第5話
「よし──よし、とれたぞ!」
毛にうもれたエンブレムつきの首輪をはずすと、パンダは地面に顔をこすりつけてグウウとうなった。そこからはあばれるようすもなく、ただモゾモゾとしはじめたので、カズトヨさんはパンダの背中からすべりおりた。
「ミツヤくん、口の接着をはがしておあげ。なんがらもんじゃは、もうすこしそっと押さえるんだ」
カズトヨさんはもじゃもじゃ頭の男へと近づいた。
ミツヤくんが見たところ、男の年齢は二十そこそこ。黒ぶちメガネで全体的に野暮ったい。シャツはもちろんのこと、ズボンつりでつったカーキ色のズボンにまで絵具がついていて、絵をかく人間だということはすぐにわかった。男は地面にすわりこんで、首輪にはさまっていた腕をさすっていた。
「やあ……どうも、たすかりました」
頭をさげたその男は、カズトヨさんを見て、おや、という顔をした。
「ええと──」
「ホウリ=カズトヨといいます。こちらはミツヤ=レイジくん」
「ああ、ホウリ──くん、ですか」
「ははあ……」
カズトヨさんはミツヤくんをひきよせた。
「ねえ、ミツヤくん。どうやら、さっきの謎のこたえが出たようだね。『どうしてこんなすばらしい能力を持ったパンダがここにいるのか』の謎だ」
「え!」
「わたしの考えがたしかなら、この人もまたヒーローにちがいないよ」
「はあ」
カズトヨさんはもじゃもじゃ男に名をきいた。男は躊躇なくスラスラとこたえたので、これが偽名ということはないだろうとミツヤくんは思った。
「オサカベです。オサカベ=ジロー」
「では、オサカベさん。そのパンダが光線をはくことはご存知ですね」
「はあ」
なんだか、えらそうな子どもだなあという顔をして、オサカベさんはうなずいた。
「じつはその光線、人間を若返らせてしまうのです」
「ええ!」
「わたしもミツヤくんも、その被害者です。わたしは三十五歳。彼は三十三歳」
カズトヨさんは尻ポケットから身分証を出して提示した。オサカベさんは目をまるくして、写真と実物とを見くらべた。
「ただ、オサカベさん、あなたから事情をきく時間はないと考えています。あなた──黒い全身タイツの集団に追われていませんか」
「は、はい。どうしてそれを!」
「くわしいことはあとでお話ししますよ。いまはなにより身をかくすことが先決です。かくれ場所の心あたりはありますか」
「は、はい……一応」
「わたしたちもつれていっていただけますね」
「むう」
オサカベさんはすこしだけ迷って、しかたないですねと言った。
「ええと、ホウリさん」
「カズトヨと呼んでください。あまり名字で呼ばれるのは好きじゃないもので」
「ははあ──じゃあ、カズトヨさん。これから行く場所のことは、誰にも言わないと約束してくれますね」
「もちろんですよ。きみも約束できるね、ミツヤくん」
ミツヤくんはうなずいた。
「じゃあ、ぼくはちょっと電話をかけてきます。この子──パンダのことを見ていてくれますか」
「むかえを呼ぶんですか、ここに?」
「まあ、そんなところです。ここにいてください、すぐもどってきます」
オサカベさんはズボンをぐいとひきあげて、イチョウ通りのほうへと走っていった──。
「──だいじょうぶかな。まあ、だいじょうぶだろう。パンダはこちらにいることだし──」
「カズトヨさん」
「なんだい、ミツヤくん」
「つまり、あの人は黒い全身タイツの集団から、パンダを救い出してきたということですか」
「すばらしい。そのとおりだよ、ミツヤくん。くわしい謎ときはあとにするがね、そう見てさしつかえないとわたしは思っているよ。さて──」
カズトヨさんはパンダのほうを見た。
「ずいぶんと静かだが、だいじょうぶかな」
パンダはなんがらもんじゃを巻きつけたまま、グウとも言わず、うつぶせにころがっている。
「やあミツヤくん、見てごらん。パンダのやつ、寝こけているじゃないか。不敵というか、ふてぶてしいというか。なかなかおもしろい生き物だね」
じゃあおいておこう。カズトヨさんはミツヤくんにむきなおった。
「は、は。なんだかしっくりするねえ」
「はあ」
カズトヨさんの顔が上にあり、ミツヤくんの顔が下にある。パンダ光線がおこした身長差の逆転は、むしろふたりにとっては正転だ。カズトヨさんは急にまじめ顔になって、ひたいにたれた前髪をかきあげた。
「正直に言うとね、ミツヤくん。列車の中でいっしょに謎を追うと決めたとき、こうなるといいなと思わないでもなかったんだ。きみも若返ってしまえばいいなと思ったんだ」
「え……」
「もちろん、本当にそうなってしまったときはあわてたよ。きみの人生が実際におかしくなってしまったのだからね」
「い、いいえ、そんなことは……!」
「ねえ、ミツヤくん。もしだけどね……もし──」
カズトヨさんは結局、それ以上のことは口にしなかった。
もし、このまま、もとにもどらなかったら──。
ミツヤくんは勝手に補完して、心の中で「はい」とこたえた。
「ミツヤくん、これを持っていきたいんだがね。そのカバンをかしてくれるかい」
「ああ、首輪ですね」
「大事な証拠だよ。ああ、裏面にはさわらないように。パンダをあやつっていた仕掛けがどこかにあるはずだからね」
「じゃあ、なにかにつつんで……」
「それがいいね」
そこへ、オサカベさんがもどってきた。
「やあ、すぐそこに公衆電話があってたすかりました」
「連絡はつきましたか」
「ええ。この近くにあらわれるはずですよ。──ほら」
カズトヨさんとミツヤくんは指先を追ってふりかえった。なにかの店舗の裏口があって、内側からほの青い光がもれている。
「行きましょう」
オサカベさんがドアをひくと、それはなんの抵抗もなくひらいた。青いドライアイスのけむりのようなものが、その中にはいっぱいにつまっていた。
「電話の相手は……『空間を接続する』能力を持っているということですか」
カズトヨさんはさぐるような目つきになった。力のある能力者をとりしまるのも警察の仕事だ。オサカベさんはのんきにアゴをさすった。
「どうでしょう。むしろ『空間をこんがらがらせる』能力じゃありませんかね。マスター=マンは家のまわりの空間をこんがらがらせていて、だからどこにでも存在しているし、また、どこにも存在していないという……」
「なるほど。まあ、そのあたりのこともあとできかせてください」
「あ、パンダは──」
「パンダはこちらで運びますよ」
なんがらもんじゃがパンダを高々と持ちあげて、カズトヨさんはオサカベさんをうながした。すこし弾力のある青いもやの中を、十歩、二十歩とならんであるくうちに、綿をふむようだった足もとは砂利道へとかわっていった。
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