第4話 いきなり遭遇した!
「せ、セセセセ……」
「はい」
動揺のあまりどもる私とは対照的に、セルフィスはいつもの執事服でいつものポーズで、そしていつもの余裕あり気な微笑みを浮かべて目の前に立っている。
どうしよう、いきなり目標を達成してしまったわ! 探す手間が省けた!
……けど、だからといってどうすればいいの?
「ま、まままま……」
「……少し、落ち着きましょうか」
セルフィスは近くのテーブルに置いてあった白い紅茶ポッドらしきものを手に取ると、その傍にあった白いカップに透き通った赤い飲み物を注いだ。
それをボンヤリと眺めつつ、周囲にも視線を泳がせる。
赤い扉の向こうは、玉座の間の手前にある控室らしき小部屋だった。
毒々しい外観とは違い、中は大公宮と同じようなベージュを基調とした落ち着きのある雰囲気。八畳ほどの大きさで、正面には高さ3メートルほどの赤い両開きの扉。
そして右手には、焦げ茶色の小ぶりのテーブルと、二脚の椅子が向かい合わせになって置かれていた。足が緩やかな曲線を描いた、いわゆるサロンチェアってやつね。
こんなところに置いてあるのは変だけど……セルフィスが用意したのかしら。
その椅子を勧められたので呆然としながら腰を下ろすと、目の前にカップを差し出された。
匂いといい色といい、紅茶だと思うんだけど。
でも、確かスコルが人間界の食べ物は魔界ではダメになる、と言っていたわよね。
セルフィスのことは疑いたくはないけど、ここは魔界、しかも魔王城。何かの罠かなあ……。
「要りませんか?」
「え、あ、猫舌で」
「そうでしたっけ?」
そもそも執事と言いながらセルフィスが何か給仕をしてくれたことはないのよね。
まぁ、思えばそれもおかしかったかな……。だけど
「そう……本当は、魔王の執事だったのね」
「……はい?」
張り付いたような笑みを浮かべながら、セルフィスが小首を傾げる。
こいつぅ……ここにきて、何をしらばっくれてるのよ。
「本当の主は、魔王だった訳だ。言っておくけど、セルフィスがマリアンセイユ付きの執事だったとかいう大ウソ、全部バレてるからね」
「でしょうね」
「――だから、魔物だと思ったんだけど」
「はあっ!?」
今度ばかりは相当驚いたらしく、セルフィスが金色の目を見開いて大声を上げる。
笑顔は消え、「何です、それ?」と妙に慌てた様子で聞き返された。
「ミーア、わかるわよね。彼女が契約していた、蝶の魔物サルサ」
「ああ、カイ=ト=サルサですか」
「そう。彼女みたいに、魔獣並みの力を持つ魔物だと思ってた」
「……ショックです。あの快楽主義の魔物と一緒にされていたとは……」
そう言いながら、気分を落ち着けるためかカップの紅茶を一口飲む。その所作があまりにも美しかったので、思わず見とれた。
そう言えば、セルフィスが何かを口にする姿を見るのも初めてだわ。
私、本当にセルフィスのこと何も知らなかったわね。なのにどうして好きになったんだろう。
それに……知らなかった一面を知ってさらに鼓動が早くなるのは、どうしたものかしら。
今は魔王への面会を控えていて、ときめいてる場合じゃないってのよ。
「だって、姿を変えられるんでしょ、きっと。本当はどんな姿なの?」
「ご期待に添えなくて申し訳ありませんが、これがわたしの真の姿です。触ってみます?」
「結構よ!」
「そうですか。残念です」
ふむ、と息をついてセルフィスがまた一口紅茶を飲む。
どうしよう……すっかり段取りが狂っちゃったわ。何を話したらいいのやら。
混乱する頭を抱えつつ湯気が消えていく紅茶を眺めていると、セルフィスが
「一つ、疑問だったのですが」
と唐突に切り出した。
「え、な、何?」
「なぜ自ら魔界に行くと言ったのでしょう? マデラギガンダは魔王に会いに来いとは言ってない、と言っていました。どうする?と聞いたら、あの場に使者を寄越してくれれば自ら行くと言っていた、と」
「ああ、うん、そうね」
「何故です?」
「……」
何でこんなところでお茶を……と思ってたけど。
なるほど、魔王に会わせる前に執事による面談、というところかしらね。
理由は色々あって、どう説明したらいいかわからない。
……けれど。
セルフィスとまともに話ができるのは、これが最後かもしれない。だって、私はこれから魔王に会って……その後どうなるかは分からないんだから。
「てっきり
「違うわよ。――セルフィスに、会いに行くためよ」
「……え?」
カップをソーサーに置こうとしたセルフィスの手がピタッと止まり、全身がぴきーんと固まる。
ぽかんと口を開けていて、全く想定外のことを言われた、というような顔。
ちょっと、その表情はどっち? 迷惑ってこと? それとも単に驚いただけ?
「だって! どこにいるのか絶対に教えてくれなかったし! あんな終わり方はないと思って!」
駄目だ、表情なんか読んで考えてたら、話したいことも話せなくなっちゃうわ。
とにかく自分が言いたいことだけは言っちゃおう! 勢いで!
「まぁ、魔王の執事ですとは言えないわよね! 魔界の魔王城にいます、とかね! 今なら分かるけど……でも、あのときは本当にショックだったのよ。もう二度と会えないかもしれないのに、何でセルフィスは平気なんだろうって。見捨てられたって思ってさあ!」
「……で、魔王の元へ、ですか。やはりヤケになって……」
「違うわよ! そのあと、セルフィスが魔物かもしれないってなって、だとしたら魔界でなら探せるかなって」
「探す……」
「そうよ。だってあれで終わりにはしたくなかったんだもん、絶対に。もう一度、セルフィスに会いたかったの。全部嘘だってわかって……セルフィスに関すること、私の中から全部消えてしまいそうで。失くしたくなかった。だから、確かなものが欲しかったの。……あと、コレ!」
何だか恥ずかしいことをいっぱい言ったような気がして、強引に話を切る。自分の右手首の銀の腕輪を見せると、セルフィスがああ、というような顔をした。
「フェルワンドの契約の腕輪ですね」
「そう。だからどっちみち、フェルワンドに食べられる予定なの」
「……は?」
セルフィスがまたもや訝し気に眉を顰める。
物知りなくせに、肝心なところで情報を落としてるわよね、セルフィスって。こんなので大公の間諜が務まったのかしら。
……って、そうか、それも嘘だ。私がアイーダ女史やヘレンにセルフィスの話をしないように、そう言ってたんだろう。
「だから。フェルワンドを召喚したけど、認められなかった私は食べられるのよ。ハティやスコルが頑張ってくれたけど、やっぱり全然歯が立たなくて。それで、時間をくれってお願いしたの。ひょっとして『聖なる者』になれたら何かが変わるかもって思って。そしたらフェルワンドが、『お前は俺様のモノだ』って言って……」
「――何ですって?」
ピシッと甲高い音がして、窓ガラスでも割れたのかしら、と辺りをきょろきょろ見回す。
だけど、どこもおかしいところはない。
異常だったのは、セルフィスだった。
相変わらず微笑んではいるものの、あの長くて綺麗な黒い髪の毛が逆立ち、天井に付きそうになっていた。
全開になった額と首の右側は皮膚が割れ、蔦が絡み合ったような不思議な赤い文様がミミズ腫れのように浮かんでいる。
「ちょ……セルフィス?」
「フェルは、あなたと契約したのでは?」
「だからしたわよ。言うなれば、獲物契約だけど」
「…………あのクソ狼。随分と捻くれた護り方をしたものだ」
「へ?」
何やらギリギリと歯軋りをしていて怖いんだけど。顔が笑顔なままなだけに。
そのうち「ほわああー!」とか言って着ている服を破り出したらどうしよう……。
「あろうことか、俺のモノ発言……」
セルフィスの魔精力はセルフィスの周りに留まっていて、私に圧をかけている訳じゃない。
ただ画ヅラがちょっと異常なのでビクビクしながら見守っていると、そんな私に気づいたのかオーラが弱まった。フワッと髪が下に降りてくる。
「……まぁ、それは後で問い詰めておきます。それで?」
「えーと……」
どうにかセルフィスの怒りは治まったらしく、顔も元に戻っていた。
でも髪を結わえていた紐が切れてしまっていたので、そのままサラサラした黒髪はまっすぐ胸と背中に流れ落ちている。
こ、こっちの髪型だと何か王子っぽい! ……というより、色気が増えた!
ってー、だから、トキめいてる場合じゃないっての、今は!
目の前の紅茶を飲み干したくなったけど、やっぱり勇気が無くてピクリと手が止まった。
出された飲み物ぐらいでビビってるようじゃ、魔王と対面したときどうすんのよ!
えーい、行ってまえー、とガッとカップを手に取り、一気に飲み干す。
……うん、普通に紅茶だ。美味しい。
ふう、と一息ついて少し落ち着くと、まっすぐにセルフィスを見据えた。
「それで魔王にお願いして、どうにかこの獲物契約が無かったことにできないかな、と思ったの」
「そうですね、しておきましょうか。若干苛つきましたし」
セルフィスがパチン、と指を鳴らした瞬間、右手首の銀の腕輪にビシッとひびが入り、あっという間に黒ずんでいった。
そしてボロボロとした砂になって崩れ落ち……跡形もなく消え失せてしまった。
そうっと、自分の右手首を触る。確かに、消えている。
……ということは。
マーキングが無くなった! これでもう、フェルワンドに食べられなくて済む!
「すごい、セルフィス! ありがとう! 魔王の執事ってすごいのね。魔獣より力が上なんだ!」
「…………」
とりあえず目の前の命の危機から逃れた嬉しさにハイテンションで話しかけると、セルフィスは口を半開きにして仰け反り、私を半目で見下ろした。
あの、ちょっと小馬鹿にするときの表情に近いけど、そのときよりもっと遠慮がない感じだ。
何だ、その半々セットは。私、そんなに変なこと言った?
まぁ結局のところ、マリアンセイユの執事でも何でもなかった訳だしね。私を敬う必要はないんだけど……ただその目つきは何かムカつくわ。
「何よ、その顔?」
「鈍すぎませんか? そんなことでよく無事にここまで辿り着けましたね?」
「へ?」
「まぁ、それが『魔物の聖女』たる所以ですかね。魔物には敏感だが人型には鈍い」
「は……」
何に苛ついているのかわからないけど、何かとてつもなく馬鹿にされてるのはよくわかる。
魔王の執事は不正解ということだ。小部屋に控えていたんだから、てっきりそういう存在かと思ったのに。
じゃあ何で執事服なのよ。コスプレみたいなものかしら。ユーケルンが男装の麗人風の軍服を着ていたみたいに。
うーん、臣下の魔の者……人型? そうか、ということは!
「わかった、セルフィスの正体は火の王獣フィッサイマイヤね! だって最初に聖女を護ったのはフィッサマイヤだし、火の魔獣の頂点だもんね!」
それならフェルワンドの契約も破棄できるだろうしね。
これでどうだ!と言わんばかりに人差し指を突き付けると、セルフィスはお腹の底から湧き上がるような長い長い溜息をついた。右手を自分の胸にあてる。
「先ほど、わたしの真の姿はこのままだと言ったはずですが」
「あ……」
「マユの目には金色の狐の姿に見えているのでしょうか?」
「……っ!」
これは完全に馬鹿にされている!
だーかーらー、セルフィスってどうしてこう持って回った言い方をするんだろう!
イラっとしてドン!と両手拳でテーブルを叩く。白いカップがガチャッと音を立ててソーサーからズレ落ちたけど、そんなことは気にしてられない。
「もう、ここにきてまた喧嘩を売るの!? これが最後かもしれないのに!」
「なぜ最後なんです?」
「だって、魔王に会ったらもう出してもらえなくなるかもしれないじゃない。ひょっとしたら殺されるかも……いや、死ぬよりも辛い拷問とかも無くはないわよね。でもね、多分魔王は話を聞いてくれるんじゃないかなって期待はしてるのよ? だけど魔王が好きなのは『聖女シュルヴィアフェス』であって、『聖女』ではないのかもしれない。だから……」
「その魔王と今の魔王は同じであり異なる存在です」
「やっぱり二代目なんだ! うー、どうしよう! どうやって魔王に取り入ればいいんだろう?」
「そんなに魔王に気に入られたいんですか?」
「だって、嫌われたら終わりじゃないの。何かいろいろゴチャゴチャ言ったけど、結局のところ、『聖女』の役目は人間と魔物の間に立って、その間の諍いを止めることよ? 人間側はミーアに任せたんだから、私の役目は魔物側に立つことだもの。魔物のトップである魔王と話し合いができなければ無意味よ。気に入られるに越したことはないわ。少なくとも、嫌われたくは無いわよ」
「なるほど、そういう意味ですか。てっきり保身から自分の意思を曲げて媚びへつらう気なのかと思いました」
そんなことしないわよ!
……いや、命の危険を感じたらどうなるかは分からないけど。でも、別に魔王の靴を舐める気は無いからね!
「それなら、いいでしょう。……で、どうします? 色仕掛けでもします? 喜んで受けて立ちますよ」
「んー、それは向いてない気が…………え?」
何か聞き捨てならないことを聞いた気がする。
顔を上げると、セルフィスは目の前から姿を消していた。
「え、あ……ええっ!?」
いつの間にか私の足元にしゃがんでいたセルフィスが、私の腰を持ってグッと抱き上げる。そして軽々と左腕の上に乗せると、スタスタと玉座の間に向かって歩き始めた。
いやあ、なんかお姫様みたいでちょっと嬉しい! けど、そんな浮かれてる場合じゃなくって!
「ちょっと、セルフィス! ストップ、ストップ! これで魔王と面会はまずいんじゃない!?」
「まだ言います? マユってそんなにおバカ……そうですね、おバカでしたね、もともとは」
「はぁっ!?」
セルフィスが一切手を触れることなく、目の前の大きな両開きの扉が開く。
はわわ、と慌てていると、それこそゲームの中で見るような立派な大広間が現れた。中央を縦断している金刺繍が施された赤絨毯の向こうには、燦然と金色に輝く空っぽの玉座。
よ、よかった……。魔王は留守だった……。
って、ちょっと待って、そんなことってある? 聖女が魔王に会いに来たっていうのに。日時まで指定して。
セルフィスが言ったこと、いま自分の身に起こっていること、目の前の景色が示していること。
これらの処理が頭の中で追いつかなくて、何度も瞬きをする。
玉座の真ん前まで来ると、セルフィスはくるりと向きを変えてボスンと玉座に腰かけた。そして私はというと、そのままセルフィスの膝の上へと横向きに座らされる。
「はい、色仕掛けをどうぞ。とても楽しみです」
「えーと……」
「はっきり言わないとわかりませんか?」
私をじっと見上げる金色の瞳が三日月の形になり、大きめの口の両端がクイッと上がる。
「――わたしが、魔王です」
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