◉ゲーム本編[2]・ミーアは失敗する

 銀の翼が淡い桃色の光を放つ丸い桃水晶を戴く形のミーアの杖。その先が、一瞬だけピクリと震える。

 模精魔法科の炎魔法の授業を受けるために魔導士学院の実技講義室に足を踏み入れたミーアは、子爵男爵令嬢のグループからやや離れた上段の席に、一人の少女の姿を見つけた。


 マリアンセイユ・フォンティーヌ公爵令嬢。上流貴族八家筆頭、この学院にいる誰よりも身分が高く、誰よりも大公家に近い少女。

 ミーアと同じ16歳で、大公世子ディオン・リンドブロムの婚約者。現在は、特別待遇でリンドブロム聖者学院特別魔法科に入学。ディオンの弟であるシャルル大公子と二人、特別カリキュラムを受けている、と聞く。

 ――本来なら、フォンティーヌ領の僻地パルシアンで眠り続けていたはずの少女。


 マリアンセイユはその透き通るような碧色の瞳をゆっくりと瞬きしミーアに目礼すると、再び机の上に広げている本に目を落とした。美しく手入れされた藤色の髪がふわりと肩から腕へと流れ落ちる。

 その優雅な一連の所作からは、何の感情も滲み出ていなかった。公爵令嬢として下々の貴族令嬢に挨拶をしただけ。他の令嬢から感じるような侮蔑も嫉妬も同情も、何も感じない。

 それが逆に、ミーアの心に焦りをもたらした。

 

 二か月ほど前、城下町で評判になった癒しの力をもつ少女。『聖女の再来ではないか』と噂された孤児院育ちのミーアは、ほんの一カ月ほど前にレグナンド男爵の娘と認められ、いきなり貴族の仲間入りをした。

 鳴り物入り、悪く言えばゴリ押しで聖者学院に入学したミーアは、十分な教育を受けていない。身につけなければならないことは多く、在籍している創精魔法科だけでなく、模精魔法科の授業も受講した。時間割はほぼすべて埋まっている。

 きっとその先々で自分に向けられるであろう悪意に耐え、父の期待に応えねばならない、と覚悟していたのだが。


 マリアンセイユが入学したことで、人々の関心の大半はマリアンセイユに持っていかれた。ミーアと同じくほぼすべての時間を授業で埋めていたマリアンセイユは、近衛武官を連れてあちらこちらへと姿を現した。

 同じ年頃の少女とは思えない完成された美貌と確かな後ろ楯、約束された未来。

 それらは貴族令嬢たちの妬みや誹りの的になって然るべきだった。


 おかげでミーアへの嫌がらせも無くは無かったが、予想以上に軽いものだった。

 それは確かにミーアを救うものだったのだが……同時に、ただ一人の『聖なる者』を目指すミーアにとっては自分の立場を脅かすことにもなった。


 『聖女の再来』と噂された孤児が男爵令嬢となり、数々の苦難に耐えながらも伸し上がり、ついには『聖なる者』を勝ち取って唯一無二の存在になる。

 レグナンド男爵も、そしてミーア自身も思い描いていた成功への軌跡に、マリアンセイユの存在が影を落とす。


 負けられない――人知れず呟いたミーアは、その淡い光を放つ杖をギュッと握りしめた。


 その気負いが、失敗をもたらした。炎魔法の実技で、ミーアは必要以上の魔精力を放出し、実技講義室のシールドを壊してしまった。

 幸い生徒達に怪我は無かったものの、授業は中止。ミーアのせいで実技ができなかった生徒の不満が爆発した。

 そしてミーアよりも前に炎魔法を披露し、まるで引き立て役のようになってしまった令嬢たちの不満も。



   * * *



 炎魔法の教師である大公宮魔導士に溜息をつかれ、魔導士学院の院長にも事情を説明して深々と頭を下げ、ミーアは自分の未熟さに自己嫌悪しながら、おぼつかない足取りで魔導士学院を出た。

 しかし聖者学院の敷地に入る前に、四人の令嬢がミーアの前に立ち塞がった。


「ミーア・レグナンド。こっちに来て」

「嫌とは言わせないわよ」


 般若のように目を吊り上げた令嬢達が木陰の向こう、人目につかない場所を指差す。反抗する立場にないミーアは大人しくついていった。

 ドンッと壁際に追いやられ、四人の少女がぐるりとミーアを取り囲む。


「ちょっと、どういうつもりよ!」

「あんたのせいで、私の実技ができなかったじゃない!」

「もてはやされてるからっていい気になってるんじゃないの!?」


 令嬢たちは、そもそもミーアが気に食わなかった。

 マリアンセイユという巨大な存在が立ちはだかっている以上、『聖なる者』に選ばれても大公妃は難しい。そして、シャルル大公子にすら会えない状態。

 それならばせめて貴族子息たちの目に止まらぬか、と日々美しさに磨きをかけている令嬢たち。

 しかし、彼らが声をかけるのはミーアばかり。ミーアにそのつもりがなくとも、立派な家の見目麗しい子息たちをはべらかし、手玉に取っているように、少女達には見えた。


「……すみません」


 ミーアには言い返す気力も無かった。いい気になどなってはいないが、実技講義室を壊し、授業を潰してしまったのは明らかに自分である。

 彼女に出来るのは、精一杯申し訳ないという気持ちを込めて謝る事だけだった。


「あなたみたいな市井育ちがこの学院にいるというだけで、ゾッとするわ」

「本当、いい迷惑よ」

「そうよね。格が落ちるというか」

「退学しなさいよ。その方が身のためだと思うわ」


 それだけは、できない――私はリンドブロム聖者学院に入るために、男爵令嬢にしてもらったようなものだから。


 内気で心優しいミーアにも、譲れないものはある。俯いたままキュッと唇を噛み、何も答えない。

 言葉を発せずとも、断固拒否という意思は令嬢たちにも伝わった。彼女達の声のトーンがますますヒートアップする。


「ちょっと! 何とか言いなさいよ!」

「本当にふてぶてしいったら!」

「育ちが卑しいと性根も腐ってるのね」

「みっともないったらありゃしない!」


 罵声を浴びながら、ミーアはじっと耐えた。

 何をどう言えばこの場から解放されるのだろう。

 そう考え込んだものの、ミーアが答えを見つけられずにいると。


「――みっともないのは、どっちかな」


 少し高めの少年の声が五人の耳に飛び込んできた。ミーアを囲んでいた四人の少女が顔を引きつらせ、声がした方へと振り返る。


 少年の黒い瞳が、明らかに非難の色を帯びていた。視線の先は、勿論四人の少女達の方。

 黒い髪がさあっと風に靡いて左耳が露わになる。青の8の字型のピアス――水魔法の最高呪文まで極めた者の証。


 アンディ・カルム子爵子息。すでに聖女騎士団の小隊長として任務に就いており、来年には中隊長、そして五年以内には爵位を継いでカルム子爵となるはずの青年。魔導士としての実力は上流貴族子息であるベン・ヘイマーを上回るという。

 聖者学院には、一時的に離職する形で入学していた。より水魔法を洗練されたものにし、知識や見聞を広げるために。


「いえ、私達、別に……」

「ねえ?」


 少女たちが慌てたようにお互いに顔を見合わせ、笑顔を作る。

 カルム子爵家は当然、彼女達も有力な嫁ぎ先と認識していたし、アンディ自身が非常に魅力的な青年だった。ミーアを苛めている現場を見られたのは、彼女達にとって大きな痛手だった。


「あ、あの……」


 そのとき、一人の少女の目に足早に聖者学院へと向かうマリアンセイユの後ろ姿が映る。

 ふっとある考えが少女の脳裏をよぎった。


「私達が言ったんじゃないんです。マリアンセイユ様が、そうこぼしてらっしゃったから!」

「えっ……」

「あっ、そうそう! そうなんです」

「きっと授業が中断されたことにお怒りだったんですわ」

「そうよね!」

「……そんな、まさか」


 アンディが呆然と呟き、驚いたようにミーアを見る。しかしミーアの立場では、肯定も否定もできない。

 実際ミーアも、マリアンセイユがどう思ったかなどは知る由もなく、少女たちの言葉は本当かもしれない、と考える余地もあった。

 しかしミーアに殆ど興味を示さなかったマリアンセイユがそんなことを画策するとも思えなかったが、だからと言ってミーアは少女たちの言葉を否定する根拠も持ち合わせていなかった。


「とにかく……私達は、伝言を伝えただけですの」

「そうですわ」

「それではこの辺で……」

「え、ええ! 失礼いたしますわね」


 少女たちは微妙な笑顔を浮かべつつ裏庭を去っていった。

 ミーアは虚ろな目で彼女達の後ろ姿を見送ると、アンディに向き直った。


「……声をかけて頂き、ありがとうございました」


 どうすればあの吊し上げから逃れることができるか分からず途方に暮れていたミーアにとっては、アンディが現れたことは紛れもなく幸運だった。

 ホッとしたように息をつく。やっと楽に思った通りの言葉を発することができる、とでも言うように。


「大丈夫かい?」

「はい」


 そう答えたミーアは一瞬迷ったような表情を見せたが、きゅっと唇を噛み、軽く頷いた。


「仕方がありません。私は、皆さんが仰るように至らないところも多いですから」

「……」

「そのために、聖者学院に来たんです。少しでも、自分を誇れるようになるために」


 ミーアの声に力が籠り、水色の瞳が輝きを増す。

 その力強さに、アンディはハッとさせられた。少女の横顔に見惚れてしまう。


 彼は、授業前にミーアに声をかけた少年たちのような邪な気持ちは一切無かった。

 可哀想に。慣れない場所で苦労して、頑張ったのに蔑まれて。

 そういう同情の気持ちでつい声をかけただけだったのだが。


 何て強い志の持ち主なんだろう。こんな可憐な容姿の中に、どれほどの情熱を秘めているのだろう。

 アンディは一人の人間としてミーアを尊敬し、またその真っすぐな眼差しはどこに向かうのだろう、自分に向けてくれることもあるだろうか、と思ってしまった。


「僕は、アンディ・カルム。模精魔法科だよ」

「アンディ様……」

「やめてよ。聖者学院の学友なんだから。アンディって呼んで。敬語もやめてね」

「……はい。ありがとう、アンディ」


 ミーアがアンディと視線を合わせ、ふふっと小さく声を上げて微笑む。かすかに揺れた肩に合わせ、右耳につけられている桃水晶のイヤリングもゆらゆら揺れた。

 アンディは胸が高鳴るのを感じながら、同じようにミーアに微笑み返した。

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