5.男神の誤算【第3幕・第4幕】
“そっちの世界での『明日の夜明け』から、神々への披露が始まるわ”
あれは、マユが目覚めてから約2年……この『リンドブロムの聖女』世界が7月を迎えた頃。
スラァ様が『女神のロッド』を使い、そうわたしに報せてきた。
7月初旬――ミーア・レグナンドが治癒の力を発揮して城下町を賑わせ、レグナンド男爵が迎えに来る。
まさにゲーム『リンドブロムの聖女』の、オープニングのシーン。
そしてマユはというと、この頃はもっぱら初代フォンティーヌ公爵の日記を読んでいた。
もうわたしの中では、最終的にマユを世界を救う『聖女』として民衆に認知させ、その後魔界に呼ぶことに決めていた。
まず手始めに古の魔王と聖女について知ってもらおうと、旧フォンティーヌ邸の図書室を開放したのだ。
結局のところ、魔獣を従えることができるのが本来の『聖女』だ。聖女シュルヴィアフェスが遺した、パルシアンのアトリエが使える。
まずは魔王への誤解を解き、魔物への理解を深める。そのためにそれとなくマユを促し、導き……ここまでは順調に来ている。
“もう細かい指示はできなくなるから、後は頼んだわよ”
「はい」
“ヒロインがいかに悩み傷つきながらも一生懸命に考え、努力して、自らの人生を選び取るか。そこが重要なんだから、絶対に干渉しないでね”
「解っています」
ミーア・レグナンドの邪魔をする気は全くない。そもそも、彼女が物語中でどれだけ成り上がろうがただの『聖なる者』であり、ゴールはせいぜいディオンの妃。マユが生存し続ける限り、彼女がマユの立場を脅かすことは無い。
ただ、ミーアがディオンの正妃になるためにはマユの死亡イベントか魔界追放イベントを発動しなければならない。とにかく死亡イベントだけは阻止できるように、聖獣とマユを引き合わせよう。そのための準備はもうしてある。
彼らなら、マユを気に入る。そうして彼らにマユを最後まで護ってもらい、物語が終幕を迎えたあとにマユを表に出せばいい。
“ところで、マリアンセイユが封じられていたはずの図書室に出入りしているようだけど?”
やはりスラァ様はマユの動きには注意していたらしい。わたしがマユと会っているところは見られていないはずだが、関与は疑われているようだ。
一瞬ヒヤッとしたが、
「魔王の結界が緩んでいたようです」
とだけ答えた。
“結界が? どうして?”
「魔王が眠った状態だからです。『影』では魔王の力を行使することはできませんから、結界を強められません」
“ああ……そういうこと”
そして実際にはわたし自らマユの入室を許可したわけだが、その辺の違いまではさすがにこの世界にいないスラァ様にはわからないだろう。
スラァ様のしばし考え込んだ気配が伝わってくる。
やや緊張しながら次の言葉を待っていると
“魔王の状態はどうなの?”
とマユのことからは逸れた質問がきたので、ホッと胸を撫で下ろした。
「思ったより地上が乱れていますから、物語の途中で目覚めるかもしれません。ですが、絶対に地上を攻めることは致しませんので」
“頼んだわよ。魔物や魔獣の統制だけはちゃんとしておいて”
「わかりました」
とは言っても、最初に比べるとだいぶん『女神のロッド』に耐えられるようになってきた。
それはすなわち、魔王の身体にわたし自身が馴染み、神力で満たされているということ。
これは本当に目覚めが近いのかもしれない。肝に銘じなければ。
◆ ◆ ◆
神々への披露が始まると姉妹神はこの世界に手出しができなくなるが、わたしも迂闊なことはできなくなる。
すべての準備は万全に整えたし、しばらくは地上に降りずに休もう、と思っていたのに。
マユの『名づけの魔法』を甘く見ていた。
いやそもそも、まさか出会ってすぐの夜に、ハト=ウァー=ド=リングスがマユに会いに行くとは思わなかった。
聖女の素質があるという設定のマリアンセイユ・フォンティーヌ。
確かにマユは魔物と近しい存在となっていたが、ここまでとは思わなかった。
マユの自由奔放な性格と、どんどん磨かれていった魔精力が結びついてしまった結果だろう。
そしてマユから『ハティ』と名付けられたことで縛られてしまった彼を心配し、スク=リュー=ド=リングスまでマユの前に現れた。
そのことが分かったときは、さすがに冷や汗が止まらなかった。
聖獣と会えたか確認する程度のつもりで「少しだけ」とマユの元へと行ったのに、わたしが目を離していた一か月の間に、事態は予想以上に進んでいた。
これはマズい、とマユを牽制したが、時すでに遅し。すっかりマユに魅了されてしまった聖獣を、止めることはできなかった。
物語の舞台に関与できない以上、わたしは彼らに会う訳にはいかなかった。マユに会っていることさえギリギリのような状態で、それでも力を抑えに抑え、肝心なことは何も伝えられないまま、どうにかここまで来たのに。
勢いに乗ってしまったマユは、もう止まらない。出会ってたった一か月で、マユは聖獣との契約に成功してしまった。
そしてこのことが、マユの表舞台への出演を決定づけてしまう。
◆ ◆ ◆
〝アツイ〟〝クルシイ〟〝ナゼ〟
〝仲間を、失った〟
〝ニンゲン、ニクイ〟〝ドウカ……〟
〝どうか、魔王――!!〟
それは、どこからともなく聞こえてくる魔物たちの嘆き。
巨大な最期の咆哮が、魔王の身体に打ち込まれていた楔を解き放った。
「――……!」
急に視界が開ける。これまでとは違う、確かにわたし自身の瞼が開いた感触。体中の細胞が一斉に動き出したような奮えがある。
これは……!
「――ムーン……!」
わたしの瞳に映ったのは、美しく煌めく水晶でできたような体躯を蠢かし、大きく翼を広げた
その向こうに広がる魔界の宙は、まだ黒いまま。
“目覚めたか、魔王”
ムーンがわたしを見下ろし、ポツリと呟く。
その声に軽く頷きながら、ゆっくりと両腕を曲げ、両手を目の前に持ってくる。五本の指を、握ったり開いたりしてみた。
確かに、動いている。『影』ではなく、魔王自身の身体で。
女神プルーベが自ら作り上げた魔王の身体は、十級神とはいえ神属のわたしをも完全に包み込み、この世界における最強の生物として十分な屈強さと魔精力を兼ね備えていた。
――そして、わたし自身の神力も。
“急にとてつもない、感じたことのない
ムーンがその声色に焦りを滲ませる。
異質に感じたのは、恐らく魔王本来の魔精力とわたし本来の神力が混じった結果だろう。
それにしても、こんな早くに肉体が目覚めるとは予想外だった。まだ物語は始まったばかり。魔王が目覚めるタイミングとしては早すぎる。
ただ、魔界の宙は暗い。わたしが目覚めたことはまだ他の魔獣には伝わっていないはず。
それだけは救いか。ムーンが傍にいてくれたことに、感謝しなくてはならない。
「……助かりました、ムーン」
体を起こしながら礼を言うと、ムーンが訝し気に長い首をくねらせた。
“魔王。……本当に、あの魔王か?”
「あ……」
そうか。ムーンは当然、かつての魔王が蘇ると思っていたに違いない。
初代魔王が既にいなくなったことは、この世界の魔獣達は知らない。中身が変われば、当然醸し出す雰囲気も変わる。
それは魔獣達に伝えた方がいいだろう。物語に出番のない魔王の中身が変わったところで世界に影響はないだろうし、さすがにわたしは初代魔王のフリをし続けることはできない。
「初代魔王が眠りについたのは、地上を放棄したからです」
“……うむ”
「女神はこの世界の支配者として初代魔王を不適格とみなし、魂を天界に呼び戻しました。そして、わたしが遣わされた。言うなれば、わたしは二代目です」
スラァ様との口裏を合わせる意味でも、この説明で問題ないだろう。
しかし、ムーンを纏う空気がかすかに振るえた。
初代魔王と同時に生まれた唯一無二の相棒。すでに世界からいなくなったと言われれば、平静を保つことなどできないだろう。
そのことに気づき、
「ですが、心配は無用です」
と付け加え、わたしはムーンの瞳をしっかりと見据えて頷いた。
「初代魔王の魂は、いまは聖女シュルヴィアフェスと共に在ります。いつかどこかの世界で、また会えるでしょう」
“……そうか”
緊張感を漲らせていたムーンは、どこか安心したように息をつき、広げていた翼をゆっくりと下ろした。
「ムーン。わたしが目覚めたことはしばらく伏せますが、魔王が二代目に変わったことだけは魔獣達に伝えてもらえませんか?」
“承知した。聖女とのことも伝えておく”
それを聞けばマイヤは安心するだろう、とムーンが呟く。
その言葉を聞いて、ああそうかと、腑に落ちた。
わたしの知らぬ間に、マユがどんどん扉を開いていった理由。
この世界の人間として生きる、ということ。自分の周囲に関わることで、物語は形を変え、次々と紡がれていく。
誰かの描いた筋書き通りに動くなど、あり得ないということ。
マユを想い、陰で補佐していたつもりだったが、わたし自身がもうこの世界の住人なのだ。
この世界に存在する者と触れ合い、世界に関わっていかなければ、本当の意味では『魔王』としての務めは果たせないし、この世界を理解できない。
それが、真にこの世界を守るということ。
思わず、自由に動く自分の左手を見る。
確かに魔王の肉体だ。影が実態を持ってしまったとかではない。わたしが魂を回収し、そしてずっと魔王城の奥で眠っていた魔王の身体が、確かにわたしを呑み込んで動いている。
まるでもともとわたしの身体だったように。
わたしは魔王。たとえ仮初めの世界であろうと、これから長くわたしが生き続ける世界。そのことを踏まえ、行動しなくては。
身体が動くようになって、ようやく実感できた。
「わたしは二代目ですが、初代魔王の為したことは記憶にあり、この世界のこともあらかたは知識として頭に入っています。そして現在の状況を知ろうと『影』を用いて少しだけ地上の様子を見ていたのですが……」
まずはムーンの話を聞かなければ。『影』として彷徨ってはいたが、所詮上っ面だ。わたしはデータとしてしかこの世界のことを考えていなかった。
「急に魔物の声が聞こえました。魔物たちの憤りが頂点に達したということ。どうしてこんなに早くそのような事態になったのか……ムーン、わかりますか?」
“恐らく、アルキス山のホワイトウルフだ”
「アルキス山?」
ワイズ王国との境、ギルマン子爵領にある山だ。
確かマユが発案した下着事業が、その場所で……――。
「……!」
嫌な予感がして、ムーンを見上げる。
ムーンがやや首を逸らし、“フン”と吐息を漏らした。
“パルシアンの娘が、聖獣と共にホワイトウルフの群れを屠った。魔王の耳に届いたのは、その嘆きだろう”
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