●ゲーム本編[12]・ミーアは奮闘する

 『野外探索』二日目の朝。

 夜も白々と明けてきた頃、一羽の真っ黒なカラスがレグナンド男爵家の二階の窓をコンコン、とくちばしでつつく。


 その音で目を覚ましたミーアは急いでベッドから起き上がると、小走りで窓に駆け寄り、音がしないように気をつけながらそっと窓を開けた。

 バサバサと忙しなく部屋の中に入って来たカラスは、中央まで飛んでくるとフワーッと辺りに魔精力をまき散らした。カラスの概形が崩れて溶け落ち、あっという間にメイド姿の女性の形に変わる。


 浅黒い肌に蒼い髪、銀色の瞳、とこの世界の人間としてはかなり変わった容姿を持つ、メイドのサルサ。

 その真の名は、『カイ=ト=サルサ』。


 自分が食らった生物の姿を吸い取り擬態することができる、蝶の魔物。属性を持たないがゆえに八大魔獣に入ることができなかったものの、人語を解し大量の魔精力をあらゆる生き物から搾取した、限りなく魔獣に近い、ある意味魔獣すら超えるメスの魔物。


 『カイ=ト=サルサ』はミーアが修行のためにグレーネ湖の別荘に赴いた際に出会い、契約を交わした――極彩色・無属性の魔物。

 『孤高の魔獣』と言って差し支えない存在だった。


「お帰り、サルサ」

「ただいま。はぁ、疲れたわ」


 首をコキコキ鳴らしながらサルサがんーっと伸びをする。ミーアは部屋の中央に置いてある水差しを手に取ると、コップに水を汲み、サルサに手渡した。「ありがと」と受け取り、ゴキュッゴキュッと喉を鳴らして一気に飲み干す。


「どうだったの?」

クリスバカが召喚したヴァンクは、マリアンセイユを追ってフォンティーヌの森まで追いかけてたわ。途中だいぶん迷ったみたいだけど」


 一晩中迷子に付き合わされて大変だったわ、とサルサが大きな溜息をつく。


「それで?」

「マリアンセイユがフェルワンドを召喚してヴァンクを追っ払ったの」

「ええっ!?」


 フェルワンドを召喚!? 確かにフォンティーヌ家が所有する魔法陣はフェルワンドだけど、マリアンセイユ様がまさかその魔法陣を知っていたなんて。


 予想外の出来事に、ミーアは目を白黒させた。

 そもそもマリアンセイユが起きて動いているという事態がミーアにとっては未知のことなので、その裏で何が起こっているかなど知りようもない。


「マリアンセイユは、そのあとフェルワンドにどこかに連れて行かれたわよ。一瞬で転移したから、それ以上はもう追えなかったわ」


 仕方なくそのまま帰って来たの、とサルサが肩をすくめる。


「じゃあ、やっぱり魔界に連れて行かれたのかしら……」

「ミーアの筋書きじゃ、そうなの?」

「……」


 「そう」とも「そうでない」とも言えず、ミーアが黙り込む。


 ミーアが知っている『リンドブロムの聖女』のイベントの一つに、『ディオンの婚約者・マリアンセイユが魔物に襲われ行方不明になる』というものがある。

 シャルルやディオン、いわゆる大公子ルートに入っているときに起こり得るイベントで、特にディオンルートでは必須。

 本当ならばクリスが召喚するヴァンクによってなされるはずだったのだが。


 ただこれまでも、流れが少し変化してはいるもののディオンルートのイベントはきちんと発生したし、ミーアは全てこなしてきた。

 初めての出会い、誕生パーティでの再会、魔法実技場での密会など。


 それは勿論、ミーアがディオンに心惹かれたから。単なるゲーム攻略ではなく、ミーアは本気でディオンとハッピーエンドを迎えたい、と思っていた。

 しかし魔獣も関わる以上、このイベントにはこれ以上深入りしない方いい、とミーアは判断し、とりあえず成り行きを見守ることにした。


「サルサ、お疲れ様。今日は休んでて。私のベッド、使っていいから」


 テキパキとベッドメイクをやり直しながら、ミーアがサルサを労わる。

 この部屋ならば、勝手に誰かが入ってくることもない。サルサは本来の姿でのんびりすることができる。


「本当に? だけど、今日が箱探しの本番じゃないの?」

「うん、まぁ……」

「『金の箱』、取れてないんでしょ?」

「うん……」

「もう、仕方ないわねぇ。あらよっと!」


 サルサが瞬時に小さなネズミの姿に変わる。そしてタタタッと床を走り壁を登ると、かけてあった制服の右ポケットにズボッと頭から入っていった。


“あたしはココで寝るわ。何かあったら起こして”

「ついててくれるの?」

“主のためだからねぇー。じゃあ、おやすみー”


 ほどなくして、じっと耳をそばだてないと聞こえないほどの寝息が微かに漏れる。


 魔の者『カイ=ト=サルサ』は、他に類を見ない貴重な魔物。

 ゲームにおいてはいわゆる隠れキャラであり、彼女がいるのといないのでは最難関のディオンルート攻略の難易度が全く変わると噂されていた。

 ミーアは実際にゲームの中で彼女に会ったことは無い。裏イベントとしてある、と聞いていただけ。

 ほんの保険、それぐらいのつもりでサルサに出会えるグレーネ湖の別荘に行き、彼女と契約したミーアだったが。


 サルサは魔物だといういのに、慣れないメイド姿でつねにミーアの傍にいてくれた。学院でイジメられて泣きそうになりながら帰ってくると、宥めたり励ましたり背中を押してくれて、本当にミーアの唯一の味方になってくれた。


 辛そうなミーアに、サルサは自分を使え、と誘いをかけてくる。しかし『人を惑わす妖艶な魔物』と聞いていたミーアは、なかなかサルサを頼ろうとはしなかった。

 その申し出を断ると、サルサは淋しそうな顔をする。それが時々、ミーアの胸を苦しくさせた。


 長く一緒の時間を過ごせば、それだけ情も湧いてくる。

 サルサはいつもミーアに親身になって接してくれた。魔法なんて使わなくても、ミーアにとってサルサは心の拠り所であり、最後の砦だった。



 ――やっと、ここまできた。すべては『野外探索』を終えるまでよ。その後はもう、運を天に任せるしかないのだから。


 開けたままにしていた窓から初冬の冷たい風が吹き込み、ミーアの右耳の桃水晶のイヤリングを揺らした。

 サルサとの絆、契約の証。

 ミーアはそっと桃水晶に触れると一つ頷き、ゆっくりと窓を閉めた。



   * * *

 


 二日目、ミーアとシャルル、ベン、アンディによるロワーネの森の探索は微妙な雰囲気の中で進んでいた。

 ミーアはマリアンセイユのことが気にかかっていたし、シャルルとベンはミーアがディオンに本気で恋をしているのではないかと感じ始め、焦りを感じていたからだ。


 そして『銀の箱』の中身を3つ入手し終えたアンディは、ミーアを放っておくことができずにクリア申請をせず、探索に付き合っていた。

 しかし時間が経つにつれ、「どうしてあのときクリアしなかったんだろう」という後悔の念の方が大きくなる。

 ついに、

「申し訳ないけど、僕は離脱してクリアに向かうよ」

と宣言した。


「せっかく見つけた『金の箱』、もう空だっただろう?」


 つい先ほど見つけた『金の箱』は、すでに解錠されており中身は空だった。

 残っていた魔精力の気配から水魔法で施錠されていたものだと分かり、アンディは

「もう僕がここにいる意味は無い」

と感じたのだ。


 『金の箱』は、各属性に付き一つずつしか無い。つまり、水魔法のスペシャリストであるアンディは、もう宝箱解錠の協力はできないのだった。

 他に協力できることがあるとすれば、『金の箱』解錠時に出現する魔物のイミテーションとの戦闘だけ。


「おい、待てよ。確かに『水』は取られていたが、まだ他の属性は残っているだろう。それに『水』が空だったということは誰かが『金の箱』を入手した、ということだろ。お前はそれでいいのか?」


 ベンがアンディをけしかけるように反論する。

 魔物との戦闘に関して言うと、防御魔法に長けたシャルルでは戦力にならない。ベンとしてはアンディがいてくれた方が心強かった。

 ミーアも自分も攻撃属性は炎しかない。もし炎に強い敵だったからかなり苦戦することになる。


 しかしアンディとしては、便利に使われるのは我慢ならない。

「僕はもともと『銀の箱』狙いだった。張り合うつもりはないよ」

と努めて冷静に言い返した。

 実際に、もうどうでもいいという気持ちの方が強かった。アンディはもともとミーアを助けたかっただけで、ベンを助けたかったわけではない。


「ベンも、あと1つで銀の鍵が揃うだろう? ミーアはとっくに揃えているんだし、早く集めてクリアした方が賢明だと思う。『金の箱』は探索にも時間がかかるしね」

「……っ!」


 ベンはギリッと奥歯を軋ませた。

 まるでミーアの足を引っ張っているのはお前だ、とでも言われたように感じたからだ。いやそうではない、ミーアは自分に気持ちがあって、だから探索に付き合ってくれているんだ、と強引に思い込もうとしたが、それも難しかった。


 ミーアは恐らく、自分と同じように『金の箱』を狙っている。

 何としても『聖なる者』になり、ディオンに少しでも近づくために。


「わかった。探索に時間がかかるなら、こうすればいいだろ!」


 すっくと立ち上がったベンはスタスタと足早に歩き始めると、やや開けた荒れ地で足を止め、地面に魔法陣を描き始めた。


「ベン、何を……」

「しっ、シャルル様! アンディも下がって」


 声をかけようとしたシャルルをミーアが慌てて止め、二人の腕をぐいぐい引っ張ってベンから距離を取る。


「シャルル様、防御魔法の準備を念のためお願いします」

「それはいいが、どうしてだ?」

「ベンが描こうとしているのは――恐らく、聖女の魔法陣です。ヘイマー家が所有する、『火のガンボ』を」

「何だって!?」


 下流貴族であるアンディは、上流貴族八家が聖女の魔法陣を所有していることは知っていた。しかし魔法陣そのものを見たことはなかったため、そのことに全く気づかなかった。

 ひどく驚いて再びベンを――そしてベンが描いている魔法陣を見つめる。


 アンディはベンに声をかけて止めさせるべきだと主張したが、ミーアは首を横に振った。

 一つの文字、一つの記号でも書き損じれば、魔法陣は失敗して術者に返ってくる可能性がある。魔法陣を描いてもベンの力ではガンボを召喚できるかは分からない。力が足らなければ、不発で終わるだけ。

 そちらの方がまだ安全だ、というのがミーアの主張だった。


「『火のガンボ』の効果は?」

「確か『炎の刃ファイアエッジ』か『覗き見ハイド・サーチ』だと思いますが……さっきのやりとりから考えると、『覗き見ハイド・サーチ』でしょうか」


 シャルルの問いに、歴史学のテキストに書かれていた火のガンボの特性を思い出しながらアンディが答える。

 魔王侵攻時のガンボの主な役割は、魔王の斥候。先陣を切るフェルワンドのために必要な情報を集める役目。

 恐らくベンは、火のガンボに『金の箱』を探させるつもりなのだ。


「これで、どうだー!」


 最後の一文字を描き終えたベンが、ドン、と地面に杖を付く。

 魔法陣の輪郭の円にそって、ポッポッポッと炎がついた。


「え……」


 描いた本人であるベンが、魔法陣の異変に気付いて声を上げる。


 本来なら、魔法陣からガンボの影がボンッと現れ、「金の箱を探せ」という命令の下、すぐに飛び立つはずなのに。

 なぜ炎が現れる? どうして感じたことのない魔精力の波が襲ってくるんだ?


「いけない、ベン、下がるんだ!」

「わああー!」


 アンディの声は、ベンの耳には届かなかった。

 魔法陣の中央が陽炎のようにゆらめいたかと思うと、真っ赤な物体が現れた。

 歪な魔精力オーラを炎に変えて振りまきながらひゅうっと上空に上がる。

 何が起こったのか解らなかったベンは、腰を抜かし、尻餅をついた。


『何だぁ~? ワイに、箱を探せだって~?』


 キシャキシャキシャ、とガンボが甲高い笑い声を上げる。

 空駆ける赤い鷹、火のガンボ。頭から翼、身体、尾に至るまですべて血のような赤色。尖った嘴は黒で、朱色の長い舌がチロチロ出たり入ったりしている。


『いい度胸してんな、ワレ~!』


 バサバサッとガンボの翼が激しく揺れ動く。ヒュウウ、と息を吸い込むと、顔全体が口になったか思うくらい大きく菱形に広がった。朱色の舌が目まぐるしく回転し、何十という『炎の刃』が吐き出される。


「うわあ――!」

「“水の防御幕ウォータースクリーン”!」


 魔法を使う余裕もないベンが、あてもなく逃げ惑う。その頭上を、アンディの放った水魔法が揺らめく大きな布地のように広がり、間一髪『炎の刃』を食い止めた。

 ジュワッ、ジュワワッという音と共に、水の布に当たった刃が蒸発する。


『おおっ、お仲間~? やるじゃーん!』


 ガンボは宙で身を翻すと、樹の上に止まりミーアたちを見下ろした。

 ミーアたちの元に戻って来たベンと、水の防御幕ウォータースクリーンを消したアンディがそれぞれ『炎の矢』『水の矢』を放つが、ガンボに当たる前にボシュン、と消えてしまう。


「防御魔法はかけてるか……そりゃそうだよな!」


 ベンが悔しそうに歯ぎしりする。

 その成り行きを見守っていたシャルルが宙のガンボを睨みつけ、続けて振り返ってミーアを見つめた。


「よし、俺が二重防御壁を構築する。その間に、お前たちは逃げろ」

「えっ!?」

「そして近衛部隊に連絡するんだ。それまでは持ち堪えてみせる」

「駄目です!」


 ミーアがブンブンと首を横に振る。


「シャルル様を盾に逃げることなんて、臣下たる者、そんなことできる訳がありません!」

「今はそんなこと言ってる場合じゃねぇだろ! いいから逃げろ!」


 ミーアの腕を振りほどき、シャルルが全神経を集中し始めた。シャルルの中の最上級の防御魔法でなければ、ガンボの攻撃をしのぐことなどできる訳がない。かなりの魔精力を練る必要があり、準備がかかる。


『な~に~、作戦会議? 言っとくけど、ワイの狙いはそこのノッポだけやでぇ?』


 ベンを馬鹿にした目で見下ろしながら、キシャッ、キシャッとガンボが楽しそうに嗤う。


『約定違反になっちまうからねぇ~。だけどぉ――間違って当たっちまったら、知らねぇよっと!』


 ガンボがムンッと一瞬体を縮こまらせると、背中から左右に新しい翼が生えた。そして勢いよく樹から飛び立ち、身体の内側の翼で羽ばたきながら、外側の翼を大きく広げる。


 ガンボが翼を増やせるなんて魔獣の項目には書いていなかったし、『炎の刃ファイアエッジ』以外の攻撃魔法なんて見当もつかない。

 ベンとアンディは呆然として不敵に嗤い続けるガンボを見上げた。


『さぁて、いっくぜぇ~~!』

「“森に棲みたるフィ=ソール=ラ……”」


 ガンボの耳障りな声を遮るように、シャルルが詠唱を始めた途端。


「――“出でよ、古の水の魔獣、『サーペンダー』”!」


 いつの間にか三人を庇うように前に出ていたミーアが、桃水晶の杖を大きく振り払い、天に向かって叫ぶ。

 ミーアの制服の右ポケットから飛び出たネズミが、その姿を紫の大蛇に変えた。


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