第9話 タイマン勝負、ラウンド2!

 ミーアこと美玖が、ようやく私が繭だと思い出してくれた。

 これで落ち着いて話ができるわね、と一息ついたところ。


「――――ズルい~~~~!」

「へっ!?」


 美玖が肩をいからせて両手の拳を握りしめ、雄叫びのような叫び声を上げた。

 とんでもない音量だった。何しろ、珍しく黙って成り行きを見守っていたスコルがビクッと起き上がったぐらいだ。


 意味の分からないリアクションに驚いていると、ガッと立ち上がった美玖が口をムン、と強く引き結び、ズンズンズン、と地響きがするんじゃないかと思うぐらいの勢いで私の目の前まで歩いてきた。

 右手に死神メイスを、左手に桃水晶の杖を持ったまま立ち尽くしていると、美玖がガッと両手で私のおっぱいを掴む。


「ちょ、ちょっとー!」

『うひょおぉぉお!』


 スコルの興奮したような変な声が聞こえる。見ると後ろ脚だけで立ち上がり、謎の小躍りをしていた。

 ちょっとあんた、喜んでないで止めなさい! いつもオレのオレのとウルサいじゃないの!


「本物!」

「当たり前でしょ!? 離して! 揉むな!」

「ズルいわよ! 何よコレ! 私よりずーっとずーっとペッタンだったくせに!」

「いま関係ないでしょ、それ!」

「コレでディオン様を誘惑する気ね!? ひどい!」

「しないったら!」


 ブン、と美玖の両腕を振りほどく。

 全く、どこにツッコんでくるのよ。確かにミーアのおっぱいは私ほど大きくはないけど、華奢で可憐で、トータルで本当に可愛いのに。


「三日後の結婚の儀は、本当に儀式だけ! ディオン様だって『あなたには指一本触れません』って言ってたし」

「え?」

「私が望む限り一生触れないって。ちゃんと、断言してたから」


 私は本当に勘弁してほしいの、だから思う存分二人でイチャイチャすればいいのよ、と半ばヤケッパチになって言うと、美玖の目がみるみる吊り上がった。


「それって、繭さえよければって意味にも取れるじゃない!」

「……あー、それは義務感からじゃないかしら? やっぱり正妃との間に子供を作らなければ、という……」

「冗談じゃないわよ!」


 しまった、私もいつもの調子でバカ正直にディオン様の言葉を伝えてしまったわ。

 この世界に来てからは、ちゃんと喋る内容の取捨選択をする、ということを覚えたのに。

 きっと美玖と喋ってるからね。美玖だって、ミーアとは全然表情も言葉遣いも違うもの。


「だから、それはないから。責任感から出た言葉じゃないかしら? ほら、ディオン様ってちょっとバカ正直なところあるじゃない。美玖だって知ってるでしょ?」


 大丈夫、ディオン様はミーア一筋だからとフォローするつもりで言ったのだけど、美玖の目つきがますます鋭いものになった。


「何よ、その『あの人のことはよくわかってるの』みたいな言い方!」

「違うわよ」

「ディオン様は渡さないから!」

「だから要らないって言ってるのに……」

「ディオン様ほどの人を要らないって何様よ!」

「もう、じゃあどう言えばいいのよ!?」

「とにかく、信じられないわ!」

「私が? ディオン様が?」

「どっちもよ!」


 やっぱり消えて、と美玖が恐ろしく据わった目で真っ黒な台詞を吐き捨てる。

 私からすかさず杖を奪おうとしたので思いっきり突き飛ばすと、背も低く華奢なミーアはあっけなく尻餅をついた。


「いい加減に……ぶはっ!」


 ベシャッと顔に何かかかった。拭ってみると、泥だ。どうやら地面で掴んでそのまま投げつけたらしい。


「何するのよ!」


 全く、この分からず屋!

 誰のせいでこんなに苦労してると思ってんのよ!


 両手に持っていた杖を後ろに放り投げ、足元の泥を掴んで美玖に投げつける。ベシャッと右目に命中し、美玖が

「いったあっ! 殺す気!?」

と叫んだ。


「殺す気だったのはそっちでしょうが!」

「うるさい!」


 美玖がガバッと私の両足にしがみついたせいで、デーンと地面にお尻をしたたか打ちつけてしまう。

 起き上がる前に美玖が私の上にのしかかってきて、グワッと胸倉を掴んだ。


「何よ、こんなキレイになっちゃって! しかも巨乳とか! 繭のくせに!」

「どういう意味よ!」

「あの楚々とした美少女ぶり! 偽善者! 卑怯者!」

「マリアンセイユはそうあるべきでしょ!」

「誰にも態度は変えない、自然体とかいってたくせに! 周り中の気を引いて!」

「それはあんたでしょうが!」


 グチャグチャの大地の上で、私と美玖が上になり下になり、揉み合いになる。

 お互いワンピースの裾が捲れ上がっちゃってるけど、気にしてる場合じゃない。


「ズルいよ! 身分が高くて綺麗で、ディオン様の婚約者で! 恵まれ過ぎだよ! 羨ましい! ぜーんぶ持ってる、私の欲しかったもの!」

「――バカ言ってんじゃないわよ!」


 美玖に馬乗りになり、両肩をドン、と地面に押さえつける。


「ズルいのはそっちでしょ! ヒロインのくせに!」

「な、何が……っ!」


 私の腕から逃れようと、美玖が歯を食いしばりながら身じろぎする。


「あんたはどれだけでも自分の好きな人を選べたじゃない! どうすれば好きな人を振り向かせられるかだって、わかってたじゃない!」

「それだって大変だったんだからね!? いないはずのマリアンセイユが現れて、全然おかしくなっちゃったんだから!」

「知らないわよ、そんなこと!」

「はぁっ!?」


 何が大変だ。私なんか、よくわからない世界に放り込まれて、お前は邪魔だとでもいうように僻地に追いやられて。

 我慢して我慢して……ようやく外に出れたけど。だからすごく頑張ったけど。

 でもそれは結局、好きでもない人と結婚するという運命が決定づけられるのを早めただけで。


 何よ、あんたは自分の意志で、会いに行けたじゃない。

 自分の未来、全部自分で決められたじゃない。


 私は、ずっと、待つだけだった。

 最後も口喧嘩で……しかも私ばっかり一方的に喋って、でもその割に何にも伝えられなくて。セルフィスの気持ちは、何も聞けなかった。

 しかも、全部嘘だった。もう、何が何だか分からなくなった。


「好きな、人に……好きだって。必要だって、言ってもらえたじゃない」

「繭……」

「ヒロイン補正で、好きな人と一緒に生きる道が、用意されてて。ちゃんと、選べたじゃない」

「……」

「ズルいわよ、ヒロインだからって……」


 気が付けば、私の方が涙をこぼしていた。美玖の肩を掴んでいる腕がブルブル震えている。

 ポカンとした顔で私を見上げている美玖と、目が合う。泣いている顔を見られたくなくて、思わず目を背けた。私の瞳から飛び散った涙が、美玖を押さえている左手の甲にピトンと落ちる。


「繭……好きな人、いるんだ。ディオン様じゃない、別の」

「……っ!」


 しまった、つい本音をぶつけてしまった。

 美玖、いやミーアに弱みを握られた。駄目、このままじゃマズい。

 マリアンセイユの不貞ということにされたら……!


「違……」

「誰!? 誰、誰!?」

「ひゃあっ!?」


 しかし美玖の反応は、私の予想とは全く違っていた。

 急に目がランランと輝く。そんな腹筋あったっけ、ぐらいの勢いで上半身を起こしたので、上に乗っていた私の方が弾き飛ばされてしまった。


 え? あれ?

 何でそんなに嬉しそう? ディオン様に気持ちがないことがわかったから?

 

「い、いないわよ、そんな人!」

「嘘だ、絶対!」

「何を根拠に……とにかく、」

「表情に決まってるでしょ!」

「は?」

「見たことない顔してる! 可愛い!」

「かっ……!」


 まさか美玖にそんなからかわれ方をするとは!


「ずっと不満だったんだー。恋バナ全然してくれないし」

「無いもの、そんなもの」

「そうだよね。恋愛なんか興味ないって感じで、何か大人ぶってさ」

「大人ぶってない。本当に何も無かったの」

「その割に男子と仲いいし、よく喋ってるしさあ」

「ゲームの話をしてただけよ」

「長谷川くんだって繭のこと好きっぽかったし」

「それ本当に違うから」

「とにかく、そんな繭が! ああ、やっと優位に立てた気分!」

「むかつくわね! 優劣とかないでしょ!」


 イラっとして声を上げた瞬間。



 ――いつまで、ワシの縄張り付近で無駄話をしているつもりだ。



 頭の中に、低い、脳味噌を震わせるような声が鳴り響く。

 悪寒が走り、私と美玖はひしっと抱き合った。バチッと目が合う。


「いま……」

「うん」


 どうやら美玖にも聞こえたようだ。

 気付けば辺りは薄暗くなり、太陽は沈んでいこうとしていた。東から出てきた月が、この荒れ果てた大地にもやんわりと光を注ぐ。


『マユー!』


 いつの間にかスコルは魔界に帰っていたらしい。代わりに現れたハティが、岩山の影から現れた。


『あっち、逃げるのー』

“逃がす訳がなかろう、子狼”


 その太い声がはっきりと耳元で聞こえ、大地を揺らす。ミシミシミシと地面に亀裂が入り、バグッと割れ、ハティが『キャウッ!』と叫んで割れ目の向こう側に飛ばされてしまった。


「ハティ!」

“ふん……なるほどな”

「え…………ひゃあああああ!」


 ズシーンと、目の前に巨大な足が現れた。私と美玖はますます寄り添ってお互いの身体を抱き寄せる。


 巨大な足を伝い、そーっと目線を上に上げる。

 わずかに動くたびにガチャガチャと重そうな音が響く黒い脛当て。頑丈そうな鉄の鎧、その背後には蝙蝠のような巨大な翼を広げているのが見える。

 牛のような角が、月明かりの中ぼんやりと浮かび上がっていた。しゃがんでいるのに、周りの岩山と同じぐらいの高さの巨大な男。


 王獣マデラギガンダが、私たち二人をギョロリとした眼で見下ろしていた。



“さて……こたびの聖女は二人、か。これは、面白いことになったな”

「……聖女……」

“約定は、破られた。魔王はその眼を開いたぞ”

「えっ……」


 思わず美玖の顔を見る。


(ちょっと、美玖。あんたこのゲームの結末知ってるんでしょ)

(でも、これは知らない)


 美玖はプルプルと首を横に振った。


(魔王復活は、クリスルートの後日談でちょっと語られるぐらいで……)


 ということは、美玖が言うようにゲーム本来のストーリーとは完全に変わっちゃってるのか。マリアンセイユはいないはず、とか言ってたものね。


“――さぁて、どうする? 小娘ども”


 重そうな黒い鉄の小手を付けた右手で顎をさすり――マデラギガンダは、グッグッグッと不気味な笑い声を漏らした。


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