ミツヤくんが陰キャすぎた
紅亜真探
第1話
トン、トン、コロコロコロ──。
青いボールを少年が追っていく。
ちょうど機械馬車が道にさしかかっている。
ボールは傾斜に押しもどされたように転がるのをやめて、機械馬車は何事もなく通りすぎていった。
──やれやれ。
こうしたときに飛び出せる人間であればと思う。そうすれば人々の見る目もかわるに違いない。成功しようと失敗しようと、ケガのひとつもしてみせればヒーローだ。
ヒーローはパフォーマンスからうまれるのだ!
──きみは不器用な人だからね。
ふるい記憶が耳によみがえった。
──きみはだから、ぼくなどよりもよっぽどヒーローなのだと思うよ。
「──またわたしは、二十年も前のことを」
「え、なんですって? なにかあって?」
「いいえ、奥さま。さ、なおりましたよ」
「まあ、よかったわ。突然こわれてしまったものだから」
「大事にあつかわれていらっしゃいますから、まだ三十年はおつかいになれますよ。千カンちょうだいできますか」
「ええ。じゃあ、千カンね」
「たしかに。またどうぞ、奥さま」
三十三歳。ひとまとめにした緑黒の長髪。くたびれたこげ茶のフロックに同じ色のハット。フレームのまるい真っ黒なサングラスをかけていて、口にはどことなく疲れたようなわらいを浮かべている。荷物は年寄りくさい旅行カバンひとつだけ。
そんなミツヤ=レイジはゼンマイ修理士だ。
この世界では時計はもちろんのこと、照明機器や家電品、大きいものなら自動車や列車まで、とにかくありとあらゆるものがゼンマイで動いている。ありとあらゆる場所でゼンマイがこわれている。だから修理士はいつも求められたが、多くの人が出入りの修理店をもっていた。ミツヤ=レイジのようなフリーランスの修理士は、なかなか仕事にありつけなかった。
──ひとつ千カン。ああ、千カン。
軽い食事と飲みものを買えば消えてしまう。どんな安宿にも泊まれない。
言いがかりをつけて自分を店から追い出した同僚たちの顔が浮かんだが、今日のミツヤ=レイジはそれをすぐにわすれることができた。先ほどの声が、まだいきいきと耳に残っていた。
──きみは不器用な人だからね。
『ゼンマイなおします』
手書きの小さな看板をカバンに押しこんで、ミツヤ=レイジはベンチの上に横になった。
ユキワリ公園は芝生のきれいなところだ。空気まで緑色をしているように感じられる。ただ、オジロというのは噂にきいていたとおり、青空の見えない町だった。
──ミツヤくん。こんなところで寝ていてはだめだよ。ミツヤくん?
いま、あの人は三十五歳だ。ミツヤ=レイジはそう思った。
同じ寄宿中学のふたつ上の先輩。十代でもう髪が真っ白にかわっていて、右目の下に泣きぼくろがあった。ハンサムで、スマートで、『なんがらもんじゃ』という気のいい守護霊を背中に取り憑かせていた。ぼくは聖人君子じゃないんだよと言って、ふたりだけのときには教師の悪口を言った。おとな顔負けの頭脳と勇気とを持っていて、ふたりで泥棒事件を解決したこともあった。
そして──。
ミツヤ=レイジは左の頬にふれた。
あのキスはどうして唇にではなかったのだろう。いまさらになってそんなことが思われた。
──ぼくとおなじ進路なんてやめたほうがいい。きみはゼンマイの修理士になるのがいいね。
「──なりましたよ……カズトヨさん」
その人の名は、ホウリ=カズトヨといった。
ミツヤ=レイジはハットを顔にのせて、そのままねむりに落ちていった。
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