第2話
「いいかい、ミツヤくん。わるい人間というのはね、だいたい顔を見ればわかるものだ」
「はあ、本当ですか、カズトヨさん」
「あやしい顔だとピンときたらね、そいつはもうなにかやっているにちがいないんだよ。すくなくとも、ぼくはそうやって見わけているんだ」
その日の夕方、ミツヤ=レイジの姿は駅にあった。会社帰りの人間でこみあっている、中世建築のオジロ中央駅だ。ベンチの上でふるえながら目を覚ましたとき、たまたま見えた顔にピンときた。そのまま、ふらふらとあとをつけてきてしまったのである。
──ああ、まったく馬鹿馬鹿しい。
ミツヤ=レイジはため息をはいた。相手はただの会社員に決まっている。どこにでもいる、ものがたそうな五十男だ。フロックにもハットにもきちんと手が入れられているし、背すじもしゃんと伸びている。
──あの男のなにがあやしいんだ?
自問自答しながらも、ミツヤ=レイジは追跡をやめられなかった。適当な切符を買って、ツマグロ線のホームへとむかった。上り線のほうで線路への転落事故があったが、列車は事故をおこさずにすんだ。五十男がのりこんだのは下り線だった。ゼンマイ列車はよごれた六両編成で、すぐに笛が鳴って動きはじめた。ツマグロ線の終点は『ツマグロ』だが、この列車は手前の『教育大』までだった。
──長くて五十分。
つり革をつかんだミツヤ=レイジは頭の中で計算した。
──さて。
五十男をあらためて確認した。六割ほど埋まった列車の中で、おなじようにつり革をつかんでいる。くるしい息をどうにかしずめようとするように目をとじて、左の手でポケットの中のものをもてあそんでいた。ミツヤ=レイジはその正体を知りたいと思ったが、五十男はついにそれを外に出さなかった。五十男は思っていたよりもはやく列車をおりた。
街路灯の道を男はゆっくりと歩く。ミツヤ=レイジもすこしはなれてそれにつづく。男は何度か立ち止まって空を見あげ、ミツヤ=レイジはそのたびに街路灯のうしろに逃げこんだ。ひろい庭のある白い一軒家の前で、男は長い長い時間をすごした。ポケットから出した小さなビンをながめている姿は、たしかになにかあるなという感じだった。
男は結局、追跡者にも気づかないまま、その家の中に静かに入っていった。
──この程度だ、わたしにできるのは。
ホームのベンチにすわって帰りの列車を待ちながら、ミツヤ=レイジはしょんぼり自己嫌悪した。今朝の少年の件ではないが、もっと実際的な行動をするべきだった気がした。
たとえば、列車の中で話しかけてみてもよかったかもしれない。天気のこと。仕事のこと。話題はたくさんあった。その中でいいこたえを見つければよかった。家の前でぶつかるという手もあった。うまくいけばビンを落として、中身をダメにしてやることもできた。
──ああ、ついてこなければよかった。
ヒーローなんてクソくらえだ。ミツヤ=レイジは旅行カバンを抱きしめて、乗客のすくない上り列車が来るまでじっとしていた。一本目……二本目……三本目の列車が、ドアをしめてガタゴト遠ざかっていった。
「さっきの家をのぞいてきたよ。どうもむずかしいご家庭のようだね、息子さんが暴力をふるっているらしい。あのビンは『そのため』に入手したようだが、もちろん料理にまぜようというときになってフタがあかなかったことはわかるね? ご主人は、やはり──ほっとしていたよ。涙を流しながら穴を掘って埋めてしまった。あれが二度と掘りかえされないことを祈ろう」
「……!」
「人だすけといえば、きみは中央駅でもひとり救ったね。あの線路への転落事故だ。動いているものを止めるのはむずかしいと言っていたが、うまくできるようになったじゃないか」
「あの……」
「今朝は少年も救ったときいているよ。そう、これは自分の目で見たわけじゃないんだがね、転がったボールが道路の前で止まり、近くにサングラスをかけたゼンマイ修理士がいたというじゃないか。すぐにわかったよ。それはミツヤ=レイジの『接着能力』だとね」
「あの──あなたは、死んでしまったんですか」
は、は。
あの日のままの十五歳の少年はわらった。その背中からシュルシュルと白い腕が伸びてきて、ミツヤ=レイジの手をとった。
「なんがらもんじゃ……」
上質紙でつくったような腕だけの守護霊。
「ミツヤくん。パフォーマンスの嫌いな、わたしのヒーロー。言いたいことはたくさんあるし、ききたいこともたくさんあるだろうがね。いまはまず言いたい。また会えてうれしいよ」
「──わたしもです……カズトヨさん」
声を持たないなんがらもんじゃが、手でハートマークをつくってアピールした。
ミツヤ=レイジは幽霊でもかまわないと思った。
「また会えてうれしいです、カズトヨさん」
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