3.男神の鼓動【第1幕】

“セルフィス。マリアンセイユが起きているわ。どういうことなの?”


 魔王城の奥、魔王が眠る寝室。スラァ様の声が頭の奥でわんわんと響き渡る。

 どうやら『女神のロッド』を使ったらしい。……しかし神力があまり抑えられていないのでかなり堪える。魔王の体でなければもたないに違いない。


 早坂美玖と繭の魂の移植という、この世界での重大な仕事を終え、いったん魔王の体に戻って休んでいたのだが。

 スラァ様の不機嫌そうな声に叩き起こされた、という訳である。


「死を迎えた早坂美玖の魂は丸く固まっていたため、ミーアの魂と溶け合うまでに時間がかかるのです。しかし繭の魂は生きていて、しかも肉体が空の状態でしたのですぐに目覚めてしまったのでしょう」


 まぁ、眠らせ続けることも可能だったが、これは秘密だ。

 ただ……あそこまで奇怪な行動をする少女だとは思わなかったが。魂が欠けた影響だろうか?


“空? そんなはずはないわ。マリアンセイユの魂はどうしたの?”

「入れ替えて、器に保管してあります。彼女は死んではいませんが既に自分の人生を放棄していましたから、魔王と同じく取り出しが可能な状態でした」

“……あなたを便利に使い過ぎたわ。私の失敗ね”


 スラァ様が悔しそうな声を漏らす。

 それは恐らく、わたしに便利な道具を作らせたこと、そして魔王の魂を回収させたことを言っているのだろう。

 確かにそれがなければ、わたしは自ら魔王になろうとは思わなかった。箱庭の世界に神が入れることすら知らなかったのだから。


 スラァ様は続けて、プリーベ様にどう説明したかを話してくれた。

 繭の魂を手折ったこと、そしてその魂をマリアンセイユ・フォンティーヌの魂と入れ替えたこと以外は、だいたい正直に説明したらしい。


「セルフィスが魔王になればこの世界をうまく管理してくれるに違いないわ」

と、さもスラァ様が推薦したかのように言うと、プリーベ様は

「そうか、なるほどな」

と特に疑問も持たず納得していたそうだ。


“それでね、セルフィス”

「待ってください、スラァ様」


 さらに話を続けようとしたスラァ様を遮る。


「『女神のロッド』は試作なので、一度お引き取りを。魔王の体が蝕まれます」


 頭が割れるように痛いし、身体がどんよりと重くなっているのがわかる。

 これ以上は、わたしの精神も魔王の体ももたない。


 わたしの言葉に、スラァ様がチッと舌打ちをする音が聞こえた。あの愛嬌のある可愛らしい女神はいったいどんな表情でそんな仕草をしたのだろう、とやや恐ろしく感じる。

 どうやらこちらがスラァ様の本性らしい。


“わかったわ。とにかく、物語の世界に余計な手出しをしないこと。いいわね?”

「承知しています」

“怪しい動きをすれば、無理矢理にでも用意してあった魔王の魂と入れ替えるわ”

「……はい」


 確かに、他の十級神を使えばそれは可能だろう。もしわたしが反抗すれば、魔王の中のわたしを消滅させればいいだけのこと。それこそ、女神のロッドを使って。

 本気になれば、それぐらいのことはやるに違いない。何しろ相手は三級神でも飛び抜けて能力の高いスラァ様だ。

 文句を言いつつも機転を利かせてプリーベ様に上手くとりなしてくれた。絶対に、スラァ様だけは敵に回してはならない。


 そしてスラァ様の工房には、わたしが考えた道具の試作品がまだまだ残されている。当然、その設計図も。

 面倒くさがってやらなかっただけで、本気になったスラァ様ならたちどころに解析し、使いこなしてしまうだろう。


 つくづく、調子に乗っていたと思う。自分の才能に驕っていた。

 結果――『繭』の命を断ってしまった。



   ◆ ◆ ◆



 ふと『繭』はどうしているだろうと気になり、起こされたついでに『影』で地上に降りる。

 何しろ、この世界の記憶は全くない状態だ。さぞかし途方に暮れているのでは……いや、起きぬけにあんな行動をとるところを見ると、意外に逞しいのか?


 そっと覗き見ると、マリアンセイユとなった彼女は部屋の中央にあるテーブルに頬杖をつき、右手に持った紙を眺めながら溜息をついていた。

 どうやらこの世界のことに関する走り書きのようだ。突然見知らぬ世界に放り込まれたというのに、なかなか冷静だ。


 そして溜息をついたかと思うと「うーん」と唸り出し、腕組みを始めた。眉間に皺が寄ったり、上を眺めたり。ぷうっと頬を膨らませたり、口を尖らせたり。

「とても困っています!」

というのが前面に現れたその表情を見て、思わず笑いがこみ上げてしまう。


 生前の――日本の女子高生だった『繭』がどういう少女だったのかは、全くわからない。

 しかしあの意志の強そうな瞳といい、躊躇なく早坂美玖を助けようと手を伸ばしたことといい、考え無し……というか、なかなか行動的な性格のようだ。

 となると、今後物語の邪魔をするようなことがあっても困る。釘を刺した方がよいだろう。


 ……なんて、これは言い訳か。わたしが単に『繭』と話してみたいだけだろう。


「随分、熱心に考えておられますね」


 思い切って姿を現し声をかけてみると、繭は「ひゃっ!」と声を上げ、慌てて椅子から立ち上がった。

 そしてその碧の瞳を大きく見開き、わたしの姿を上から下までまじまじと見つめている。

 日本の情報集めをしていたときに見た、ある漫画の『黒服黒髪の執事』を真似てみたのだが、どこかおかしかっただろうか?


「あの、誰?」

「申し遅れました。わたしは、セルフィスと申します。マリアンセイユ様付きの執事です」


 とりあえず出まかせを言ってみると、繭は「へぇ……」と呟き、なおもわたしの方をじいっと見ている。

 そのまっすぐな視線に晒されるのは、ひどく居心地が悪かった。

 何しろ、繭がこうなってしまった元凶はわたしなのだから。


「それはそうと、だいぶんお悩みのようでしたが」


 魂が欠けた繭は、今どういう状態なのか。どこか苦しかったり、記憶がないことで不安になったりはしていないか。

 そんなことが心配になり、つい探るようなことを言ってしまう。


 マリアンセイユはゲーム『リンドブロムの聖女』に出番がないとはいえ、物語においてはその存在自体に意味があるキャラクターだ。あまり深く関わってはいけないと、わかってはいるのだが。


 しかしわたしの心配は、完全に杞憂だった。

 繭は「んー」と唸り、

「この世界で、何したらいいんだろと思って……」

と、思ってもみなかった言葉を口にする。


「この世界?」

「え、あ、いや……。私、ずっと眠ってたんでしょ? せっかく起きたんだし、何か役目があるんじゃないかと思って」


 その言葉を聞いて、わたしは身ぐるみを剥がされたような、そんな脅威を感じた。


 この世界での、役目? どうしてそんな台詞が?

 まだ起きて一日も経ってない。こんなすぐに前向きな思考になるものだろうか。自分の身を悲観する様子も一切なく……。


 失った魂と共に、焦り、不安、絶望といった後ろ向きな感情は置いてきてしまったかのようだ。

 いや、そのせいであの悲惨な出来事も記憶にはないのかもしれない。

 一体何を、どこまで理解しているのだろう?


「大公子妃になるという立派なお役目がありますが」


 とりあえず当たり障りのないことを言ってみると、繭は

「そういうんじゃなくってね」

と口を尖らせる。


「それはマリアンセイユが貰った役目で、私自身じゃないっていうか……」

「おや? まるでマリアンセイユ様ご自身ではないようなことを仰るんですね」

「え、いや……」


 カマをかけてみると、今度は慌てたように両手を振り、再び「うーん」と一声唸り、考え始める。


 どうやら別の世界からここに来た、ということは理解しているようだ。

 しかも『この世界での役目』なんて言葉を口走るあたり、この世界がゲームの世界だということも恐らく認識できている。ゲームとは、それぞれのキャラクターが何らかの役割を果たしながら物語を進めていくものだ。


 以前調べた『リンドブロムの聖女』のプレイヤーリストに『繭』の名は無かったはずだが、思えば親友がプレイしていたゲームだ。名前ぐらいは知っていてもおかしくない。


「確かに、眠りにつく前のマリアンセイユ様は、お勉強をきちんとなさり、芸術にも造詣が深く、礼儀作法もしっかりと身につけた可愛らしい小さな淑女でした」


 これぐらいの情報はヘレンやアイーダ女史からも伝わっているだろうし、言ってもいいだろう。


「記憶がないということは、もう別人と言ってもいいかもしれませんね」

「そうそう! そういうことなのよ!」


 パアッと顔を輝かせた繭が、うんうんと頷く。


「あなた執事でしょ。そういうことで屋敷中の人に周知徹底してもらえる?」

「……わたしはマリアンセイユ様付きの執事であって、家令のような役目は担っておりません」


 しまった、適当についた嘘が仇になったか。

 繭を助けたいのはやまやまだが、わたしが他者の行動を強制するようなことがあってはならないのだ。

 どうにかして、繭には自ら考え、行動してもらわなければならない。


「現在、このフォンティーヌ領北西部の旧邸『パルシアン』のあるじは、間違いなくマリアンセイユ様です」

「旧邸?」

「爵位を持つ方々はみな、リンドブロム直轄領の中心地であるロワネスクに本邸があり、領地には部下を派遣するのみです。それもご存知ないのですか?」

「だーかーらー、記憶が全く無いんだっての!」


 繭がぷうっと口を尖らせて反論する。その底抜けに明るい、感情豊かな様子に思わず笑ってしまった。

 藤色髪の美少女『マリアンセイユ・フォンティーヌ』が台無しだ。


 だけど……そうか。彼女は、こんな表情でこんな話し方をする少女だったのか。

 もしあのまま死んでしまっていたら、彼女のこんな姿も見られなかった。


「……新しいあなたは、そんな顔もされるのですね」


 思わずそう言ってしまい、口から出た瞬間に「しまった」と内心思う。

 これではまるで、繭がマリアンセイユに成り代わっていることを知っている、と言ってしまったようなものだ。


 しかし繭は気づかなかったようで、

「えーえー、淑女ではないですから」

と、ややふてくされている。


「それで? 主だから? だから何?」

「主自らが動き、この領域を名実共に支配されればよろしいかと」

「支配~~?」

「ええ」


 何も知らない繭。そんな風にしてしまったのは、わたし。

 この世界で、直接あなたを助けることはできない。

 ……だけど。


「ここ『パルシアン』は、初代フォンティーヌ公爵の時代から代々受け継がれている、由緒ある大地。意外なものが出てくるかもしれませんよ?」


 こうして手がかりを示唆することぐらいなら、許されるだろうか。

 本来は眠り続けるはずのマリアンセイユ。恐らく、物語本編に関わることは許されない。

 しかしここは聖女シュルヴィアフェスの叡智も眠る偉大な土地、パルシアン。きっと繭を退屈させはしない。


 わたしはあくまであなたの人生の黒子であり、観客。

 どうか、この世界で幸ある人生を――。


「――あ、ちょっと待ってよ! どこ行くの、セルフィス!」


 何事かを考え始めた繭の前からすっと距離を取ると、大声で止められた。

 彼女の口から出た『セルフィス』という言葉に、魔王の『影』の中のわたしがひどく慌てたのがわかる。

 単に、名前を呼ばれただけで?


「いえ。……えーと」


 令嬢と言えば執事だろう、と安易に考えて名乗ってみたが、マズかったか。

 このまま姿を消そうと思ったのに……まさか引き留められるとは思わなかった。


「マリアンセイユ様と別人という事でしたら、わたしの主はいないことになります。ですので、お暇を頂きます」

「ええっ!?」


 今度は大きく口を開け仰け反り、ひどくショックを受けた様子。

 まさかそんな顔をされるとは……。


 勿論、時々はこっそり様子を見に来るつもりではいた。しかし『マリアンセイユ』はあくまでゲーム『リンドブロムの聖女』の設定キャラクターの一人。深く関わる訳にはいかない。

 ……いや、しかし。


 繭がマリアンセイユとして目覚めたときのことを、改めて思い出す。


 かなり奇天烈な行動だった。およそこの世界の貴族令嬢らしくはないし、マリアンセイユの記憶が全くない繭がこの世界で生きていくのは、とてつもなく難しいことかもしれない。


 どうぞ自分の望む人生を、と思っていたが、恐らくこのままではそれもままならない。アイーダ女史の性格を考えるに、かなり長い間、試練の日々が続くことだろう。

 ここで「じゃあ頑張ってください」と彼女を見捨てるのは、あまりにも無慈悲だろうか。


「お願い、セルフィス! 私を見捨てないで!」

「え……」


 考えたことを読まれた気がして、思わず息を飲む。

 繭は何も知らない、何も解っていないはず。……それなのに。


 繭は自分の両手を組み合わせると、

「上手く言えないけど……あの……」

ともじもじしながらも、まっすぐにその碧の瞳でわたしをじっと見つめた。


「私には、セルフィスがどうしても必要なの。だからお願い、私に力を貸して?」

「しかし……わたしはマリアンセイユ様付きの執事ですから……」


 そう答えたものの、胸の奥がそわそわしているのがわかる。

 繭に頼られて嬉しいと思ってしまっている自分が、どこかにいる。


「あなたを同じようには扱えませんし、マリアンセイユ様の御名では呼べませんし……」

「私のことは、『マユ』と呼んで」


 右手を自分の胸に当てて、『マユ』が力強く頷く。


「私はきっと、この世界で何か役目があるはずなの。でも記憶もないし、一からやり直すしかないの」

「……」

「そのためには、セルフィスが絶対に必要なの。だからお願い、私を助けて!」



   ◆ ◆ ◆



 これが、わたしが『マユ』に強く心を動かされた最初の出来事だったように思う。

 物語のキャラクター『マリアンセイユ』を演じさせるためではなく、わたしが殺めた日本の女子高生『繭』への贖罪でもなく。

 

 ――ただ、『マユ』の支えになりたいと、純粋に。


 この世界を統べる『魔王』としてではなく、仮初めの世界と知る『十級神』としてではなく。

 『セルフィス』として『マユ』の期待に応えたい、と強く思ったのだった。


 

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