最終話 こうして私、マユの物語は幕を閉じる

 イマイチ理解が追いつかないので、セルフィスとのやりとりをずっと遡って思い出してみる。


 そう言えば、セルフィスとは目覚めた初日に会ったわよね。

 そして私が初めて黒い家リーベン・ヴィラで目覚めた瞬間を見ていた、と言っていた。


 いったいセルフィスは、いつからこの結末を考えていたんだろう?

 まさか、最初から?


「セルフィスって、いつから私を好きだったの?」

「え、そんなことをそんな真っ向から聞きます? しかも何の情緒もなく」

「だって……」


 セルフィスのことを、もっと知りたいんだもの。そんなあからさまに面倒くさそうな顔をしなくてもいいじゃない。

 それに情緒がどうとか言われてもわからないわよ。


 少しブスッとしていると、セルフィスはクスッと笑い、私の左手の五本の指の間に自分の右手の五本の指を絡ませてきた。


 こっ、これはいわゆる恋人つなぎというやつ! ひやあっ!

 今から胸キュンな台詞とか言うのかしら! 自分から振っておいて何だけど!

 ど、ど、どうしよう!


「最初は、単に元気に動くマユを見たかったのと、ちょっと話してみたかっただけなんですが」

「へ?」


 びっくりするぐらい軽い返事が返ってきて、思わず間抜け声で聞き返してしまう。


「単に?」

「はい」

「話してみたかった?」

「ええ」

「もしかしてそれが、私が二年も前に目覚めた理由?」

「はい、そもそもは」

「……」

「ただ、マユは狙われる運命だったので身を守る術を身につける時間は必要だろう、という考えもありました」


 だけど予想以上に私の言動が変だったので、何となく面倒をみないといけない気分になったらしい。

 何よ、そのなし崩し感! まるで成り行きで子育てする羽目になった親戚の叔父さんのようだわ! 全然ロマンチックじゃない!

 そう言えば、あまりにも変だったから助力しようと思った、みたいなことを言ってたわね。

 最初から大嘘だらけだったのに、そこだけは本当ってどういうことよ?


「そうして会いに行ったら、マユはいつも楽しそうで、とても嬉しそうに笑うので。怒ったり拗ねたり、その表情の一つ一つに惹かれて、いつの間にかマユがとても大切な存在になっていました。だから、どうにかして護らないと、と」


 繋いだままの左手に頬ずりされて、再び心拍数が急上昇した。

 え、今は甘々モード? 淡泊モード? どっち?

 経験値が低すぎてよく分からないわ!


「だっ、だから、魔法の勉強とか色々教えてくれたの?」

「ええ。時間が限られていましたし」

「日記も?」

「そうですね。魔王というだけで嫌厭されるのは困るので。先入観を取り払ってもらおうと」

「……」


 そうか、開かずの図書室を封じていたのは魔王だ。私が開けられたのは魔王であるセルフィスが許可したからか……。

 そして、私以外を寄せ付けなかったのも。


「それを、ずっと『影』で……?」

「そうです。魔王の身体はしばらくずっと眠っていましたし、女神にバレるとマズいですから。でも、その『影』の活動の影響で予定より早く本体も目覚めましたが」

「早くって……どうして?」

「ワイズ王国領のホワイトウルフが絶滅寸前まで追い込まれたからです」

「――――ええっ!?」


 それって、ハティ達と私でやっちゃったやつ!?

 魔王復活のスイッチを押したのは、私なの!? 嘘でしょ!?


 はかかかか、と顎をガクガク震わせていると、セルフィスはクスクスと笑った。

 いや、どこが笑うところなのかさっぱり分からないわ!


「人が魔物を蹂躙すれば魔王は目覚める。これは確かにその通りで、殺された魔物の嘆き、無念が魔界へ、そして魔王のもとへと届くからなんですが」

「ふぇ……」

「これは単純な数の問題ではなく、いかに一方的にやられたか、無慈悲に殺されたか、ということなんです。ぶつかり合い、人間たちに甚大な被害を負わせたけれども魔物も多く死んでしまった。こういう場合は自尊心が損なわれない。魔物は『無念』とは感じません」


 国を守るために、と戦争に赴いた兵士のような感じかしら。

 あるいは、ラスボスを自分の命をかけて倒したときのような。

 そうよね、これは人間と魔物の争いなんだから。


「しかし実際には、聖獣たちとマユの活躍で人間側の被害はゼロでしたから。マユにとってはアイーダ女史を始めとするあの場にいた人々を守るための当然の行動だったのでしょうが、魔物側としては『一方的に蹂躙された』という嘆きとなった訳です」


 つまり、大量の密猟で魔物の数を減らし、魔王が目覚めるように仕向けていたのはエドウィン家だけど、最後の一押しをしちゃったのが私ってこと?

 何てことだ。

 ……あれ? だけど……。


「でも、魔王は寝てるってハティ達もヴァンクも言ってたけど」

月光龍ムーン以外には、ずっと隠していました。魔精力の放出も極力控えて」

「どうして?」

「地上の魔物が活性化するからです。女神の意図としては、魔王復活はもっと後ですから」


 確かに美玖が言ってたわね。魔王復活は特定のエンディングの後日談で少し語られるだけ、と。

 物語に介入するなと言われていたから、ひっそりと引き籠っていたのかしら。それこそ、女神にも見つからないように。


「それに魔王が復活したということは約定が破られたということですから、魔獣達は人間界で暴れたいと言い出すに決まっています。勝手に出かける者も現れるでしょうしね。それらに対応するのが面倒だったのです」

「面倒って、それが魔物のトップたる魔王の仕事でしょう?」

「わたしはマユのことで手一杯ですから」

「……」


 えーと、これは

「マユは手がかかる」

と文句を言っているのか、それとも

「マユのことしか考えてない」

と口説いてるつもりなのか、どっちなのかしら。


 やっぱりセルフィスの考えることは掴みかねるわね、と思っていると、セルフィスは「この話はもういいでしょう」とやや疲れたような吐息を漏らした。


「ですからその後も『影』で動いていました。わたし自身がこの体でマユに会いに行ったのは、二回だけです」

「……」


 その二回はきっと、巨大ホワイトウルフを倒したあとのあの真夜中と、舞踏会のときよね。

 だってセルフィスに触れたの、その二回しかないから。


「それもまぁ、かなりギリギリでしたが。月光龍ムーンの協力もあって、どうにか」


 ああ、なるほど……。月光龍ムーンライトドラゴンが「元気過ぎて困る」と言っていた理由がよく分かったわ。

 この物語の裏で、そんなにちょろちょろ魔界と人間界を動いてたのか……。


 思わず天を仰ぎ、ボケーッと大広間の立派なシャンデリアを見上げていると、胸元にわずかな熱を感じる。

 はて、と思い見下ろすと、セルフィスがデコルテ部分、私の右の胸の少し上ぐらいの部分に口づけていた。


「いやあああ、何するの! エッチ!」

「忠告しましたよね、目を逸らすな、と」

「遠い目にもなるわよ、そんな裏事情を聞かされたら!」

「聞かれたから答えたまでです。文句を言われても困ります。これで、納得していただけましたか?」


 すべてはマユのためですよ、と。

 そう囁きながら、セルフィスが玉座から立ち上がる。私を左腕の上に抱え直し、スタスタと歩き始めた。


「あの……どこに行くの?」

「これもさきほど言いましたが、寝……」

「ちょっ……じゅ、順番! 順番を守って!」

「誰が決めた何の順番ですか」

「私が決めた、セルフィスとやりたいことの順番よ!」

「却下です」


 ――この世界の統治者はわたし、魔王ですよ。今日、聖女あなた魔王わたしのためにこの魔王城に来たのです。お忘れなきよう。


 とてつもない執念の籠った声でそんな脅し文句を言い、セルフィスが大広間の右手にある扉へとツカツカ歩いていく。


 そ、そうだけどー。二年は長いよね。セルフィスの想いはよくわかったわよ。

 両思いなのよね、これは一応。ハッピーエンドってやつ。

 それは嬉しい。本当に嬉しい。

 だけど、だけど……深窓の令嬢に対して、いきなりハード過ぎない?


 そして元の世界の私も、恋愛経験は皆無なのよ。やや耳年増気味だっただけで。

 ううう、脳ミソが沸騰しそうだわ。

 セルフィスは、少しずつステップを上げていく気はないのかしら……。うーん、ないんだろうなあ。


「一応、聞きましょうか。やりたいことって何ですか?」


 そう言えばあの日も言ってましたよね、とセルフィスが呟く。

 あの口喧嘩したときのことよね。ちゃんと、覚えててくれたのか。

 

「えっと、デート、とか」

「デート」

「そう。他の国とかも行ってみたい。その、さっき言ってたクレズン王国とか」


 嬉しくなってウキウキと切り出してみたけれど、セルフィスは不思議そうに首を傾げただけだった。


「何故です?」

「そもそも私は、真の魔導士になりたかったんだもの。だからいろんな国の現状を見て、考えて。人と魔物の間に立って、魔王が蹂躙せずとも済む世界を作るのが……」

「うーん、わたしは真面目に教育し過ぎましたね。その点だけは、失敗でした」

「何よ、それ!」


 そもそもはあんたが仕向けたんじゃないの、真の魔導士を目指せって!

 目的が果たせたらどうでもいいの!?


「代替案を出しましょう。聖女マユ魔王わたしの気を惹き続ける、というのが一番手っ取り早いですよ」

「こういうのは効率より、過程が大事なのよ。……って、聞く気がないわねー!」


 またもや扉がひとりでに開き、赤い絨毯が続く細長い廊下をセルフィスがズンズン歩いていく。階段を降りたり、飛んだり。ひらり、ひらりと華麗に舞いながら目的の場所へ一直線に進んでいる。


 その間もいろいろ訴えてはみたのだけど、魔王セルフィスの意思は固かった。

 後でまとめて善処します、今日だけは駄目です、の一点張り。


「だいたい、マユは手当たり次第に魔の者を魅了するので困ります」

「人をビッチみたいに……」

「ケルン辺りは特に危険ですから」

「け、けるん」


 それってユーケルンのことよね、と思わず手がビクッと震えた。それに気づいたセルフィスの様子がみるみる変わる。


「――まさか、会った? 既に何かされました?」

「さ、されてない! 何にも!」


 ひええええ、セルフィスのオーラがとんでもないことに! 髪の毛が逆立ってる!

 あわわ、顔が、顔が――っ!!


「ふぇ、フェルワンドが助けてくれたから! 大丈夫、無事だから!」


 お願い、落ち着いてー!とぎゅうう、とセルフィスの首に抱きつくと、しばらくしてようやく歪んだオーラが消えた。ファサッと髪の毛が降りてくる感触がしたので体を離してセルフィスの顔を覗き込む。

 一応通常モードには戻っていたものの眉間には金貨が3枚ぐらいは余裕で挟めそうな深い皺が寄っていた。


「まさかケルンにも会っていたとは。本当に油断なりませんね」

「会いたくて会った訳じゃないんだけどなぁ……」

「とにかく、さっさとわたしのものにしますから」


 さっさと、って何よ、軽すぎ!……と言いたかったけど、それじゃ逆にすんごいのを要求しているように取られそうなので、グッと我慢した。


 そりゃね、私だって本当に嫌な訳じゃないわよ。クロエに結婚の話をされた時によぎったのは、セルフィスだったし。

 ……だけど。だけどさあ!


 頬が熱くなり、セルフィスの顔を見てられなくて目を逸らした。

 どうしても目が泳いでしまい、いっそ何も見なければいい、と目の前にあったセルフィスの肩に突っ伏す。

 ぎゅうう、と首に抱きつくと、セルフィスの長い黒髪から何だかいい匂いがした。



 その後はというと、セルフィスは飛んだり跳ねたり壁を歩いて違う階層に飛び込んだりとひどくアクロバティックな道のりをひたすら進んでいった。

 本当に某ヒゲ親父の3Dアクションゲームみたいな造りになっていて、甘いムードはどこへやら、私は終始叫びっぱなし。


 魔王城、何だってこんな変な造りになってるの? 目が、目が回るんですけどー!

 あっ、ラストダンジョンだから!? でもこれってそういうゲームじゃなかったはずよね!?

 ひゃあっ、また回転した! でもって、その寝室とやらはどうしてこんなに遠いの!? ワープゾーンとかないのかしらーっ!?



   * * *



「――マユ」

「……ほえ?」


 視界がグルグルしたまま、間抜けな声が口から洩れる。

 どうやらポフッと柔らかいものの上に座らされたようだった。セルフィスの首に巻き付いていた両腕をゆっくりとはずされ、解かれる。

 どうにか焦点が合ってきて何度も瞬きをすると、すぐ目の前にセルフィスの金色の瞳があった。水面に映った夕陽のように蕩けている。


 クラクラするのは、まだ目が回っているからなのか、それともさっきからうるさいぐらいに高鳴っている心臓の音のせいなのか。

 もう、よくわからなくなっていた。

 

「――さっきはいつの間にか、と言いましたけど」


 セルフィスがそっと右手で私の左頬を撫でる。


「やっぱり、最初からかもしれませんね。マユに会いたい、話したいと思ったんですから」

「……」


 私の最初は……一年前の冬だろうか。


 ――わたしはわたしの意志でここに来ています。今わたしがここにいるのは……他でもない、マユがいるからですよ。


 そう言って、右手を差し出した。

 私にとっては、本当に印象深い台詞だった。だから今でも覚えているし、セルフィスのことを意識し始めた瞬間は、この時だった気がする。


 だけど……セルフィスの“最初”は、これよりずっと前。

 だってこのとき、この言葉に乗せて最大限に気持ちを伝えてくれていた。だからドキッとして、嬉しくなって、気持ちが動いたんだと思うから。


「最初……?」


 もう完全に思考力が停止してしまった私は、セルフィスに自分の気持ちを伝えることもできなかった。

 ただ、セルフィスがくれた言葉をオウム返しするだけで。

 胸の奥がきゅんとして、涙がこみ上げてくるのを我慢するぐらいしかできなくて。


 セルフィスの吐息を感じる。だけど、私はもう見えない紐で縛られたように囚われてしまって、目をそらすことができなかった。


「――マユが、まゆと呼ばれていた頃ですよ」



 唇に、仄かな熱を感じる。

 ――マユがマユと呼ばれていた? どういうこと?

 そんな疑問が一瞬だけ浮かんだものの、私はセルフィスの言葉の意味を聞き返すこともできないまま、熱くて甘い繋縛に心を奪われた。




   ◆ ◆ ◆




 『呪われた娘』と辺境の地パルシアンにずっと閉じ込められていた、公爵令嬢マリアンセイユ・フォンティーヌ。

 その地を離れてからも『未来の大公妃』という枠に填め込まれ、苦しんでいた。

 

 しかし――そこから抜け出して魔界へと渡り、ついに彼女は長く後世に語り継がれる『聖女』となった。


 そこは、これまでのどこよりも甘美で危険な悠久の檻。

 今日も彼女は、彼女の魔王へ、愛を込めてその名を呼んでいる。



「セルフィス……ねぇ、セルフィス!」

「何です?」

「いい加減、膝に載せるのやめてくれない?」

「慣れてください」

「慣れまーせーんー。……ちょっと、本当に離してよ。パルシアンに行きたいの!」

「まだ四日しか経っていません。そんなに早く地上に降りる聖女はいませんよ。しばらくはわたしの機嫌をとってください、マユ」

「だって、アイーダ女史とヘレンがきっと待ってるわ……」

「彼女たちですか」

「そう! だから、ちょっとだけ! ね、セルフィス!」

「……どうぞご自由に。ただ、わたしを見張らないと何をするか分かりませんよ」

「え?」

「魔王の機嫌を損ねるとどうなるか、一度その目で確認するといいでしょう」

「お、脅さないでよ! 卑怯よ、セルフィス! 魔王ぶるなんて!」

「魔王ですから」

「うーんと……じゃあ、ちらっと地上を覗く方法はない?」

「……」

「あるわよね。だってセルフィスは魔王なんですもの。古の魔王侵攻のときだって、無策でいきなり地上へ攻め入る訳がないわ」

「……卑怯ですよ、マユ」

「あら、そんなことはないわ」

「……マユはおバカなのか賢いのか解りませんね」

「ふっふーん。どっちにしろ、セルフィスのおかげよ!」

「どこにいても本当に自由ですね、マユは」

「それが私の最大の取り柄だもの!」



 魔界の中心、魔王城。

 そこでは、地上の人間達が想像もできないような魔王と聖女の会話が繰り広げられている。

 ――飽きることなく、ずっと。




                                - End -








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ここまでお付き合いしてくださった方々。

 本当に感謝しております。

 ひとまずこれにて、マユの物語は完結です。


 この物語を完結することができたのは、連載当初から読んでくださった方々のおかげです。

 そして気を抜かずに最後まで粘ることができたのは、この物語を見つけて読んでくださった方々のおかげです。


 本当にありがとうございました。

 とても充実した四か月間でした。



                   2021年2月3日 加瀬優妃

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る