第3話 そしてどうにか舞台は幕を閉じたのだけど
私が王獣マデラギガンダにお願いしたことは、三つある。
一つ、聖女は一人だけにしてほしい。
マリアンセイユ・フォンティーヌが魔王の下に行くから、ミーア・レグナンドが人間界に留まることを認めてほしい、ということ。
二つ、私は次期大公ディオンの正妃として魔王の下に向かいたい。
そのため、結婚の発表を終えるまでは登場を待ってほしい、ということ。
三つ、事前に顔を合わせていたとなると
そのため、私達の前に現れたときの言葉を、そっくりそのまますべての大衆に伝えてほしい、ということ。
すべては、『二人とも聖女である』という結論を全ての人に知らしめるため。
ミーアの立場を誰も脅かすことのないよう、盤石なものとするため。
そして誰の顔を潰すこともないまま、私自身が自由になるためのお願いだった。
後はもう、「聖女の力を見せろ」と事前に言われていたことを除けば、完全にアドリブだった。
マデラギガンダが何を言い出すかは分からないけれど、とにかく私が話をする時間さえ貰えれば、と思っていたのだけど。言いたいことはだいたい決まっていたし、上手く持っていく自信はあったのだけど。
まさかマデラギガンダがディオン様に究極の二択を迫るとは思わなかったわ。あのときだけは正直焦ったわよ。
私が魔界に行くって言ったじゃない! 何よ、その恐ろしい揺さぶりは……っ!
……と、一瞬硬直しちゃったわ。
ディオン様が速攻で『マリアンセイユ』と言ったらさすがに傷ついたし、かといって『ミーア』と言えば、その後の結婚生活が心配になるところだったし。
ディオン様が慎重なお人柄で、本当に良かった。
マデラギガンダ、お願いを聞いてくれて『初対面です』設定に合わせてくれたのはいいんだけど、何であんなにノリノリで悪役っぽい演技をしたのかしら……。
私の意図を汲んで、アッシメニア様が上手く言ってくれたのかしらね。だとすると「聖女の力を見せろ」とバトルの場を用意してくれたことも、その一環かしら。
これは、すごく良かったと思うわ。
私とミーアの力を見せつけられたしね。まさか三重防御魔法陣が壊れるとは思わなかったけど……あれは、マデラギガンダに触れた炎だったかしらね?
まぁとにかく、結果オーライよ。あれを見て
「いや、自分の方が妃に相応しい」
と言える令嬢は、いないと思うわ。
――そして、ミーア……美玖と、最後に交わした言葉。
(美玖。お膳立てはしておいたわよ。これでいいわね?)
(繭……本当にありがとう。でも、いざとなると不安になるわ)
(何が? 大丈夫よ、あんたなら。ディオン様と幸せにね)
(違うわよ。……繭、本当に魔界に行って大丈夫なの? 私……)
(――大丈夫よ。ありがとう、美玖)
抱き合う前にミーアがほろりと溢した涙は、演技ではなく本物だった。
それに気づいて、私もうるっときちゃったけど。
そのあともまだ泣いてたから、ヒロインが鼻水を垂れるんじゃないかと心配したわ……。
* * *
「まさか……
地上に別れを告げ、消えかけた虹を渡るように天空に向かっていたとき。
さすがに驚きを隠せずに言葉を漏らすと、
“魔王に言われたから、仕方なくだ”
こんなじゃじゃ馬に何故……と、小声で言ったわね。聞こえてるわよ。
「魔王は、もうお元気なのですか?」
“別に病で臥せっていた訳ではないぞ”
「ですが、長い間眠っていたとなれば……」
“元気だ。元気過ぎて困るぐらいだ”
うーん、それはそれでこっちも困るわね。ちょっと弱ってるところに上手く懐に入り込んでどうにかしようと思ってたのに。
そう言えば、二代目魔王なんだっけ。初代魔王と別人なのかしら。とてつもない暴君だったらどうしよう。
ぷる、と震えが走り、思わず左手で右腕を庇う。
それに気づいたのか、
“聖女よ、恐ろしいのか?”
と聞いてきた。
「……恐ろしくないと言えば、嘘になります。しかし、わたくしが知っているのはあくまで伝承の中の魔王です。会ってみなければ、何もわかりません」
“……ふん”
私がどれぐらいのことを知っているのか探っているのかもしれない。迂闊なことは言わないようにしないと。
それに伝承の魔王とは別人かもしれない、というのはハティの口ぶりから私が予測しただけ。何の保証もない。
やっぱり、会ってみなければわからない。これが真実よね。
気が付けば、青い空はいつの間にか消えていて、天空には金と銀と黒の斑模様が浮かび上がっていた。
時折走る黒い靄が、私達の周囲をかけめぐる。
そして――視線の先には、真っ黒な魔王城。
そうか……ここが、魔界の中心。魔王が棲むところ。
いや、もう、圧が凄いわね。壁はすべて真っ黒で、金で縁取りされた窓がポツポツと並んでいるだけ。窓にはオレンジ色の灯りが所々点いていて、三つほどしかない扉はすべて赤。
いわゆるゲームのラスダンで見るような漆黒の宮殿って感じかしらね。刺々しいというか禍々しいというか。
さすがの迫力ね……って、あら!?
「ハティ!? スコル!?」
私の両隣にピタリと寄り添っていた二人の姿がない。
あの子達もさすがに魔王に会うとなると緊張するのか、ビキーンと四肢を固めたまま、一言も発しなかったのだけど。
“許可なきものは魔王直轄エリアには入れぬ”
「あの、無事なのでしょうか?」
“入り口で下ろしただけだ。自分のねぐらへと帰るだろう”
そういえば、火のエリアは赤と黒の渦、水のエリアは青と黒の渦だったわね。
この金と銀と黒の空が直轄エリアの証なのか。
ふと左側を見ると、並んで飛んでいたはずのマデラギガンダも姿を消している。
「あの……マデラギガンダも?」
“当然だ。魔王が望まない限り、王獣といえどもそうそうは会えん”
配下が魔王の謁見の許可を取るには時間がかかるのだ、と
王獣すら許可されていないとなると……これは本当に、ピンチかもしれないわ。
いざとなったらアッシメニアがとりなしてくれないかしら、という淡い期待もあったのだけど、絶対に来れないってことじゃない。
いやいや、怯んでちゃ駄目よ。自力でどうにかするのよ。
だいたい私は、魔獣の皆さんにだいぶん頼りすぎてたわ。ここからは、自分の力で切り抜けないと。
……セルフィスがもし魔物だったとしたら、本当に私は魔物に守られてナンボだったってことよね。
自分で作った言葉だけど、『魔物の聖女』さもありなん、って感じだわ。
宙を舞っていた黒い靄が、何度も私のすぐ傍まで近づいてきてぬるぬると蠢き、まとわりついている。
そしてこの黒い靄が身体を取り巻くごとに、舐めるような視線を感じる。
これ、ひょっとして魔王がどこからか見てるのかしら。この黒い靄は、魔王の分身とかなのかしら。
ううう、どうしよう……思ったより粘着質なタイプかもしれない、魔王って……。
でもそうよね。何しろ、聖女シュルヴィアフェスに横恋慕して略奪愛を決行しちゃったんだもんね。かなり周りが見えてない感じのタイプではあるのかもしれないわ。
聖女がいなくなってしょげて寝ちゃうなんて……本当に溺愛だったのね。
まぁこれも、真実かどうかは分からないけど。そう外れてはいないと思うわ。
ああっ、肝心なことを忘れてた! そんな『聖女シュルヴィアフェス』をお気に入りの魔王が、『聖女マリアンセイユ』を気に入るかどうかはわからないじゃない! むしろミーアみたいなタイプの方が好みかもしれないわ!
……だとすると、初代魔王と別人の方がまだ望みはあるわね。別に魔王を自分に惚れさせたい訳じゃないけど、やっぱりある程度は心を掴みたいところよ。
美玖を見習って、どういうタイプが好みなのかしっかりリサーチして演じないと。でも、ろくに恋愛してきてない私にそんな高等テクニックが使えるのかしら。
いやいや、伊達に貴族社会で完璧な令嬢を装ってきた訳じゃないのよ。慕う演技ぐらい、やればできるわ!
“……気でも狂ったか?”
真剣に考えを巡らせていたにも関わらず、
意気込みをすかされてガクッと落ちそうになる肩をどうにか支え、私はいつもの笑みを浮かべた。
「いえ、考え事をしていただけですわ。何かありまして?」
“青ざめたと思ったら急に赤く頬を染め、また震えながら青ざめたと思ったらいきなりニヤニヤし始めれば、てっきり恐怖のあまりおかしくなったのかと思うが”
「まぁ、申し訳ありません。ちょっと……緊張が出てしまいましたわ」
オホホホホ、とすっかり板についた令嬢笑いを披露したものの、背中にはヒヤリとしたものを感じる。
やっぱり、さすがに魔王城目前だと平静を装う演技すら難しいわ……。
自分でも言ってたじゃない。考えても考えさせても駄目。
頭を空っぽにして、まずはあるがままを見つめなければ。
* * *
そこの赤い扉から中に入ってまっすぐに進めば玉座だ、と告げ、
はぁ……この扉を開くと、もう後戻りはできないのよね。いやそもそも、ここから逃げることもできないのだけど。
テラスから下を見下ろすと、ゆうに日本の城の天守閣ぐらいはあるんじゃないかな、という黒い壁がズオオオン!という効果音と共に続いている。
下は……黒い、森かしら。『キエィィィ』みたいな奇妙な鳴き声がたまに聞こえるけど、魔界にも生き物っているのね。
そうか、クォンもそうだったっけ。魔物ではない、奇跡のカエル。
すー、はー、すー、はー、深呼吸をする。
よーし、いざ行かん!
ふん!と胸を反らし、両開きの血塗られたような赤い扉の取っ手に手をかける。
見上げると、高さ十メートルはありそうな巨大な扉。これはかなり重そうね。
身体を突っ張り、どやーっとばかりに力を入れて引いたけど、ビクともしない。
「え、ええっ!? 結界!?」
「――その扉は、押すんです」
「あら、すみません。……って、ええっ!」
聞き覚えのある声に驚いていると、自然と扉が開き始めた。取っ手を握ったままだったので前にずるずると引きずられ、危うく転びそうになる。
ドタ、ドタタ……とみっともなくフラフラしながら中に入った。
人影を感じて、顔を上げる。
そこには――いつもの執事服姿で静かに佇む、セルフィスの姿があった。
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