翌日の午前中、確かに来客があった。チャイムが鳴り、玄関を開けると、運送会社の作業着に身を包んだ男が立っていた。男は老人の名前を確認すると、門の外に停めたトラックからもう一人の配達員と共に冷蔵庫ほどあろうかという大きな包みを運んできた。そのもう一人は、よく見れば人間ではなかった。

 包みは二つあった。今度のは先程の半分ぐらいの大きさで、人間じゃない配達員で十分運ぶことが出来た。老人は、居間で開梱作業を進める人間の方に言った。

「便利な相棒だな」

「ええ、全く。文句の一つも言わないし、その辺の若造を雇うより余程仕事が捗りますよ」

 お前も十分若造だ、とは言わないでおいた。話しながらも配達員は速やかに荷を解いていった。

 やがて発泡スチロールの奥から現れたものを見て、老人は文字通り息を呑んだ。

結衣ゆい……」妻の名が、思わず口から零れた。天にいるであろう彼女に祈ったわけではない。彼女の顔が目の前にあったからである。それも遺影とは違う、出会ったばかりの頃の姿で。

「よく出来てますね。人間と区別がつかない」

 言いながら、配達員は〈妻〉を抱き上げ椅子へ運んだ。老人に見覚えのない椅子は、もう一つの包みに入っていたものだろう。

「私の相棒も、こんな美人ならよかったんですがね」

 配達員が椅子に座らせた〈妻〉の耳の後ろに手を伸ばす。老人は、胸の内でさざ波が起こるのを感じた。

「通電するまで十分少々掛かります。セットアップはオンラインで行われますので」

 目を閉じたまま椅子に座る〈妻〉を、老人はぼんやりと見つめた。夢を見ているようだった。意識が身体から離れていくような目眩が、心地良くさえ感じられた。

「こちらに受領のサインをお願いします」

 配達員が端末を差し出してきた。受領証と指紋認証欄が表示されている。

「どの指でも結構ですので」

「いらん……」老人は虚ろに呟いた。

「はい?」

「いらん、こんなもの」

「指紋じゃなくてサインでも大丈夫ですよ」

「この機械がいらんというのだ」

「と、言いますとこのアンドロが?」

「今すぐ箱に詰め直して持って帰れ。ワシはこんなもの頼んだ覚えはない」

「お父様へのサプライズプレゼントとしてご子息様がご注文された物ですので、覚えがないのは当然かと」

「うるさいっ。持って帰れと言ったら帰れ!」

 立ち眩みがしてよろめいた。倒れそうになるのを配達員に支えられたが、すぐにそれを振り払った。

「返品には所定の手続きがありますので、詳しくはサポートセンターまでお問い合わせ下さい」

 頭を下げ、配達員は出て行った。もう片方が後片付けに撤していたらしく、空き箱などのゴミは綺麗になくなっていた。

「待てっ。おい、こいつを持って帰れ!」

 配達員は戻って来ず、玄関の閉まる音だけが返ってきた。

 何をすべきか、見当がつかなかった。椅子に座った〈妻〉の立てるちりちりという音が、やけに大きく聞こえるようだった。あと十分もすれば彼女は目覚める。気持ちは急くのだが、身体がなかなか動かない。

「くそめっ」

 老人はようやく弾かれたように立ち上がると、自分の端末を取るなり電話を掛け始めた。相手はとりあえず、長男である。

「もしもし、今、仕事中なんだけど」

「どういうことだ、これは?」手本のように迷惑そうな相手の言葉を塗り潰す気持ちで老人は言った。

「ああ」電話の向こうでは合点がいったらしい。「受領証にサインしなかったんだろ? 今、連絡があったよ。駄目じゃないか、配達の人を困らせちゃ」

「あんな物、頼んだ覚えはない!」

「だってサプライズプレゼントだもの。父さんに覚えがなくて当然じゃないか」

 こめかみの脈動する音が間近で聞こえた。視界も大きく揺らいだ。老人は何か言おうとしたが、諦めて通話を断った。端末をソファーへ放り、自身はその場へへたり込む。長男からの折り返しの着信を告げる鳴動が聞こえたが、取りに行く気にはなれなかった。

「電話が鳴っています」

 女の声がした。耳慣れた声である。だが老人は見向きもしない。

 ソファーの方へ行き、戻って来る気配がある。着信画面の表示されたタブレットが、視界に差し込まれてくる。

「お出になってはいかがです」

 老人は無言で端末を退けた。

「通話を拒否しますか?」

 老人は答えない。やがて端末は鳴動を止めた。切れたのか、切られたのかは定かではない。端末がテーブルに置かれる固い音が耳に届く。

「御挨拶が遅れました、マスター」女の声が言った。「わたしはシリアルコードRJ‐12806891、設定固有名『ユイ』と申します」

 老人が目を向けると、ユイと名乗る女は深々と頭を下げていた。やがて顔を上げた彼女は、うっすら笑みを浮かべた。妻と同じ笑い方だった。

「これからあなたの身の周りのお世話をさせていただきます。どうかよろしくお願いします、マスター」

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