●ゲーム本編[14]・ミーアは過去を振り返る

 ミーアが『早坂はやさか美玖みく』としての記憶を取り戻したのは、レグナンド男爵からの使いが孤児院に訪れた時だった。


「あなたは、トーマス・レグナンド男爵の娘。そして『リンドブロムの聖女』になるべき存在なのです」


 そう、まさにゲーム『リンドブロムの聖女』のオープニングのシーン。その瞬間、ミーア・ヘルナンジェとしての記憶はそのまま、その隙間を浸すかのように早坂美玖の記憶が徐々に沁み込んでいったのだ。


 最初は信じられなかった。ミーアの中には、孤児院で仕立て屋の下請けをしたり、辺境の村まで品物を届けたり、と身を粉にして働いていた記憶が確かにある。

 しかし同時に、まったく異なる世界でこのゲームをやり込んでいた頃の自分の記憶もある。


(このあと、男爵が登場するのよね)

(そうだわ、ここでお城に行くことになるのよ)


 小さな出来事が一つずつ積み上がるごとに、二人の人格が溶けあい、ミーアでも美玖でもあるこの物語の主人公として覚醒するに至る。


(そう言えばホームから線路に落ちたっけ。あれで死んじゃって、ゲームの世界に転生しちゃったってやつね。本当にあるんだ、そんなこと……)


 乙女ゲーが好きだった美玖は、乙女ゲーを題材にした小説も時折読んでいた。

 大抵はヒロインの敵役で、断罪される運命に抗おうと奮闘する物語。

 しかし自分の場合は、相手を自由に選べるこの物語の主人公だ。無理に捻じ曲げる必要はなく、最も自分が進みたい方向へと進めばいいだけ。


 しかし、この世界では現実の出来事として話が進んでいく。パラメータが見えるようになっている訳でもなく、感情値の変化がどうなっているかも、どんなフラグが立っているのかも確認する手段はない。

 このゲームは各キャラクターごとに複数のエンディングがあり、どの行動がどう繋がるかもかなり複雑な仕様になっているのだが、ミーアこと美玖は自信満々だった。


 なぜなら、『貴族ルート』の中で最も攻略が容易なアンディ、次に辿り着きやすいベン、やや癖のあるクリス、そしてかなり攻略が難しいと言われる『大公子ルート』のシャルルまではエンディングを迎えたことがあったからだ。


 しかし最難関と言われ、場合によってはバッドエンドにもなり得る『ディオンルート』だけは、まだ攻略の途中だった。

 情報を集め、いよいよ攻略開始……というところで、この世界にやってきてしまったのだ。


 ましてや現実として誰かを選ぶとなると、人となりもちゃんと知りたい。ゲームのゴールは結婚だが、実際にはその先に長い結婚生活が待っている。

 夢見がちな美玖と違い、ミーアはひどく現実的な考え方をする少女だった。

 ゲームでは重要なイベントでしか会話はできないが、リアルに時間が流れている以上、慎重に相手を見定めて決める必要がある。


 憧れは勿論ディオンだが、いざとなったらどのルートにも進めるようにしよう、とミーアは決めた。

 そして父に言われるがまま城下町にくりだし、治癒魔法で民衆の人気稼ぎに勤しんでいたところ、とんでもない噂を街で聞きつけた。


 ――アルキス山に現れた巨大ホワイトウルフを、何とマリアンセイユ様が退治したらしい。

 ――ええ? あの、パルシアンで眠り続けているっていう?

 ――そうそう! フォンティーヌ領の危機に二体の狼の姿をした護り神様が起こしたんだって!

 ――うおぉ、魔物から守ってくれる『聖女』目覚めるってか!?

 ――『蘇りの聖女』って言われてるんだってよ!


 どういうことなのか、とミーアはかなり混乱した。慌てて美玖としての記憶を探ってみる。

 巨大ホワイトウルフが現れるイベントは確かにあり、これはエドゥイン家の密猟発覚のきっかけになるイベント。

 しかし発覚はもう少し後だったはずだ。学院に入学し、クリスに関するイベントをある程度進めなければ発生しなかった。それに発生場所はアルキス山ではなくワイズ王国領だったはず。

 しかも、マリアンセイユが目覚めた……!?


 これが、美玖が

「自分の知っている『リンドブロムの聖女』と違う」

と感じた最初の出来事だった。


 その後、街の噂などあてにならないと思い直したものの、結局レグナンド男爵から噂は真実だと知らされる。

 妬みに凝り固まった成り上がる事しか頭にない父親だが、大公宮や貴族達からもたらされる情報は本物だ。


 ――念のため、サルサを仲間にしよう。


 ミーアが学院に入学するまでの間にグレーネ湖にある男爵家の別邸に行くことで発生する、魔の者『カイ=ト=サルサ』を仲間にするイベント。

 情報だけは入手していたものの、実行はしていなかった。


 最難関のディオンルートの攻略がかなり楽になる優れた魔物なのだが、実は欠点があった。

 それは、彼女の能力を使うたびにミーアの『清廉度』が下がっていくこと。

 『カイ=ト=サルサ』は人の心を蝕む魔物なのである。


 彼女に助けを求めるたび、欲深くなり、善悪の区別がつきにくくなり、場合によってはサルサがいないと何もできなくなって自滅してしまう。

 そしていつしか、主従が逆転して身体を乗っ取られてしまうというバッドエンドを迎えることもある。


 そのことを知っていた美玖は、当初はサルサを利用しないつもりだった。ディオンを攻略するために必要なイベントはし、サルサを使って情報を集める必要はなかったからだ。

 しかしマリアンセイユが聖者学院に入学を希望する、という異常事態が起こったため、保険としてサルサと出会うイベントをこなし、彼女を仲間にした。


 しかし結果として、美玖のこの判断は大正解だった。

 美玖は水色のカエル、スクォリスティミの性質を知らなかった。

 だから、水色カエルに会うのは単に『マデラギガンダと遭遇するイベント』だと思っていた。そこからさらにサーペンダーに繋がるとは思いもしなかったのだ。


 そしてこれは、本来正しい。仮にミーアがスクォリスティミを捕まえたとしても、すぐに逃げられていた。ミーアの属性は炎だからだ。

 スクォリスティミが地上に居続けたのは、それがマリアンセイユだったから。水の属性を帯びていた彼女だったからこそ可能だったこと。

 そのため、最後の『野外探索』において本物の魔獣ガンボが現れる、という異常事態も、当然美玖は知らない出来事だった。

 ……というより、本来の『リンドブロムの聖女』では起こり得ないことだった。


 あのときサルサが美玖の祈りに応え『サーペンダー』に成りすまして守ってくれなければ、全員殺されていたかもしれない。

 もしくは、現れたマリアンセイユに助けられた形になり、『聖なる者』になることを完全に諦めざるを得なくなっていただろう。


 そして、この事件で契約は破棄され、サルサとは二度と会えなくなってしまった。

 魔界に帰ったのだろうか。サーペンダーに成りすましたことで魔王から罰を受けているのだろうか。

 できることならば、飄々とした頼もしいお姉さんのまま元気でいてほしい、とミーアは祈った。

 辛い学院生活を陰で支えてくれたのは、間違いなくサルサだったから。



   * * *



「……ここだわ」


 ワイズ王国の南にある岩石地帯。二日かけて、ミーアはようやく辿り着いた。

 辺り一帯土の茶色と石の灰色で埋め尽くされている。荒れ地には雑草のような暗い緑色の草がところどころに生えているものの、地面は足首に響くほどひどく固く、空気はやけに乾燥している。


 季節はもう冬だが、むわっとした砂埃が舞う、枯れた大地。

 ミーアは担いでいたリュックを下ろすと、着ていた厚手のコートを脱ぎ、乱暴に丸めてリュックにしまい込んだ。額の汗を拭い、岩肌を見上げる。

 ここからさらに岩がごろごろする山道を昇り、『マデラギガンダの洞窟』を目指さなければならない。


 結界が張られた聖域。もし弾かれるようなら、そのときは諦めよう。

 しかし一度会話をしているミーアなら、王獣マデラギガンダも拒絶しないかもしれない。

 もし受け入れてくれたら、何を話せばいいだろう。


 ――マリアンセイユ・フォンティーヌをこの世界から消してほしい。


 やはり、これだろうか。

 殺してほしい、とまでは思っていない。ディオン様の傍にいてほしくないだけ。


 ミーアは、そして美玖は、初めてディオンと対面したとき――薬草学実習で顔を合わせたとき、一目で恋に落ちた。

 それまでどこかゲーム感覚が抜けきれなかった美玖だったが、このとき初めて本気でディオンと結ばれたい、と思った。


 その後、ディオンがどこにいるかをすべて把握していた美玖は、密かにディオンと密会を重ねた。

 会ううちに、敬語ではなくなり、少しくだけた話もするようになり、大公世子ではない一人の青年の顔を見ることができるようになって、ミーアはますますディオンに夢中になった。


 しかしやはり、マリアンセイユが目の前に現れた影響は大きかった。

 本来なら、ミーアのことだけを真っすぐに見てくれたはずのディオン。

 彼は賢明で、誠実な人柄だった。

 だから婚約者のマリアンセイユを無下にはできない、と考えていたし、細心の注意を払ってミーアにもマリアンセイユにも接していた。

 そうしなければミーアの立場が辛く危ういものになる。それは分かっていたけれど、ミーアは歯痒かった。もっとがむしゃらに自分に向かってきてほしかった。


 ゲームをプレイしていたときは、愛されているなら側妃でもいいじゃないかと思っていた。あくどい手を使ってまでマリアンセイユを排除する必要は無い、と。何しろ彼女は、ただ眠り続けているだけなのだから。


 しかし、現実はそうではない。彼女は生きて、すぐ目の前にいる。利発で一生懸命で、立ち振る舞いは美しく、表情は愛らしく、近衛武官の信頼も得ている。

 そして公爵令嬢という身分の高さ。未来の大公妃が約束された立場。

 ミーアが無いものをすべて持っている。


 これからの長い人生、そんな彼女の機嫌を窺いながらディオンの愛情だけを頼りに生きていくことなんてできない、とミーアは強く思った。


 ――マリアンセイユ・フォンティーヌを、この世界から消してください。


 ミーアの願いは、やはりこれだった。自分の視界からもディオン様の視界からも消えてくれ、と。

 山道を昇りながら、ミーアは新たに決意を固めた。


 気が付けば、広かった山道は幅1メートルぐらいしかない崖のような場所まで来ていた。

 足を滑らせないように気を付けながら、ミーアはそろそろと歩く。

 視線の先には、ボコリと開いた真っ黒な穴――マデラギガンダの洞窟の入口。


 結界は、もうミーアの目前に迫っていた。


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