第7話 大公子妃か聖女か

「はあぁぁぁぁ!」


 大きな声が出て、自分の声にびっくりして飛び起きる。

 右手に見える大きな窓からは朝日が差し込み、バルコニーの手すりには庭の小鳥が止まって鳴いていた。

 その向こうに見えるアルキスの山と青い空。絵に描いたような、さわやかな朝。


 ベッドから飛び降りてそばに置いてある室内履きに足を突っ込み、もつれそうになりながら窓に近づく。

 バルコニーに出る扉の鍵は、ちゃんとかかっていた。


『大公世子ディオンと結婚して大公子妃になることと、かつての聖女のような唯一無二の魔導士になること。――マユは、どちらを望むのですか?』


 真剣な表情で問いかけたセルフィス。だけど……その問いに答えた記憶がない。あのまま気を失ったんだろうか。

 それとも、真夜中にセルフィスと会ったこと自体が夢だったの?


 ぎゅっと、左腕で自分の右腕を握る。

 掴まれた感触を、今でも覚えている。小さく呟いた、何かをひどく悔いるようなセルフィスの声も。


「マユ様? 失礼いたします」


 コンコンというノックの音と馴染みのある声が聞こえ、ハッと我に返る。

 扉をカチャリと開けて、ヘレンが入ってきた。


「え、ヘレン!?」

「要請を受けて、今朝こちらに到着いたしました」


 ヘレンがきっちりと体を45度に曲げる。


「要請……」

「しばらく子爵家にお世話になることになりそうだ、とアイーダ女史から連絡が来まして」

「そうなんだ……」

「そっ、それより……っ」


 ヘレンの細い三日月形の瞳があっという間に洪水を起こす。

 そしてガバーッとすごい勢いで抱きつかれた。ぎゅうう、とヘレンの両腕が首に巻き付いてくる。

 ううう、苦しい、苦しい。タップタップ。


「へ、ヘレ……」

「心配しましたー! お身体は大丈夫ですか!?」

「うぅ、だいじょぶ……」

「護り神様とは聞いてましたけど、まるで人さらいでしたし! かと言って追いかけることもままならず、誰かに相談することもできず、本当にどうしたらよいかと!」

「う、ごめ、ごめんね?」


 どうにかヘレンを宥めすかして首に回った腕をふりほどく。

 一度ソファに座って落ち着かせ、その後のことを聞いてみた。


 とりあえず大急ぎでアイーダ女史に手紙を書いて、集めた草を運ぶのに旧フォンティーヌ邸に来たニコルさんが「マリアンセイユ様は?」と不思議がるのを「別室でお休みです」と誤魔化しつつ庭を綺麗にし、アイーダ女史から返事がくるのをひたすら待っていたらしい。

 マリアンセイユの存在は極秘、大騒ぎするのはご法度と公爵を頼ることもできず、ひたすらガマンの子だったのだ。


 ヘレンはロワネスクのガンディス子爵邸に手紙を出したから、その手紙が転送されてアルキスに届いたのは夜になってからだった。アイーダ女史がすぐさま返信をし、ザイラ様に頼んでヘレンを迎えにやったのは夜中のこと。

 一睡もせずに門からほど近いほったて小屋みたいなところ(大昔に門番が交代で仮眠をとるための小屋だったらしい)で連絡を待っていたヘレンは、迎えの馬車にそのまま乗り込んだ、そうだ。


「本当に、ごめんなさい」


 ふかふか絨毯の上で土下座する。

 そうだ、私の行動はあらゆる方面に影響を与えるんだもん、気を付けなくちゃ。

 ハティ達をちゃんと躾けて……ううん、そういう問題じゃないわね。私自身が考え無しだったからだ。


「いえ、ご無事ならいいんです。しかも護り神様たちは、アイーダ女史の危機を報せてくださったんですよね?」

「それは、まぁ……」

「マユ様だけではなくマユ様の周囲まで護ってくださるのですね。わたくし、そのことにとても感動いたしました」


 ヘレンは「わたくしは忘れ去られてしまいましたけど……」と、泣き笑いのような顔をしている。

 ほんっとうにごめんなさい、と私は平謝りするしかなかった。



   * * *



 事の起こりは一カ月前。

 アルキス山のシカが増えた原因を調べていた聖女騎士団フォンティーヌ部隊の第三小隊は、隣のワイズ王国のキュラバー山地でホワイトウルフの密猟が行われているらしいという情報を得た。密猟が行われているのは、ホワイトウルフの活動が鈍い、春と夏。

 キュラバー山地を拠点とするワイズシカは、こぞって秋に出産するものの大半が冬を越えられない。それは冬に活動するホワイトウルフがシカを喰らうためで、冬を越えた小鹿は夏には大人になり、秋の繁殖に備えるためにもりもり草木を食べる、極端に成長が早いシカ。

 しかし昨年の夏、密猟によりホワイトウルフの数が減ったことで、大半のシカが無事に冬を越した。すると相対的にエサが足りなくなり、ワイズシカは隣国のアルキス山にまで生息域を広げてきたのだ。

 勿論、ホワイトウルフの密猟など一般の狩人ができることではない。彼らはただの狼ではなく、れっきとした魔物。火に弱いという明確な弱点があることを除けば、平民が立ち向かえるような相手ではないのだ。



「逆に言えば、火や土の魔導士がいればかなり安全に捕らえられる」


 モシャモシャと分厚いステーキを噛みちぎりながら、ガンディス子爵が眉間に皺を寄せて言う。

 ここは、アルキスにあるガンディス子爵別邸の食堂。長い十人がけのテーブルの端、いわゆるお誕生日席にはガンディス子爵が座っている。

 そのすぐ左脇にはザイラ様。右目の横にホクロがある色っぽくて綺麗な人。豊かな黒髪を無造作にまとめ上げ、モグモグとステーキを食べている。何というか、似た者夫婦だ。

 私の席はザイラ様の向かい、つまりガンディス子爵の右側。まさかこんな近くで食事をする羽目になるとは……。

 アイーダ女史に仕込まれたので、ヘマはしませんけども。


 すでに夜。朝からヘレンがスタンバってるから

「すぐに子爵夫妻と面会!?」

と焦ってたんだけど、ガンディス子爵は昨日の件で大公に報告、ザイラ様は実家の侯爵家に用事があるとかで、私は結局夜まで放置されていた。

 おかげで淑女としての立ち振る舞いも一通りおさらいできたし、心の準備もできたから、よかったけどさ。


「火や土の魔導士?」

「火で追い立て、土で囲いを作り、落とし穴におびき寄せる。穴に落ちてしまえば身動きができない。お前が取った戦法と同じだ」

「なるほど……」

「ただ一歩間違えれば大惨事だ。つまり、それなりの使い手が密猟に加わっていることになる」


 これは素人の仕業ではなく正式な魔法教育を受けた魔導士の仕業。

 そう考え、聖女騎士団の第三小隊が身分を偽ってワイズ王国に潜入。現在も密猟犯を追っているそうだけど。

 その第三小隊からホワイトウルフの異常種発生の連絡を受け、ガンディス子爵は最も戦闘に長けた第一小隊を引き連れ、自らアルキス山のふもとにやってきたのだ。

 そこで、ハティ達と共に戦っている私の姿を見つけた、ということらしい。


 アイーダ女史は、初日はロワネスクの子爵邸でザイラ様と会い、大公の夢見とミーア・レグナンドの話を聞いた。そしてブラジャー事業の話になり、翌日……つまり昨日、ザイラ様と共にこのアルキス山の加工場を訪れ、視察をしていたのだ。

 つまり、私が熊手を持って大暴れしているところはザイラ様にも見られていた訳で……トホホ、というのはこういうときに出る言葉じゃないかと思う。


「本当に驚いたわ! ホワイトウルフの群れを一瞬で燃やしちゃったときは!」


 ザイラ様がその黒い瞳をキラキラさせながらはしゃいだ声を上げる。


「あの、本当に申し訳ありません……」


 ホワイトウルフの毛皮は防寒性が高く、水・氷属性に強いためかなり高値で取引されるそうだ。骨に蓄えられる魔精力も高く、アクセサリに加工されたり魔道具に使われたりする。そしてその肉も氷属性に守られて腐りにくく長持ちするため、貴族の間で大人気。


 私はそれを、全部炭にしちゃったわけよ。人に危害を加える可能性があるときの反撃は認められるので、どうせならちゃんと捕獲するべきだったんだろうけど、そんな余裕無かったし。

 巨大ホワイトウルフはハティ達が美味しく食べちゃったし。


「まぁ、かなり勿体無いことをしたな」

「勉強不足で申し訳ありませんでした。殲滅するつもりで完全呪文を唱えてしまいましたから……」


 例えるなら、HP1000足らずの敵に9999ダメージを与えたようなものだろうか。

 いや、弱点属性で攻めたからダメージ限界突破といったところかな。何しろ、貴重なお宝ドロップ(しかも大量)を逃した訳で……。

 ああ、オルヴィア様の魔物事典にも未収録だったからなあ……。まぁこれは、言い訳にはならないけど。


「一つ、気になっていたんだが」


 コン、とテーブルにワイングラスを置き、ガンディス子爵がジロリと私を睨みつけた。ザイラ様が「ガンディス、顔っ!」と小声で注意したので、慌てて目つきを和らげる。


 オニーサマ、もうだいぶん慣れたので大丈夫です、私。

 ……という意味を込めて

「何でしょう?」

とニッコリ微笑んでみせる。


「なぜ、熊手?」

「え……」

「調べさせてもらったが、普通の熊手だった。杖は無いのか?」

「杖?」


 杖って、魔法の杖? 魔導士なら必ず持っているものなのかしら。

 きょとんとしてしまい、私の右側で食事をしていたアイーダ女史を見る。


 彼女は貴族出身なので同じテーブルに着けるのだそうだ。しかし遠慮して席を二つほど空け、一番離れた下座に座っている。

 そして残念ながらヘレンは食事に同席できないので、私達の後ろに控えているんだけども。


 アイーダ女史は食事の手を止めると、「恐れながらわたくしから申し上げます」と一礼し、ガンディス子爵に向き直った。


「マリアンセイユ様の魔法の勉強が進んだ頃、一度公爵殿下に杖の所持を願い出たのですが、許可を頂けませんでした」

「はぁ!?」


 ガンディス子爵が大声を上げる。思わずビクッと肩が震えてしまった。

 ちょ、ちょっと、さすがに熊みたいで怖いです。


「ああ、悪い。お前に怒ってるんじゃない。さすがに父上の考えが読めず納得できないだけだ」

「そうですか……」

「で? じゃあどうやって魔法陣の練習をしていたんだ?」

「落ちていた木の枝とか、それこそ箒とか……」


 だから描きにくくて仕方がなかったのよね。まぁ実際には、制御の面からそんな大きな魔法陣を描く練習はできなくて、アレは本番一発勝負だったんだけど。

 我ながらよく発動できたわ、本当に……。


「杖も無しにあの威力……か」


 独り言のようにガンディス子爵が呟き、ザイラ様を見る。ザイラ様が黙って頷くのを見て、ガンディス子爵も頷いた。再び私に視線を戻す。


「――マリアンセイユ」

「はい」

「『聖なる者』についての話は既に聞いたと思うが……」

「はい」

「単刀直入に聞く。お前は、聖者学院に入りたいか?」


 キタ、キタキタキタ――!

 カチャリ、とナイフとフォークを置き、両手を膝の上で握る。



 ねぇ、セルフィス。

 あなたの問いにどう答えたのか思い出せないけど。いやそもそも、あれは夢だったのかもしれないけど。

 今、ちゃんと答えるね。


 大公子妃として認められるためには、魔精力をきちんと使いこなす必要がある。

 元々はそう考えて、始めたことだったけど。

 オルヴィア様の話を聞いて。聖女騎士団や世界の現状を知って。初代フォンティーヌ公爵の日記を読んで。

 聖女の想いを知った私は、真の魔導士になりたいと思ったの。そして真の魔導士になることが、未来の正妃には必要だと感じた。


 だから、どっちもよ。

 大公子妃にもなりたいし、唯一無二の魔導士にもなりたい。


「入りたいです。――『聖女』になるのは、わたくしです」


 真っすぐにガンディス子爵を見つめ――その向こうの、この場にはいないはずのセルフィスに向かって、はっきりと返答した。

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