第5話 この世界に何が起こってる?
「まったく、わたくしの知らない間にそんなことが……」
アイーダ女史がこめかみに右手を添え、深い溜息をつく。
ハティ達との一連の話を聞かせたあとの、第一声だ。
ブラジャー工場脇の更地で騎士団の皆さんによる大声援に見送られ、私はアイーダ女史とともに、ギルマン領にあるガンディス子爵別邸に連れてこられた。
ガンディス子爵はすぐにでも私と詳しい話をしたそうだったけれど、それはアイーダ女史が止めた。
初めて魔法を使っての戦闘だったし、身体の異常や魔精力の暴走の恐れはないかしっかり診察させてほしい、と申し出たからだ。
一連の戦いを見ていたガンディス子爵も、確かに休息は必要だろう、と別邸のさらに奥にある離れのような場所を提供してくれた。今日一日は休み、明日に子爵夫妻と面会することになっている。
「では、聖女の魔法陣については知ってしまわれたのですね」
「あ、うん。昔うっかり魔獣召喚をしてしまった少年がいて、上流貴族八家で厳重に管理されている、ということは」
「……」
「危険なものだから興味本位で知ろうとしちゃ駄目なのよね。それはちゃんと、理解しているわ」
本当はセルフィスから聞いた話だけど、ハティ達から聞いたことにしても問題はないわよね。
……それよりも。
「あの、あの子達、全然怖くないのよ。私の話も、ちゃんとわかってる。だからハティは『アイーダ女史が危ない』って知らせてくれたんだから」
正しくは『ひっつめおばちゃん』、スコルに至っては『ひっつめババア』だけど。
これは止めるように、二人にちゃんと言い聞かせないといけないわね。アイーダ女史が知ったら血圧が上がっちゃうわよ。
「だから、もう会うなって言われるとすごく困る。私はあの子達を可愛いと思ってるし、彼らは私を護るために契約したんだから」
「…………」
アイーダ女史は再び深い溜息をつき、何かを思い出すような遠い目をして窓の外を眺めた。そしてふいっと、私へと視線を戻す。
「きっかけは『名付け』、でしょうね」
「名付け?」
「最初の頃に申し上げましたでしょう。『魔導士の名づけには多かれ少なかれ魔精力が伴います。一種の契約のようなものです』と」
「……そうだっけ?」
「ええ」
最初の頃というと、目覚めたばっかりの頃ってことでしょう? もう忘れちゃったわよ。
それにその頃って本当に何も解ってなかったから、情報量が多すぎて大変だったんだもん。
「これは推測ですが。マユ様が一切の創精魔法を使えないのも、この『名付け』の体系化に比重を取られているのかもしれません。いえむしろ、創精魔法の枠は『名付け』の魔法が占めている、と言えばいいでしょうか」
「名付け……」
「護り神と仰いましたが、人語を解し意思の疎通が図れるとなると魔獣と同格の存在でしょう。それらにあだ名を付けただけで縛るというのは、通常の魔導士では考えられません」
「私、縛ったの?」
「経緯を聞いた限りでは、そう思います」
そう言えば、ハティって初めて呼んだとき、何かビクッとしてたわよね。スコルも油断しただのこれのせいかだのブツブツ言ってたわ。
「あだ名で呼んだ時点で仮契約しちゃった、みたいな?」
「恐らくは。ですが、魔物や魔獣がそれで同じように縛れるわけではありませんよ。護り神である彼らと心を通わせていたから成せたことであって、」
「あ、うん。大丈夫。ちゃんと解ってるから」
お説教が長く続きそうだったので、慌てて遮る。
その調子で他の魔物もやってみよう、なんて絶対にやめてくださいね、と言いたかったんだと思うし。
「ねぇ、それで、大公殿下の夢見って? 私、何にも知らないんだけど」
「わたくしも知りませんでした。公爵が意図的に情報を止めていたのでしょう」
アイーダ女史の両膝の上で軽く握られた手に、グッと力が籠る。
「――順を追ってご説明いたします」
* * *
魔導士は死の直前、予言めいたものを口にすることがある。その瞬間だけ神に近づくことから何らかの啓示がもたらされるのだろう、と言われている。
そして、リンドブロム大公はごく稀に、『夢見』と呼ばれる予言を授かることがある。生命の危機とは関係なく授けられるこの『夢見』こそが代々大公家に伝わる魔法であり、聖女の血をまっすぐに引き継いでいる事の証でもある。
そして、今から三カ月前。
“遠くない未来、魔王が目覚める。しかしわれら人間の元には若き聖なる者が舞い降りるだろう”
『聖なる者』――それは、千年前の『聖女シュルヴィアフェス』を継ぐ者に他ならない。
大公はそう考えた。聖女の血を引く者の中から、その『聖なる者』が現れるのだろう、と。
真っ先に浮かんだのは、フォンティーヌ公爵の令嬢であるマリアンセイユ・フォンティーヌ。
しかしマリアンセイユが目覚めたのは今から二年も前。公爵によれば、いまも辺境の地で療養中だという。
ならば、他の貴族の中から現れるのではないか? 聖女の魔法陣を引き継ぐべき人間が。
『聖なる者』を見つけられなければ、千年前の悲劇が繰り返される。今度は確実に、世界が滅ぶ。
少しでも可能性のある者は集め、その中から探そうではないか。
そうして、大公は貴族専門の魔導士の学校、『リンドブロム聖者学院』を三か月の期間限定で特別開校することを決定した。
上流貴族八家および下流貴族の子息令嬢の中で魔導士の素質がある者を集め、大公家管轄のもと特別授業を行う。
大公世子ディオンを責任者として学院長に据え、次期大公としてリンドブロムの未来を担う『聖なる者』を見極めさせよう、と考えたのだ。
* * *
「そんな大事な話が、どうして私のところに届かないのよ!」
アイーダ女史の話を遮り、思わず叫ぶ。
だって私は、大公世子ディオンの婚約者であり、上流貴族八家筆頭のフォンティーヌ公爵令嬢。
しかもちゃんと、魔導士の素質も持っているのよ?
真っ先に招集されて然るべきじゃない!
「公爵が辞退したようですね。参加できるような状態ではない、と」
「そんな、だって! それを大公殿下が鵜呑みにするなんて、あり得ない!」
セルフィスは大公殿下の指示で私の元に訪れているのよ。私がどういう状態かは、大公殿下はご存知の筈だわ。
体が弱くて臥せってる訳じゃなくて、とっても元気で、魔法の腕もちゃんと上がってるって!
あんにゃろー、ちゃんと役目を果たしてるのかしら!?
ギリギリと歯ぎしりをしていると、アイーダ女史が「少し落ち着いてください」と私の腕を掴み、ソファに座るように促した。
そうは言っても、アイーダ女史も納得がいかない顔をしている。
公爵に逆らうことはできないけれど、どうしてこうも頑なにマリアンセイユを閉じ込めたがるのか。その点だけは、合点がいかないのだろう。
「今回はあくまで『聖なる者』の吟味で、これに外されたからといってディオン様との婚約が白紙に戻る訳ではございません」
「だけど、千年前の聖女は大公家の始祖よ、言うなれば! 『聖なる者』がもし女性――まさしく『聖女』だったら、そういう話に進展する可能性だって……!」
「そうですね。少なくとも側妃に、という話にはなってもおかしくありませんね」
「でしょう!?」
結婚前から愛人がいるとか、冗談じゃないわよ! いや、一夫多妻制が一応は認められているこの世界では、そんなことでガミガミ言っちゃ駄目なんだろうけどさ!
それに、便利な魔道具と扱いが同じな気がして、本当にムカツくのよ!
「ですので、ガンディス子爵は公爵の決定には反対だったようです。どうにかして覆したかったのですが、その判断材料がなく」
「判断材料?」
「ええ。マユ様の意思と、魔導士としての実力です」
だからザイラ様が内々にわたくしを呼んだのです、と言い、アイーダ女史は今日何回目になるか分からない溜息をついた。
「……何か、あったの?」
ソファにゆっくりと座り直し、アイーダ女史の様子を窺うように聞いてみる。
ガンディス子爵は、魔導士の修行より大公子妃になるための勉強を頑張れと言っていたわ。
婚約が白紙になる訳じゃないんなら、父である公爵と対立してまで強行しようとはしないはず。
それにザイラ様も、そこまで子爵に同調しないんじゃないかしら。
これはどう見ても、子爵夫妻はどうにかして私を『リンドブロム聖者学院』に捻じ込みたい、と考えているに違いない。
強行手段を取らざるを得ないと考えるほどの何かがあったとしか思えないわ。
ソファから身を乗り出し、アイーダ女史の黒い瞳をじっと覗き込む。
女史は深く頷き、私と同じようにグッと両肩を前に出した。
「今からおよそ一カ月前。ロワネスクの城下町が、一人の少女の話題で持ちきりになりました」
「少女?」
「はい。生まれながらに治癒の力を持つ少女がいる、と。見ただけで具合の悪いところを見抜き、触れただけでたちどころに傷を癒すことができる、と」
「それって……!」
聖女シュルヴィアフェスと、同じじゃない!
治癒の力と火の創精魔法を自在に使いこなした、聖女シュルヴィアフェス。
辺境の村娘に過ぎない彼女が聖女に選ばれたのは、滅多にない、治癒の力を持っていたから……!
私の言わんとするところがわかったのか、アイーダ女史はゆっくりと頷いた。
「その通りです。少女は『聖女の再来ではないか』ともてはやされた」
「……」
「少女の名は、ミーア・ヘルナンジェ。……いえ、現在はミーア・レグナンド男爵令嬢、です」
「……っ!」
その名前を聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
ミーア・レグナンド。
私はこの名前を知っている。聞いたことがあるわ。
――ううん、違う。
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