4.男神の計画【第2幕】

「ねぇ、セルフィス。私、ずっとこの黒い家リーベン・ヴィラに閉じ込められたままなのかな?」


 マユが目覚めて、半年経った頃。

 パルシアンは春になろうとしていた。庭に積もっていた雪が溶け始め、地面から緑の草が雪の隙間を縫って顔を覗かせている。

 その様子を、マユはバルコニーから身を乗り出すようにして眺めていた。そしてバルコニーの隅に佇むわたし。


 黒い家リーベン・ヴィラの庭は周りが背の高い樹木に囲まれていて、奥にあるはずの牧場も、従業員たちが住んでいる家も、何も見えないようになっている。

 マユはまだ、庭に降りる許可をアイーダ女史から貰っていない。それがとてもじれったいのだろう。


「どうすれば外に出れると思う?」

「室内でできることには、限りがあります」

「そりゃそうよ」

「……」

「えっ、それだけ!?」


 もっと何か気の利いたアドバイスはないのか、というようにマユが叫ぶ。


 マユはまだ、令嬢としての振舞いが完璧に身につけているとは言い難い。だから万が一誰かに見られたときのことを考えて、外に出してもらえないのだろう。

 それに魔法の勉強の方もまだまだだ。アイーダ女史は令嬢として身につけるべきことを優先していて、魔法については仕組みや構成など、いわゆる『講義系』が中心になっている。


 要は外に出す前にやらなければならないことがたくさんある、ということ。アイーダ女史が考える合格基準を満たしていないのだ。

 そう伝えたいのはやまやまだが、わたしの言動の何がどうこの世界に作用してしまうかわからない。

 歯痒いのはわたしも同じだが、あくまでマユ自らが考え、結論を出してもらわなければ。


「うーん。それって、まだやりきってないってってこと? フラグが立ってないんだろうなあ」


 元の世界の記憶がある程度は残っているらしく、マユは時々ひどくゲーム的なことを言う。

 どれぐらい戻っているのかは、さすがに聞けないが。


「つまり、未熟ってことよね」


 両手に腰を当ててフン、と息をつき、未だ下りられない庭を睨みつけると、マユはくるりと踵を返して部屋の中に戻った。

 そしてマユ専用の大きな黒い机の前に腰かけ、横に除けていた『魔法理論学』の本を手に取る。


「アイーダ女史は、二言目には『立派な大公子妃になるためには』って言うのよ」

「……そうでしょうね」


 チクリ、と小さな棘が胸に刺さる。

 マユが望む人生を、とこの世界に連れてきたのはわたしだ。大公子妃、ひいては大公妃になることは、この世界の女性の頂点に立つことと言ってもいい。

 マユにとってこれ以上素晴らしい未来はないというのに、どうしてわたしはそれを心から応援できないのだろうか。


「となるとー、とにかく目の前の課題を片付けて、『もうわたくしが教えられることはありません!』とアイーダ女史に言わせればいいのよね、きっと」

「そうですね」


 ほぼ正解だ。さすがというべきか。

 マユはこう見えて、人をよく見ている。言葉に出さない気持ちの部分まで、すべて含めて。

 だからアイーダ女史が意地悪をしている訳ではないこともちゃんと分かっているし、ヘレンが少しでもマユの気を紛らわせようと心を配っていることも分かっている。すべてはマユのために、と二人が考えていることを。


 だから意外にも、マユは二人の前で愚痴らしきことはあまり言わないらしい。愚痴を言ったところで、使用人に過ぎない二人にはどうすることもできないからだ。

 その代わり、あれしたい、これやってみたい、というような具体的な我儘は言うだけ言ってみるそうだ。そうすると、何ができて何ができないか、できるようになるにはどうしたらいいか、などは説明してくれるからだという。


 そしてその分、わたしの前では、

「勉強ばっかりでつまんない」

「礼儀作法のときのアイーダ女史が怖い」

「模精魔法じゃなくて創精魔法がよかったのに」

「目覚めたのに本邸はシカトし続けてヒドイ」

 など、あまり前向きとは言い難いことを言いたい放題だ。


 初めて会った日にマユに引き留められて、わたしの頭はひどく混乱した。

 つい出来心でマユに声をかけてしまったが、考えてみればアイーダ女史やヘレンに問い合わせればわたしの嘘などすぐにバレてしまう。


 どうして思いつきで行動してしまったのか……。日本で『繭』を死なせてしまったように、わたしは予定外の出来事というものに弱い。よくわかっていたはずなのに。


 わたしとのやりとりは二人だけの秘密。

 そうマユに口止めし、かつこれからもマユの元へ来続けるためには……と咄嗟に考えたのが、『大公の間諜』という大嘘だった。


 素直なマユは「わかった、内緒ね」とすぐに納得してくれたのだが……。

 ただ本来なら、そんな相手に自分の愚痴は漏らさないのでは? 「大公の評価を落とすのはまずい」とか考えたりはしないのだろうか?


 そんな疑問も沸いたが、どうもマユは直観的に「セルフィスなら大丈夫」と判断したようだ。

 その「セルフィスなら」が嬉しくて、つい絆されてしまう。魂が欠けたマユは、人間の嫌な部分もあちらに置いてきたのか、底抜けに明るくて素直だ。

 気を抜くとわたしの気持ちまで見抜かれてしまうかもしれない。

 ……わたしの気持ち?


「――セルフィス……あれ?」


 マユが本から目を上げ、辺りをキョロキョロ見回している。

 その様子を、わたしはそっと離れたところから見ていた。

 マユが何かに夢中になっている間に、姿を消して黒い家リーベン・ヴィラを去る。それが、いつものことだったのだが。


「もう……また消えちゃった」


 そう呟いて溜息をつくマユの拗ねたような表情が、わたしの胸を苦しくさせる。

 わたしだって本当ならそんな顔はさせたくない。

 ……しかし。


 あまりわたしに頼りすぎても駄目なのだ。わたしは、本来はこの物語にはいないはずの存在。

 マユはいつかはここを出る。そしてディオンの婚約者として大公宮に迎えられ、大公子妃に……。


 そこまで考えて、自分の言葉がひどく上っ面なことに気づく。

 何の熱もこもっていないその言葉は、紙の上を滑るように落ちていき……あっけなく消えて行った。


 わたしは――マユを表になんて、出したくはないのだ。

 そして、表に出す気ももう無くなってしまっていることに、このとき初めて気づいた。



   ◆ ◆ ◆



 プリーベ様のプロットでは、『マリアンセイユはパルシアンで眠り続けている』とだけあり、後は空白だった。

 だから仮にマユが目覚めたとしても、後は世界がマユの行動に合わせて形を変えてくれる。

 スラァ様が言っていた『物語の世界に余計な手出しをしないこと』というのは、神々に披露するであろう『ミーア・レグナンドを取り巻く世界』のことだ。辺境の地パルシアンにいるマユが、彼女に影響を与えるはずがない。その逆は、あったとしても。


 ……そのはずだったのだが。


 マユは私の想像以上に豪快で大胆だった。一年もの間アイーダ女史の指導に耐えに耐え、そうして黒い家リーベン・ヴィラを出てからのマユは、本領発揮とでも言えばいいのかとにかく凄まじかった。

 思いついたことをどんどん実行に移し、アイーダ女史やヘレンだけではなく兄のガンディス子爵すら丸め込み、次々に自分の世界を広げていく。


 この世界は女神プリーベ、もしくは女神スラァが監視している世界。

 彼女らが主に見ているのは、ヒロインであるミーア・レグナンドの周り、つまりロワネスク周辺のはずだが、スラァ様はマリアンセイユにマユの魂が入っていることを知っている。

 どうにかスラァ様に見つからないように『影』を使い、マユの元へと足を運んではいるが、なかなか難しい。


 とにかく、神々への披露が始まるまで。そこまでしのげば、もう姉妹神はこの世界に手を出せなくなる。

 あとは、無事に物語が終焉を迎えれば。神々への披露さえ終われば、わたしは自由に動けるようになる。

 そのときまでにマユが無事にこの世界で生き続けてさえくれれば、後はどうとでもなる。

 ……そう思っていたのに。


 マユは結局、わたしが予想もしていなかった形で、物語の舞台に足を踏み入れることになる。


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