▣ゲーム本編[16]・『聖女』の品定め

“さて……こたびの聖女は二人、か。これは、面白いことになったな”


 ドッカと闘技場の中央に座り込んだマデラギガンダが、ククク、と不気味に笑いながら呟く。

 マデラギガンダには三重防御魔法陣も無意味だったようだ。むしろその振動を利用して、自分の言葉を観客席にも伝えている。


「聖女……」

「え、どういうことだ?」


 貴族も市民も関係なく、観客席がざわつく。


「千年前の魔王の使者は……マデラギガンダじゃなかった?」


 観客席のどこからともなく聞こえてきた女性の呟きに、周辺がざわついた。


「千年前!」

「魔王の使者!」

「じゃあ、これは……!」


 その言葉を皮切りに、一斉にどよめきが広がっていく。


 千年前、魔王の言葉を伝えに来た、土の王獣マデラギガンダ。

 その約定は、『魔獣を退かせる代わりに聖女が魔王の下へ下る』こと。


“ヒトは、魔物を殺し過ぎた。約定は、破られた。――魔王はその眼を開いたぞ”


 マデラギガンダの声が響き渡り、静まり返る観客席。しかし次の瞬間、再びけたたましい悲鳴に包まれた。

 つまり今、千年前のあのときと同じ状況になっているということを、観客席の人間は全員たちどころに理解したのだ。


“しかし――お前たち、本当に聖女か?”


 マデラギガンダの言葉に、マリアンセイユが何か言い返している。しかし防御魔法陣に阻まれ、観客席にはその声は届かない。


“……試させてもらうぞ!”


 マデラギガンダの右手が宙を切る。その途端、二人の足元の地面がボコリと円形に抉れた。アリ地獄のように漏斗型に沈んでいく。

 咄嗟に後ろに飛びのき穴に引き込まれるのを躱したミーアが、何かを叫びながら宙で桃水晶の杖を振り回す。ゆらめくベールの陰から現れたのは、炎の竜。マデラギガンダにうねりながら向かっていくが、指一本で止められる。


 マリアンセイユは大きな三日月のような杖を水平に構え、その場でくるりと横に一回転した。円錐形に沈み込んだ大地から現れた竜巻がミーアの炎の竜と合わさり、激しい火炎旋風となってマデラギガンダの身体に纏わりつく。

 さらに上空に上がった炎がドームを直撃、三重防御魔法陣の天頂部は破壊された。

 淡い白色が天頂部から観客席へと徐々に消えていき、三重防御魔法陣はあっけなく消えてしまった。


「ミーア!」


 防御壁が破壊されたことで聞こえるようになった、マリアンセイユの声。その声に反応したミーアが、桃水晶の杖をトンと地面に突く。防御壁が消えた以上、術の行使を続けて観衆を危険に晒すわけにはいかない。


 炎は消え、マデラギガンダの屈強な姿が現れるが、毛の一本すら焼けていなかった。痒そうに頬を掻き、口の端を上げる。

 三重防御魔法陣を破壊するほどのマリアンセイユとミーアの魔法も、王獣マデラギガンダにはチクリとも効いていないようだった。


“ふん、くすぐったいの。しかしワシに仕掛けるとは、いい度胸だ。だが――お前たちの相手は、これだ!”


 マデラギガンダが指を鳴らした瞬間、茶色いヌメヌメしたものが空からボタボタと降ってくる。

 現れたのは、大量のソイルスライム――しかも、核を複数持つ亜種。

 そして、場所が悪かった。

 闘技場の壁の間際。ソイルスライムはどんどん分裂して内へ外へとあっという間に広がっていき、観客席に溢れ出そうになる。


「“風よ、此処へ立ち昇れフィソ=デ=ソゥナ=ディモ!! 水よ、此処へ流れゆけ“マ=ゼップ=セィア=ネィロ!”!”」


 マリアンセイユが立て続けに呪文を唱える。現れたのは、闘技場の周囲に沿って現れた、空気の壁。渦を巻き、巻き込まれたソイルスライムが大きな円を描きながら上空へ。

 そこに発生した水が絡みつき天に向かう大きな渦潮となる。


「――“凍てつけ、清白の螺旋アイス・ボルテックス”!」


 マリアンセイユの声により渦を描いた水がいっぺんに凍りつき、天へと向かう巨大な玉ねぎ型の氷のドームが出来上がった。すべてのソイルスライムが氷の壁の中に押し込まれ、茶色い不気味な水玉模様を浮かび上がらせている。


 瞳を閉じ、ずっと桃水晶の杖を天に掲げて集中していたミーアがその水色の目を見開く。


「“すべてを焼き尽くせエクスプロージョン!”」


 ミーアが杖を大きく振り回し、天に突き上げた瞬間、マリアンセイユの氷のドームに炎が上がる。一切身動きができなくなったソイルスライムは、あまりの火力に一瞬で蒸発した。


「“――癒しの雨ヒールレイン!”」

「“――優雅なる清風エれガント・エアロ!”」


 すかさず唱えたミーアの治癒魔法の水滴をマリアンセイユの風魔法が攫い、広がって、観客席全体に染み渡っていく。

 人々は自分の身体を見回すと、感嘆の声を上げた。

 ソイルスライムに吸い付かれた傷、とっさに起こった旋風で切れた肌、撒き散らされた火の粉などによる火傷が跡形もなく消えていく。


 マリアンセイユとミーアは杖を構え直すと、再びマデラギガンダに向き直った。


“ふ……ん。『蘇りの聖女』『聖女の再来』の二つ名は伊達ではないか”


 それは、マリアンセイユとミーア、それぞれが噂になったときの二人の呼び名。

 土の王獣マデラギガンダは、市井の様子にも詳しいようだった。


 やはり、魔獣は、魔王は、人間たちの為す様を監視し続けていたのだ、とその場にいる全員が悟った。

 そしてついに怒り、使者を差し向けたのだ、と。


 リンドブロム闘技場は、何千人もの人間がその場にいるとは思えないほど、静まり返っていた。

 その様子を満足げに見回したマデラギガンダが、右手で自分の顎をさすり、ニヤリと笑う。


“さーて……おお、確かこの場は『聖なる者』とやらを選定する場だったか”


 マデラギガンダのぎょろりとした瞳が、大公家席のディオンへと向いた。

 魔導士としての能力は高くないディオンでも、その圧は十分に感じられた。額から背中から、大量の汗が噴き出る。


“未来の大公よ。お前が決めるんだったな”

「え……」

“どちらがその『聖なる者』とやらなのだ? その者を連れて行くことにしよう”

「……っ!」

“まずは、魔王に申し開きをしてもらわねば――のう?”


 ククク、とマデラギガンダが喉を鳴らす。

 ディオンは、究極の選択を迫られた。ゴクリと、苦い唾が喉元を過ぎて行った。


 つまり、ディオンが指名した『聖なる者』は、このまま魔界へ――魔王の下へと連れ去られてしまうのだ。


 ディオンはマリアンセイユとミーア、どちらの顔を見ることもできなかった。恐怖と困惑が入り混じった苦悶の表情を浮かべ、口を薄く開けたまま、マデラギガンダを穴が開くほど凝視する。

 しかし実際には、ディオンの瞳には何も映ってはいなかった。頭の奥で、マリアンセイユとミーアのさきほどの姿がちらつき、眩暈がする。


 マリアンセイユを選べば――正妃不在。代わりの人材など、今となってはどこにもいない。

 ミーアを正妃に立てられるはずもなく、無理矢理新しく決めた正妃が、民に受け入れられるのか。そして、その正妃は己の境遇を、そしてミーアの存在を受け入れてくれるだろうか。


 ミーアを選べば――愛する人を、一生失うことになる。ずっと大切にしようと決めた、ただ一人の人を。

 たとえ国が安泰でも、それはディオンにとって一生光を失うことと同じだった。


 観客全員の視線がディオンに集中する。しかしディオンには、どうしても選べなかった。

 何が正解なのか、いや正解などあろうはずもない。



「――王獣マデラギガンダ。しばしわたくしに、時間をいただけませんか」


 沈黙を破ったのは、マリアンセイユだった。

 その場に恭しく跪き、その美しいエメラルドグリーンの瞳で、じっとマデラギガンダを見上げる。


“時間、だと?”

「はい。……この場、数分だけ」

“……ふん? 夫に懇願でもする気か? あちらの女を選べ、と”


 マデラギガンダがちらりとミーアに視線を寄越したが、ミーアは一切動じることは無く、微動だにしなかった。

 ただじっと、マデラギガンダと対話するマリアンセイユを見つめている。


「そんな真似はいたしませんわ。わたくしがお話ししたいのは――、です」

「……」


 マデラギガンダは何も言わなかった。

 了承の意だと悟ったマリアンセイユは、ゆっくりと立ち上がると、ぐるりと観客席を見回した。

 そして、正面である大公家の方にまっすぐと向き直る。


「皆さん。聖女シュルヴィアフェスがどんな存在だったかは、ご存知ですね?」


 マイアンセイユの問いかけに答える者はいない。……が、全員が微かに頷いたらしく、観客席に小さなさざ波が起きる。

 マリアンセイユは「ふふふ」と少し俯いて笑うと、再び観衆をぐるりと見回した。


「聖女シュルヴィアフェスはその癒しの力でもって、癒した。素晴らしい炎の魔法でもって、守った」


 マリアンセイユの言葉に、一瞬だけざわつく。

 なぜなら、人々の認識は『聖女は人間の味方。人間を守るために魔王に立ち向かった』というものだったから。

 、と強調するマリアンセイユに違和感を覚えたのだ。


「どうか、思い違いをしないでください。聖女は、人間を守るために自らを犠牲にして魔王の下へ向かったのではありません。ヒトも魔物も――この世界のすべてを守りたいから、魔王の下へ向かったのです」


 古の物語には

『魔物と立ち向かうジャスリー王子が火の王獣フィッサマイヤに匿われていた聖女シュルヴィアフェスを見つけ出し、説得した』

と綴られていた。

 そう、聖女は引き籠っていたのだ。


 絵本にすら書かれているこの事実を、現在生きている人間たちは深く考えず、見過ごしていた。

 もっと言えば、人間たちの都合のいいように解釈していた。

 ――マリアンセイユは、そう訴えようとしていた。


「聖女が魔界でどうしていたのか、今のわたくしたちに知る術はありません。しかし、考えてみてください」


 ついっと、マリアンセイユの背後にいたマデラギガンダを見る。


「魔王腹心の配下――土の王獣、マデラギガンダを使者として遣わし」


 そして、闘技場からは見えぬ、北のフィッサマイヤの森の方角へと手を差し伸べ、遠くを見やる。


「火の王獣、フィッサイマイヤが護っていたほどの聖女を――魔王が、蹂躙すると思いますか?」


 マリアンセイユの声が、静まり返った観客席に凛と響き渡る。

 誰も言葉を発しない。

 しかし……人々は微かに首を横に振った。その動きはわずかに空気を揺らし、穏やかな波紋のように広がっていった。


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