2.男神の贖罪

 天界に戻ると、そこは物が溢れたスラァ様の工房ではなく、辺り一面真っ白なプリーベ様の工房だった。

 その中央には、『リンドブロムの聖女』世界が展開している、淡い緑色の美しい器が据えられている。


「何、その魂!」


 プリーベ様は不在だった。代わりに箱庭の世界を見守っていたスラァ様が鳥籠を指差し、大声を上げる。

 思えば、随分慌ただしく日本に行かされた。恐らく最後まで魂の移植に消極的だったプリーベ様がいないうちに、事を成し遂げるつもりだったのだろう。


「すみません。鳥籠の起動に巻き込んでしまいました」

「これ、死者の魂じゃないわね。しかも欠損してるじゃない。このままじゃいつかは消滅しちゃうわよ!」

「えっ!?」


 言われて覗いてみれば、完全に一つの生涯を終え、小さな珠となった早坂美玖の魂に比べ、マユの魂はとても大きく綿のようにフワフワしていて鳥籠いっぱいに広がり、今にも動き出しそうにあちこち飛び跳ねている。

 まだ生きている状態で断ち切られたからそうなっているだけで、早く肉体の中に入れなければ欠けた部分から壊れていくらしい。


 魂が壊れる。――彼女が、世界から完全に消える。


 脳裏に浮かんだのは、早坂美玖を助けようとした必死な表情。

 恐らく友人だったのだろう。自分の身も顧みず、躊躇せずに飛び込んだ。

 綺麗な横顔だった。

 ――そんな彼女を、わたしが。


「……!」


 瞬時に頭の中でいろいろな事象が積み上がり、組み立てられた。

 ふと近くのテーブルを見ると、魔王の魂を回収する際に使った道具、魂を入れる器など、わたしが『世界創生』のために作った道具が並んでいる。

 それらを手に取ると、鳥籠を抱えたまま、わたしはスラァ様の方へと振り返った。


「申し訳ありません、スラァ様。後はお任せします」

「え……ええっ!?」

「中に入り、これらの魂を移して――わたしが、魔王になります」


 それだけ言い残すと、わたしは『器』の中に飛び込んだ。

 姉妹神が決して手が出せない――閉じられた世界の中へ。



   ◆ ◆ ◆



 わたしが魂を回収して空となっていた魔王の体は、まだそのままだった。魂の形成に時間がかかっていたため、神々への披露の直前に入れるという話だった。

 その魔王自身に、わたしがなろうと考えたのだ。


 理由はいくつかある。一つ目は、魔王はこの世界の影の支配者だということ。

 そもそも魔王の魂の形成に時間がかかっていたのは、古の魔王と聖女の物語を理解しうる知能を持ち、迂闊に地上で暴れるようなことがないような魂を、と細心の注意を払って作られていたから。


 『世界創生』に最初から加わり、データベースを作成・管理していたわたしは、この『リンドブロムの聖女』の物語を完全に理解していた。箱庭の者は知りようもない設定も事実も、すべて。

 そしてこれが『紡ぎの局』の女神による〝仮初めの世界〟であり、神々に披露するためのものであることも知っている。この物語が破綻しないように、最後まで紡げるように振舞うことは造作もない。


 二つ目は、魔王はこの物語において出番がないということ。

 いくら十級神といえど、わたしが生身のままこの世界の中で動くことは危険だ。歪みが生じる可能性がある。

 ましてや神々に披露されたとき、天界の者が入り込んでいるとバレてしまう恐れがある。


 しかし女神プリーベが自らの手で作った、この世界で一番強靭な魔王の体に入ってしまえば見つかる恐れはない。表に出ることは恐らくないし、わたし自らがこの世界の者になるのだから。

 そしてその神力の大半を魔王の体に預け、『影』で物語が破綻しないように動くことは可能ではないか、と考えた。


 三つ目は、『繭』の魂を救うためには魔王になるのが最も都合がいいということ。

 早く肉体に入れなければならないとスラァ様に言われたとき、真っ先に思いついたのは『マリアンセイユ・フォンティーヌ』だった。


 豊富な魔精力をたたえた〝もう一人の聖女候補〟。彼女は魔王と同じく、ゲーム『リンドブロムの聖女』において出番はない。

 その存在ゆえに展開によっては命を狙われるが、魔の者の頂点である魔王にわたし自身がなってしまえば、最悪の事態はどうにか避けられるだろう。


 わたしが『繭』の未来を奪った。ならばせめて、この世界でその先の人生を生き続けてほしい。

 ここは、紡ぎの女神が作った〝仮初めの世界〟。しかし、女神プリーベの『世界創生』は半端ではない。マリアンセイユ・フォンティーヌは出自もよく、魔導士としての才能も溢れる未来の大公妃。

 彼女がどういう人生を望むかは分からないが、決して退屈な人生にはならない。


 わたしは彼女の人生の黒子になろう。そう思っていたのだが――。



   ◆ ◆ ◆



 魔王城、魔王が眠る寝室。球形を半分に切ったようなドーム型の天井は、半分は開かれていて、魔界の真っ暗な宙を映し出している。

 魔王の相棒である神獣・月光龍ムーンライトドラゴンが時折佇み、様子を見にきているはずだったが、幸い今は不在のようだ。どこにもその姿は見当たらなかった。


 少し息をつき、ゆっくりと足を進める。

 がらんとした何も置かれていないその部屋の中央では、わたしと全く同じ姿をした魔王が静かに横たわっていた。

 ……というより、既に魔王の魂を抜かれたこの身体は、ただのハリボテだ。


「――よろしくお願いします、魔王」


 ぐずぐずしてはいられない。こんなところを月光龍に見られたら大変だ。

 右手を魔王の唇にあて、目を閉じて意識を集中させる。自分の身体の輪郭がみるみる溶けて崩れ落ち、魔王の身体に呑み込まれていくのがわかる。


 同時に知る、魔王の底知れ無い力。プリーベ様は、この世界最強の存在である魔王の生成に、一切手を抜かなかったらしい。

「魔王になります」

と明言したものの本当に魔王の身体に入れるのか心配だったが、これなら何の問題もない。


“……ふう”


 魔王の唇から手を離し、目を開く。私の右手は透け、魔王の顎や肩、そして魔王が眠っている寝台などもすべて見通せるぐらい薄くなっていた。

 9割9分の神力を魔王の肉体に預け、この世界で『影』として動く。あまり長い間魔王の身体から離れられないが、時折地上に降りることぐらいはできるだろう。

 さて、急いでやるべきことをやらなくては。


 すぐさま地上に降り、ロワネスクへと向かう。

 夜中……もうすぐ夜明けだろうか。東の空がわずかに明るい。


 頭に残っていた記憶からロワネスクの地図を引っ張り出し、まっすぐに目的地へと向かう。

 城下町の一角にある孤児院。その一室に、この物語のヒロインであるミーアが眠っていた。


 そっと傍に寄り、鳥籠から手の平に収まるぐらい小さく丸くなっていた『早坂美玖』の魂の珠を取り出す。

 持ってきた道具に取り付け、わずかに開いていた口からそっと押し入れると、ミーアは抵抗することなくするりと飲み込んだ。

 こくり、と喉が鳴るのを確認し、しばらく様子を見守る。


 これは言うなれば、魂の移植だった。『早坂美玖』の魂はミーアの体の中でゆっくりと溶け出し、やがてミーアの魂と混ざり合う。

 本来、聖女シュルヴィアフェスの魂を移植する予定だったミーアの魂には空洞があり、これで完全な一個体となるのだ。

 それまで受け身で言われるまま行動していたミーアも、早坂美玖の記憶を取っ掛かりにし、ゲームのヒロインらしく自らの人生を生き抜いていくに違いない。


「……ん……」


 ミーアがやや身じろぎをし、寝返りをうつ。

 しかしその呼吸はとても規則正しく、拒絶反応なども起こってはいないようだ。どうやら、上手くいったらしい。

 魂の回収は経験があるが、魂の注入は初めてだった。理屈は分かっていたが、さすがに実践するとなると不安があったのは確かだ。


 ホッと息をつくと、鳥籠の中の『繭』の魂がやや震えた。親友がいなくなり、淋しさを覚えたのだろうか。


“大丈夫ですよ。すぐに助けますから”


 聞こえるはずもないのに、鳥籠の中のふわふわとした『繭』の魂に話しかける。

 ふわわ、と返事をするように魂が揺れたのを見て、少しだけ笑みがこぼれた。

 急いで孤児院を離れ、パルシアンの方角へと向かう。


 このままだと『繭』の魂はどんどん零れ落ち、やがて無くなってしまう。早く『マリアンセイユ・フォンティーヌ』の身体に移し替えなければ。



   * * *



 パルシアンの黒い家リーベン・ヴィラ。遠くで牧場の使用人などが起き出した音はするが、まだ誰も外には出ていない。

 アイーダ女史もヘレンも部屋にいないことを確認し、その中央に降り立つ。


 そっとベッドに垂れ下がっていた白いレースのカーテンを開けると、マリアンセイユは驚くほど静かに横たわっていた。呼吸の音も全く聞こえない。

 そっと頬に触れてみると、随分と冷たく、全く反応しなかった。


 そして魂の状態は、すでに生きている人間のものではなくなっていた。『早坂美玖』の魂と同じように、マリアンセイユの胸の奥で、小さな丸い珠になってしまっている。さらに固い殻に覆われており、他の干渉を一切拒絶していた。

 11歳で自らの魔精力の暴走を引き起こした少女は、完全に生きることを放棄していた。魂が肉体の中にある、というだけで、もう生きてはいないのだ。


“……失礼します”


 魔王の魂を回収した時と同じ手順で彼女の魂を回収する。恐らく二人の魂を同居させることも不可能ではなかったが、危険を冒したくはなかった。

 いまだ生きている『繭』の魂は非常に大きい。マリアンセイユの身体の中に確実に収めるためには、仕方がなかった。


 それに、わたしはこの世界で『繭』自身に生きてほしかった。あの真っすぐな瞳の少女の先を――彼女の物語を一番知りたかったのが、恐らくわたしだろう。


 空になったマリアンセイユの身体に、鳥籠から出した『繭』の魂を注入する。

 そのすべてが口の中へと消えると、マリアンセイユはすう、とわずかに息をついた。


 そっと頬に触れると、ほんのり熱を帯びていた。心臓から腕、足へと触れ、様子を確かめる。

 冷え切っていた身体が、徐々に温かくなっていくのがわかった。マリアンセイユの身体の中を巡る魔精力が『繭』の魂を受け入れ、活気づくのが分かる。


 これ以上触れていると、『影』が壊れてしまう。

 名残惜しい気持ちを残しながらも、そっと彼女から手を離した。


 遠からず、彼女は目を覚ます。なぜなら、彼女の魂は生きているから。


 本来は、このパルシアンの地で眠り続けるはずだった少女。勿論、魔王の力を使って彼女を眠らせ続けることはできるだろうが、わたしはそうはしない。

 彼女が生きて動いている姿を見たいから。

 そして――この世界で彼女が望む生き方をしてほしい、というのがわたしの願いであり、彼女への贖罪だったから。



 ――繭。

 あなたの未来を奪ったのは、わたし。

 こんなことでは償いにならないかもしれないが、この世界で、わたしはあなたのために生きる。

 この世界の真の支配者――魔王として。


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