3.女神の思案
プリーベが聖女シュルヴィアフェスの魂の扱いについて考えあぐねていると、同じく「うーん」と唸りながら考え込んでいたスラァがパッと笑顔を浮かべ、ポン、と手を叩いた。
「そうだ、魔王の魂の入れ替えをする? このままじゃ困るんでしょう、魔王も」
「それはそうだが……できるか、そんなこと?」
「そうねぇ……」
スラァが青いデータベースを引き出し、目まぐるしく操作しながらプリーベが作ったプロットを確認する。
これから起こるイベントなどを箇条書きにした状態。ここから千年間はほぼ空白になっている。
「魔界はもうイベントが終わった場所だし、大丈夫じゃない?」
「しかしどうやって? 魔王は不死だ。魂は浮いてはこないのだぞ。中に乗り込むしかない」
「うちの新入りくんにやらせるわ。十級神だし、神力は小さい。手早く済ませば影響は殆ど無いはずよ」
『紡ぎの局』の二級神は物語への関与が制限される――これは、当初の予定以外のものを加えたり取り除いたりすることはできない、ということを表している。
当然、神自らが『器』の世界に降りることも。
その場に無いはずのものが突然現れたり、あるはずのものが突然消え失せたりすると、『器』の世界に矛盾が生じ、それが引き金となって世界が崩壊する可能性があるからだ。
よって一級神は、『器』の中の時間を一時的に止めることで要素を加えたり取り除いたりといった作業をしている。そして、作業によって生まれたひずみもすべて修正してから、再び『器』の中の世界の時間を動かすのだ。
この“『器』の中の時間を止める”ことが、一級神だけに許された特権である。
これができない二級神は、あえて不明確な部分を残しつつ物語を紡ぐ。
プロットの空白部分であれば、世界の方が事象に合わせて自由に形を変えて動いてくれるからだ。
しかも今の場合、魔王はいなくなる訳ではなく中身が変わるだけ。そして魔王は『眠り続ける』という役割をこなしているだけで、その事象は変わらない。
世界への影響は殆どなく、ひずみが生まれることはないだろう、というのがスラァの見解だった。
「それでね、取り出した魔王の魂と聖女の魂を一緒に残しておいて、いつかまた同じ世界で蘇らせてあげましょうよ」
「……なぜそんな面倒なことを?」
肩入れするあまりに随分と手間のかかることを言い出した、と合理主義のプリーベが眉間に皺を寄せる。
しかしスラァはというと、
「もう、ただ感情的になって言ってるんじゃないわよ」
とやや機嫌を損ねたように反論した。
「例えば、『前世で魔王と聖女だった二人が全然別の世界に生まれ変わって……』みたいな物語が作れるかもしれないじゃない。この先の紡ぎの種になるかもしれないでしょ?」
「……なるほどな。しかし、代わりの魔王の魂はどうするのだ」
「うーん、そうねぇ。影の支配者だしねぇ」
二代目魔王に新しい魂を入れた結果、神々に見せる前に地上で暴れ始め、物語が始まる前に世界を壊してしまっても困る。
何しろ聖女シュルヴィアフェスの記憶がないのだ。
『聖女の魔法陣』を封印したのも魔王であるし、過去の事情を把握した上でその管理をしっかりとできるような者にしなければならない。そんな魂の生成となると、かなりの時間と労力がかかることになる。
「どっちみち出番はかなり後なんだし、しばらくは空のままでもいいんじゃない?」
「うむ。そうだな」
スラァの提案に、プリーベは今度はあっさり頷いた。
実際、世界に影響を与えない脇役などは、ハリボテ状態のように魂を入れないまま放置してある場合もあるのだ。女神の力の節約のために。
「入れるなら、このゲームを熟知している人間の方がいいのかしら。うーん、どうせヒロインの魂を見繕ってこないと駄目だし、私の方で考えておくわ」
「ヒロインの魂? どういうことだ?」
以前にスラァから聞いた話をすっかり忘れてしまっていたプリーベが、不思議そうな顔をする。
スラァは「もう!」と声を上げると、ビシッと人差し指を姉に突き付けた。
「姉さま、『世界創生』の才は凄いと思うけど、情報収集に関しては本当にダメダメね!」
「だからお前にデータベースを作ってもらったんだろうが」
「開き直らないで。前に言ったでしょ? ヒロインには実際にこのゲームを知っている人間の魂を付与するといいって! 話がおかしな方向に転がったりしないからって!」
「……ああ」
思い出したプリーベが、ポン、と一つ手を打つ。しかしすぐにムムッと再び口元を歪ませた。
「それはお前が勝手に言っているだけだろう。異世界の魂を掠め取るなぞ、紡ぎの女神たる二級神がすることではない」
「ええー? まだそんなこと言ってるの?」
肩をすくめ両手を空に向け、スラァがオーバー気味に驚いた顔をする。
「ただでさえ問題が山積みなのに、自由にヒロインを動かすの?」
「聖女の魂を付与することを考えて受動的な性格にしてある。そう暴れることもあるまい」
「でも付与しないんでしょ? 逆に周りに押し潰されちゃうかも」
「何と言われようともやらん。大丈夫だ」
すでに想定からかなり逸脱した展開を迎えてるのに……とスラァは内心思ったが、今は何を言ってもプリーベには伝わらないだろう、と口には出さなかった。
いざというときにすぐ用意できるように、人選だけはしておかなくては。
ゲーム『リンドブロムの聖女』をよく知っていて――その記憶が褪せる前に死ぬ予定の人間。
そして、監視者たる魔王となるべき人材も考えなくては。
「まぁ……じゃあ、私はいったん帰るわ。もう少しそのゲームについて情報を収集しようと思うの。姉さま、管理は自分でできる?」
「ああ。この辺は空白部分も多いのでな。自分の目で確認することにする」
「……箱庭の世界の様子はそのデータベースに転送されて記載される仕組みになってるんだけど?」
「細々した情報は要らん。世界がどうなってるかが分かればいい」
「……ふうん」
女神プリーベは、世界観の構築、魔物や魔法の設定には凝りがちだが、いかんせん登場人物の方をおざなりにするところがある。
中で物語を紡ぐのはその者なのだから、キャラクター造形にもっと厚みを持たせた方がいいんじゃないか、とスラァは考えていた。あまりにもスカスカなのだ。
そのため中の人間があまり変わり映えの無い言動しかせず、同じような事柄が繰り返され、物語に起伏が無くなっていってプリーベ自身が飽きてしまったり。
あるいはその重厚な設定ゆえにとんでもない事態を引き起こし、『器』の中の人間がそれに対応しきれず世界が崩壊したり。
行き詰まることが多いのはそのせいだろう。
……となると、ゲームを知っている魂を付与して物語を動かしてもらう、という作戦はピタリとハマるはずなのだ。
* * *
「困ったものだわ、姉さまにも」
プリーベの工房から帰って来たスラァは、部屋に入るなりそう言って大きな溜息をついた。
白い天井や床、壁がすべて、灰色と黒、銀色などの物で埋め尽くされた部屋。プリーベの工房と違い、散らかってはいないものの、如何せん物が多すぎて足の踏み場もないほどである。
「良い題材なのよ。姉さまが気合を入れて設定モリモリにしたせいもあって、見所はいろいろありそう。だけどその分、不測の事態になりかねないわ……」
「……」
「ちょっと、聞いてるの?」
スラァが少しイラッとしたように工房の隅を睨みつける。
周囲に3つほどの青い画面を出し、それらを見ながら黙々と作業をしている男性がいた。
スラァの問いかけに気づき、ようやく顔を上げる。
「わたしに言っていたのですか。てっきり独り言かと」
「こんな大きい独り言がある訳ないでしょ。……それ、ナニ?」
文句を言いかけたスラァが、男の手元を見る。
男が手にしていたのは、黒い網状の鳥籠。八角柱の天頂部が狭まったような形をしており、大きさは男の顔の長さぐらいと小さく、上には取っ手のような物が付けられていて手で提げられるようになっている。
そして側面の一角には同じく黒の網状の四角い扉。
男はそれをぐるりと180度回転させてスラァに見せ、「おや?」という顔をした。
「スラァ様、魂を盗る道具が要ると言っていませんでしたか?」
「言ったけど……」
「幽界の〝
〝
天界の神からすれば神属でも何でもない彼らは、当然『死神』などと呼べるような存在ではなく、人の死の瞬間に立ち会う者、という意味で神々にこう呼ばれていた。
「というより、まんま鳥籠ね」
「〝
男性が天頂部に手をやる。何やら操作したらしく、自動的にカパッと鳥籠の扉が開いた。
「この部分を操作することで周りに結界を作って隔絶し……」
「ごめん、説明はいいや」
スラァがあからさまにウンザリした様子で男性の言葉を遮る。
気分を害したらしく、男性が眉間に皺を寄せた。金色の瞳がやや鋭くなる。
「使い方がわからなければ魂を掠めとれませんが」
「君がやってよ」
「わたしは管理限定神なので、地球には降りられません」
「まぁ、バレなきゃ大丈夫よ。ガバガバだしね、あそこ。降りるときにはちゃんと協力するわ」
あはは、と明るく笑いながら手をパタパタと振るスラァにこれ以上言っても無駄だろう、と男性は溜息をついた。
何しろ彼は、完全にスラァに使われている身である。
この男性は、スラァの下にやってきた『新入り』と呼ばれていた男神。
本来は『調えの局』という、天界の環境を整え、各局に必要な物を届けたり創ったりする部署の所属であり、魂に関わることは許されていない管理限定神だった。
才能はあるがなかなか紡ぎが持続しない女神プリーベのために、スラァが自分の房に引き入れた男神。まだ十級神と神になったばかりで力は低いが、情報処理と製作の能力に長けている。
その嫌味な物言いもあり『調えの局』では扱いづらい奴とされていた。しかしスラァは彼の才能を即座に見抜き、思う存分腕を振るってもらえる環境を用意したのだ。
実際、彼はこの房を気に入っていた。三級神スラァは落ち着きがなく多弁だが、その行動力と発想力、情報収集能力には目を見張るものがあり、彼女の考えを実現するための道具を考え、製作することはとても面白い。
プリーベの局にあるデータベースなどを用意したのも彼であり、箱庭の世界を観測し、データ化するシステムを構築したりもしていた。
そのため彼は、物語を紡ぐことはできないものの、この『リンドブロムの聖女』の世界について完璧に理解していた。
この男神の名は――セルフィス。
長い黒髪に金の瞳、中肉中背の青年……魔王のモデルになった神だった。
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