにね。なあに、いまよりわるくなることはありませんよ」

「はあ」

「あした、そのスケッチブックを拝見します」

「わかりました。じゃあ、またあした」


 おやすみなさい。オサカベさんは帰っていった。主寝室の真下に食堂があって、そこをアトリエ兼ベッドルームにして暮らしているそうだ。


「さあ、ミツヤくん。おそくなったが弁当をやろうよ」


 ミツヤくんがセンターテーブルにそれをひろげようとすると、カズトヨさんはミツヤくんの腕をひいた。ふたりは分厚いベッドに腰かけて、マットレスの感触をたのしんだ。


 ──とんとん。


「誰です?」


 カズトヨさんはまたドアのところまでいった。


「やあ、たしか、ヨイチさんでしたね。──おやおや、ねえ、ミツヤくん、こっちにおいで。おもしろいものが見られるよ」


 カズトヨさんの足もとで、一合升が手足をふりふりダンスをおどっていた。おどればおどるほど、その小さな升の中には黒い粒がわき出した。一合升──ヨイチさんは自分の中がいっぱいになると、どうも自分で運んできたらしいどんぶりのフチでさかだちになった。どんぶりをザアッといっぱいにしたのは、コーヒービーンズチョコレートだった。


「これが、あなたの能力ですか?」


 ヨイチさんはこたえずに、じゃあと片手をあげて去っていった。


「警察では『打ち出の小づち』と呼んでいるんだよ、ああいう系の能力は。いわゆる無限召喚というやつだね」

「コーヒービーンズははじめて見ました」

「ビー玉の打ち出の小づちなら見たことがあるよ。道路をうめつくして大パニックになってしまってね」

「ははあ」


 しかし、これもあとでわかったことだが、ヨイチさんの能力は想像をすこしだけ上まわっていた。コーヒービーンズのみならず、升にはいる程度の小さな食品なら、米や小麦や豆や茶葉、さまざまなものを好きなだけ出すことができるのだ。清琴荘の食料係だったのである。


「さあ、もうさすがにお客はこないだろうね」


 カズトヨさんとミツヤくんの関心は弁当にもどった。十代の若い胃袋はぐうぐうと鳴って、いくらでもつめこめるような気がした。ふたりは夢中になってロールサンドを頰張った。


「ねえ、ミツヤくん」

「──はい」

「わたしは警察をやめるよ」

「え?」

「子どもになったからというのじゃないよ。すこし前から限界は感じていたんだ。警察の限界。法の限界。そして、自分自身の限界をね。もちろん事件事故自体は唐突に発生するものだ。ドンとひろがる花火のように。しかし──」


 カズトヨさんは包み紙をクシュとまるめて言った。


「前段階というのがあるんだよ。花火が梱包されておかれている状態というのがね。わたしは何度もその状態に遭遇してきた。しかし多くの場合、打ちあげを阻止することはできなかった」


 カズトヨさんの白い指がチョコレートに伸びた。


「ねえ、ミツヤくん。そんなとき、わたしはなにを考えたと思う?」

「え」


 ミツヤくんはドギマギとなった。


「そう、きみだ。ミツヤ=レイジのことだよ。ミツヤくんだったらどうしただろう。ミツヤくんだったらなんとかできたかもしれないぞってね」

「そんな……」

「今日のきみの行動がいい例じゃないか。きみは誰ひとり傷つけることなく、すべての事件を未然にふせいでみせたんだ。すべての花火を炸裂させなかったんだよ。これはすばらしいことなんだ」

「はあ……」


 ミツヤくんはうつむいた。いまなら新聞紙を食えと言われてもよろこんで従えそうだった。カズトヨさんの手が手にかさなって、身体は沸騰したようにあつくなった。


「ミツヤくん、熱があるんじゃないのかい」

「い、いえ……!」


 なんがらもんじゃが心配そうにミツヤくんのひたいをさわった。


「だいじょうぶです」

「だったらいいがね、大事にしてくれないと」

「はあ」


 カズトヨさんもひたいにさわってくれないだろうかとミツヤくんは思った。ねがいごとなどいままでかなったことはなかったが、カズトヨさんの手はそこにふれた。


「ねえ、ミツヤくん。わたしといっしょにオサカベさんの手伝いをしてみないかい」

「します」

「は、は。もうすこし考えてくれてもいいんだよ。これはまったくのボランティアで、一カンの得にもならないのだからね」

「わたしは──」


 うん、と、みなまできかずにカズトヨさんはうなずいて、なにか思いついたというふうにミツヤくんのサングラスをとった。『見る』ことが能力の発動条件であるミツヤくんの、それは封印とも言えるものだった。ミツヤくんはまぶしさとはずかしさで目をふせて、なにをされるのかと心臓を高鳴らせた。


「本当にこれは運命だね。あのころのきみと、あのころのわたしがいる。そしてふたりとも、人生をやりなおしたいと思っている」


 ミツヤくんはハッとした。


「つきあってくれるかい、ミツヤくん。もしわたしたちに勇気が残されているのなら、今度はまよわずに歩いていけるはずだよ」

「勇気」

「理想の自分を追う勇気さ」


 理想の自分。

 ミツヤくんにはその姿がはっきりと見えていた。いままさに、目の前にいる人物だった。

 聡明で、人間がうつくしい──。


「わたしにとってはきみなんだよ──ミツヤくん」



 主寝室にはベッドがふたつあったが、ふたりは身体をよせあわせてねむった。ミツヤくんは夢も見なかった。


 これが、はじまりの日の出来事だった。

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ミツヤくんが陰キャすぎた 紅亜真探 @masaguri

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