インプラント端末、無人兵器、アンドロ。木根塚老人が嫌いな文明の利器ワースト3を挙げるとこうなる。

 インプラント端末は、手術によって脳に端末を埋め込むことによって、機器を持たずして通信機能を使うことの出来る技術である。視覚には常時情報が表示され、通話は声を出さず頭の中で言葉を考えるだけで成り立つ。手術は歯医者の麻酔程度の手軽さで出来るため、今や若い世代で頭にインプラント端末を入れていない者はいない。そうした若者たちにとって通信機器を耳に充て電話をするなどというのは、原始人が石器を手に歩いているのと変わらない。だが、原始人上等。木根塚老人としては、頭に機械を入れるなど、考えるだけで頭痛がするのだ。

 無人兵器はその名の通り、遠隔操作で戦闘を行う機械のことである。今や国防軍の主力は空陸共に無人戦闘機及び無人戦車であり、これらの戦力が戦線の維持に貢献していた。無人といっても、操縦するのは人間であるため、一応軍人というのは存在する。だが、余程のことがない限り、彼ら軍人が戦場へ赴くことはない。せいぜいが前線から離れた司令部の中で、場合によっては市ヶ谷の地下で、無人機の操作にあたっている。少しこの操縦が上手いだけで、世間から持て囃され、更には勲章まで与えられるのだから、木根塚老人は気に入らない。手先が器用なだけの人間が、人を殺して誉められる。アイドルやスター選手のように取り沙汰される。その図式に老人は唾を吐きたくなる。

 最後、アンドロ。アンドロイドの略である。物心ついた時には携帯電話がケータイと呼ばれていた木根塚老人だが、アンドロイドをアンドロと呼ぶのは抵抗があった。新しいものを受け入れ難い。歳のせいである。アンドロは、人工知能と生体パーツの目覚ましい発達により、近年急速に進化・普及してきた。一家に一体アンドロを、というのは決して絵空事ではなく、人間の仕事を肩代わりし、そればかりか人間より効率よくこなすものだから、世間では失業者が増え始めるなどの社会問題まで起こしていた。だが、老人がアンドロを嫌う原因は、呼び名のしゃらくささでも彼らが引き起こす社会問題でもなかった。彼らの従順さが気に食わないのである。

 人間に危害を加えぬため人工知能に設定された〈アシモフ・プロトコル〉により、アンドロは人への隷従を余儀なくされる。人のような形をしていながら、下された命令を顔色一つ変えずにこなす。そうした姿が、木根塚老人には気味が悪いのだ。使う方も使う方だが、使われる方も使われる方だ。人間が、一昔前の奴隷を売買していた時代へ戻ってしまったような気にさえなってくる。


 老人はユイと名乗ったアンドロを無視して、己の生活を送った。

 朝起きれば朝食が出来ていたが、それを食わずに自分で冷ごはんを温めて食べた。物干しに洗濯物が掛かっていると取り込んで、一から洗濯機を回し直した。掃除を終えたと言われても、うっすら積もった埃が見えるようだった。

 アンドロが来る前と何が変わったかといえば、居間の一角が充電用の椅子に占拠されたことと、その持ち主が家中を闊歩することになった、それだけである。同居人が増えたなどとは間違っても思わない。必要のない家電が増えただけ。昔、知人の結婚パーティーのビンゴでトースターが当たったことを老人は思い出す。彼は、朝食は米派である。

「マスター」

 陽の当たる縁側で足の爪を切っていると、妻の声でユイが言った。

「もし、わたしが不要なようでしたら、返品なさってください。手続きのマニュアルは、端末へ送ります」

「何故ワシが骨を折らにゃならんのだ」右の中指の爪が乾いた音を立てる。「帰るのならお前が黙って帰れば良かろう」

「無断でマスターの元を離れることは禁じられています」

「ワシが帰れと命令しても、か?」

「わたしはマスターの生活支援を任務としています。それを逸脱する行為は、たとえマスターからの命令といえどアシモフ・プロトコルに違反します」

 薬指の爪が、切った拍子に弾け飛んだ。木根塚老人は舌打ちした。

「だったら、物置にでも入っておけ。二階の奥の部屋。誰も使っていないから、あそこにいろ。そして二度と出てくるな。ワシの視界に入るな」

「その御命令にも従いかねます」

「アシモフ・プロトコルかっ。くそめ!」

 小指の爪を切るより先に、老人は振り向いて爪切りを投げつけた。ユイは右手だけを動かして、それを受け止めた。さらに、持ち手を逆にして差し出してきさえもした。老人は余計にカッとなる。

「お前の存在自体がアシモフ・プロトコルに触れると何故気付かん! お前がいるだけで、ワシは精神的負担を強いられているのだぞっ」

「申し訳ありません。マスターの仰ることでは、論理を構築できません。何故、わたしの存在がマスターの精神的負担となるのでしょうか」

「その顔、その声、その仕草っ。おまけに名前まで! どんな悪意があって、お前は死んだ妻に似せて作られたのだ」

「容姿及び呼称につきましては、ご注文者様からのオーダー通りとなっています。AIのタイプにつきましても同様に、ご要望に近いものが設定されています」

「そこに〈マスター〉の要望は微塵もないだろうがっ」

 老人は飛ぶように腰を上げた。目眩がしてよろめいたが、どうにか踏み止まり、板の間を蹴ってユイに飛び掛かった。

「消えろっ! 今すぐワシの目の前から消え失せろっ」

 脳裡には、彼女の耳の裏に手をやる配達員の姿が浮かんでいた。恐らく起動スイッチはそこにある。いささか他人には見られたくない構図となるが、誰に見られる心配もない。老人は、片方の手で女の肩を掴み、もう片方を、耳を隠す黒い髪に手を伸ばした。

 機械だから頑強に踏ん張るのかと思いきや、ユイは力を加えると体勢を崩し、畳に尻餅を突いた。あまりの呆気なさに老人も前のめりに倒れ、彼女の胸に顔を埋める形となった。

 懐かしい柔らかさが、顔を包む。一瞬意識が遠のきかけた。だが老人は、すぐさま顔を離し、アンドロの顔を睨んだ。ユイは顔を背けていた。頬に朱が差すでもなく、ただそうプログラミングされたから横を向いている、というような横顔だった。老人は余計に忌々しさを覚え、胸の奥がむかついた。

「どこまでもナメた機械め!」

 いよいよスイッチを切ろうと手を伸ばす。その拍子に脚が攣った。声にならない悲鳴を上げながら、老人は悶え、畳の上を転がった。転がる先には仏壇。膝を強か打ち付けると、仏壇は大きく揺らいだ。位牌は倒れなかったが、遺影が落ちた。写真立ては老人の脇腹を捉える手はずだったが、寸でのところで阻止された。ユイの伸ばした左手がキャッチしたのである。彼女は遺影を仏壇へ戻すと、老人が攣った脚をゆっくりと伸ばし始めた。

「大丈夫ですか、マスター?」

「……その呼び方はやめろ」老人は呻くように言った。

「では、何とお呼びすれば?」

「何でもいい。普通に呼べ」

「持ち主に対する標準の呼称が〈マスター〉なのです」

「そう呼ばれると背中が痒くなる」

「掻きましょうか」

 老人は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 脚の攣りは、不思議とすぐに解消された。

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