男神の回顧録

1.男神の失敗

 わたしが、マユの輪廻の輪をこの手で断ち切ってしまった。

 どれだけマユが幸せそうに笑っていても、この忌まわしい事実がわたしの脳裏から消え去ることは、永遠にない。



   ◆ ◆ ◆



「やったわよ、セルフィスー!」


 『紡ぎの局』第三房所属の三級神スラァ様が、大声で叫びながら自分の房に飛び込んでくる。

 スラァ様の突飛な行動に慣れてはきたが、繊細な作業をしているところに突然話しかけられると手元が狂いそうになる。


 鳥籠の結界の動作確認をやめて顔を上げると、スラァ様が満面の笑みを浮かべてビシッと私を指差していた。


「ついにソレの出番よ!」

「意味がわかりません」

「姉さまの説得に成功したの。さあ、姉さまの気が変わらないうちにミーアの魂をゲットしに行くわよ!」

「行くのはわたしですよね?」


 確かスラァ様は、鳥籠の操作方法なんて分からないと言ってなかったか。

 これだけ頭の回転が速いのだからすぐに理解できると思うのだが、はなから聞く気がないのだろう。

 どうも女神の方々というのはやりたくないことは一切やらないし、無計画で気まぐれなので困る。

 この姉妹神が独特なのかもしれないが。


 それに前も、

「時間も止めずに神が『器』の世界に入るのは危険なの。だから、セルフィスがちゃちゃっと行ってきて」

と言われ、『リンドブロムの聖女』世界の魔王のところに行かされた。十級神であれば神力も小さく、ひずみも生まれないだろう、という理由で。


 そうして自分と瓜二つの魔王と対面したが、その魂を回収するのはあまり気持ちのいいものではなかった。

 まぁ、管理限定十級神に過ぎない自分が魂を扱うこと自体が恐れ多いのだが。


 本来ならば、そのようなことはわたしには不可能だ。

 そのため女神の神力を蓄え、行使できるようにした魂を吸入・排出する道具を考案した。

 実際にそれがちゃんと使えたことには興奮を覚え、スラァ様のもとに来て良かった、とは思ったが。


「そうだけど、ちゃんとバックアップはするわ。任せて」


 そう言うと、スラァ様は指を鳴らし青い画面を出した。次にガサガサと机の上を乱暴に漁り、資料の束に埋もれていた四角いキーボードを取り出す。そしてすぐさま、カチャカチャと目まぐるしく操作し始めた。

 画面が次々と切り替わり、地球の日本人の名前ばかりが並ぶページでピタリと止まった。口の右端をわずかに上げたスラァ様が『早坂はやさか美玖みく』と書かれた欄に何やら操作を加える。

 そして、ポン、とキーを叩き、満足そうに微笑んだ。


「これでよし、と」

「何をしたんです?」

「あっちのデータベースに繋げて『早坂美玖』を死亡予定者リストから外したの」

「え……」

「これで〝死臨の者〟が纏わりつくことも無い。落ち着いて作業ができるわね」


 つまり、あちらのデータにハッキングして情報を書き換えたということだ。

 それは三級神としてはありなのか?と思ったが、スラァ様によれば『あっちは魂の数も多くて管理もガバガバだから問題ない』という。第一房、第二房ではとっくにやっていることだ、と。


「鳥籠には強めの結界を搭載したので〝死臨の者〟は近づけないはずですが」

「そうは言っても、あからさまに強奪するのもね。繊細な作業だし不安要素は取り除いた方がいいでしょ」


 そう言うと、スラァ様はわたしの机の上を見て「ん?」と首を傾げた。


「その、鳥籠の隣の細い棒はなぁに?」

「あ、これですか」


 直径1センチ、長さ20センチぐらいの銀色の棒。上部を引っ張ると柄の部分が伸び、さらに先端の鉤先部分を引っ張るとかなりの長さを誇る糸が垂れる仕組みになっている。


「神は『器』の中に入れないと聞いたので、せめて声だけでも届く道具が作れないかと試作したものです」

「声?」

「時間を止めないと危険なんですよね? だから物語の修正もできない、と」

「ええ」


 柄の部分を伸ばし、さらに糸を伸ばして見せる。先端についている鉤先を対象に引っかけ、糸を通して女神の思念を伝える道具。

 名付けるなら『女神の釣り竿』……いや、『女神のロッド』だろうか。


「せめて特定の者に『女神の声』として夢の中などで忠告できる道具があれば、世界に入らずとも多少の修正ができるのではないかと考えたのです」

「ええ、すごい!」


 床に散らばった大量の書類やガラクタを蹴り飛ばしながら、スラァ様が私のところへやってきた。その銀の筒の先を引っ張り出したり縮めたり、中を覗き込んだりしながら感心したように唸る。


「これ、使えるの?」

「まだ調整中です。声は届きますが神力を抑える部分が未完成なので、対象に負荷がかかります」

「あー、結局歪みが生じる可能性があるってことね」


 ざーんねん、と言い、スラァ様が元の長さに戻す。そして机の上に置くと

「さ、セルフィス。さっそく日本に行くわよ!」

とやたら元気に背中を叩かれた。



   * * *



 地球、日本時間の12月8日。東京の地下鉄のホームの一角。

 早坂美玖は、白線ギリギリに立ってボーッとしていた。


 日本のゲーム『リンドブロムの聖女』のプレーヤーのうち、ゲームのクリア経験があり、ヒロイン・ミーアの年齢に近い彼女は、今日、この地下鉄の列車に轢かれて死ぬ運命にある。


 通常なら〝死臨の者〟が彼女の魂を回収すべく見張っているはずだが、スラァ様の改ざん工作のおかげで誰もいない。

 しかし『人間の死』を察知した瞬間、必ず奴らは現れる。その前にこの空間を周りから隔絶し、魂を回収しなくては。


 遠くから、列車の近づく音がする。

 鳥籠を提げ、冴えない日本人の青年に扮していたわたしは、ゆっくりと彼女に近づいた。

 ホームを駆けてくる子供。『早坂美玖』にぶつかり、子供を支えようとした彼女がよろめく。

 タイミングを計って鳥籠の取っ手にあった結界を起動――。

 

「美玖――!」


 その瞬間、若い女の声が耳に飛び込んできて、思わず鳥籠を落としそうになった。

 驚いて振り返ったわたしの横を、長い黒髪の少女が駆け抜ける。手足が長く大人びた顔つきの、綺麗な子だった。

 その細身の少女の手が、『早坂美玖』に差し伸べられる。


 ちょっと待て、この少女もこの事故で一緒に死ぬのか? スラァ様の下調べでは、そんな情報は無かったはずだが。


まゆ……っ!」


 早坂美玖の声が、キィン!という結界の起動音に遮られ、我に返る。

 しまった、この少女まで結界の内側に入ってしまった。慌てて手元を操作しようとして、ふと気づく。


 〝死臨の者〟を排除する仕組みは取り入れていたが、中に入ってしまった〝人間〟を外へと吐き出すことは考えていなかった。そもそも、外へ出さないための結界なのだから。

 しかも動作確認を最後に怠ったことが仇になった。一時停止が機能していない。


 結界を解除するか、このまま続けるか。

 いや、解除はもう無理だ。このタイミングを逃せば、『早坂美玖』の魂は絶対に手に入らない。


 マフラーで繋がってしまった二人の体が、ホームの向こうに消えていく。

 入ってきた列車に早坂美玖の体が弾き飛ばされ、人の形を失った。


 一方、マフラーで引っ張られたもう一人の少女は轢かれてはいない。振り回されて線路に激しく体を叩きつけられただけ。

 その証拠に、ふわりと浮かび上がってきた美玖の魂に対し、彼女の魂は見当たらない。


 そうか、巻き込まれただけで死にはしないんだな、と判断し、手元を操作して鳥籠の入り口を開いた。

 鳥籠内部に蓄えてある女神の力で『早坂美玖』の魂を引き付ける。


「……えっ!?」


 早坂美玖の魂を追いかけるように、もう一つの魂が飛んでくる。

 見ると、その魂にはまだかなり太い緒が伸びており、あの長い黒髪の少女の肉体と繋がっていた。鳥籠の神力を発動したせいで、こちらに引き寄せられたようだ。


 少女は、死んでこそいないものの生死の境目ではあったらしい。衝撃で一時的に肉体から離れ浮遊していた魂が、早坂美玖の魂と共に鳥籠に惹きつけられてしまったのだ。


「くっ……!」


 鳥籠の入り口に入ってしまった彼女の魂を慌てて引き出そうとするが、もう手遅れだった。

 まだ肉体と繋がっていたはずの魂が、ガシャンと閉じられた鳥籠の扉によって断ち切られた。それもひどく、中途半端な形で。

 つまり――『早坂美玖』が『繭』と呼んだ少女の魂は、肉体にわずかな魂の緒を残したまま、鳥籠の中に閉じ込められてしまったのだ。


 もしわたしが自分の手で『早坂美玖』の魂を回収していれば、こうはならなかった。確実に彼女の魂を得ようと鳥籠の扉を起動したせいで起こってしまった事故。

 わたしは、二重に罪を犯したのだ。


 こうなってしまっては、もうこの『繭』の魂を肉体に戻すことはできない。

 死ぬはずではなかった少女は――わたしが作った鳥籠のせいで、完全に命を絶たれたのだ。



   ◆ ◆ ◆



 後でわかったことだが、マユは完全には死んでいなかった。肉体に魂が残っていたために、意識不明のまま病院で眠り続けている。

 残された魂の緒の分、何年かは日本で生き続けるらしい。


 つまり、わたしが獲ってしまったマユの魂は、一部が欠落してしまったひどく不完全なものとなってしまったのだった。

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