第5話 彼はとても苦労したらしい
魔王城の最上階、恐らく魔王に謁見するための大広間。
その一番奥にある玉座に座ったセルフィスは、私を膝に乗せ
「わたしが、魔王です」
と言ったあと、
「ようやく……」
と呟きながら大きく肩を下げ、長い長い溜息をついた。
その様子を、私はどこか夢の中にいるような気分でポケッと眺めていた。そんな私に気づいたのか、セルフィスが少し困ったような顔で右手の手の平を私の顔の前で横に振る。
大丈夫ですか、聞こえてますか、みたいなことを話しかけられてるのは分かるんだけど、返事ができない。
ちょっと待って、今はそれどころじゃないのよ。
魔王? セルフィスが?
え、どの辺が人間を蹂躙した魔王なの? こんな穏やかなのに?
そう言えば、さっきの怒髪天は確かに怖かった。そうかー、あれが魔王の本性の片鱗なのねー。
セルフィスったら、一体いつの間に魔王になったのかしら?
――いや、元々か! だって、魔王なんて急になれるもんじゃないだろうし。
えっ、てことは、ドアタマから魔王は降臨していたということに……っ!
「ぎえええええええ――!」
いろいろなことがようやく繋がって、感情のすべてが特大の叫び声に変換される。
セルフィスは片目を閉じてやや身体を仰け反らせると、
「その色気のない叫び声でどうやって色仕掛けをするつもりだったのか、全く理解できませんね……」
と、ひどくげんなりした顔で私を見上げた。
「いっ、色仕掛けしたいなんて私は一言も言ってないからね! セルフィスが勝手に言い始めただけだからね!」
「こういうのには引っ掛からないんですね。面倒です」
「面倒って言わないで!」
あああ、ちょっと待って。全然わからないわ。
何がどうしてこうなってるのか!
魔王って寝てたんじゃないの!? ついこの間、目を覚ましたんじゃなかったっけ? マデラギガンダはそう言ってたよね! 王獣が! 魔王腹心の部下が!
確かに『今』とは言ってなかったけど……少なくとも『二年前から起きてます』というニュアンスじゃなかったわよ。
じゃあ仮に、王獣にも内緒でとっくに目を覚ましていたとして、だ。
その魔王がなぜ私の傍に? 意味が分からない!
……と、とにかく落ち着こう。ただでさえセルフィスの雰囲気は妖しさ満点だし、このままだと簡単に丸め込まれてしまうわ。
さあ、取り繕おう! 思い出して、あのアイーダ女史の厳しい特訓を! 発動しよう、公爵令嬢スキル!
コホン、と一つ咳払いをし、どうにか口角を上げて完璧な笑みを作ってみせる。
「――ねぇ、セルフィス?」
「あ、始めます?」
「ええ、あなたへの尋問を」
「……」
今、あからさまに「なーんだ」という顔をしたわね。
色仕掛けなんかしないわよ。意味ないじゃない、セルフィス相手に!
「セルフィスは、本当に魔王なの?」
「そこからですか? まぁ、そうです。証拠にどこか攻めましょうか。そうですね、クレズン王国あたりはかなりヤバいことをしていますから……」
「やめてぇぇ――!」
「いきなり国を滅ぼしたりはしませんよ? まずは見せしめに……」
「やめてってば! 何のために私がここに来たと思ってるのよ!」
「わたしのものにするためです」
「違ーう! ……え?」
何か急にアツい台詞がねじ込まれたわよ。物騒なネタからの振り幅が大きすぎて転げ落ちそうだわ。
「違う、というのは酷くありませんか、マユ」
「え、と……」
「すべてを投げ打ってまでわたしに会いたかった、と言ってくれたのに」
「……ひ……」
ちょっと、その蕩けるような眼差しはやめて……調子が狂う。
それならいつもの冷めた表情の方がずっとマシだわ。あんたが私に色仕掛けしてどうするのよ!
くうう、完全に私を堕としにきてるわね! 負けないわ!
「色気で誤魔化そうったってそうはいかないわよ」
「効いているようで嬉しいです」
「それはもういいから、質問に答えて。ねぇ、魔王って聖女フェチなの? 聖女なら何でもいいの?」
「どうしてそうなるんですか。……あ、聖女シュルヴィアフェスが気になっているんですか?」
「……」
その言い方だと、昔の恋人を気にしている心の狭い人間みたいで素直に頷けない。
だから違う、と言いたいところだけど……気になってるのは確かなのよね。
どうも、話で聞いていた魔王の話といま目の前にいるセルフィスの言動が繋がらないのよ。
あ、古の魔王とセルフィスって別人なんだっけ? あれ?
「あの、絵本の魔王いるでしょ。聖女シュルヴィアフェスを略奪した」
「そういう認識なんですね。まぁいいでしょう」
「あれは、セルフィスなの?」
そう、ここよ、大事なところは!
魔王と聖女についてはいろいろ妄想しちゃったからなあ。御伽噺のように感じてたから、どうもイメージが……。
「先ほども言いましたが、同じであり異なる存在です」
「……」
その意味が解らないから聞いてるんですけどね。
魔王です、と暴露したあとは肩の荷が下りたのか妙に感情表現が豊かだけど、こういう含みのある言い回しは全然変わらないわね。
ところで、ずっとこの体勢で話をするのかしら。
どこかに椅子は……と辺りを見回したけれど、ガラーンとしていて何も無かった。
中央を縦断している金刺繍の赤絨毯。向かって右側は、室内なのに土と泥の地面、それと大小二つの池がある。地中や水棲の魔物が謁見するためかしらね。
そして左側は草原を思わせる若草色で覆われた、ふかふかな床になっている。獣系の蹄や爪を傷めないように、かしら。壁から黒い頑丈そうな棒が何本か突き出ているのは、鳥系の止まり木かしらね。
そうよね、魔獣や魔物が椅子なんか使う訳がなかったわ……。
「なぜモゾモゾしているんですか?」
セルフィスが殆ど表情を変えないまま私を見上げている。
こっちが聞きたい。なぜそんなに平然としていられるのかしら? 触れ合ったのはまだ3回目、しかもかつてない密着度なのに。
何を考えているのか分からないのは相変わらずだわ!
「あの、落ち着かないんだけど。予備の椅子とかないの?」
「ありません」
「あの小部屋にあった椅子を持ってきてもいい?」
「駄目です」
「何で……」
「古から、魔王城における聖女の椅子は魔王の膝と決まっています」
「はえっ!?」
真顔で何てことを言うのよ! 千年前のことだから知らないと思って! 馬鹿にしてる!
「嘘つかないでよ!」
「本当ですよ」
「信じない。だってセルフィス、嘘ばっかりだもん」
どうだ、参ったかー。
最初から嘘だらけだと、いざというときに信じてもらえないんだぞー。
言ってやった、と思いながらオーバー気味にプイッと顔を背けると、セルフィスが
「やれやれ、困りましたね」
と呟きながら私の左手を取ったのが分かった。
左手の甲に何か柔らかいものが当たった気がしてちらりと見ると、セルフィスが自分の唇を私の手の甲に押し付け――そのまま唇を滑らせて人差し指を咥えようとしている。
「ひやああああ!」
「……ですから、その叫び声はどうにかしてください」
「な、何するのよ!」
何か、えっ、エロい! わ、わわわ私の指で何をしようとしてるのよ!
だ、だだだ、だいたい、叫ぶようなことするから悪いんじゃない!
んぎぎ、と力を入れて左手を引っこ抜こうとしたけど、セルフィスの握力が強くて全く動かない。
掴まった。完全に掴まったわ。もう逃げられない。
何で? これ、何らかの呪縛の魔法とか言わないよね? それとも本当に私を食べようとしてるのかしら!?
「顔を背けるからです。見張ってないと、どこに口づけるか分かりませんよ?」
「お、脅さないでよぉ!」
「口説いてるんですが……」
違いがわからない! 魔王流だから!?
唇をぷるぷる震わせていると、セルフィスがふう、と息をついた。少しだけ艶っぽさが治まった……気がする。
「質問しておいて答えを信じない、は困るんです。説明が無意味になるでしょう?」
「そうだけどぉ……」
「だったらもう説明はしませんよ。わたしはさっさとマユを寝室に連れて行きたいのをずっと我慢しているんですから」
「しん……っ!」
何てことを言うのよ! ダンス以外、ロクに異性と触れ合ったことも無い私に!
治まったとか、気のせいだった! この人、色気全開だ――!
ガガッと熱が上がり、下瞼を押し上げる。うるっと涙が込み上げてきた。
二の句が告げられず、口をパクパクさせてしまう。
「そういう表情は、相手を煽りますよ」
「しっ、知らないわよ、そんなの!」
「どうやらあまり分かってないようなので、はっきり言いますね。――わたしは、マユを愛しています。だからこそ、二年も待ち続けたのです。こんな回りくどいことをしてまで」
「んぶふうぅぅっ!」
大事なとこで、清らかな乙女らしからぬ音が鼻と口から洩れたわっ。しかも涎を垂れそうになってしまった!
絶対いろいろリアクション間違えてるわ。しっかりして、私ぃ!
でっ、でも、だって、慣れてないもの、こんなの!
いやあ、心臓がドキドキしすぎて血管が切れちゃう! 鼻血が出そう!
顔を隠したいのに、手は完全に拘束されちゃってるし!
「お願いだから、手を……」
「嫌です。ちゃんとわたしを見てください」
「動悸が本当にヤバいから! ……はっ、まさかあの紅茶に何か仕掛けが!?」
「ただの人間界の紅茶です。
さすがにセルフィスがムッとした顔をする。
「さぞかし緊張のあまり喉も乾くだろう、と用意したのですが」
「ご、ごめんなさい。……だけど、セルフィスが悪いんだからね! よくわかんないことばかり言うから!」
「ものすごく分かりやすく愛を伝えたつもりですが?」
「だからぁ、それが一番わかんないのよ! だって、魔王は聖女シュルヴィアフェスを愛してたはずじゃない! だから聖女が亡くなったとき、気力を失くしてフテ寝したって!」
「まぁ、間違っていませんね。ですがそのときの魔王の心は、もう失われています」
「……へ?」
心は、失われている。じゃあ、体は?
「千年前の魔王が為したことは記録としてわたしも把握しています。しかし聖女を失い、魔王はすべてを放棄して自分の殻に閉じこもってしまったんですね」
「え……」
「これは使い物にならない、ということで女神によって魂は天界に回収され、代わりに入ったのがわたしです。ですから、マユと少し近いですね。わたしは記憶がありますが」
「近い……」
何だろう、何か大事なことを言われてると思うんだけど、天界とか女神とか出てきて急激にスケールが大きくなっちゃったから、よく分からないわ。
「古の魔王が手に入れたかったのは確かに『聖女』ですが、やがてそれはシュルヴィアフェス本人への愛に昇華されました」
「そうなんだ……」
「しかしわたしは『聖女』を手に入れたかったのではありません。マユを手に入れたかったから、『聖女』になってもらうことにしたのです」
「……へっ?」
何かセルフィス、いま変なこと言わなかった?
本末転倒だっけ? ちょっと違うかな。とにかく、目的と手段が何かゴチャゴチャの、おかしなこと。
「な、何で『聖女』?」
「約定がありますから。その辺の田舎娘ならともかく、魔王が公爵令嬢、しかも大公世子の婚約者を攫う訳にはいきません」
「田舎娘だってダメでしょ」
「人買いも少なからずありますから、そう大きな騒ぎになることはないですよ」
「えー……」
「しかし、未来の大公妃となるとそうはいきません。合法的に手に入れられるとしたら、『聖女』だけでしょう」
それ、合法的って言うのかなあ。古の伝承、都合のいいように使おうとしてない?
「えーと……」
「まぁ、魔獣がマユを攫うか襲うかしたときに横取りして囲い込んでしまうという手もあるにはあるのですが、わたしもいつでも動ける訳ではないので万が一間に合わなければおしまいですし」
「……」
何か物騒な単語ばかりね。とても恋愛の話をしているとは思えないわ。
「それに、マユの意思を最大限尊重したかったのです」
「それはどうも、ありがとう……」
「いえいえ」
「……」
いろいろ配慮してくれたらしいので、とりあえずお礼は言ってみたけど。
やっぱりよく分からないわ。
「え、あの、『聖女』になってもらうってどういうこと?」
「もともとは、あのパルシアンの地で『召喚聖女』として人々に認知してもらうつもりでした。時が来たら、聖女の魔法陣への扉を開放して」
「あの秘密のアトリエのことね」
「そうです。聖者学院に行くこともなく、その身を危険に晒すこともなく」
しかし、巨大ホワイトウルフの一件でそういう訳にはいかなくなった。
いやそもそも、聖獣と契約を交わしたときから流れは大きく変わってしまった、とセルフィスは少し苦し気な顔をした。
そう言えばハティ達の話をしたとき、すごく慌ててたわよね。珍しかったから覚えてるわ。
「ハティとスコルは、セルフィスの差し金ではないのね」
「出会うきっかけを作ったのはわたしです。彼らならマユを気にし、密かに護ってくれるだろうと思いました。そしていつか、聖女の魔法陣へと案内してくれるだろう、と。……誤算だったのは、マユが彼らにまったく怯えず、そして彼らもマユをまったく警戒せず、逆に興味を持ってしまったことです」
結果、必要以上に私に近づいた彼らは私の名付けに縛られてしまい、セルフィスの想定よりだいぶん早く、正式に『聖獣の契約』を結ぶことになってしまった。
『聖獣の契約』は聖女によるものなので、魔王であるセルフィスにはどうすることもできないのだと言う。
女神により、魔王セルフィスは物語に直接関与することを禁じられていたらしい。
物語の方向性を決定する言動をしたら一発退場……要するに、魔王から降板させて強制的に魂を天界に戻すぞ、と脅されていた。
そもそも身体が眠ったままの魔王セルフィスは、そう頻繁に自由に動くことはできなかった。
だから、どうにか影を生み出し、女神の目を盗んで時折私の元へ訪れて様子を探ること、そしてさり気なく自分の望む方向へ誘導することしかできなかった、と言い、セルフィスはその頃の苦労を思い出すかのような溜息をついた。
とにかく、セルフィスが裏でいろいろ気を揉みながら動いていたのはわかった。
私を無理矢理魔界に連れて来るんじゃなくて、私自身がちゃんと納得して魔王の下へ来るように、と。
それはわかったけど、なーんか腑に落ちないのは……何故だろう?
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