第3話

 駅のホームで、上り列車のボックス席の中で、ふたりはたくさんの話をした。ミツヤ=レイジは言葉をつかうよりも、普段は頭の中でひとりごとを言っていることのほうが多い。しかし『カズトヨさん』を前にすると、昔の『ミツヤくん』にもどったように口が動いた。

 ミツヤ=レイジはゼンマイ修理士。カズトヨさんは警察官。ふたりとも言っていたとおりの道にすすんで、ふたりとも理想の自分になれたとは思っていなかった。まだふたりとも独身で、家族は兄弟姉妹がよその町にいた。


「まあこれでだいたい、おたがいのことはわかったわけだね」

「はあ」

「もう、あれから二十年か」

「カズトヨさん──」

「わかっているよ、ミツヤくん。刑事らしからぬこの姿についてだね。さっきも言ったが、これでも何時間か前までは、きちんと三十五歳だったんだよ」

「じゃあ──」

「十中八九、『能力者』のしわざだろうね。わたしはいろいろなスジからうらみを買っているし……」


 この世界には一パーセントほどの率で能力持ちが存在する。ミツヤ=レイジもそうだ。カズトヨさんもそうだ。社会的な差別などはないが、学校などは別にされる。


「相手は」

「逃げたよ。服がこれでは追いかけることもできなくてね。とにかく下だけでもどうにかしなければと思って、下宿にもどってコソコソとズボンつりをさがしたんだ」

「ははあ」

「わらいごとじゃないよ、ミツヤくん」


 カズトヨさんは大きめのシャツのすそをぶかぶかのズボンにつっこんで、それをズボンつりでひっぱりあげていた。


「そうだ。そのズボンつりをさがしているときだね、きみの話をきいたのは」

「え……?」

「ドアの外でおかみさんがむすめさんに話していたんだ。ユキワリ公園で、あやうく子どもが馬車にひかれるところだった。最近の親はなにをしているのかってね。時計をなおしてくれたゼンマイ修理士もびっくりしていたわよ、なんて言っていた」

「ああ……」

「それからおかみさんは、そのゼンマイ修理士がいかに親切でハンサムであったのかを語りはじめてね」

「え」

「わたしはその気になったむすめさんがきみを口説きにいく前に、こっそり下宿を抜け出してユキワリ公園へ走ったんだ。そして駅のほうへむかうきみを見つけて、そのあとをつけていったというわけさ」

「また、あなたは冗談ばかり……」

「わたしにとっては事実だよ」


 カズトヨさんは、うふふとわらった。


「と、とにかく、これから、どうするんですか」

「そうだな。危険な能力者がいると一報はいれておいたがね、捜査がはたしてすすんでいるのかどうか。駅についたら、まずは公衆電話だ」

「はい」

「きみはどこに住んでいるんだい? オジロの中ではないのかな」

「はあ。オジロには、今朝ついたばかりで……」

「だったら仕方ない。どこか寝ぐらになりそうなところもさがそう」

「あの……その、下宿は?」

「犯人の動機がわかっていないじゃないか。わたし個人をターゲットにしているのだとしたら、うかつにもどるのは危険だね。待ちぶせされていると見るべきだし、そうなるとおかみさんたちに迷惑がかかる」

「はあ」

「まあ、そっちはなんとかなるだろう。きみは──」


 カズトヨさんは、ぷっとふき出した。自分がいまどんな顔をしているか。ミツヤ=レイジにもわかっていた。


「ここから先は専門家にまかせておくべきだと思うがね」

「でも……でも、カズトヨさん」

「きみはシロウトだろう?」

「わ、わたしは……」


 はなれたくなかった。ミツヤ=レイジはどうしてもはなれたくなかった。目の前の人は、自分が一番楽しかった時代の象徴だ。世界で唯一、自分を認めてくれる存在だ。

 ぬかるんだ道。ぶちまけられた商売道具。つらくてつらくて、何度やめようと思ったかしれない。ただ、やめるのは負けだという気がして、それだけで仕事をつづけていた。そんな日々を、きっとカズトヨさんはわすれさせてくれる。

 カズトヨさんは目をやさしくしてうなずいた。


「よし──ミツヤくん。ひとついっしょに犯人さがしをやってみようか。どうせ署にもどっても保護対象にされてしまって、捜査などろくにさせてもらえないに決まっているんだ。このままいっしょに雲がくれしてしまおう」

「はい!」

「犯人はどんなやつかもわからない。能力の出しおしみをしてはいけないよ」

「はい!」

「ここで会えたのもなにかの運命だね。おぼえているかい、いっしょに泥棒をつかまえたのを。ひさしぶりにワクワクしてきたよ」

「はい、わ、わたしもです、カズトヨさん」

「さあ、そろそろ中央駅だ。もうすぐ──九時半といったところだね」



 ふたりののったゼンマイ列車は三番線に到着した。すでに灯火を間引きされているホームには、いくつかの寝台列車が退屈そうにとまっていた。人の姿はもう数えるほどにすくなくなっていて、誰もかれもが大きな荷物を持って上着を羽織っていた。


「寒くなってきたね。去年の冬はどこにいたんだい」


 カズトヨさんの問いに、ミツヤ=レイジは南だとこたえた。そのころにはまだ修理店で働いていた。


「去年のオジロはあたたかくてね。きれいな雪が降らなかったんだ」

「はあ」

「今年はいつもどおりであればいい。冬に雨が降るのはどうもいけないね」

「はあ」

「ミツヤくん」


 カズトヨさんの手が、ミツヤ=レイジの手をとった。十五歳と三十三歳の肌のちがいを知って、あ……と、現実にひきもどされたような気がしたミツヤ=レイジの手の中には、五千カン紙幣がにぎらされていた。


「改札を出たところに弁当屋があるから、そこで食料の買い出しをたのむよ。とりあえず今日と明日の分でいい。片手でも食べられるようなものがいいね」

「──はい」

「わたしは電話をかけてくる。時間はそうかからないはずだが、もしきみのほうがはやく終わったら、弁当屋の前で待っていてくれ」


 寝台列車の客がほとんどホームへ移動してしまったあとだったので、弁当屋での用事はすぐにすんでしまった。やれやれ、と、公衆電話のあたりを見ると、カズトヨさんはまだなにごとかを話しあっていた。


 ──誰と話しているんだろう。


 ミツヤ=レイジは自分の知らないカズトヨさん──刑事としてのカズトヨさんとその上司を想像してみたが、なぜだか、うまくかたちにできなかった。

 

 きゃ。


 という女性の悲鳴がきこえた気がして、駅の入り口のほうへ目をやった。


 ──なんだ?


 ずいぶんと大きなものがいる。


 ──着ぐるみ? なぜここに、あんなものが?


 いや。


 ──着ぐるみじゃない、あれは……。


 とんでもなく巨大な──パンダだ!


「カズトヨさん!」


 パンダの口が大きくひらいた。そのノドの奥に白と黒のかたまりが見えた。


「カズトヨさん!」


 カズトヨさんは受話器をおいたが、まだなにがおこっているのかわかっていない。パンダは白黒のねじれた光線を発射している。


「カズトヨさん!」


 ──ねらいは、カズトヨさんだ!


「カズトヨさん──ああ!」

「ミツヤくん!」


 ゆかの上をすべるように吹き飛ばされたミツヤ=レイジは、なんがらもんじゃが強襲者へとおそいかかっていくのを見た。パンダはなにかをひきずりながら逃げていった。


「ミツヤくん! ミツヤくん! ああ、なんてこった」

「カズトヨさん……なんだか、身体が変です」

「あいつなんだよ、ミツヤくん。わたしのときは姿を見せなかったんだが、いまわかった、あいつなんだ、わたしを若返らせてしまったのは!」

「え……?」

「わたしをかばってしまったばっかりに、見たまえ、いまのきみは、まるっきり十三歳だ!」

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