第6話 バカはどっちよ
魔界から繋がっているという、フェルワンドの領域に現れたハティとスコルは、私の近くまで猛烈な勢いで走って来ると、二人がかりでびょーんと飛び掛かってきた。
『マユー!』
「わ、バカ、落ちる落ちるー!」
『バカはマユなのー!』
『待ってろって言っただろうーが! お前ほんと自由だな!』
「いやーっ! 溶けるー!」
飛びついてきた二人を支えきれず、よろよろとよろける。
う、後ろはマグマの海なんだけど! あんたたち、飛びつくときは時と場所を考えなさいって言ったでしょうが!
「ひ、ひやあ――!」
『うわあ!』
『あう!』
三人共々マグマの海に沈みそうになったが、ボフン、と柔らかいものが私の背中に当たった。
そのままフワフワッとしたものに包まれた感触がして、極上のモフモフ絨毯の感覚に、思わずナデナデしてしまう。
『くすぐったい、やめろ!』
「ひえっ!」
ガバッと起き上がると、フェルワンドの大きな尻尾の上だった。真ん中の尾の上に私達三人を乗せ、両サイドの尾でサイドをカバー。
モフモフの箱を作って、私達がマグマの海に落ちるのを助けてくれたらしい。
そのままブンと動かし、比較的広めの地面が続いているところにゴロゴロッと投げ出された。
「イタタ、痛……。あ、ありがとうございます……」
『俺様は生食が好みだ。スープにする気はない』
「ひっ!」
やっぱり食べる気マンマンだった!
ど、どうしよう……?
しかし、悩んでる暇は、全くなかった。
フェルワンドの碧の瞳が、ギロリと私を睨みつける。地面に寝そべったまま、その大きな体躯から
『マユー!』
ハティが全身の毛を逆立て、
私達三人の周りにドーム状のシールドが出現し、フェルワンドの黒い炎を弾いた。
……が、パーン!とシールドが弾け飛び、炎の一端が目の前に迫ってくる。
「“水の飛沫よ、覆え!”」
体中から流れる汗を媒体に、水の壁を出現させる。ジュッと音がして炎は遮断できたけど、あっという間に蒸発して気化してしまう。
「フェルワンド、聞いて! お願いが……っ」
『父ちゃん、マユは駄目だー!』
私の言葉を遮るようにスコルがダーンと高く飛び上がり、フェルワンドに飛び掛かった。しかしフェルワンドが振り回した巨大な尻尾にバチコーン!と跳ね返され、遠くへと飛ばされてしまう。
「“水流よ、龍となれ”!」
死神メイスから放出した水がうねって龍の形になり、マグマの海に落ちそうになったスコルの背中を攫う。
『おお、そうだった。焼いて焦がしてしまってはいかんな。せっかくの馳走が不味くなるわ!』
グワーッハッハッハッと高笑いするフェルワンドに、スコルが
『マユのおっぱいはオレのだー!』
と叫びながらその背中にへばりついた。
「スコルのじゃないわよ!」
『ハトのー!』
「ハティのでもないから!」
『ふん!』
フェルワンドが背中にガブリと噛みつくスコルを鬱陶し気に尻尾で叩き落とし、ハティがぶわっと吐いた炎の塊を鼻息一つで散らす。
叩かれたスコルと鼻息で飛ばされたハティが地面にゴロゴロと転がった。それを見たフェルワンドが、大きな口を歪ませ舌打ちのようなものをする。
『情けない。何が聖獣だ。俺様の息子とはとても思えん』
『ふぐ、ぐぐぐ……』
『むぅ、ううう……』
『……シュルヴィアフェスと小娘が甘やかし過ぎたか』
ずっと寝そべって適当にあしらっていたフェルワンドが、のっそりと立ち上がる。
ついに本気の攻撃が来る。だけど恐怖で身体が竦んでしまって、杖を構えようにも腕が上がらない。
『おとーさん、ダメー!』
ハティがダダダッと走ってフェルワンドの左の前足にしがみついた。続けてスコルもフェルワンドの右の前足にかじりつく。
『マユを、助けて! ハト、食べていいから!』
『父ちゃん、頼む! オレも食っちゃっていいから! ただし丸呑みで!』
「あ、あんたたち、何をバカ言ってるのよ!」
二人のとんでもない台詞に我に返る。
駆け寄ろうとしたけれど、フェルワンドのとてつもない
ふぐうぅ、やっぱりとんでもないわ、魔獣って! こうして立てている自分が不思議なぐらいだわ!
『鬱陶しいわ!』
フェルワンドが左足、右足、の順にブンブンと前へ振り払った。ハティとスコルが簡単に振り解かれ、宙を舞う。
「“風よ、包め!”」
フェルワンドの動きで巻き起こった風を軸に、竜巻を発生させる。右に左にと動いてハティとスコルを捕獲、どうにかマグマの海にドボン!を防いだ。
『ふえぇぇぇ……』
『うぅーん……』
竜巻に巻き込まれ、目を回したらしい二人がボテボテッと地面に落ちてきた。二人に駆け寄り、ガシッガシッとそれぞれの頭部を両手で掴む。
「あんたたちは! 聖女シュルヴィアフェスに頼まれた『フォンティーヌを守る』という使命があるでしょうが!」
『もう、いいもん』
「いい訳ないでしょ!」
『だーって、それはもうマユに伝えられたしさ』
『マユ、護るって。決めたもん!』
『そうそう!』
「こんのバカ!」
ゴン、ゴン、と二人の脳天を拳骨で殴る。
『痛いのー!』
『いってーよ! ここ、殴るとこか!? 感動しておっぱいスリスリするとこだろ!』
「んな訳ないでしょ! 聖女シュルヴィアフェスの聖獣は、あんたたちしかいないのよ! 役目を放棄するんじゃないわよ!」
嬉しいよ。涙が出るほど嬉しいけど、それだけは駄目!
魔精力が豊富なだけの人間なら、これから先もきっと現れる。
だけど、ハティとスコルは聖女の力を分け与えられた唯一の聖獣なんだから!
『――茶番は、もういいな』
しばらく成り行きを見守っていたフェルワンドの雰囲気が、急にガラッと変わった。地を這うような低い声が辺りに響く。
『いい加減、おとなしくしておけー!』
その大きな顔を左上にブンと振り上げた後、正面に振り下ろして大きく裂けた口をめいいっぱい開く。
赤と黒が混じり合った不気味な靄がものすごい勢いで吐き出され、私達三人を取り囲んだ。目の前のフェルワンドの姿も全く見えなくなるほどの、もったりとした高密度の靄。
「ぐ……」
――これ、毒だ!
そう気づいて慌てて鼻と口を押えたけど、手遅れ。視界がぐにゃりぐにゃりと歪み始める。
立っていられなくなり、ガクッと膝と腕を付いた瞬間、胸ポケットからポロリと何かが零れ落ちた。そのまま点々と転がっていき、手を伸ばしても届かないところまで離れていってしまう。
そうだ……クロエがくれた、どうしても困ったときに使えと言っていた桃色の石。風魔法で解除できるとか言ってたっけ。
今使わなきゃいつ使うのよ、ってね!
「か……“風の刃”!」
寝そべりながら死神メイスをわずかに動かし、地面に転がった桃色の石を狙う。
私が放った風はパーンと派手な音を立てて石に当たり、宙に舞って弾け――辺りにうっすらとした桃色の靄が溢れ出した。
『はーい、アタシをお呼びー?』
「ひえっ!?」
耳に飛び込んできたのは、野太い声のオネエ言葉。
何か間違えたっけ、と思いながら顔を上げる。
薄い桃色の体躯に濃い桃色の鬣、真っ白な翼を持つ一角獣が目の前に立っていた。
脳裏にアトリエのキャンバスに描かれていた魔獣達の姿が思い浮かぶ。
そうだ……桃色の魔獣と言えば、『風のユーケルン』だ!
ピンクの一角獣がその真っ白な翼をはためかせたと同時に、桃色の靄がパアーッと辺りに広がる。
『“
そのぶっとい声が鳴り響いたと思ったら、ぽうっと身体の中心が暖かくなった。取り巻いていた赤黒い靄はすっかり消えてなくなり、ふっと身体が軽くなる。
『じゃあねぇん、バイバーイ!』
ユーケルンは陽気にそう言うと、しゅんっと姿を消した。
多分、本物じゃなくて影。いわゆる通常の魔法陣の効果だ。
あれ? でも、どこにも魔法陣は現れなかったし、誓約呪文も聞こえなかったけどな? あと、何でオネエ言葉なの?
首を捻っていると、ユーケルンの癒しの風にあてられたらしいフェルワンドが、『ふぐぐ』と声を漏らし、少し苦しそうにしている。
『小娘、何をした?』
「え、えっと……」
どう答えたらいいものか口ごもった瞬間。
『ちょっと――! 今、アルバードの処女ちゃんが来てるでしょー!』
急に天から野太いオネエ言葉が響いてきた。さっきよりずっとはっきりした大声で、ワンワン辺りを反響させている。
宙を見上げる。薄い桃色の身体にショッキングピンクの鬣を靡かせた一角獣。さっき見た幻影より、遥かに色彩がハッキリしていて、遥かに
そのとんでもない桃色の魔獣が、大きな白い翼をはためかせ、とてつもないスピードでこっちに向かってくる。
嘘でしょお!? 今度は本物だ!
や、ヤバいわ! 二体目の魔獣を呼んじゃったわよ!
いや、自分の影を感じて自ら魔界からやってきちゃったのか、繋がってるから!
何でこうなったの!? ちょっとクロエ、何て物を私に託すのよー! 助かったことは助かったけど!
あああ、こういうのを万事休す、というのかもしれない……と、私は心の中で十字を切ったのだった。
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