第6話 思い出しちゃった

 ミーン、ミーン、ミーンと網戸の向こうでセミがやかましく鳴いている。

 夜はクーラーを付けるより、窓を開けて夜風を感じた方が気持ちがいい。


 八月下旬、高校生活最後の夏休み。

 風呂上がり、肩より長い黒髪をタオルで雑に拭く。水気を取ったら適当にまとめ上げてバレッタで止める。

 さーてと、と独り言を言いながらパソコンを起動。

 

 地下迷宮でちょっと詰まってたんだよなあ。あそこどうやってクリアすればいいんだっけ?

 左手で団扇を持ち、パタパタと仰ぎながら右手でマウスをカチカチ。

 ゲームの攻略サイトを閲覧しようとして、間違えて画面の右に並んでいた広告をクリックしてしまったようだ。急に目の前の画像が切り替わる。


「ん? 何これ? 『リンドブロムの聖女』?」


 パッと目の前に現れたのは、薄い茶色の髪を肩から下だけクルクルさせた、水色の瞳の少女。左手はキュッと拳を握って胸元に。いわゆる『萌え~』という感じの、可愛らしい守ってあげたくなるような頼りなげな女の子。

 白い大きな角襟がついたボルドー色の裾の長いワンピースに黒い編み上げブーツ、という「現実にはあり得ないでしょ」というぐらいファッショナブルな制服らしきものに身を包んでいる。


 聖女と言いつつ、学園物? 何だこれ?

 恋愛×ファンタジーってやつかな。



 ――“ある日、聖なる扉が開かれた。恋と魔法の世界へと。”



 焦げ茶色の背景にアイボリーの可愛い字体のキャッチコピー。

 うわー、胸キュン乙女ゲーっぽいー、と思いながらも、画像の綺麗さに惹かれてついつい見入ってしまう。



~あらすじ~

 ミーア・ヘルナンジェはリンドブロム大公国の城下町・ロワネスクで暮らす平凡な少女。

 その日を生きていくために、今日も孤児院でけなげに働いていた。

「……今日、16歳の誕生日だったのにな」

 誰も祝ってなんてくれない。だって、育ててくれた母親はもういないから。


 しかしその日の夜。ミーアの暮らすみすぼらしい孤児院の前に、男爵家から迎えの馬車が止まった。

「あなたは、トーマス・レグナンド男爵の娘。そして『リンドブロムの聖女』になるべき存在なのです」

 ミーアの癒しの力の噂を聞きつけた男爵がミーアを娘と知り、慌てて引き取りに来たのだ。


 いま、リンドブロム大公国では世界を救う『聖なる者』を探している。

 その候補の一人として、貴族子息や令嬢が集う『リンドブロム聖者学院』へ入学したミーア。


 そこには、数々の出会いとときめきが待っていた。

 ミーアは誰と恋に落ちるのか。そして『聖なる者』とは!?



   * * *



「はあぁぁぁっ!」


 思わず声が出て飛び起きる。

 辺りは真っ暗。ちゃんとした時刻は分からない、だけどみんなが寝静まっている真夜中だってことは分かる。


 そうだ。思い出した。

 ゲーム『リンドブロムの聖女』の主人公、ミーア・レグナンド。

 この世界は、彼女がヒロインのゲーム世界だったんだ。


 何てこった! 私、主役じゃなかった!

 しかもクライマックスなんて、てんで見当違い! 物語、始まってすらいなかったんだ!


「……はあぁぁぁ」


 深い溜息が漏れる。そのままもう一度眠る気にはなれず、そろりとふかふかのベッドから足を下ろした。

 フェルト生地の柔らかい室内履きを履いて、ゆっくりと立ち上がる。ふらふらと導かれるように、庭に面した大きな窓へ。

 音がしないように気を付けながら、そっと開ける。きれいな満月の光がバルコニーに降り注いでいる。

 一歩、足を踏み出す。さわっとした夜露を含んだ風が、そっと私の頬を撫でる。


 夢で見た夏の夜。気温は同じぐらいかもしれない。少しだけ秋を感じさせる、涼しい風が吹いているのも。

 ああ、ちょっとだけ思い出した。あの公式サイトを見たときのこと。


 主人公のミーアの他、何人かのイケメンの画像があった。ゲーム内のイベントシーンとかもね。

 だけどどう思い返してみても、藤色の髪の美少女、マリアンセイユの姿はなかった気がする。

 まさかモブ中のモブ? 登場人物紹介にも載らないほどの?


 ちょっと待って。

 ひょっとして、ミーアの攻略対象には大公世子ディオンも含まれるんじゃ? 

 だとしたら私は主人公のカタキ役……いわゆる悪役令嬢ポジション?


「嘘でしょ……」


 これから私は、ミーアの恋路の邪魔をしないといけないんだろうか。それがこの世界における私の役割なの?

 いや、ディオンルートさえ選ばなければどうでもいいんだけど。

 でもその前に、私はその『邪魔』すらできないんじゃ? 自分の人生に関わってくるのに、物語に関与することすらできないんじゃないだろうか。


 ガックリと項垂れて、バルコニーに両腕を置く。頭が重く感じて、ゆっくりと首が下がっていった。

 ゴテッと両腕の上におでこを乗せる。


 何か、凹んだー。

 主役じゃないから嫌、とかそういうことじゃなくて。

 何て言うかな、何にも知らせてもらえなかった疎外感とか。自分ではどうにもできない焦燥感とか。

 それと――私って何のためにこの世界に来たんだろう、という虚無感。

 今まではそれなりの使命があるはずだと思って頑張ってきたから、気落ちしちゃうのよ。


 そのとき、ふわっと生ぬるい風が私の夜着を揺らした。今まで感じていた風と、全く違う温度。

 ハッとして顔を上げる。右手を見ると、バルコニーの隅にセルフィスが立っていた。辺りは真っ暗闇だけど、今日はひときわ綺麗な満月で、月明りのおかげでかろうじてその姿が分かった。


 黒い執事服、右肩から垂らした黒い長い髪。闇の中でチラリと光る金色の瞳。

 まるで夜を体現しているかのよう。


 そして珍しく、随分と慌てているようだった。少し息を切らしているのが分かる。

 いつもなら、余裕気な微笑をうっすらと浮かべているのに。


「何でここに……」


 何となく、セルフィスはパルシアンの黒の家リーベン・ヴィラにしか来ないと思ってた。秘密の訪問だし、人目につく訳にはいかないだろうから。

 ここギルマン領アルキスも、まぁ、田舎ではあるけれど。

 

「それはこっちの台詞です」


 セルフィスがツカツカと足早に近づいてきた。グッと右腕を掴まれる。


「えっ……」

「なぜ、表になんか……!」

「えっ!?」


 私の小さな叫びに紛れて、『わたしが、何のために……』と独り言を漏らしたのが聞こえる。


 ちょっと、右腕を掴んでいる力が強いんですけど! セルフィスが私に触れるの、多分これが初めてだ!

 いやそこじゃない、いやいやそこも重要なんだけど、『表になんか』って言ったよ、この人!

 公爵と一緒!? 私を閉じ込めておきたかったクチ!? いやでもちょっと待って、魔導士になる勉強にもすごく協力的だったし、おかしくない!?

 いやそもそも、小さな淑女、マリアンセイユに仕えていた執事では!? あ、そうか、淑女らしくない大立ち回りを演じたから!? いやでも、何か小さい矛盾をちょこちょこ感じるわ!


 と、とにかく――なぜ彼は怒っているのでしょーか!


「ちょっ……セルフィス! ちょっと痛い!」


 ぶんぶんと右腕を上下に振ると、セルフィスはハッと何かに気づいたように手を離した。素早くひらりと後方に飛び退く。

 私との距離、2メートルほど。――いつもの距離だ。

 私はバクバクする心臓を右手で押さえながら、大きく息をついた。

 

 思えばセルフィスは、いつも少し離れて私と話していた。物理的な距離感もそうだけど、精神的な立ち位置も。

 こうすべき、というような自分の意見を言うことは全く無くて、ヒントは言うものの私が答えを見つけるのを遠巻きに眺めている感じだった。


 ましてや触れることなんて無かったし、つまり、えー……とにかく初めて尽くしで訳がわからないんだけど!

 ああ、真夜中で良かった! きっとすごく赤い顔をしているはずだもん、私!


 そんなことを考えているとまた熱が上がってきた気がして、パッと両手で両頬を押さえる。

 横目でセルフィスの様子を窺うと、セルフィスは右手を自分の胸に当て、深く会釈をしていた。


「――失礼いたしました。魔物と戦ったという話を聞いて、居てもたってもいられず……」


 ああ、そう……そういうことか。心配して飛んできてくれたのね。

 でもそれにしちゃ、何か怒ってた気がするけどな。バカなことを、と焦っていたという感じかな。

 どちらにしても、私の無事が確認したくて来てくれたんだよね……。

 そう思うと、胸の奥がじゅわんと温かくなる。


 市井でその話を聞いたのかもしれない。目撃した騎士団の人はかなり興奮していたみたいだったし、ガンディス子爵自体が噂を広めるのを積極的に勧めているようでもあった。

 ……でも、サロペットに熊手はなかったよね。


「ごめんね。淑女としての評価は下がっちゃったかもしれない。でも、魔導士としての評価は上がったと思うんだ」

「……ですかね」


 その口調があまりにも投げやりで、思わず首を傾げる。

 セルフィスは、昔のマリアンセイユのように立派な淑女になってほしかったんじゃ? それに、もう二度と倒れることが無いよう、自分の魔精力をきちんと制御できる立派な魔導士にも。

 どちらも、大公妃として立つためには、必要だから。


「ところでさ。例の『聖なる者』の夢見、それとミーアの話。セルフィスは知ってたのよね?」

「……はい」

「今、そのための学校が作られてて、公爵が勝手に私の参加を断ったことも」

「ええ」

「何でそんなことになってるの? セルフィスは大公に私のことを報告してたんじゃないの?」

「報告はしていましたが、マユが起きているのを知っていたのは大公殿下のみです」

「それは知ってるけど」

「マユを学院に入れるとなりますと、起きて元気になっていることを公表することになりますから。公爵が望まない以上、その意向を曲げてまで強行することはできなかったと思います」

「ふうん……」


 何か釈然としないけど、まぁいいや。きっと大公殿下と公爵の間で密談があったんだろう。

 ……それよりも。


「さっきさ、『何で表になんか』って言ってたけど」

「……」

「セルフィスも、公爵と同じく私に引っ込んでてほしいの? おかしくない? だってセルフィスは、私に大公子妃になってほしいんだよね? だから間諜をしてるんだよね?」

「……」


 セルフィスは無言だった。

 まぁ、聞いたところでセルフィスは答えないだろうな、とは思った。匂わせるだけで、自分の意見は絶対に言わないから。

 だからこそ――さっきの呟きは、本当に貴重なセルフィス自身の言葉、だと思うんだけど。


 でもあえて、私はセルフィスの返事を待った。

 どうも今日は……いや違う、むしろ本当のセルフィス気がするから、ちゃんと彼の言葉を聞きたかったのだ。


 俯いてたっぷり考え込んだあと、セルフィスはついっと顔を上げた。金色の光と目が合う。


「マユが表に出たら、私の役目は終わりです。仕事が無くなります」

「えっ、そっち!?」


 予想外のことを言われて思わず大声が出る。誰かに聞かれたらマズい、と慌てて自分の右手で口を覆った。

 そうか……パルシアンに引っ込んでるからこそ様子伺いの任務がある訳で、私が表に出て活動するようになったらセルフィスの報告は要らなくなるのか。

 まさか、無職になるのを恐れていたとは……。そりゃね、働かないと生きていけないのかもしれないけど。

 ……けどさ。


 明日のガンディス子爵との話がどうなるかは分からない。だけど、私はもう、外の世界の人達に認知されてしまった。

 これから徐々にだろうけど、私は表社会に出ることになる。

 でもそしたら……セルフィスはもう、私には会いに来ないの? 今日が、会うのが最後になるの?

 ――それは嫌だ。


「ねぇ、もし大公の間諜という仕事が無くなったら、今度は私が雇うわ!」


 セルフィスを励ますように、明るい調子で言ってみる。だけどセルフィスの表情は冴えない。

 正確にはよく見えないんだけど、肩も落ちてるし俯きがちだから。


「マユが? 何のために?」

「そりゃー……ほら、魔法や魔物学の先生としてさ!」


 ね、だから……と左腕を伸ばして歩み寄ろうとしたけど、セルフィスは同じ歩数だけ後ろに下がってしまった。

 何よ、人を病原菌みたいに。さっきは自分から近づいてきたくせに。


 まだどこか熱く感じる右腕を、左腕でぎゅっと握る。

 セルフィスはふう、と呆れたように溜息をついた。


「報酬は? マユは現金を持っていませんよね」

「ないけど!」


 ここに来てお金の話なの!? 私たちの間柄ってそんな程度だっけ!?

 マリアンセイユになら無償で仕えるけどマユのためには働けないってか!


「えーと、ヘレンにだけこっそり言って、ご飯を出してもらう」

「賄いだけですか」

「じゃあ、ブラジャー事業の利益が出たらそれでお給料を支払う」

「先の見えない話ですね」

「えーと、じゃあ……じゃあ! 私が大公妃になった暁には、絶対にセルフィスを引き立てる!」


 これでどうだ!と言わんばかりにビシッと左手の人差し指を立てると、セルフィスはグッと口をつぐんでしまった。

 何よ、そんなに変なこと言ったかしら、と首を傾げると、またもやセルフィスの溜息が聞こえてきた。

 だけど今度は――どこか淋しそうに。


「マユに聞きたいのですが」

「え」


 ちょっと報酬の話はどうなったのよ、と言い返そうとしたけど、ちょうど月明りがセルフィスの顔を照らしていて、思わず息を呑んだ。

 闇の中に金色の瞳が揺らいでいる。その表情は、真剣そのもの。


「大公世子ディオンと結婚して大公子妃になることと、かつての聖女のような唯一無二の魔導士になること。――マユは、どちらを望むのですか?」

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