▣ゲーム本編[15]・『聖なる者』の選定

 リンドブロム大公宮へと繋がる湖上の橋は、多くの人々で賑わっていた。


 今日の正午、いよいよ『聖なる者』の選定が行われる。リンドブロム闘技場に足を踏み入れられるのは、貴族全員と抽選が当たった平民、そして当日早くから並んでいた者のみ。


 なるべく多くの観客を、と平民席には立ったまま身動きができないぐらい多くの人間を詰め込んだが、それでも入りきれなかった民衆は闘技場の外からリンドブロム城の門、そしてロワネスクと繋ぐ橋へと溢れかえった。


 しかしこの日のために、闘技場の外壁と王宮の正面外壁に巨大な魔法映像マジックビジョンが用意され、外からもリンドブロム闘技場での式典の様子が見られるようになっていた。

 この歴史的瞬間を一目見ようと、大勢の民衆が橋から溢れそうになるぐらい詰めかけている。


 そんな外の喧騒をよそに、闘技場の控室は衣擦れの音だけが響く、静まり返った空間になっていた。

 『聖なる者』の最終候補者の控室。五人の候補者のうち、ベンは失格、クロエとアンディは辞退したため、この場にいたのはマリアンセイユとミーアだけだった。

 二人の支度をするために大公宮のメイドが四人がかりで忙しなく動いている。


 トゥニカと呼ばれる、くるぶし丈の縫い目がないゆったりとした真っ白なワンピース。胸元は美しいデコルテが見えるようやや広めに開いていて、ギャザーが多く入った女性らしい優雅な丸みを帯びている。腰の部分は同じく白い紐で結わえられ、銀糸で刺繍された腰布が当てられた。肩の上からスカプラリオと呼ばれる薄いレースのショールがかけられる。

 髪は後ろで一つにまとめ上げ、頭につけた二連の銀の環の間から白く長い透き通るような薄いベールがつけられていた。床にまで流れる軽やかな薄布は、二人の動きに合わせて妖精の羽のように揺らいでいる。


 前日に大公世子ディオンとの結婚の儀を終えたマリアンセイユの左手の薬指には、正妃の証である金色の蔦が絡んだような指輪が填められていた。

 しかし、ミーアはその指にちらりと視線を寄越しただけで何も言わなかった。


 静かな緊張感が走る、『聖なる者』最終候補者控室。

 衣装を身につけている間、二人は一言も言葉を交わさなかった。



   * * *



 リンドブロム闘技場の脇、大公宮席の仕切りが外される。

 地面の上に敷かれた長い赤絨毯の上を、大公世子ディオンが二人の臣下を伴ってゆっくりと中央まで歩いてきた。

 白地に金の縁取りが入った上着に金の房がついた紺の肩当てが、ディオンをより一層凛々しく見せている。左肩から右の腰までかけられた金のサッシュが、太陽の光を受けてキラリと光った。


 反対側の出入り口からは、白と銀で統一された衣装を身につけたマリアンセイユとミーアが現れた。それぞれ一人ずつメイドがつき、銀の環から長くたなびくベールを後ろで支えている。

 ミーアは中央よりやや手前で立ち止まると、桃水晶の杖を水平に構えゆっくりと身を屈めた。マリアンセイユはミーアが跪くその横を通り過ぎ、そのまま中央まで進んでディオンの隣に並ぶ。

 メイドたちは二人のベールの裾を整えると、闘技場を静かに出て行った。


 ディオンが今日の式典の開会の挨拶、および趣旨を説明する。胸につけてある魔道具『拡声器』でディオンの声が拡散され、リンドブロム闘技場の隅々まで響き渡っていた。


“そして――重大な報せがあります”


 美しい笑みを絶やさずに隣に立っていた、マリアンセイユの左手を取る。


“わたしディオン・リンドブロムとマリアンセイユ・フォンティーヌ公爵令嬢は、昨日、リンドブロム大公家の立ち合いの下、大聖堂にて結婚の儀を行いました”


 観衆に見えるように、そして魔法映像マジックビジョンによく映るように、ディオンがマリアンセイユの左手の薬指につけられた金の指輪を掲げる。


 その瞬間、観客席に「うぉぉぉぉ!」というようなどよめきが広がった。しかしすぐへと拍手、歓声の嵐。

 一方、貴族の面々は笑みを浮かべて拍手をしながらも、なぜこのタイミングなのかと訝しんでいる。


 どうしてミーア・レグナンドはこの場にいるのか。『聖なる者』の決定より先に結婚を発表するのなら、発表を済ませてからその場に呼べばいいのではないか、と。

 何しろ、闘技場には三人とディオンの臣下しかいないのだ。


 ミーアは柔らかに微笑みながら、誰よりも二人に近い場所で拍手していた。

 マリアンセイユはディオンと顔を見合わせると、軽く頷いた。

 そしてニッコリと微笑んだままディオンの傍を離れ、ミーアの方へと歩いてゆく。そして跪いていたミーアの手を取り、立ち上がらせた。


 二人は並んで正面を向き、ついでリンドブロム闘技場に集まった大観衆を見渡す。

 二人が視線を交わし、同時に正面に向かって頭を垂れたのを見て、再び観衆はざわつき始めた。


 民衆も、『聖女の再来』と噂されたミーア・レグナンドのことは勿論知っていた。

 そしてこの場にいる以上、『聖なる者』の最終候補がこの二人に絞られたことも。そもそもはその選定を見に、このリンドブロム闘技場に詰めかけたのだから。


 これから何が起こるのか、と大勢の人間が固唾を呑んで見守る中、マリアンセイユが口を開いた。


“お集まりいただきました皆様。ディオン様とわたくしの結婚を祝福していただき、誠にありがとうございます”


 深く会釈する。通常、結婚発表の席で妃が口を開くことは殆どないのだが、当初より語る予定だったのか、彼女の胸にはディオンと同じ魔道具がつけられていた。


“わたくしは、リンドブロム聖者学院を卒業し、現在はこうして『聖なる者』の最終候補者の一人という立場でもあります。そしてもう一人の候補が、彼女――ミーア・レグナンド男爵令嬢です”


 マリアンセイユが左手を広げ、ミーアを紹介する。会釈をするミーアに、会場中の人間から拍手の雨が降り注いだ。


 何しろミーアは実際にロワネスクの街に足を運び、治癒の力を使って民を癒していた、という実績がある。

 民の人気だけで言うならマリアンセイユよりミーアの方が圧倒的に上であり、貴族たちの忌々し気なざわめきは圧倒的な民衆の大歓声と大きな拍手によってすぐにかき消されてしまった。


“このあと『聖なる者』が選定されますが、わたくしはその結果に関わらず――『聖女の再来』と言われる彼女の存在は大公家に必要不可欠なものである、と考えております”


 この言葉を受けて、観衆がザワザワし出した。

 貴族たちは、「まさか」という驚きの表情。

 そして民衆たちは、「ひょっとして」という期待の籠った表情。


 しかし、マリアンセイユはそれ以上何も言わなかった。

 美しい笑みを浮かべたまま再び会釈をしてミーアの手を取り、赤絨毯の上を共にディオンのもとへと歩きだす。


 この先は、大公世子であるディオンが告げるべき言葉。正妃マリアンセイユの役目は、これから告げられる『ある決定』を、自分が認めていると――喜んでいると、大衆に知らしめること。


 マリアンセイユとミーアがディオンの元に辿り着くまであと数歩、というところだった。

 冬の澄んだ空気が、突然淀んだ。リンドブロム闘技場の上空、真っ青な空に、光の亀裂が走った。


 先ほどまでの華やかな祝福ムードは一転、観客席は阿鼻叫喚の地獄となった。

 一斉に外へ逃げ出そうとするも、今日の式典のためにぎゅうぎゅうに民衆が詰めかけていたため、まったく身動きができない。


「ディオン様!」


 ディオンについてた臣下二人が、目にも止まらぬ速さで彼を大公家の席に連れて行く。ディオンが辿り着いた瞬間、闘技場の魔道具が起動し、半球状の淡く白い防御壁が出現した。


「マリアンセイユ……ミーア!」


 ディオンは自分の隣を見回すと、真っ青になり闘技場の中央に向かって叫んだ。

 てっきり自分と一緒に逃げたと思っていた二人は、傍にはいなかった。

 つまり、マリアンセイユとミーアは防御壁の内側に完全に閉じ込められたのだ。


「お前たち、なぜ……!」

「マリアンセイユ様のお手を取ろうといたしましたが、急に風が吹いて……気が付けばこちらに飛ばされてしまったのです。そしてディオン様がお戻りになると同時に防御壁が起動してしまった次第です」

「バカな!」 


 防御壁の中はもうもうと舞い上がる土埃でよく見えない。しかしめくれ上がった赤絨毯の向こうに、全身真っ白の彼女達の姿が朧気ながらに分かる。

 彼女たちは確かに、中に取り残されている。

 舌打ちしたディオンは防御壁を解除しようとしたが、すぐさま側近にその手を阻まれてしまった。


「ディオン様、いけません!」

「しかし……!」


 その瞬間、空に走った光の亀裂が、闘技場の空間と大地を切り裂いた。

 引き千切られた赤い布切れとさらなる砂煙が舞う中、切り裂かれた空間の裂け目から現れたのは、漆黒の鎧を纏う身長十メートルぐらいの大男。背中には巨大な蝙蝠の翼を生やし、頭部には白い牛のような二本の角。


「まっ……マデラギガンダ!?」

「嘘だろぉ!」

「キャーッ!」


 その圧倒的な魔精力に闘技場の魔道具が一斉に反応し、天井部分に古代文字を模した文様が浮かぶ。

 リンドブロム闘技場に備え付けられていた三重防御魔法陣が起動した。最高レベルの防御壁だが、かつてこのレベルの結界が張られたことは無い。


 徐々に細かい砂が地面へと降り積もっていき、防御壁の中が見渡せるようになる。


 黒鎧の巨人、王獣マデラギガンダが、闘技場の中央にドッカと座り込んでいる。

 そして『聖なる者』候補のマリアンセイユとミーアは、それぞれの杖を両手でしっかりと構え、マデラギガンダに真正面から向き合っていた。


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