第7話 何て恐ろしい……!
ユーケルンは宙でくるりと一回転する。その姿が、長い金髪をなびかせた人間の姿に変化した。
スターン!と非常にカッコよく着地したユーケルンはわずかに微笑み、私をじっと見つめる。
一方私も、あんぐりと口を開けたまま、思わずまじまじと見つめてしまった。
だって……確かに途中まではピンクの一角獣だったわよね? どう見ても、完全に人間になってるわよ?
腰まである、ウェーブのかかった長い金髪。サファイアのような透き通ったブルーの瞳。睫毛が長くて鼻筋がすっと通ってる、綺麗な顔だわ。
そしてその格好はと言うと、金の肩当てがついた煌びやかな紺の上着に白い細身のズボン、黒いブーツ。……軍服っていうのかしらね。
どこかで見たような……ああ、某王宮マンガの男装の麗人に似てるんだ。
でも、あら? ユーケルンって確かオスだった気がするんだけど?
『こんにちは、麗しきご令嬢』
「は、はぁ……」
急にキリっとした顔でイイ声を出されても。さっき、思い切りおネエ言葉だったじゃないの。
私がヒイてるのが分かったのか、ユーケルンは両肩を軽く上げ
『そうね、もうバレちゃってるしね』
と呟いてフフフと笑った。パチン、と意味ありげなウインクを寄越してくる。
『まさかフェルが
「はぁ……」
『ところで、アルバードの処女ちゃんじゃないわね』
「はぃ……」
『でもとっても可愛い。しかもおっぱい大きいし! もう、サイコーの処女ちゃんだわ!』
「ひえ、は……」
そんな王子様みたいな美しい顔でサイテーなコメントされても。
えええ、何が起こってるの? 敵意は感じないけど、何かとてつもなく背筋に悪寒が走るわ!
そう言えば、ユーケルンって処女好きなんだったっけ? でも処女ちゃんと呼ぶのは恥ずかしいのでやめてほしい!
『さ、アタシのところにおいで、処女ちゃん!』
「ひぃっ!」
『ケルン、退け』
『うるさいわよ、フェル。今このグラマラスな可愛い処女ちゃんを口説いてるところなんだから、邪魔しないで』
『何だと……』
イラっとしたようなフェルワンドを尻目に、ユーケルンが上機嫌な笑顔を向ける。
とっても素敵なんだけど、スラッとしてものすごくカッコいいのだけど……でも、目つきが超ヤバい!
『大丈夫よ、怖がらなくてもいいから。処女ちゃんはちゃーんとアタシが美味しく頂いてあげるわ!』
「いや、た、食べないでください!」
『だいじょうぶよー。頂くのは、処・女❤』
「いやああああああ――!」
何か信じられない台詞が聞こえた! 誰かこれは夢だと言って!
ま、魔獣とエッチとか、絶対に正気じゃ無理! 確実に気が狂う! 人間の姿してたって誤魔化されないからね!
いや冗談じゃなく、今の私は貞操の危機と生命の危機、どっちを迎えてるんだろうだろうか!?
『あらん、心配しないで。いきなり【ピーッ】しろとか【ピーッ】させろなんて横暴なことは言わないわ。アタシこう見えてとーってもテクニシャンよ?」
「は……」
「【ピーッ】を【ピーッ】したり、あっ、【ピーッ】とかもしてあげちゃう! それはもう大サービスして、ちゃーんと天国へ連れて行ってア・ゲ・ル・か・ら❤』
「ひぃ、ひいぃぃぃ……」
いやあああああ! よくわかんないおぞましい言葉がいっぱい飛んできた! 見た目と全然釣り合ってないわ!
だいたい、このゲームってせいぜいCERO『C』じゃなかったっけ!?
死んじゃう! 確実に死んじゃうわ! しかも最悪な形で!
どっちみち昇天コースじゃないの! だ、誰かああー!
ユーケルンにグイッと腕を掴まれ、そのままズルズルと引きずられてしまう。
ひいいい、助けてー!
『いい加減にしろ、ケルン! 俺様の前に汚いものを晒すな!』
フェルワンドの怒号が辺りに鳴り響き、赤と黒の炎がユーケルンの腰あたりに向かっていた。
『んー、もう!』と不満げな声を漏らしたユーケルンは私の腕を離すと、あっという間に一角獣の姿に戻った。くるりとピンクの尾を振り回し白い翼をはためかせると、辺りに柔らかい風が巻き起こる。
私とハティ、スコルの体がふわりと宙に浮き、二体の魔獣とはやや離れた隅の方へと飛ばされた。そして同時に、フェルワンドの炎がぶうん、と弾き飛ばされる。黒と赤の炎はやがて細かい火の粉になり、フッと消えた。
一応、護ってくれたのよね。だけど……汚いものってナンデスカ。ユーケルンの下半身に何が……。
いやーっ、考えたくないわ!
『俺様の領域を穢すつもりか!』
『なによぉ、ちゃんとアタシの領域に連れて行くわよ』
『俺様の獲物だ、勝手なことをするな!』
『だいたい、コレは愛のある神聖な行為よ。自分はこーんな可愛い子供たちを拵えたくせに、ナニ言ってんのよ』
ねえ!とユーケルンに話を振られたハティとスコルが、碧の目をパチクリしたまま硬直している。
二人は毒に痺れて寝転がった格好のまま、ガチーンと固まっていた。ユーケルンの登場に、相当驚いたらしい。
いや、愛なんてナイ。そこにあるのは性欲だけだ!
しかも魔獣! 想像することもできないぐらい恐ろしい!
『いいからさっさと帰れ』
『嫌よぉ。こんな機会、滅多にないんだから!』
『それでアルバードの娘を再起不能にしたことがあっただろうが!』
『うるさいわね! そしたらまたアタシの護符を授けるわよ。はーい、万事解決!』
『お前……』
『何よ、やる!? やったろかぁ!? あーん!?』
ユーケルンの鬣がザワザワと揺れ動き、フェルワンドと正面から向かい合った。右前足の蹄でカカッと地面を掻く。
対するフェルワンドも体全体をいからせて三本の尾を奮い立たせ、完全に臨戦態勢に入った。
ジトッと、二体の魔獣が睨み合う。
ひいぃぃぃ、魔獣同士の喧嘩が始まってしまった!
誰が止められるのよ、コレ!
『ま、マユ~』
『こえーよぉ……』
「う、うん。怖いね。じっとしてようね」
のそのそと起き上がって擦り寄ってくる二人を両腕で庇い、隅っこでちんまりとしゃがみ込む。
目の前では毒の息とその浄化合戦が始まってしまい、三人で固まったまま、唖然と見上げるしかなかった。
二体の魔獣は、そうは言ってもそうとう手加減しているらしく――喧嘩というよりはじゃれ合いというか小競り合いというか、そんな感じだった。
お互い
そんなことを考えている間に、ユーケルンの方がだいぶんへばってきたようだ。フェルワンドの炎の領域では、相当分が悪かったらしい。
ユーケルンは
『もう、わかったわよ!』
と怒鳴り、バササッと翼をはためかせて宙に舞った。
そして私の方を見下ろし、ウインクする。
『処女ちゃーん。残念だけど、今日はこれで帰るわ』
「へ、は……」
『今度はアタシの領域に来てねー』
「ひ、ひえ!?」
『待ってるわ❤』
待たないでください、お願い!
心の中でそう叫んだもののどう返したらいいか分からずプルプルしていると、ユーケルンは投げキッスらしきものを寄越してきた。そしてそのまま、白い翼をはためかせ、宙から魔界へと帰っていった。
ユーケルン、何て恐ろしい魔獣なの……!
白目になりながら呆然とユーケルンの姿を見送る。
だけど、そもそも根本的な問題が片付いてないことに気づいてハッとフェルワンドの方を振り返った。
ユーケルンとの喧嘩に相当イロイロ削られたらしいフェルワンドは、地面に寝そべり、『ふう』と溜息らしきものをついた。
『全く、興が削がれたわ。それで、何だ?』
「え?」
何を聞かれたのかわからなくて、間抜け顔で聞き返してしまう。フェルワンドは心底呆れたような声で
『さっきから言っていたお願いがどうとかいうやつだ』
とふてくされたようにぼやいた。
「あ、はい!」
『疲れたから、少し休む間だけ話を聞いてやる』
「ありがとうございます!」
ビシッと背筋を伸ばし、しっかりと頭を下げる。
「私に一カ月……いえ、二週間だけ時間をください!」
『あぁん?』
最終試験を終えて、その一週間後、リンドブロム聖者学院が民衆の前で『聖なる者』を決定する。
それが恐らく『リンドブロムの聖女』の物語の最後。そのあとはいわゆるエンディングに入るのだろう。
こんな中途半端な状態で物語から離脱したくはない。ここまで頑張ってきたんだもの、ちゃんと最後まで見届けたいし、大公世子ディオンの婚約者、公爵令嬢マリアンセイユ・フォンティーヌとして舞台に立ち続けたい。
『俺様に“待て”を命令する気か』
「いえ、お願いしているのです。このままではどうしても終われないのです。逃げも隠れもしませんから、どうか私に少しだけ猶予を与えてください!」
その場で正座し、額を地面にこすり付けるように頭を下げる。
魔獣にお願いとか、心臓がすくみ上ってしまう。だけど、どうしてもこれだけは。
魔獣召喚をすれば、魔獣は召喚者を食い殺す。
だけどそれは、あくまで魔獣が召喚者を認めなかった場合。
もし『聖なる者』になれれば、事態は変わるかもしれない。そのときにフェルワンドがそれでも私を認めなければ……食われるしかないのかもしれないけど。
でも、最後まで諦めたくない。
『ハトも、頑張る! 特訓する!』
『オレも、オレも! 頼む、父ちゃん!』
どうやらやる気になったらしい二人も、慌てて居住まいを正して頭を下げる。というより、膝を折り畳めないので土下寝状態になっている。
ハティ、スコル、ソレお願いのポーズになってないわ……。
それに、再戦する気は無いのだけど。できればちゃんと私を認めてもらって、どうにかソレは避けたいところなんだけどね。
『フン……』
そんなフェルワンドの面白くなさそうな声が聞こえ、ブンッと何かが飛んでくる音がした。
へっ?と思い、慌てて顔を上げると、目の前に直径1メートルぐらいの銀の輪っかがドーンと落ちてくる。
再び顔を上げてよく見ると、フェルワンドの耳の輪っかが一つ無くなっていた。
『小娘。お前が俺様のモノだという証だ。つねに身に付けとけ』
「え、あの……」
こんなでっかい重そうな銀の輪っか、つねに持ち歩くとか無理なんだけど。
……と訴えたところで、聞いてくれなさそう。
とりあえず持ってみよう、と右手で握った瞬間、輪っかがシュルシュルと小さく軽くなっていく。
「はわっ!?」
銀の輪が私の右の手首にカシーンと填まった。グッグッと動かそうとしたけど、皮膚に張り付いたようにまったく動かない。
重くはない、けど……これは手錠ということよね。
『これで貴様は、もう逃げられない』
「……はい」
『それと、一つ忠告しておく』
「え? な、何でしょう?」
見逃してくれるはずよね? 手錠した挙句ここに監禁、とかじゃないわよね?
『スクォリスティミ。早く、魔界に戻せ。危険過ぎる』
「へっ」
全然違うことを言われ、ガクッと肩から力が抜け落ちた。
スクォリスティミ……クォンのことよね。そう言えば、井戸の中に置いてきちゃったわ。
でも、確かに危険。それは今回の件で痛感したけど……。
「でも、あの、どうやって……」
『ペントを呼び出して預けろ。俺様から話を通しておく』
「ペント?」
『マユ、えーと、サーペンダー』
ハティがツンツン、と私をつつく。
ああ、水の魔獣、サーペンダー。フェルワンドの相棒だったわね。
なるほど、クォンは水の魔の者に分類される。サーペンダーの言うことなら聞く、ということか。四大王獣はよっぽどじゃない限り自ら動かないのだろう。
「わかりました」
『じゃあ、とっとと帰れ』
「あの、どうやって……?」
『……フン』
フェルワンドがその大きい尻尾をブウンと振り回す。
あっという間に辺りの景色がめまぐるしく変わり――もとの、井戸がある荒れ地の中央に立っていた。
もう夜が明けていて、空には太陽が昇り始めている。
「へ……あ……」
キョロキョロと辺りを見回すと、ハティとスコルはどこにもいなかった。
そう言えば二人は召喚で呼んだわけじゃなくて、魔界からあの場所にやって来たのよね。一緒に降りられる訳がなかったわ。
『クォーン!』
びょーん!と井戸の中から水色のカエル、クォンが飛び出してくる。ベタッと顔に張り付かれ、その勢いすら受け止められなかった私はそのままバタリと後ろに倒れ込んだ。
「クォン……ただいま」
『キュン、キュン!』
東がオレンジ色に染まり始めたものの、まだまだ藍色が広がる空を眺めていると、瞼が急に重くなってくる。
はぁ、駄目……。徹夜だもん、急に眠くなってきた。
『キュン?』
クォンが心配そうに覗くので、背中をそっと撫でてあげる。
早くロワーネの森に戻らないといけないんだけど、今は鉛のように身体が重くて、全く動かない。
万が一こんなところで倒れてるのが見つかったら、棄権扱いになってしまうかも。
絶対、起きないと駄目なのに……。
「クォン、誰か人間が近づいてきたら絶対に起こして。見つかる訳にはいかないの」
『キューン?』
「頼んだわよ……」
クォンを撫でていた手の感触がフッと消えた。
私はそのまま急激に睡魔に襲われ、あっという間に引き込まれてしまった。
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