第7話
「ぼくが何者か。ぼくが何者か、ですか……」
電灯のスイッチをパチンといれて、オサカベさんはボリボリと頭をかいた。玄関をぬけて、ホールをとおり、ここは応接室である。
「なかなか説明はむずかしい、ですか」
ミツヤくんとごわごわしたソファーのホコリをはらいながら、カズトヨさんはさきほど言われたセリフをくりかえした。
「まあ、むずかしいです。むずかしいですよ。実際、ぼく自身が知りたいくらいなんです。どうしてこんなことになってしまったのか」
「相談にのれるかもしれませんよ」
「はあ」
オサカベさんはテーブルの上のホコリをなで落とした。天井照明の布シェードにかかった大きなクモの巣は、なんがらもんじゃが指先でクルクルと巻きとった。
スリッパが用意されていたのはよかったね。カズトヨさんはミツヤくんに耳うちした。
「さて──どこからお話ししたらいいものか」
「どこからでもかまいませんよ。なんでしたらわたしからお話ししましょう」
カズトヨさんはミツヤくんの旅行カバンをテーブルにのせた。
「まずはこれを見てください」
パンダの首輪である。
「どう思います?」
「ええと、どう、とは……」
「気づいたことをなんでもどうぞ」
「『C』」
「そのとおり。金の板にCの文字。まさに『カラーズ』のエンブレムです」
「カラーズ……?」
「ええ、悪の秘密結社です。何カ月か前には世界的に有名な博士を──誘拐したりなどしましたね」
「あ、それは、新聞で見ました」
博士はその後、いたましい姿で発見されたのだった。
「例の全身黒タイツですがね。カラーズの戦闘員、最下層の連中です」
「あれが──」
「わたしははじめ、あなたもカラーズの人間ではないかと思いました。カラーズからの離反者かもしれないとも思いました」
「いや……!」
「そのうたがいはすぐに晴れましたよ。あなたはわたしの顔を知りませんでしたし、パンダの能力さえも知らなかった。自慢じゃありませんが、わたしは有名人でね。カラーズでホウリ=カズトヨを知らないのは研究者くらいなものです。じゃあ、あなたがそうなのかというと、それならパンダの能力を知らないはずがない」
「はい、はい」
オサカベさんは必死になってうなずいた。
「オサカベ=ジローさん、そこであなたに質問です。パンダは特殊な能力の持ち主だ。カラーズ内部でもマル秘あつかいだったはずです。カラーズと無関係だと言うのなら、あなたはどこでパンダのことを知ったのですか。あなたはいったい──何者ですか」
カズトヨさんの声は追及しようという調子ではなかった。おちついて、あくまで受け身だった。オサカベさんは黒ぶちメガネの位置をなおして、わかりましたと神妙にうなだれた。
「つまり、そのカラーズというやつの情報は、『何者か』でなければ手にいれられないわけですね」
「我々警察は常に後手後手です。優秀な捜査官が日々動いてくれていますが、しっぽの先さえも連中はつかませません」
「そういうことなら、ぼくはきっと役に立ちません。ぼくは──夢で見るだけなんです」
カズトヨさんとミツヤくんは顔を見あわせた。
「夢というと」
「ストーリーはとくにありません。厳密に言うと夢でもないんです。ただ……週に一度くらいでしょうか、目が覚めると、なんというか、焼きついているものがあるんですね。見ず知らずの人の顔とか、片方だけの靴下が木にひっかかっている風景とか」
「ほう」
「これを見はじめた当初は──三年前の春ですが──ぼくは美大の卒業制作にとりかかったところで、ちょうどいろいろな展覧会を見てまわっていたんです。だから、頭の中に巨匠の印象が、パーツとして残っているんだろうと思っていたんですが──」
「おなじものが現実にもあらわれたのですね」
「そのとおりです」
三人は同時にため息をついた。オサカベさんは疲労をあらわして、カズトヨさんとミツヤくんは興奮をあらわして。
「たとえば『赤い車』を夢で見たとしましょう。ぼくは絵をやるもんですから、それをスケッチブックに描きおこします。だいたい……はやくて半月ですかね。ある日突然、消しゴムをかけたようにその絵が消えて、新聞に赤い車のニュースが載るんです。『赤い車から女性の死体が発見された!』なんてふうに」
「つまり、犯罪に関係するものを夢で見るということですね」
「いまのところはそうです。犯人がつかまっているものもあります。ですから、そんな謎の組織の捜査には──」
「役立たないとは言いきれませんよ。現にあなたはパンダをたすけたのだから」
「まあ……」
「範囲はどうです。この町限定ですか」
「いえ、オジロということではなくて、ぼくが別の町にいけばそこが中心になります。範囲で言うなら『ぼくが一日で移動できる範囲』ですかね」
「まるで、解決しにいけと言わんばかりだ」
「ええ」
「それであなたは、そのとおりにしているんですね」
「え?」
「さがしていたんでしょう、いつも、夢で見たものを。そうでなくて、どうして描きおこしたりするんです。ただの夢だとわすれてしまうこともできたのに」
──ソウだよ。ホントウにそのトオリだ。
ホコリを飛ばしてカズトヨさんとミツヤくんは立ちあがった。
となりの部屋に誰かいる!
「あ、ま、待ってください。あの声は住人です。ここの、清琴荘の住人です!」
「住人──いまのがマスター=マンですか?」
「いいえ、まあ、とにかく、おちついて」
オサカベさんは部屋同士をつなぐドアをあけて、
「やあ、あなたもいたんですか」
などと言いながら、なにかをかかえてもどってきた。
「──蓄音機と、一合升……?」
なにかのはんじものだろうか。そう思ったミツヤくんの目の前で、突然、一合升に手足がにゅっとはえた。サイズは小さいが人間の手足だ。一合升は身体についたホコリをはらい落として、異人のようなおじぎをした。
「コンニチハ」
歌うような声でそう言ったのは、からっぽのターンテーブルを回転させた蓄音機だった。
「オサカベさん……これ、いや、こちらは?」
「こちらの一合升がヨイチさん。蓄音機のほうがマエストロです」
「おさカベくん、ワタシたちのコトはイイでしょう」
マエストロは『おさ』『カベ』『くん』と小さな区切りごとに、男の声、女の声とコロコロ声色をかえた。あとできいたところによると、新聞から切り抜いた文字で犯行文をつくるように、いままでかけたレコードの記憶の中から、音を切りとってつなげているのだそうだ。
「その──マエストロ氏も能力者ということですか」
無機物の能力者などきいたことがない。カズトヨさんが不思議がってたずねると、
「ううん、どうでしょう」
オサカベさんはメガネをクイクイして言った。
「ぼくの考えとしてはこうです。昔々のそのまた昔、物に命をあたえる能力者と、物に能力をあたえる能力者がいた」
「なるほど」
「ようするによくわかりません、ははは」
すべて謎というのが能力者の世界なのだ。
「マエストロも、ヨイチさんも、ぼくの夢をきっかけにして出会いましてね」
「他にもいるんですか、この清琴荘には」
「いいえ、このふたりとマスター=マンだけです。まったく、出会いをくれる夢ばかりならいいんですが⋯⋯」
えへんえへん。
マエストロはせきばらいした。
「キミ、ほうり=かずトよくん、でしたネ」
マエストロはぴかぴかにみがかれた朝顔の花のようなホーンをふるわせて言った。
「ほうりクン。キミのいったとおりデス。おさカベくんはハンザイをくいとめるタメに、まいにち、ユメにあらわれたフウケイをさがしアルイテいる。いいえ、おさカベくん、キミはダマッテいなさい。ワタシはいつもイッテいるデショウ。ひとりではムチャだ。なかまヲあつめなさいト」
「しかし、カズトヨさんは、あれですよ」
「ダマらっしゃい」
オサカベさんはしゅんとなった。
「ほうりクン、おさカベくんがサガシテいるモノは、ただの『アカイくるま』デハない。それはマサしくハンザイのタネです。とてもアブナイとワタシはおもってイルのです」
「ええ、マエストロさん、わたしも同感ですね。オサカベさんには巨悪とやりあう力はない。もちろん、肉体的にという意味ですが」
「その、カラーずとヤラがタイヘンなことはワカリます。しかし──どうデショウ。このユウカンなワカモノをミゴロシにしていいものデショウか。キミたちはケイサツだとイイましたね。ケイサツは、ナニカおこってカラでナイとうごけないソウですが──」
そこで場は小さな沈黙につつまれたが、誰もが、ただだまっているわけではなかった。頭の上ではさまざまな考えが飛びかっていた。カズトヨさんは、ちらりとミツヤくんを見た。その目はキラキラとかがやいていた。
「マエストロさん。わたしは若い連中によく言うんです。ヒーローは相手を選んではいけないと。パンダだろうと、見知らぬ五十男だろうと、わけへだてなくたすけられる人間にわたしはなりたい」
「では──」
「カラーズのことはひとまずいいでしょう。いまはこちらに協力させてもらいますよ。ねえ、ミツヤくん!」
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