第8話 タイマン勝負よ!

 青い靄と黒い渦の空間から、赤い靄と黒い渦が立ち込める空間へ。

 魔界の中を、二匹の狼が縦横無尽に駆け巡る。


 スコルによると、水のエリアから火のエリアに移動したらしい。近道をしてはいるが、間に合うかどうかはかなり微妙だという。ミーアは確実にマデラギガンダの洞窟へと近づいているらしかった。


「でも、王獣の棲み処には結界が張ってあるんでしょう? ミーアは入れないんじゃないの?」

『一度会ってるから、ガル……えーと、マデラギガンダも拒絶しないかもしれない』

「え?」

『会ったのに、見逃した。ルヴィに、遠慮』


 ハティが片言で説明してくれたけど、よく分からない。

 首をひねっていると、スコルが

『聖女の素質があるってこと。約定はまだ生きてるから、足止めになるっていうか』

と補足説明をしてくれた。

 続けて、ブフッと不満げに鼻を鳴らす。


『それにその女、マデラギガンダに会ったこと誰にも言ってなかったんだろ? それも変だよなー』


 普通は王獣が地上に現れたら大騒ぎするぞ、とスコルがブツブツ言っている。


 うーん、それは多分、ミーアが美玖だからでしょうねぇ。

 イベントとして既に知っていたなら、誰にも言わないことがこうやって最後の一手に繋がるって分かっていたことになる。

 はぁ、メチャクチャやり込んでたものね、あの子。もう少しちゃんと話を聞いていればよかったわ。


 やがて、ゴツゴツした岩山が押し寄せるように立ち並んだ場所に出た。地面は赤茶けた乾いた土で覆われており、スコルが駆けた跡も残らないほど固い。もうもうと砂埃が舞い上がり、思わずむせる。


「けほっ、げほっ……あれ、ハティは?」


 辺りを見回すと、ハティが付いてきてない。ついさっきまで隣を走ってたのに。


『マデラギガンダを刺激したくないからさ、結界を避けて外に出た。まだ月が出てないからハティは来れない』

「そうゆうこと……」


 太陽はすでに西に傾いているが、まだまだその光は強い。

 今は満月に近いから、もう少し日が暮れれば月が昇り始める。そしたらスコルと交代、ということになるようだ。


“――いた!”


 ビタッと足を止め、スコルが思念で私に知らせる。

 見上げると、五メートルほど上、崖の周りにうねうねとしたやけに狭い石の道が螺旋状につけられている。そこを、リュックを背負った粗末な平民の恰好をしたミーアが慎重に歩いている。

 目の前には、洞窟の入口。――すなわち、マデラギガンダの結界目前。


 スコルの背中から降りると、私は両手で死神メイスを構えた。


「スコル、フォローしてね」

“あん?”

「“風よ、此処に立ち昇れフィソ=デ=ソゥナ=ディモ!”!」


 右上から左下へ、死神メイスを大きく振るう。

 多少手荒だけど、仕方がない。結界からミーアを引き離す!


 私の呪文の声に、ミーアがハッとこちらを見下ろしたのが分かった。その瞬間、目の前に現れた竜巻にミーアの身体が巻き込まれる。


「きゃああああ――!」


 徐々に威力を弱め、私達が待ち構えている荒れた大地へ。ターンと高くジャンプしたスコルが緩やかになった竜巻の中に突っ込み、ミーアの背中をバクリと咥える。

 そのまま身を翻し、ゆるやかな上昇気流に変わった風の中、スコルが荒れ地にスタンと着地した。

 ペッと口からミーアの服を離す。竜巻に巻き込まれ目を回したらしいミーアが、「うーん」と呻きながら、地面にドサリと突っ伏した。


「ありがとう、スコル」

“マユー、乱暴だなー”

「仕方ないわ、非常事態よ。それよりスコル、この先は手出し無用ね」

“えー”

「二人で話をしないといけないの」


 やや不満そうではあったけど、スコルが“わかった”と言いながらおとなしくその場に座り込んだ。

 その姿を確認してミーアに目を向けたけど、まだ地面に倒れたままだ。


 怪我はないと思うけど……。 

 少し心配になり抱き起こそうと近づくと、その前にミーアがガバッと上半身を起こした。しかしまだ眩暈がするらしく、右手で自分の頭を支える。


「何……何で……」

「申し訳ないけど、王獣マデラギガンダに会わせる訳にはいかないわ、ミーア」

「……! マリアンセイユ様!」


 ハッとしたように私の顔を見たミーアが、次の瞬間、きゅっと唇を噛みしめる。

 散らばったリュックの中身に視線を送ると、さっと折り畳まれた桃水晶の杖に手を伸ばした。

 ジャキン、ジャキン、と素早く伸ばし両手で握りしめると、グッと地面に突き立てて立ち上がる。

 その水色の瞳はどこか妖しく煌めいていて、思わず身構えた。


「ミーア、落ち着いて。まずは話を……」

「――“火炎地獄フレイム=ヘィル”!」

「なっ……!」


 何つー大掛かりな技を! 本当に私を殺す気なの!?

 ミーアの振るった桃水晶の杖から、暴れ狂う炎が噴き出る。渦を巻くように全方向に放たれた炎は、うねりながら私の方に迫ってきた。


『アチャチャチャ!』

「“水流よ、護れ”!」


 火に耐性はあるがやや魔法に弱いスコルが、炎の渦の隙間からビョーンと立ち上がる。私の周りに現れた水流が間一髪炎の渦を堰き止めるが、ミーアは炎魔法のスペシャリストで、制御はともかく威力は桁違い。あっという間に押し返されそうになる。


「こんのぉ……“大海嘯タイダル=ボゥア”!」


 死神メイスを左から右、右から左に水平に切る。

 私の足元から現れた大量の荒れ狂った水が高さ二メートルほどの津波になってミーアに襲い掛かる。


「きゃ……きゃああ!」


 足元を攫われたミーアが派手に転び、白い泡を飛び散らせながら深く青い水の中に消えた。

 ミーアの放った炎があっという間に消える。どうやら実態ではなく幻覚だったらしい。創精魔法ならではの技。


 一応手加減はしてくれたようね、と思いながらダン!と杖を地面に突き刺し、水の流れを放射線状に散らせた。

 水位は30cmほどになり、ずぶ濡れのミーアが「ゲホゲホ」と激しく咳き込みながら四つん這いになって現れた。


 まったく、頭に血が昇るとなりふり構わなくなる癖も全く変わってないわね。

 幻覚だって身体は焼けた感覚になるし、ショック死することだってあるのよ。

 もう怒った。辛抱ならない。どうやらビシッと現実を突きつけてやらないと駄目みたいね。

 すう、と大きく息を吸い込む。


「――いい加減にしなさい、美玖みく!」


 大声で怒鳴りつけると、ミーアが

「えっ!」

と小さく叫び私を見上げた。大きく目を見開き、唇が真っ青になってぷるぷると震えている。


「ミーア・レグナンド、中身は早坂美玖。……そうよね?」

「……何で……あっ!」


 スコルが気を利かせてくれて、転がっていたミーアの桃水晶の杖をバクリと咥え、私のところに持ってきた。

 よしよし、と頭を撫で、左手で受け取る。

 まぁ、杖が無くても呪文は唱えられるだろうけど、威力は各段に落ちるはず。


 美玖は杖を取り返そうと一瞬だけ腰を上げたものの、そのままへなへなとその場に崩れ落ちた。


「ちゃんと話をしましょう、美玖……ミーア?」


 あら、どっちがいいのかしら? まあ、いいわ。


「ねぇ、ディオン様から連絡は……」

「そんなことより! あんた……!」


 もとの名前を呼ばれたことで完全に仮面は剥がれたようだ。ビシッと私を指差し、悔しそうに私を睨みつける。聖者学院でいつも見ていた、内気そうなミーアの表情じゃない。


 ああ、こんな顔は、昔よく見たような。好きな男の子の前ではおとなしくしてるんだけど、実はとんでもなく負けず嫌いなのよね。


「何で、私の……」

「さあてね。解らないなら教えない」


 ふん、と鼻息をついて両手を腰につける。

 私はすぐに思い出したのにな、美玖のこと。美玖にとってのは、その程度だったのか。


「それより美玖、ディオン様から側妃にするっていう連絡は行ったはずよね?」

「側妃なんか嫌よ! 正妃じゃなきゃ……」

「美玖、これはあんたのよく知ってるゲームの世界かもしれないけど、もう現実なのよ。いくら私が邪魔だからって殺そうとしちゃ……」

「そんなこと考えてない! この世界から消えてほしいだけ!」

「なっ……」


 それはもう、殺すのと変わらないんじゃない?

 王獣に頼む以上、マリアンセイユを魔界に追いやるか、魔獣に貢ぐか、そんなところでしょ!?


「だから、それは殺人でしょ! 何度も言うけど、これはゲームじゃ……」

「ゲームじゃない! だから、ディオン様の傍にマリアンセイユがいるのは嫌!」


 美玖は悲鳴のような声で叫ぶと、ボロボロと涙をこぼした。

 えぐっ、えぐっと激しくしゃくり上げ、両手の甲で何度も自分の目元を拭う。


「だって……だって、大好きだもん。愛してるの」

「知ってるわよ、それは……」


 美玖はいつも本気で男の子を好きになって、好きになってもらうために本気で努力をする、恋愛にがむしゃらな子だ。

 そんなんじゃ仮に付き合えるようになってももたないわよ、って言ったって聞きやしなかったけど。


 そしてミーアのあのときの表情。聖者学院で青年たちに囲まれているときの表情とディオン様と目が合った時の表情は、全然違った。本気で恋している顔だった。

 でも、ミーアの立ち振る舞いは完璧だったわね。やり通せると豪語していただけあって、本当にやり通せるのかもしれないわ。今にして思うと。


 ううん、どっちも本当の美玖なのかもしれないわ。裏で怒ったり愚痴ったり忙しい美玖と、好きな男の子の前で笑ったり拗ねたり可愛らしく振舞う美玖と。


 どうしてそう思えたかというと、私も経験したから。

 アイーダ女史やヘレン、セルフィスと一緒にいるときの私が本当の自分、だとは思う。だけどディオン様やシャルル様、近衛武官と一緒にいるときの私が真っ赤なニセモノかと言えば、そんなことはないわ。少し体裁を整えているだけのことで、嘘をついていた訳じゃない。心と全然違う行動をしていた訳じゃないもの。


 そういうことかな、と何となく思えた。この世界に来ていなければわからなかったわね、きっと。


 しかしどこか納得している私とは裏腹に、美玖はひどく暗い顔でプルプルと首を横に振った。


「……分かる訳ないわ。どうせ言ったって、分かんないわよ」


 あのときと同じようなことを、ポツリと呟く。


「私、本気なの。私には、もうディオン様しかいないの。だから邪魔しないで!」

「二人の仲なんて邪魔しないわよ。興味ないもの」

「そんな訳ない! だって、ディオン様、あれだけ素敵なんだもん! だから繭だって……――あっ!」


 美玖が何かに気づいたように顔を上げた。頬を伝った涙が、水が引いてグチャグチャの泥になった地面にポタリと落ちる。

 どうやら涙は止まったらしいわね。


 私が思い出した、美玖との最後の会話。

 列車事故に遭う前の、ある意味とても私達らしいやりとりだったから。

 それで美玖も気づいたんだろう。震える手で私を指差した。

 だからその、人を指差す癖もやめなさいって言ってたんだけどな。


「ま……まゆなの?」

「……正解」


 思わず、長い長い溜息が漏れる。


 やっと、思い出してくれたわね。何だか片想いの気分よ、本当に。

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