第6話 やっとホッとできるわ

「スコルー! 会いたかったー!」

『マユー!!』


 太陽の光があふれる黒い家リーベン・ヴィラの庭で、灰色の無邪気な狼、スコルとひしっと抱き合う。

 んー、もふもふもふもふ、一週間ぶり! 癒されるぅ~~!


『あー、おっぱいサイコー!』

「揉むな!」


 ゴンッとゲンコツをかますとスコルが「キャウッ」と小さく叫び、ぶふーと不満げに息を漏らした。


『ケチケチすんなよー、減るもんじゃなし』

「どこで覚えてくるのよ、その言い回し」


 こんなしょーもないやりとりも、一週間ぶり。

 入学式の前日、ロワネスクのフォンティーヌ邸の離れの塔で会ったっきり。

 召喚して、二人に

「明日からしばらくは新しい生活に慣れないといけないから召喚できないの。だけどおとなしくしててね。学院にひょっこり現れたりしちゃ駄目よ」

と言い含めた。ハティは

『マユ、淋しいー』

とキュンキュン鳴き、スコルは

『お菓子もお預けか……』

と憎たらしい口をきいていたんだけど。


 そして最初の一週間が終わり、週末、私はヘレンと共にパルシアンに帰ってきたのです。


「マユ様、準備ができました」


 バルコニーにスコーンやらマフィンやら並べたヘレンが嬉しそうに笑う。手作りお菓子を

『オイシー、オイシー』

と言って食べてくれるハティ達は、ヘレンにとっては上得意のお客様だ。


「じゃあ、ハティを呼ぼうか」


 小指にはめた銀の指輪をおでこにくっつける。

「ハティ、おいで!」

と呼ぶと、ポンッとその場にハティが現れた。

『マユ、マユー!』

と叫び、びょーんとジャンプして胸に飛びついてくる。


「久しぶり、ハティ!」

『ン、ン』

「いい子にしてた?」

『ウン!』


 私の腕に抱きかかえられたまま、すりすりすり、と胸に頬ずりをしてくる。

 そんな私たちを見上げたスコルが、不満そうに頬を膨らませていた。


『マユー、態度が違い過ぎじゃねぇ?』

「ハティは胸を揉んだりしないもの」

『んー、じゃあぷにぷにっと押すぐらいならセーフ?』

「イヤラしさが無ければね」


 そのまま三人でバルコニーへ。私とヘレンが向かい合わせに座り、スコルとハティは足元へ。ヘレンが二人のために皿に入れた水を並べた。その横には、二人が食べやすいようにとお菓子を平たく盛り付けてある。


「はああ、やっぱりココはいいわね。ロワネスクに帰りたくないなー」


 ヘレンが淹れてくれた紅茶の香りを嗅ぎながら、溜息混じりに本音が漏れる。

 スコルがモグモグと口を動かしながら、ついっと顔を上げた。


『帰らなきゃいいじゃん』

「そういう訳にもいかないのよ」

『ココなら、ハト、毎日マユと、会えるのに』


 続けてハティがけぷっと甘い息を吐きながらぼやく。ペロリと口の周りを舐め、「ずっとここにいようよ」とでも言うようにじっと私の顔を見上げた。

 わしゃわしゃと頭を撫でてやり「そうだねー」と独り言のように呟く。


 リンドブロム聖者学院の奥に広がる森は、ロワーネの谷の森林地帯に繋がり、そのままフォンティーヌの森へと続いている。ハティ達の足なら1時間もあれば来れるのだけど、学院だと誰に姿を見られるか分からない。


 そしてロワネスクの本邸ともなると、魔導士学院や騎士学院、リンドブロム城の関所、それに数々の邸宅の横を擦り抜けてこなければならないのだ。そのように賑わっている城下町の中央、貴族邸宅街の石畳を駆け抜ける灰色の狼なんて、目立つに決まっている。


 昼しか動けないスコルは勿論、夜しか動けないハティにも、

「走って来れるからって絶対に来ちゃ駄目よ」

と強めに言った。

 二人はそもそも、人間界にいる時間は長くとも人間とは一切関わってこなかった。彼らが知っている人間は、魔王の元に赴いた後の聖女シュルヴィアフェスだけ。

 自分たちが人間の前に現れることの危険性は理解していて、

『わかってるよー』

『ウン』

とおとなしく頷いていた。


 だからロワネスクで二人に会えるのは、私が離れの塔で召喚したときだけ。つまり、わずか1時間なのよね。

 その1時間すらも、この一週間は絶っていたのだけど……。


『ここだと、ハト、マユをちゃんと、守れるのに』

「嬉しいけどね。今は、攻めるときだから」

『あのシケンとやらみたいに? こえー』

「ちょっと意味は違うけどね」


 後には引けない戦いの場に臨んでいる、という意味ではその通りかな。


『無くなった。ヘレン、お代わりあるー?』


 あっという間にお菓子を食べつくしたスコルが上機嫌でヘレンに話しかける。


「ございますよ。お持ちしますね」

『わーい!』


 同じく空っぽの皿を舐めていたハティが嬉しそうな声を上げた。二人に微笑みかけたヘレンがバルコニーの奥に消える。

 一度外に出て、黒い家リーベン・ヴィラの近くに建っている、かつてアイーダ女史とヘレンが住んでいた一軒家に取りに行ったのだ。


『シケンと言えばさ』


 急にスコルが改まった口調で切り出した。


『ムリヤリ魔界うえから穴を開けたから怒られた。だからアレはもうナシな』


 真面目くさった顔でボソリと言う。

 そうか、これを私に伝えたかったからヘレンを遠ざけたのか。二人は昼と夜、それぞれ魔界にいるって、ヘレンは知らないものね。


 ……ってちょっと待って、怒られたって誰に!? まさか……っ!


「魔王に怒られたの!?」

『うんにゃ、じーちゃんに』

「……じーちゃん?」

『えーと、グラ、じゃなくて、えーと……アッシメニアのじーちゃん』

「……ええっ!?」


 それって『アッシメニアの峡谷』の名前の由来にもなってる、四大王獣の一体じゃないの!?

 聖者学院の『歴史学』の授業のテキストに書いてあったわよ。魔獣に関する本は読んだこと無かったから、興味があってそこだけ先に見たんだもん。


 水のアッシメニア。体長20mはある銀の大鰐。水辺に潜み、動きも緩慢でいつも目を閉じているという。硬い銀の鱗に覆われたその巨体を目撃した人間は、数えるほどしかいない。

 なぜならば、ひとたびその眼が開かれ空虚な二つの黒穴に見入られた生物は、あっという間に塵へと化すから。


 かの魔王侵攻では、サーペンダーによって魔王の元へ献上された穢れた大地を預かり、ひと睨みで歪んだすべての生物を塵へと化し、ブレフェデラへ再生を促した、と言う。

 想像を絶する、大物中の大物! 実在してるんだ! 今も!


「しっ、知り合いなの!?」

『んー、ルヴィがいなくなってから、ちょーっと面倒見てもらってた。魔界うえで』

『穴、開けたから、魔界、揺らぐって。まおー、起きるかもって』

「ええっ!?」

『バカ、ハティ。ソレ内緒って言っただろ?』

『ごめーん』

「ちょ、ちょっと待って?」


 何だかいろいろと聞き捨てならないことを聞いた気がして、グイッと二人の頭をこっちに向かせる。


「魔界が揺らぐって、何?」

『魔界の風が人間界に吹くからさ。揺れるじゃん』


 つまり、台風の日に不意に扉を開けたようなもの?


「揺れるとどうなるの? 人間界に魔物が溢れたりするの?」

『だいじょぶ、今んとこ何ともねぇ』

「じゃあ、魔王が起きるっていうのは?」


 間髪を入れずに聞くと、スコルがジロッとハティを睨む。口を滑らせやがって、といったところだろう。ハティが“ごめんなさい、ごめんなの”と思念で必死にスコルに謝っていた。


「大丈夫、誰にも言わないから。魔王って眠ってるの?」

『そー。ルヴィがいなくなって、あっという間に人間界に興味をなくしてフテ寝したって、じーちゃんが言ってた』

「フテ寝……」

『寝るのに飽きたら起きるだろって』

「どこで寝てるの?」

『そりゃ、魔王城で。……っても、俺たち行ったことないし』

「じゃあ、二人は魔王に会ったことがないのね?」

『うん。だから言っただろ、俺たちはこっちの生まれなんだってば』

『まおー、知らなーい』

「そうか……」


 とりあえず、余計なことを聞いたら即座に魔王がズバーン、の心配はなさそうだ。私が誰にも漏らさなければいいことよね。二人は私を信頼して話してくれたんだし。

 ついでに色々聞きたいところだけど、二人はそんなに魔界には詳しくなさそうだし、これ以上は無理かな。アッシメニアにも口止めされてるみたいだし。

 そうだ、この会話もアッシメニアには聞かれているのかもしれない……って、アッシメニアに塵にされる未来はあり得る!

 ちょっと! 私の立場ってアチコチで危ない!


「うーん、うーん……」

『マユ、だいじょぶかー?』

『ダイジョブー?』


 両肩にズッシリと色々なモノが乗っかっている気がする。

 誰かにこうしなさい、と言われたわけではないのに、なぜこんなにプレッシャーを感じないといけないんだろう。私の一挙一動で何かが大きく動いてしまうのではないか、という不安がある。

 まさかね。私は、このゲームではモブキャラなのに。


「うん、大丈夫。とにかく……やっぱり引っ込んでちゃ駄目ね。外に出ないと。情報収集って大事だわ」

『外ー、外で遊ぶー!』

『そういや西の森の奥にミカヅキバナがいっぱい咲いてるとこがあんだよ。今が見頃なんだ』

「へぇ、ミカヅキバナ」

『行こうぜ』

「いいわよ。スコルにしてはロマンチックな提案ね」

『女は花が好きだろ?』

「だからあんたは、どこでそんな台詞を覚えてくるの?」

『ミカヅキ、バナ。ハトが見つけた。お昼、見たかった』

「そっか、夜じゃよく分からないものね。一緒に見ようね、ハティ」

『マユを背中に乗っけんのはオレだからなー』


 そんな会話をしていると、ヘレンが籠いっぱいにお菓子をつめて戻ってきた。灰色の二匹の狼がぴーんと耳を立て、「待ってました!」とばかりにぴょんぴょんとその場でジャンプする。


 ああ、和むなあ……。今日と明日はしっかり休んで、心の洗濯をして。

 そして鋭気を養って、また学院に戻ろう。

 マリアンセイユ・フォンティーヌ公爵令嬢としては、敵前逃亡なんて情けない真似はできないもの。

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