2.女神の試練
「姉さま、いるー?」
いつものように、三級神スラァが何の前触れもなく二級神プリーベの工房に現れる。
「いる。いない訳がないだろう」
目の前の『器』を睨みつけるように眉間に皺を寄せながら、プリーベが憮然として答えた。
工房の床に転がっていた四つの『器』は二つに減っていた。プリ―ベが自ら壊したらしく、比較的大きな破片が床一面に散らばっている。
それらを見回したスラァは、ふう、と溜息をついた。
「姉さま、『世界創生』が上手くいってないの? 癇癪を起こしたからって壊さなくても」
「違う。覗いてみたら、膠着状態でどうにもならなくなっていた。それならば新しく作っている世界のために力を蓄えようと思ってな」
世界を二つ壊したことでその世界に費やされていた女神の力が戻って来たせいか、プリーベの表情はどこか明るい。前とは違って苛ついてもおらず、落ち着いているようだ。
「あら、だいぶんできているわね」
「うむ」
スラァが地球から見繕ってきた作品を二人で吟味し、選んだのは『リンドブロムの聖女』というゲーム作品だった。
リンドブロム大公国という一つの国だけで物語が展開されるため、世界観が小さくまとまっている。最初に手がけるものとして理想的だったのだ。
そしてこの物語は、世界の始まりから実際に物語が動き始める間に二千年余りの歴史を持っている。
神々はそれらをすべて見るのではなく、その世界のほんの一部だ。だから女神プリーベは、ゲーム『リンドブロムの聖女』のオープニングからエンディングまでを神々に披露しようと決めていた。
よってそれまでは設定の空白部分に手を入れつつ、試行錯誤しながらゆっくりと世界を組み上げていこうと考えていたのだ。
「さて……そろそろ魔王の登場なのだが……」
一度『器』から目をそらし、プリーベがパチンと指を鳴らす。
ブン、と宙に青く四角い画面が現れ、その上にたくさんの文字が白抜きで浮かび上がってきた。
これはスラァが地球から持ってきたゲームの資料を集めたデータベース。世界観設定、キャラクター、作中用語などすぐに検索できるようになっている。
画面を睨みつつシャッシャッと目まぐるしく操作していたプリーベの手が、ピタリと止まった。
「……画像データはないな」
「そうね。昔話としてしか出てきてないし、本編で登場した場合もテキストベースなのよ」
「ふ……む。ならば作ればよいか」
『リンドブロムの聖女』世界の魔王は、本編で分岐したうちのたった1つのルートで登場するのみ。主人公であるミーア・レグナンドが通常通りに話を進めたら、まず地上には現れない。魔王が現れるルートは、バッドエンドだからだ。
本編には登場しない可能性が高い、むしろ登場してほしくはない存在だし、まぁ適当でいいだろう、とプリーベは考えた。すっと目を閉じ、両手を小さな珠を掴むような形に広げる。
「今から始める。スラァ、補佐を頼む」
「おっけー」
スラァは軽く了承すると、プリーベが視線で示したティーポッドのような形の白い器を手に取った。中には、プリーベがあらかじめ用意しておいた魔王の魂が閉じ込められている。
これからプリーベが女神の力を使って魔王の肉体を作る。それが完全に固まりきる前に魔王の口にティーポッドの口を差し込み魂を注ぎ込む、というのが、スラァの仕事である。
どういう姿にするか、と考えたプリーベの脳裏に、一人の男性の姿が浮かぶ。
まぁこれでいいだろう、とその姿をそのまま魔王の姿に投影することにした。
長い黒髪に金色の瞳。美男子過ぎず不細工過ぎず、背も高すぎず低すぎず、身体つきも太り過ぎず痩せすぎてもいない、いわゆる中肉中背の青年の姿。
プリーベの中心から生み出された力が両手で作られた球の中央で丸い形になり、次に5か所が角のように外に伸びて星形になる。
淡いぼんやりとした光を放ちながら頭と四肢ができ、やがてそれは漆黒の衣装をまとった魔王の形になった。
スラァがポッドを慎重に傾け、できたばかりの魔王の肉体に魂を注ぎ込む。すると魔王の身体から溢れていた光が白から金色へと変わった。
そしてその姿が、すうっと器の中へと消えてゆく。
箱庭の世界に降り立った魔王の金色の瞳が、妖しく光る。
魔王降臨――地上最強の生物としての彼の活動が始まった。
しばらく成り行きを見守っていたプリーベが、満足そうに頷く。事前に組み上げた設定どおりに動いているらしい。
「意外ー。魔王って言うからには、もっと凶悪そうな姿にするかと思ってたわ」
繊細な作業のためずっと黙って見守っていたスラァが、ぷは、と軽く息をつき、ウキウキとした様子で、箱庭の世界を覗き込んだ。
三級神にはまだ許されていない『生命の創造』――その様子を見るのは、スラァ最大の楽しみでもあった。
「何となくだ。変化の魔法を備えているからどのような姿にもなれる。元の姿はどうでもいいのでな」
「ウチの新入りくんにそっくりだったわよ」
「……あ」
脳裏に浮かんだのは、最近見た顔だったからか。そう言えばデータベースを作る際にここで会ったような……。
「……忘れていた」
「もう、ちゃんと紹介したでしょ? 姉さまって『世界創生』に夢中になると他の事は全然覚えてないんだから。名前はねぇ……」
「ああ、いい。どうせ忘れる」
プリーベはブンブンと右手を振り、面倒くさそうにスラァの言葉を遮った。
* * *
プリーベの『世界創生』は、しばらくは順調だった。
最初に魂に刻んだ命令通り、魔王が世界を蹂躙する。そして聖女が生まれ、魔王と出会い、変化が訪れる。
約定を交わし、聖女は魔王の下へ行き――そこまでは良かったのだが。
「うーむ」
箱庭を覗き込み、プリーベは渋い顔をした。
聖女を失った魔王の悲しみはことのほか大きく、彼は自分の殻に閉じこもってしまった。魔物の嘆きや魔獣の言葉が一切届かない、自らの肉体の中へと。
異常な事態に、魔界の魔獣達も騒然としている。
本来ならば魔王はただ鬱々とした時間を過ごすのみで、眠る予定など無かった。
そして来たるべき時が来たら――本編の展開によっては、地上へと降臨してもらわねばならないというのに。
それは望む展開ではないが、箱庭の世界での魔王の役割というものがある。それらもすべて放棄されてしまっては、元も子もない。
「少し繊細に……というよりポンコツに作り過ぎたか。困ったな」
「えー? 私はきゅうんって切なくなっちゃったけどなぁ」
同じように箱庭を覗き込んでいたスラァが眉をハの字に下げ、涙ぐんでいる。
「死んだルヴィの亡骸をずっと抱えて、全く動かなくなって。表情に乏しい魔王だけど、体中から悲しみが溢れていたわ」
そして一つずつ、彼女との思い出の場所を封印していく、虚ろな表情の魔王。
その瞳からは覇気が消え――やがて眠りについた。
「むしろこのシーンを神々に見せた方が良かったんじゃないかしら」
ぐすん、と右手で涙を拭いながら言うスラァに、プリーベは
「これはただの前提部分だ」
とけんもほろろだった。
「スラァ、仮初めの世界の者に感情移入しては『世界創生』なぞできんぞ。どれだけの生物がこの世界の中で生きていると思っている」
「魔王はこの時点では主役も同然よ。そりゃ感情移入もするわよ」
ズビビッと豪快に鼻をすすりながら、スラァが反論する。
魔王は女神自らの手で作り上げた特別な存在。その作業に関わり、『器』の中へと送り出し、動く様子をずっと見ていたスラァにとっては、プリーベの台詞は考えられないことだった。
「だいたい、姉さまが淡泊すぎるのよ。姉さまは自分が作った者に対する愛情が薄すぎるわ。だから話が途中で詰まるのよ」
「む……」
痛いところを突かれたらしいプリーベが、口をへの字に曲げる。
それは確かにそうかもしれない。肩入れしたくなるようなお気に入りの者がいれば、その者の未来が良いものになるように、と世界の骨組みにもその成り行きにも、もっと熱を入れて取り組むかもしれなかった。
「愛情な。……まぁ、心に留めておく」
ふん、と渋々頷くと、プリーベは再び箱庭を覗き込んだ。
「それにしても、まさか聖女が再び地上に降りるとは思わなかった。よりによってあんなものを公爵家に遺すとは……」
「あんなものってパルシアンにある『聖女の魔法陣』のこと? 姉さまの仕込みじゃないの?」
「違う。だいたい『聖女の魔法陣』は使う者が使えばこの世界を牛耳ることができる大変な代物だ。あんな一か所に集めるなぞ……」
「それも姉さまがいろいろと設定を付け足したからでしょ。誓約呪文とか、奇跡のカエルとか、本物の魔獣召喚とか」
「む……面白いかと思ったんだが」
「それに聖女が地上に降りたのも、限られた命の人間だからこそよ」
すっかり箱庭の世界に魅入られたスラァがうんうんと頷く。
「限られているから、自分の生きた証を刻みつけておきたい、と願うのよ。誰か一人でいいから、自分のことを覚えていて、と。肩書じゃない、本当の自分を」
「ふむ……」
スラァの力説に一応は頷きながら、プリーベはじっと自分の右手の中にある燃えるような赤い珠を見つめた。
女神プリーベが手にしている赤い珠。これは、聖女シュルヴィアフェスの魂だ。
魔王が感情の機微に疎い鈍感な性格だったために聖女は鋭敏で行動的な人間にしたのだが、そのせいでとんでもないものを地上に遺す結果となった。
箱庭の世界の魂は噴水のように『器』の天頂部に吸い寄せられ、そこで魂の選別が行われる。一部が壊れたりくたびれてしまった魂は『器』の外へ出て女神プリーベに戻り、健全な魂は過去の記憶を消してまっさらにしたあと、再び地上に戻される。
そのように『器』の中で生まれた魂は永遠に循環しているのだが、『聖女』の魂は特別なため、プリーベは輪廻の輪から取り出しておいたのだ。
「それ、どうするつもりなの?」
「本当は聖女の生まれ変わりであるミーア・レグナンドに植え付けるつもりだったのだが……このままでは余計な知識を与えかねん」
だからといって、このまま自分の中に戻し、ルヴィの魂を消してしまうのは気が引けた。
スラァの話を聞いたあとなので、なおさら。
女神プリーベは手元の赤い珠をまじまじと見つめながら、深い溜息をついた。
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